私はただ自由に空を飛びたいだけなのに!

hennmiasako

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第7章 私はただ自由に空が飛びたいだけなのに

62 本性

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 私は1年前に学園都市で暴漢に襲われそうになったときに自衛手段の必要性を実感した。

 だから、理術を使って自分の身を守る自衛手段を試行錯誤していた。
 元々人を殴ったりして傷つける度胸も覚悟も私には無い。
 理術で直接他人を攻撃せずに相手を無力化する方法はないものかと考えた。

 そもそも理術で直接人の身体を攻撃することはできない。
 生き物に備わっている理力に相殺されて理術がうまく作動しないせいだ。

 相手を無力化するが、相手を直接攻撃はせず、傷つけず、血を流さず、痛めつけない、そんな方法はないものか。

 まず、重力で相手を拘束する方法を思いついた。
 相手の周囲の重力を重くして身動きできないようにする。
 でも、それは私が理術を解いてしまったらすぐに解放されてしまう。
 相手を拘束して無力化できるのは、私が理術を使っている間だけだ。
 私がそこから逃げることはできない。
 相手の体を潰すほどの重力をかけて相手が動けなくなるくらい相手を痛めつける方法は私には取れそうにない。

 それなら、相手の周囲の重力を軽くすればいいと考えついた。
 重力が軽くなれば山の上のように気圧が下がる。気圧が下がれば空気が薄くなる。酸素も薄くなる。呼吸がしにくくなる。相手の血液中の酸素濃度が低くなる。相手は低酸素血症になる。
 上手くいけば気絶させることができるかもしれない。
 すぐに理術を解除すれば命の危険はないだろう。気圧が戻れば血液中の酸素濃度はすぐに元通りになる。

 今までは自分に理術をかけていたとき、無意識のうちに自分の周囲の酸素濃度が下がらないように調節していたようだ。
 私は前世の彼女の記憶から無重力だと空気がない、重力が軽い場所は空気が薄くなる、と知識で知っていた。
 だから、無意識のうちに自分の周囲の空気の密度が変わらないように調節できていた。

 もし、何も知らない人が浮遊術を使って自分の周囲の重力を軽くしたら、それに伴って気圧も下がり、酸素濃度も下がるだろう。
 そうなると宙に浮く前に酸素が足りなくなり、呼吸困難となって倒れる危険がある。

 私が思っていたよりも重力が軽い空間を作り出して浮くという私の浮遊術は危険すぎる術だった。

 私はそうした危険性を理解しながら浮遊術を悪用する形で「相手を高山病にする理術」を作り出した。
 
 私は将来の危険性よりも自分の安全性を優先した。
 私は自分が自衛手段を持つことによる安心感を得るためにその自衛手段によって命を奪う可能性には目を瞑った。
 それでも、危険性を理解していたから人体実験はしなかった。
 万が一問題が起きたとしても相手は悪い人間だし、証拠は残らないし、誰にも分からないから大丈夫と楽観視していた。

 その結果がこれだ。

 私の足下でヒロデンが倒れている。
 無我夢中で発動した「相手を高山病にする理術」によってヒロデンは発動と同時にそのままその場に倒れた。

 呻いたり、苦しんだり、呼吸困難になったり、痛がったりせずに、本当に何の前触れも無くいきなりその場で倒れ込んだ。
 ヒロデンは微動だにしない。
 死んだのかもしれない。
 一切動かない。
 人形のように、死体のようにうつ伏せになったヒロデンの体は動かない。

