物憂げなドール

浅葱ポン酢

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1.遭逢

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 夜が好きだ。全てを包み込む、温かで優しい夜の闇は私の心を穏やかにさせる。陽の光は暖かだけど、その代わりに全てを明らかにしてしまう。みにくさもつたなさも日の元ではすべてがさらされてしまう。それが私には酷く恐ろしく、冷たく感じられた。それに比べれば、全てをおぼろげにぼんやりと映し出す夜の暗がりは温かった。全てを曖昧あいまいにして、まろやかにかき混ぜ、攪拌かくはんして、夜の闇はつくられている。
 人気ひとけのない住宅街沿いを我が物顔で通り過ぎる。星は見えずとも、時折ときおり差す街灯や知らない誰かの家の明かりはささやかに夜闇をいろどっている。心地よい疲れとともに涼しい風を浴びて歩く。九月下旬の午後八時過ぎ。喧騒けんそうから離れた別世界をたしなみながら私は帰路につく。
 女が一人で夜道を歩くなど危ないと言う紳士がいるかもしれない。お心遣い有難い。けど、構うものか。第三者の勝手なエゴなど私は知らない。私の世界は私のもので、私しか知り得ない。だから誰も私の世界を冒涜ぼうとくする権利はないのだ。

(それに———私を心から心配する人など、心からとがめてくれる人などもう居ないのだから。もう誰も気にしなくていい。もう。)

私はくちびるを少し噛んだ。もとい噛みめた。そうだ。厄介な感情を捨て去り、私は身軽にになった。私は自由になったのだ—————



 ふと、私の足が止まる。
 目の前を眺めて硬直する。身体からだ戦慄せんりつが走る。私は逃げようとしたのだろうかよく覚えていない。でも動かなかった。足先、手先、胴体、頭さえ、ピクリとも動かせなくなった。恐怖をとうに超えた硬直だ。怖い、恐ろしいという言葉が浮かぶよりも先に私の身体は硬直した。

「何か」が道に立っている。得体の知れない「何か」。得体が知れないのになぜ立っていると言えるかというと、そこにあしが見えるからだ。脚。私が見たのは脚だ。正確には腰から足先までだ。あとは髪。髪だ。街灯が逆光となりよくは見えなかったが、脚と髪。髪の毛が絡んだ2本の脚が、私の前にそびえ立っている。
数秒ほど固まっていただろうか。だんだんと私の頭は思考を取り戻していった。身体にじっとりとした汗を感じる。取り戻した思考は即座に混乱し、私はそれをまとめるのに努めた。分からないわからないとにかく状況を把握しよう理解しよう何が起きているのか一体全体何が起きているのか。目の前の「何か」の情報がもっと欲しかった。私は要領を得ない思考を抑えつけ、ゆっくりと、ゆっくりと、その「何か」を見上げた。

 脚、腰、胴。どうやら「何か」よりかは「誰か」に近いらしい。人……なのだろうか。でも、眼前のそれは人と呼ぶにはあまりに特異であった。


 そこには、身長よりも長い髪をした、二メートルほどの巨人が立っている。


 夜道を歩いている女性が全員無防備だとは限らない。不審者対策はしっかりしていたし、百均で買った小型のスタンガンも持ち歩いていた。しかし、夜道、目の前に現れた街灯ほどの高さの人型に、悪漢完全撃退マニュアルが果たして通用するだろうか。こんな状況誰が予想できるのか。予想どころか想像もできないと思う。ファンタジーの巨人族やゴーレムに比べ、目の前のそれはあまりに生々しかった。細く、長い、なまめかしい肢体したいが、街灯に照らされてぼんやりと映し出されている。
 こちらに気づいたのか、人型はゆっくりと振り向いた。逆光と暗闇でよく分からなかったが、怪異は私に背中を向けていたのだ。この時、私はなぜ逃げなかったのだろうかと今になって思う。人型が振り向く前に走って逃げてしまえば良かったのに。思考が帰ってくるのとともに、身体の硬直も幾分いくぶんか解けていたはずだ。少なくとも目をそむけるだけの自由はあった。だけど———私は逃げなかった。目を背けなかった。自暴自棄にでもなっていたのだろうか。唐突に現れたそれは生々しくもどこか非現実的で、超常的で、幻想的だった。私は唾を飲み込んだ。私はこの怪異に魅力を感じていたために、目が離せなかったのか。
振り向いた巨人を見て、絡まっていた髪は怪異の前髪だとわかった。二メートル程のその身長よりも長い前髪を怪異は引きずっている。それ故に顔は隠れて見えなかった。怪異はボロボロの布切れを服のように纏っていた。手脚は長いが、奇妙に長くはなかった。つまりは高い背丈にそぐう長さの手脚だったということ。その高身長と幕のような前髪を除けば、それは綺麗に整った人間の形をしていたのである。しかし体型としては若干痩せすぎている気がした。
 痩せ型は振り向いたあと少し腰を曲げ、怪訝けげんそうにこちらをうかがったのち、ゆっくりと近づいてきた。ゆっくりとゆっくりと。その足取りはまるで初めて地面に足をつけたかのよう。じとりじとりと足の感触を確かめるようだった。やがて私とちょうど一メートルとちょっとばかりまで来ると、もう一度腰を曲げ、私の顔をのぞき込んだ。
 ……と今なら冷静に描写できるけど、その時の私と言えば気が気ではなかった。怖い。けれども心のどこかで魅了されている。心臓の鼓動は恐怖と興味にどぎまぎしながら行き場を失っていた。顔を覗き込まれた時は当然のごとくまた身体は硬直し、同時に呼吸も止まった。汗と寒気と火照ほてりと。私はこの一瞬で風邪にでもなってしまったのだろうか。
 痩せ型の表情は髪で隠れて見えなかった。街灯で淡く照らされている。じっと、その向こうからこちらを見つめているようだ。何となく、その面持ちは何か確かめるように、思案しているようにも見えた。
 ふと…私の頭にある考えが浮かんだ。それはあまりいい考えとは言えなかった。正気ではなく狂気の沙汰と言ってもいい。『顔を見てみたい』。つまり私はその前髪をき分けて素顔を見てみたいという欲求に駆られたのだ。支離滅裂な思考。気が動転して気分が酔っていたのかもしれない。私の中の方位磁針は北を指さず狂っているどころか、クルクルとかざぐるまの如き有様だった。ともかくとして最終的に針は恐怖よりも、逃避よりも、興味を指し示し止まった。
彼の頭はぼんやりと照らされている。私は丁寧に徐々に呼吸を戻し、震える手をそうっと、そうっと運び前に差し出した。頭は動かなかったが、思案をやめ、はたりと止まったようだった。私はものものしく高級なカーテンを開けるように、その髪を左右に分けた。


 私は人型の顔を見た。凶暴に茂った眉毛。大きくぎょろっとした三白眼に鋭利な目尻。控えめに高い鼻に、左右に広がる奇怪な口。白く膨らんだ頬に、奇妙に整った顎。それらは彫刻のように静止して、私を見つめていた。夜の暗がりに無機物なライトに照らされて怪しげにたたずんでいた。ドキリと胸が大きな鼓動を打つ。ダメだ。冷や汗が首筋をしたたる。これはダメだ。やはりというかしかりというか。敵わない。私は整わない呼吸のまま、ぽつりとつぶやいた。








「かわいい……。」



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