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#40、 嵐
しおりを挟む聞き間違えたのだと思った。
そうでなければ悪い冗談だ。
「な、なにかの、御冗談ですよね?」
「冗談などではない。父上は、お前をライスの第一妃にと考えている」
「う、うそです……」
「嘘ではない。いいか、ナナエ。落ち着いて聞け。
お前が特殊な魔力の持ち主だとわかったときから、相手がライスでなくとも、いずれは王家に近い者がお前の夫に選ばれることは決まっていたのだ。
おまえはもう、他国へ嫁ぐことはない。お前の力は国によって守られるものだからだ」
「そ、そんな……」
「王家の者には少なからずこうした役目がある。
俺にもふたりの許嫁がいるが、どちらも貴重な魔法の使い手だ。
特別な力の持ち主を国にとどめ保護するためには、こうした結婚はよくあることなのだ」
(ふたりの許嫁……!? そうだったの?
グランディア王国では広く皇太子妃候補を募っていたから、ブランシュも当然そうするんだと思ってた……)
「お前とライスがまだ打ち解けられていないことはわかっている。
ライスがどうしても嫌なら、ほかの縁者もいる。
だが、グランディア王国に限らずお前が国外に嫁ぐことはない。
これは、決定事項だ」
突然、足に力が入らなくなった。
踏ん張りがきかずふらつくと、素早くブランシュが手を取った。
見上げれば、そこにはもはや見慣れた兄としてのブランシュがいる。
でも、今は他人のようにしか見えなかった。
「さ、触らないで……」
「座れ、ナナエ」
「触らないで!」
「落ち着け、ナナエ! ラリッサ、メローナ!」
ラリッサとメローナがどうしたことかと慌てた様子で部屋に駆けて込んできた。
ブランシュの手を振り払うと、奈々江はラリッサとメローナに抱きついた。
「ナナエ姫様……!」
「一体、どうなさったのですか?」
騒ぎを聞きつけたホレイシオらがドア付近に集まり始めていた。
ブランシュがためらいがちにいった。
「……落ち着いたら、また話そう」
「……」
「ホレイシオ、ナナエを景牧の離宮に送り届けてくれ」
「は……」
ホレイシオに部屋を連れ出してもらい、景牧の離宮に戻った。
ホレイシオは気を使っていろいろと声をかけてくれたが、奈々江の耳にはほとんど入らなかった。
「ホレイシオ様、送っていただきありがとうございました……」
「……ブランシュ殿下になにを言われたのですか?」
「……申し訳あり間ません、今はなにも話したくありません……」
「ナナエ様……。僕では役に立てませんか?」
「ごめんなさい……」
「ホレイシオ様、今日のところはどうか」
ラリッサがその場を収めてホレイシオには帰ってもらった。
あの様子からすると、ホレイシオはまだこのことを知らないのだろう。
ライスとの結婚という話は、まだ国王とブランシュ、あるいはその近しい者たちだけの情報とみられる。
(グランディア王国に戻るのは難しいと思っていたけど、まさかライスと結婚だなんて……。
しかも、ブランシュが、あのブランシュがあんなことをいうなんて……。
信頼していた分、正直、すごくショックだよ……。
ショックすぎて……、どうしよう、頭が回らない)
癖の強いシスコンを振りまきながら、その欠点を補い余るくらいにこれまで様々に手助けしてくれたブランシュ。
それが、まさか、この期に及んで障壁になろうとは。
ブランシュはいつどんなことがあろうと、味方だと思っていた。
ラリッサとメローナと同じように、必ず助けてくれると信じていた。
まさか、この期に及んでブランシュが自分に意に沿わない結婚を強要してくるとは予想もしなかった。
(でも、考えてみたらブランシュの立場では、そういうほかないんだわ。
今までは、なんのとりえもないただの皇女だったから自由意思を尊重してもらえた。
だけど、貴重な魔力があるとわかった以上、他国へは嫁がせられない。
セレンディアスの帰化に莫大なお金が必要だったように、貴重な魔法や魔力の国家間の移動には制約がある。
太陽のエレスチャルが外れたらその条件はクリアになると思っていたけど、今度はわたしの魔力が足かせに……。
夢の補正による現象が、ついに"恋プレ"の世界と折り合わなくなってしまったんだわ……)
しかし、まだ奈々江は太陽のエレスチャルを装備している。
今なら、例え国家の基盤を揺るがすことになっても、国王やブランシュは奈々江のいう通りにしてくれるはずだ。
(今日、魔法薬はいつもの倍飲んだ。明日飲まずにもう一度お願いしてみよう。そうすればきっとうまくいくはず……)
いくらとこれがこの世界の慣例だからといって、こんな横暴には従えない。
そもそも、これは乙女ゲーム。
いくら魔法についてや国家間の情勢があらわになり、奈々江自身が魔法を使えるようになったとしても、ゲームクリアの条件は両想いになること。
間違っても、ライスと両想いになるのは無理だ。
(そもそもライスが持っているのは親愛を示すイエローのゲージ。
ゲームクリアの条件はピンクのゲージを持つ相手と両想いになること。
最初からライスは攻略の対象外。
ライスと結婚したら、永遠にこのゲームは終わらなくなってしまう!