 私は貞操の危機が去ったことに安堵するよりも、恐怖が全身を駆け巡った。

 殺してしまったという衝撃。
 自分が人を殺したという事実。
 自分が目の前の死体を生み出したという現実。

 余りの恐怖に吐きそうになる。

 しかし、吐く前に目の前の死体と思い込んでいたヒロデンの手が微かに動いた。

 生きている。

 私は安堵した。
 恐怖は去って本当に心から深く安堵した。

 私はヒロデンが生きていたことを喜んだのではない。
 自分が人殺しにならなかったことに心底安心した。

 なんて酷い人間なんだろう。
 人は本当に追い詰められた時に本性が出ると言うがその通りだ。

 私は自分でも知らなかった本性を知った。

 私は自分で思っていたよりもずっと薄情で残酷で自分のことしか考えられない人間だった。
 自己保身を第一に考える人間だった。
 目の前の倒れている人間を助けようとも助けたいとも思わない。
 目の前に倒れている人間の安否よりもずっと自分の身が可愛い。
 自分が人を殺していないことの方がずっと大事で重要。
 我が身可愛さに人を殺して、人を殺したという事実とその罪悪感と罪の重さに怯えるけれど、殺した相手のことについては一切考えない。
 殺してしまった相手に対して申し訳ないとも思わない。
 殺人という犯罪行為に対してのみ私は怯えていた。
 殺人という犯罪行為、罪深い取り返しの無いことをしてしまった自分、汚れてしまった自分自身に怯えた。
 そこに殺してしまった相手に対する懺悔や後悔や反省は無い。
 相手に関しては何も考えていない。思い浮かんでいない。完全に蚊帳の外。
 ただただ自分自身がやってしまったことの重大さ、罪深さ、取り返しのつかなさ、そのことに恐怖して、怖気づいているだけ。

 殺してしまった相手に対しては何も思わない。
 本当に一欠けらも考えていない。
 一切頭の中にも心の中にも殺してしまった相手は存在していなかった。

 ただただ自分のことだけ、自分が犯してしまった罪に対してだけ、自分の行動のことだけしか考えられない。

 自分がこれほど弱くて愚かで醜い人間だとは夢にも思っていなかった。
 人を殺したという罪を背負えない程に弱い。
 罪と真正面から向き合えない程に弱い。
 罪から逃げようとする醜さ。人を殺すという罪を軽く考えていた愚かさ。真剣に考えずに行動してしまった軽率さ。安易に命を奪うという選択をした罪深さ。

 その自分の罪も愚かさも醜さも弱さも受け止めきれないほどに弱い自分に嫌気がさす。
 卑怯で弱くて狡くて醜い自分に失望する。

 私はこの理術で相手を殺めてしまうという危険性も可能性も理解していた。
 それなのに、本当には理解していなかった。何も考えていなかった。真面目に真剣に考えなかった。向き合わなかった。
 これは私の怠慢だ。
 私は軽く考えていた。軽視していた。とても浅慮だった。
 命を奪うということ、殺人という罪を犯すこと、その罪を背負うことを軽く見ていた。

 だから、あんなにも簡単に殺そうとしてしまった。殺してもいいと、死んでも仕方ないとどこかで安易に考えていた。
 取り返しのつかないことなのに。背負えないほど重い罪なのに。
 どこかで軽く考えていた。人を殺してしまうということを。

 現実のこととして、実感として、事実として、自分のこととして考えていなかった。どこか他人事だった。

 私は自分の力のことについて真剣に向き合っていなかった。
 人の命を奪う危険性、可能性が少しでもあるなら、もっと真剣に考えるべきだった。使用についてもっと慎重になるべきだった。
 安易に使って、簡単に人の命を奪ってしまうところだった。

 「そんなつもりは無かった」だなんて言い訳にもならない。
 私は自分の力が人を殺せることは分かっていた。理解していた。把握していた。
 それなのに、「死んでも構わない」「殺しても証拠は残らないから問題ない」とどこかで他人事のように思っていた。
 なんて酷い人間なんだろう。

 殺してしまった相手のことなんて一ミリも考えていない。頭の片隅にも無い。
 あるのは人間を殺してしまった自分のことだけ。自分の自己保身だけ。
 被害者のことは個人として認識していない。人間という記号でしか捉えていない。
 被害者のこと、その遺族のこと、哀しむ人がいること、苦しむ人がいることについて考えが及ばない。
 私はなんて薄情な人間なんだろう。

 自分の馬鹿さ加減に呆れる。
 自分の身勝手さに泣きたくなる。
 自分の怠慢に後悔する。
 自分の弱さに絶望する。
 自分の愚かさに失望する。
 自分の醜さに吐き気がする。
 自分の薄情さに落ち込む。

 なんて他人に対して薄情で残酷で冷酷で、自分のことしか考えていない人間なんだろう。
 自分本位で身勝手で自己中心的な歪んだ人間。

 私は目の前の惨状そっちのけで自分の本性を知って驚愕して戦慄していた。

 しかし、ヒロデンが呻くような声をあげたことで私の意識はやっと現実に戻ってくる。

 今はそんなことを考えている場合ではない。

 自己憐憫も自己嫌悪も自己否定も自己陶酔も自己分析も自己弁護も後だ。

 ヒロデンが意識を取り戻す前にここから早急に逃げ出さなくてはいけない。

 今が逃げるチャンスだ。
 
 今逃げ出さなくてはもう二度と逃げることができなくなる。

 これが最後の脱出の機会。

 これを逃してはならない。
 
 私は正気に戻り、冷静さを取り戻して、事前の脱出計画を放り出して今すぐここから逃げるために動き出した。


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