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5.ママ
しおりを挟む日曜日の正午。あの忌むべき日光によってほんのりと暖められた空気。そのホンワカとした空気を切り裂くようにピンポーンと甲高いドアベルが鳴る。私はそれを聞いて目を輝かせる。まだぼんやりとしているサクラコを尻目に軽い足取りでトテトテと玄関に向かう。玄関ドアを開けると、そこには色黒でガタイのいい、中年一歩手前といった感じの男性。手には大きめのバックと小さめのバックを持ち、顔には薄く化粧をしている。私を見るなり、彼は快活な声で私に呼びかける。
「久しぶりミッチー!元気してる?」
「ミカママぁー!」
私はドアを開くなり彼のその大きな胸(板)に飛び込んだ。「あらあら」と言いながらもミカママは優しく私を抱きしめて頭をなでる。
「最近店に来てくれないから心配してたけど……元気そうで何よりだわ」
「ミカママぁ~」
しつこく抱きつく私を優しく離し、ミカママは私の顔を見る。私ははにかみながら言う。
「えへへ……少しバイトが忙しくて。でも会いたかった!」
「うふふ。私もよ」
ママはもう一度私を抱きしめた後そっと離し、私の背後に呼びかける。
「さて。あなたがサクラコちゃん?」
振り返るといつも座ったままのサクラコが珍しく立ち上がって玄関前、私の後ろまで来ていた。ミカママはサクラコに話しかける。
「ワタシの名前はミカエル!……といっても本名じゃないけれどね。ミハルちゃんの親友よ!はじめまして!」
「ミハルちゃん」と聞いて、サクラコの耳がぴくんと動いた。ミカママは顎に右手を添えながらじっとサクラコを眺める。
「うーん。男の子か女の子かわかんないって話だったけれど………私が見る分には女の子に見えるわね。確かに中性的と言えなくもないけど、この子は女の子じゃないの?」
「そうなの。うん。なんていうか……」
私は一瞬言葉を濁らす。
「どんどん女の子っぽくなってる気がする」
もう中性的な男子というよりは、少し背の高い女の子といった感じだった。痩せ型だが女性的な肉付き。胸囲はやはりあまり豊満ではないけれど、そもそも凝視するのは憚られた。まぁそれでも綺麗な切れ長の瞳や控えめな小鼻は出会った時から健在だけれど。ミカママは私の発言を全部は理解してくれなかったかもしれないが、小さくうなずきながら言う。
「なるほど。これはますますあなたでは無理ね。………この子のお風呂の面倒をみるのは」
その通りである。いや、私も全く気にしていなかったわけではないのだ。サクラコがうちに来てから初日の夜を除いて二日目。そもそも遭遇した時すでにぼろっぼろだったのに、私はタオルで体をふいてあげることすらしなかった。服も最初に渡したダボダボTシャツとジーンズだけだ。
(あれ?てか私、下着渡してなくない?)
そんな事実に気づいたが、今は関係ないことだ。とにかく、私のようにサクラコの麗しい肢体に怖気づかずに、身体を洗ってあげられる人材が必要だったのである。
少し赤くなった私を見てミカママは不審そうな顔をしたが、すぐに苦笑しながら言う。
「もし素敵なボーイだったらどうしよう!……かと思ってたけど、見た感じ大丈夫そうかしら。まぁミッチーはその辺まだデリケートだからね。彼女の身体を調べるのはワタシのほうが適任でしょう」
「ミカママはデリケートじゃないの?」
「ワタシは人生的にも業界的にもそこそこ長いから。伊達に経験してきてないわよ。まぁ今回はミカエルお姉さんにバッチリ任せなさい♡」
どちらかと言えば「オネェさん」だというくだらないツッコミは置いておいて、私は彼女に頼ることにした。というか、そのために呼び出したのだ。
「さぁて!善は急げよね。シャワールームは?」
「え?あぁ、そっちそっち」私は指さす。
「オッケーオッケー!」
ミカママは小さめのバックを置く。大きめのバックには着替えやら何やらが入っているようだ。
「じゃあサクラコちゃん。こっちに———」
こっちにおいで。そうミカママが言うより前に、サクラコはすたすたと歩いていく。そしてなんと、何気ない顔で脱衣所に入った。
予期せぬ事態に私もミカママも呆然としていた。
「………ミッチー、実はもう手を出しちゃってた?」
「なっ、何もしてないわよまだ!」
動揺してミカママの喋り方が若干うつる。
「と、とりあえず、私は面倒見てくるわね!ちょっとぉ!サクラコちゃん待ってぇ~」
「あ、うん。バスタオルは置いてあるから!」
ミカママはオッケーのハンドサインをして、サクラコを追ってとてとてと脱衣所に入っていった。
三十分ほど経って、二人は戻ってきた。
「これ、洗濯物」
ミカママの手には例の天上天下唯我独尊ティーシャツとジーンズ。見ると、サクラコは可愛らしいピンクのパーカーとスウェットズボンを着せられていた。髪もピンクのタオルケット素材のヘアバンドで留められている。