しかも……)
奈々江はライスの度重なる冷たい態度を思い出して、密かに震えた。
(太陽のエレスチャルの力を持ってしても、あんなに怖くて厳しい相手なのに、兄妹として仲良くなることすらハードルが高すぎるよ。
ライスだって、わたしにいい印象を持っていないはず。
ライスが無理だって断ってくれればいいけど。
……あっ、だめだ! ライスが断ったところで、別の人をあてがわれるだけなんだった……!)
ともかく、明日は太陽のエレスチャル効果百パーセントで、なんとか逃れる道をみつけなくてはならない。
(セレンディアスの帰化がお金で解決できたように、わたしのこともグランティア王国がエレンデュラ王国に対価を払ってくれれば、折り合いのつくんじゃないのかな……?
いくらかかるのかは知らないし、人の懐頼みっていうのがなんだけど……。
ともかく、そうなると、太陽のエレスチャルを今外すのは得策じゃないよね……)
まさか、今になって太陽のエレスチャルを頼みにすることになるとは思わなかった。
だが、目的が定まった以上、できることをやっていくしかない。
奈々江は心を決めて、ふたりの侍女を振り向いた。
「ラリッサ、メローナ」
「はい」
「ナナエ姫様……」
「ふたりには話しておくね。わたし、もう一度グランティア王国に戻りたいの」
ラリッサとメローナが顔を見合わせた。
メローナが口を開く。
「それは、つまり……」
「グレナンデス殿下の皇太子妃候補として、もう一度グランディア王国に行きたいの」
「ナナエ姫様……、ついに、お心が固まったのですね」
「ええ。でも、さっきお兄様に、わたしは国外へ嫁ぐことは許されないといわれたの」
ラリッサがこの事態に合点がいったというように、神妙な顔を見せた。
「ナナエ姫様のご意志は、固いのですね?」
「そう。だから、ふたりにも協力して欲しいの。お願い」
すぐに答えたのはラリッサだった。
「わたくしは賛成いたしますわ。
だって、ナナエ姫様がグレナンデス殿下と結ばれたら、わたくしはナナエ姫様の侍女を続けられますもの!」
「わたくしも協力いたします! わたくしをここまで引き上げてくださったのは、他でもないナナエ姫様です!
どこまでだってついて行きますわ!」
「ありがとう、ラリッサ、メローナ!」
三人で手を取り合い、決意を固くした。
昼食をはさんでその後、奈々江はライスとの婚約話を打ち明け、今後のことを三人で相談していると、部屋にメイドがやってきた。
「ナナエ姫様、クレア様がお呼びでございます」
(お母様……、もしかしたらもう陛下から話を聞いているのかしら……。
できれば、お母様にも味方になって欲しいけど)
クレアの部屋へ向かうと、素早く人払いされた。
「ナナエ、そこへかけて。……今から大切なことを話すわ。
これはとても重要なこと。落ち着いて聞いてちょうだい」
(この口ぶり……)
「あなたは私の実家のワーグナー家の親戚筋に当たるクレストン家の養女となることが決まったわ」
「養女……?」
「クレストン家の養女となり、ライスさんと結婚することになるわ」
(や、やっぱり……)
「あなたとライスさんは従兄妹同士ですから、結婚に問題はないわ。
ただ、戸籍上あなたたちはまだ兄妹ですから、一旦あなたは籍を外れるために、養女となるのです。
でも、心配しないで。
私との親子の絆は変わらないし、結婚してからも私たちは側で暮せるのよ。
他でもない王家直系との結婚ですから、あなたの立場は強くなるし、お金の心配もなくなるわ」
クレアの気つかわしげな様子を奈々江はじっと観察した。
(ここでわたしの気持ちを話しても……。
太陽のエレスチャルが半分くらいしか効いてない今、味方になってはもらえないかもしれない。
それでなくても、クレアは母親として娘を案じるあまりに、ホレイシオとの縁づきを推し進めたことがあった。
良かれと思って、敵に回る可能性も……。
クレアには、なにも話さず、今は従順な態度を示しておいたほうがよさそう……)