「大きいサイズは沢山なかったからあんまり良いのじゃないけど、あげるわ」
「え!いいの?」
「いいのいいの。困った時はお互い様でしょ?」
「えへへ、ありがと」
私はミカママを労うために紅茶を淹れた。戻ってくるとミカママとサクラコがガラステーブルを挟んで床に座っていた。
「お疲れ様」私はテーブルにティーカップを置く。
「ありがとう!ミッチー、紅茶なんて飲むのね」
「先輩に教えてもらったの。美味しいやつ」
私はサクラコの分と自分の分のティーカップを置いた。そしてミカママの向かいに座ってホカホカしているサクラコの隣に座った。私はミカママに問いかける。
「どうだった?」
「え?あぁ、サクラコちゃんね。……彼女って道端でボロボロだったのよね?」
「うん、まぁそんな感じだけど」
道端と言うよりど真ん中に仁王立ちだったけれど
「それ以前のことはなんにもわかんないのよね」
「無口だからねー。なんにも話してくれないし——」
それに、あまり気にしていないというのもあった。
「でも、それがどうしたの?」
「えっとね。端的に言うとね」
「うん」
ミカママは未だ解せないといった顔で言う。
「私、ほとんど手伝わなかったのよ。お風呂」
「……は?それって?どういう?」
「いや、ワタシたちが誤解していたのかもしれないけれど、彼女、一人でお風呂入れるみたいなのよ。いや、正確に言うとね、身体の洗い方とか髪の洗い方とかシャワーの使い方とか全部一人でできるのよ。ワタシが手伝ったのは、その…あまりに彼女の身体が汚れていたから、背中とか洗ってあげたんだけれど」
ぽかんとした私を気にせずミカママは話す。
「いや。当たり前だとも思うのよ。これくらいの年齢の子ならむしろお風呂の入り方くらい当然知ってるものだって。でも電話でミッチーから聞いた感じだと、もうなんか小さい子供みたいな性格してる印象だったから、なんて言うか、そのつもりで来たのだけれど……」
「ミッチー、敢えて聞いてなかったけど、ちゃんと聞くわね」
「う、うん…」私は唾を飲み込んだ。
「サクラコちゃんは人間?それとも別の何かなの?」
当然の疑問だった。私が無頓着だったからミカママは敢えて黙っていたのかもしれないけれど、普通の人ならまず最初に気にする点だ。私はサクラコを見る。サクラコはミカママの問いを聞きながらも絶えずいつもの真顔のままじっとミカママを見つめている。私の視線に気づくと、今度はこちらを見てキョトンとしている。その目は相変わらず、好奇心旺盛な可愛い女の子だ。だがしかし
「人間では…ないと思う。」
初めてであった時のあの感覚。そして絶えずサクラコから感じる雰囲気にはやはり人ならざるものの気配があるのだ。そもそも最初、あんなボロボロでただの人間がけろりと生きているはずがない。身体中汚れと擦り傷だらけで———
あれ?と私は思う。
「ミカママ」
「ん?何?」ミカママは上品に紅茶を飲んでいた。
「サクラコって身体中傷だらけじゃなかった?」
「傷?まぁ確かに全身泥だらけだったけど、傷だらけなんてことはなかったわよ」
私は振り向き、サクラコを観察する。改めて見ると、確かに首筋や腕、足、目に見えるところにもあった傷は今や全て癒えている。痣すら残っていない。愕然とする。この異常な回復力を見てもやはりサクラコはただの人間と呼ぶには無理があるようだ。
「そう言えば、なんていうか……その……結局どっちだったの?」
「あー……ついてたかどうかって話?そう、それなんだけどね……わからなかったのよ」
「あれ、見なかったの?」
「いや、見た」
平然と応えるなぁと私は感心する。
「でも分からなかったって?」
「そう。そこがワタシがサクラコちゃんが人間じゃないってハッキリ感じたところなんだけどね……」
ミカママは考えを整理するように紅茶を一口飲む。私も飲む。それを見てサクラコも器用にズズっとすする。アッキー直伝のダージリンは少しぬるくなって飲みやすかった。ミカママはティーカップを置いて口を開く。
「分からなかったってのはつまり、ハッキリ認識できなかったってことなのよ」
「認識?」
「そう。それこそ彼女のそれを見て、判断しようとするんだけど、なんだか目が霞むような……考えがまとまらないような……そんな感覚に陥るの。流石の私も少し怖かったわよ」
私は初めてサクラコに出会った時のことを思い出す。あの時、私は単に動揺していたからだと思っていたけど、サクラコを視認しようとする度に頭が混乱していたのはどうやらサクラコ自身にも原因があるようだ。
「さて……」
問答を終えたミカママは、そう言って言葉を切った。真剣な面持ちで私を見据えている。いつにない雰囲気に私は少し慄く。
「え、なに?」
「ミッチーがどこまで考えてるか私は分からない。けど一つ言えるのはね。ミッチー。これからサクラコちゃんと暮らすつもりならそれなりの覚悟はしなきゃだめよ。一筋縄にはいかないわ」
「それはナオンの勘?」
「なんで業界用語風なのよ……まぁ、勘と状況判断が五分五分って感じかしらね」
ミカママの表情は動かない。
「一緒に暮らすってことはその子のイイところだけじゃなくって、わるいところも見ることになるってこと。出会ったままのサクラコちゃんとこれから生活を共にするサクラコちゃんは違うところが少なからずあるでしょう。それを踏まえたうえでミッチー。あなたは出身も境遇もわからない異形さんとこれから暮らしていく覚悟がある?」
ミカママは一言一言を噛み締めるように話す。今までミカママ自身、その一筋縄ではいかない人生をたどってきたのだろう。彼女の言葉には重みがある。
【現実を見ろ】
日の光はやはり私を逃がしてはくれない。いつも私の目の前にいながら、じわりと身体を蝕むようで私は嫌悪する。でもそれはきっと、私が暗闇を求めてると言いつつも完全には暗闇になり切れないからだろう。
だけど
「私はもう何も手放したくない。手放して、大人になったなんて言ってたくない」
自分に嘘をついて生きていくのはもう懲り懲りだ。
「……そう」
ミカママは何回も頷き、そしてニッコリ微笑んだ。
「ミッチーがそう言うならワタシはもう何も言わないわ」
ミカママはティーカップを手に取り、残っている紅茶を全て飲み干して立ち上がった。
「さ、ワタシはそろそろお暇するわね」
「え!もう行っちゃうの?もうちょい話してようよ」
私は立ち上がってミカママを呼び止める。
「ごめんね。実はこの後用事があるの。お話はまたお店でね♡」
「うぅ…そっかぁ。仕方ないかぁ。今日はありがとねミカママ」
「ええ。サクラコちゃんも元気でね」
サクラコは相変わらずじっとミカママを見つめているだけだ。
「じゃあまたね!」
ミカママはウインクをぱちりとして帰っていった。
ミカママが帰ったあと、私はもう一度ガラステーブルの前に座り、ぼーっとしていた。サクラコは私の隣に座り、もうすっかり冷めてしまったダージリンをちびちびとすすっている。サクラコがここに来た当初、私は彼女が箸や器をしっかり使えるのか心配していたけど、サクラコは私が食べているのを一分ほど観察した後、私と同じようにそれらを使い平然と食事をとっていた。私は食事を二人分用意することになった訳だが、サクラコは身体が大きい割に私と同じ量しか食べないので少し安心している。
(何もかもが上手くいきすぎてる気もするなぁ)
私はサクラコを見るサクラコは紅茶を飲み終えるといつも通り私の観察に戻る。無表情だがどことなく艶かしい目付き。私は数秒ほど見蕩れていたが、恥ずかしくなって目をそらす。
(自分が美形なのを理解して欲しいなぁ……)
私が目を合わせていないと、私のつむじに温かいものが触れる。この感覚は……。見るとやはり、サクラコが私の頭を撫でている。お風呂を終えたサクラコはボディーソープのいい香りを漂わせながら、私の頭を撫でる。これがまたとても気持ちがいいのだ。サクラコの大きな手が私の髪と頭を包み込む。自然と顔がとろんとしてしまう。全身が緩み、じんわりとした体温を感じる。麻薬を呑んだかのように意識がふんわりとしてくる。
だが、私はグッと身体に力を戻しサクラコの手をそっと持ち上げる。
「アンタこうすれば私が喜ぶと思ってんでしょ!」
手なずけられるのは心外であった。
翌日 月曜 午前八時
「おはようマテリア」
いつものようにケトルのスイッチを入れダイニングに出る。テーブルを見るといつものコーンフレークの牛乳漬けと副菜。今日の日替わりサラダはニンジンの切れ端だ。少し塩がかかっている。
(うん。次の試練は野菜の切り方だな)
ボクはコーンフレークを喉に流し込み、ニンジンをガリゴリかじる。月曜の朝は休日の朝に比べ少しばかり慌ただしいのだ。
コーヒーブレイクも終え、ボクは出かける支度をする。今日の運勢はまぁそこそこと言ったところだった。つまりは事態はどう転ぶか分からないということらしい。
(ボクが介入することでどんな展開になるのだろうか。楽しみだ)
ボクが歯を磨いたり洗顔したりを終えると、マテリアがカバンとコートを持ってきてくれた。
「ありがとう」
「キをつけテ」
「うん。行ってくるよ」
出ようとすると、マテリアにコートの裾を引っ張られた。
「ゴ……ご……?……ご……ごしゅ…」
マテリアは思案しながら何か言おうとしていた。
「なんだいマテリア?」
ボクは優しく問いかける。
「ご……しゅ……?……ごしゅ……!」
「行ってらっシャイまセっ、ごしゅじんサマっ」
可愛らしい笑顔……ではなく無表情でマテリアは言い放った。
「あぁーうん……」
「ごめんマテリア。それだけはやめてくれ」
流石のボクもそれは気恥しい。ボクは頭を掻きながら優しく忠告した。
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