奈々江は慎重に口を開く。
「突然のことで、混乱しております。しばらく時間をください」
「そうね……。時間をかけて焦らず、ゆっくり考えるといいわ」
「お話は以上でしょうか? なければ下がらせていただきたく存じます」
「ええ、そうなさい」
「失礼いたします」
「ナナエ」
呼び止められ、奈々江は振り返る。
母親と同じ顔のクレアの表情に、いたわりが浮かんでいる。
「人生にはままならないことがあるわ。
……でも、生きていかなければいけないのよ」
スルタンのことをいっているのだろうか。
クレアはクレアで人生の辛酸をなめてきたのだ。
娘の自殺を心配しての言葉だろう。
「はい、お母様……」
奈々江は姫らしく首を垂れて、部屋を出た。
部屋に戻ると、メローナが口を開いた。
「予想はしておりましたが、やはりクレア様はすでに打診を受けていたのですね。
クレア様のお力では、お気持ちはどうあれ、拒否することは不可能です」
「メローナ!」
ラリッサが口元に指を立て、素早くなにかテーブルクロスのようなものを持ち出した。
「そ、そうですわね!」
メローナも気がついたように、すばやくそのクロスを手に取った。
ラリッサとメローナが奈々江を中央にして、クロスを背負う。
初めて見る奇妙な灰色の布に、奈々江は首をかしげた。
「……これはなに?」
「盗聴防止用のミラーテントですわ。
クレア様があちら側に取り込まれている以上、慎重を期したほうが良いと存じます」
「グランディア王国にいるとき、ブランシュ殿下がいろいろと取り揃えておいてくださって助かりましたね。
クレア様の懐事情では、とてもではありませんが準備できなかったでしょうから。
これからは、作戦会議にはこれを使いましょう。
ラリッサ、ナナエ姫様に一通り使い方をご説明差し上げた方がいいと思うわ」
「そうね、そうしましょう」
まったく、ラリッサとメローナは頼りになる。
グランディア王国で手に入れた魔法アイテムについて、ふたりが使い方と機能や効果をおしえてくれた。
今まで使う機会がなかったエアリアルポケットも初めて手にした。
「こちらの歌う白樫の大樹の葉に息を吹きかけます。
呼び出しの呪文を決めて唱え、葉を粉々にして風に流します。
エアリアルと契約が成功すれば、次から呼び出しの呪文をいうだけで、ポケットが現れます」
「……。パース……。……あっ、できた!」
「消すときは心の中でエアリアルに感謝すれば消えますわ」
「開くときは、パースと唱えて、閉じるときはエアリアルに感謝するのね」
「この中に奪われたくないアイテムを入れておきましょう。
ただし、エアリアルポケットを維持するためには微弱ながら魔力を常に使います。
ポケットの中にものが多いほど魔力の消費は大きくなります。
ですから、大きなものは一番魔力量の多いメローナが、わたくしは日常的に使うものをすぐ取り出せるように、ナナエ姫様は紙とインクとペンだけは必ず入れておきましょう」
「わたしは書くものだけ?」
「はい。先方がナナエ姫様の動きを封じる方法として最も有効なのは、ナナエ姫様から魔法陣の作成方法を奪うことです。ですから、この三アイテムをナナエ姫様は絶対に手放してはいけません」
「わかったわ」
一通りアイテムについての使い方を理解したころ、奈々江はふと窓の外を見る。
「そろそろ午後の授業にセレンディアス様が迎えに来る頃だけど……。あっ、セレンディアス様!」
窓の外でセレンディアスが手を振っていた。
奈々江も素早く振り返した。
メローナが授業に使う本を手に取る。
「今のナナエ姫様にとって最大の防御は、魔法を学ぶことですわ。
できることなら、セレンディアス様もこちら側に引き込みたいですね。
そうすれば、ナナエ姫様の欠点である魔力の少なさを一気にカバーできます」
「そうよね……!」
奈々江は準備を整えるとすぐに部屋を出て、セレンディアスの元に向かう。
ところが、玄関の扉の前にはクレアが立っていた。
「お母様……」
「今日からアトラ棟へ行く必要はありません。
ツイファー教授がこちらへ来てくださるそうです」
「……そうなのですね……。
あの、今外にセレンディアス様の姿を見ました。
わたしたち、一緒に学ぶことになっているのです」
「セレンディアス様にはしばらくご遠慮いただくことになりました」
「え……、しばらくって……」
「あなたとライスさんの結婚が済むまでです」
(そ、そんな……。まさか、先手を打たれた……)
奈々江を心酔しているセレンディアスなら、帰化したばかりの国に反してでも奈々江の願いをかなえようとする、それを懸念されたのだろう。
奈々江とラリッサ、メローナは互いに目配せした。
ラリッサがさも当たり前かのような口調でいった。
「左様でしたか。それは少しも知りませんでした。
せっかく来てくださったのに、一言お詫び申し上げなくてはいけませんね、ナナエ姫様」
「そうね。お母様、ちょっといってまいりますわ。すぐ戻ります」
「お詫びならこの私が丁重にお伝えしました。あなたは部屋でツイファー教授が来るのを待っていなさい」
「……」
「お戻りなさい」
「でも……」
「戻りなさい」
「……はい」
屋敷の主人としてのクレアにそれ以上逆らうことはできなかった。
部屋に戻るなり、奈々江は窓辺に走った。
もうセレンディアスの姿はそこにはない。
追い返されてしまったのだろう。
「セレンディアス様……」
「囲い込まれてしまいましたわね……。
このままでは、わたしはすぐにでも強制帰国されてしまうかもしれません。
メローナ、わたしのエアリアルポケットの荷物をあなたのポケットに入れておいてくれる?」
「わかりましたわ。こうなったら、グレナンデス殿下にこのことをお伝えするしかありません」
「えっ!?」
メローナの発言に、奈々江もラリッサも目を丸くした。
ミラーマントを覆って、三人は声を潜めた。
「ラリッサが国へ戻されるのは、いわば好機です。
グレナンデス殿下にナナエ姫様のお気持ちと、この状況をお伝えして、なんとかエレンデュラ王国を説得してもらうのです」
「そ、そんなこと可能なの?」
「ナナエ姫様とお別れするときのグレナンデス殿下のことを思い出してください。
あれほど情熱に身を焦がしていらした方が、そう簡単に心を入れ替えることができるでしょうか」
「それはメローナ、あなたの希望的な観測よ。
王家に生まれた人間には役目があるわ。グレナンデス殿下だってそれは同じことよ。
それに両国には今後の付き合いや建前がある。簡単に思惑通りにいくとは思えないわ」
「でも、早く何か手を打たないと、このままではライス殿下との結婚が押し切られてしまいますよ。
この手の速さを考えると、そんなに時間があるようには思えません」
「それはそうだけど……」
「ナナエ姫様、すぐにグレナンデス殿下に手紙をお書きになってください。
ラリッサは国に戻ったら、グレナンデス殿下に届けてください」
「……わかったわ。何もしないよりはましね」
「ま、待って、ラリッサ。そんなことをして、あなたに危険はないの?
グレナンデス殿下あての手紙を持っていると知られたら、あなたは無事に国に返してもらえなくなっちゃうんじゃない?」
そのとき、バタンと大きな音を立ててドアが開いた。
同時に冷たい声が部屋に響き渡った。
「その心配はない」
振り返った三人はライスの登場に言葉を失う。
「ふん、侍女の入れ知恵か。小賢しい真似を。
ミラーテント程度のアイテムで、私を遠ざけられると思ったのか」
ラリッサがキッと目を吊り上げた。
「いくら皇太子殿下といえど、このような無礼は許せませんわ!
どうか、お帰り下さい!」
「ラリッサとかいったな。安心しろ、お前はしばしここへ留め置く。
無闇に返して、グレナンデス殿下に余計な知恵を働かせるわけにはいかん」
「さ、先触れもなく、しかもいきなり姫の部屋に押し入るなど、ありえませんわ!
出て行ってくださいませ、ライス殿下!」
メローナも強張った顔を張り付けて抗議した。
しかし、ライスはつかつかとやってきて、乱暴に奈々江の腕をつかんだ。
「痛っ!」
「おやめください!」
「ナナエ姫様!」
「うるさい小雀ども。昏倒させられたくなかったら黙っていろ」
ライスがばっと手のひらを広げて突き出した。
奈々江にはわからなかったが、ラリッサとメローナの顔色が一気に青ざめた。
なにかの攻撃魔法を仕掛けられる寸前のようだ。
「これを持ってきただけだ」
ライスがドレスコートのポケットから、なにやら白い輝石のついた細い鎖のブレスレットを取り出した。
「ナナエ、これをつけていろ」
「……なんですか、これは」
「お前の魔力切れを防ぐ防御魔法を施してある」
「……」
だとしても、無理やり腕を吊り上げる必要がどこにあったのだろう。
「つけてやる」
ライスが奈々江の手首にブレスレットをつけようとした。
そのとき、ラリッサが素早くそのブレスレットを奪い取った。
「なにをする!」
「ナナエ姫様、これをつけてはいけません!
これはナナエ姫様の風の属性を阻害する晶の属性のブレスレット!
それに、なにやら隷属魔法のような怪しげな雰囲気がいたします!」
「貴様!」
バツンと大きな音とともに、ラリッサの体が吹っ飛んだ。
「ラリッサ!」
ライスが振るった腕とともに、なにかの攻撃魔法が発せられたらしい。
強か体を打ち付けたラリッサが、うめきながら床に転がった。
「余計なことを! それを返せ」
「ううっ、嫌です!」
ラリッサがブレスレットを握りしめ、丸くなって奪われまいと奮闘している。
ライスが手荒にラリッサの髪を掴んだ。
一体何を見せられているのだろう。
奈々江には目の前で起こっていることが、信じられなかった。
動けることを忘れたように硬直したまま、そこへ立ち尽くした。
奈々江を守るようにメローナが前に出た。
メローナは依然言った通りに、いつでも水の攻撃魔法を繰り出せるように、口の中で呪文を唱えていた。
「いい加減にしろ!」
「メローナ、ナナエ姫様をつれて逃げて!
クレア様の元まで……、きゃあっ!」
「ラリッサ!!」
奈々江の目にさらに信じられないものが映った。
ラリッサの口元から鮮やかな赤が滴った。
「……や、やめて……! やめて!」
「ナナエ姫様、前に出てはいけません!」
「ライス、やめて!」
「姫様!」
メローナの制止を振り切り、ライスを止めに奈々江は走った。
ライスがまるで火にいる夏の虫を捕らえるかのように腕を広げる。
それを見たラリッサがまたも素早く動いた。
ブレスレットを自分の腕に巻き付けたのだ。
ピカッと一瞬ブレスレットから強い光が発せられる。
同時に、ラリッサががくっと崩れるように伏した。
「ラ、ラリッサ!」
「貴様、勝手に!」
「ナナエ姫様……、お逃げ下さい……」
ラリッサが一気に力をなくしたようにいう。
メローナが奈々江を抱き留め、後ろへ追いやりながら、口をゆがめた。
「やはり、隷属魔法! なんということを!」
そのとき、ドアのほうからバタバタと多数の足音が聞こえてきた。
ブランシュとクレア、そして警護の者たちだった。
ブランシュが声を上げた。
「こ、これは一体……!?」
メローナが素早く状況を訴えた。
「クレア様! どうか、ナナエ姫様をお助け下さい!
ライス殿下は姫様に隷属魔法のブレスレットを与えようとなさいました!
ラリッサはそれを阻止するために、自らにブレスレットをつけたのです!
このような非道なふるまいを許していいのですか!?
クレア様とスルタン様の唯一のお子であるナナエ姫様が、このような扱いを受けて黙っておいでなのですか!?」
クレアの顔が一瞬で青ざめた。
ブランシュが信じられないというように、弟を見た。
「ライス……、これは……どういうことだ……」
ライスがゆっくりと兄を振り返った。
その顔には狂気のにじんだ笑みが浮かんでいた。
「……ナナエは私の妻です。どう扱おうが私の勝手です」
「ラ、ライス……、本気でいっているのか?」
「決めたのは父上と兄上ではありませんか。やり方は私に任せてもらいます。
未熟な妻を教育するのは夫の務めですから」
「お前は、なにをいっているのだ……」
クレアが怒りに震えながら口を開いた。
「ライスさんとの結婚には賛成しましたが、あなたがこんな人間だと知っていたら、決して賛成などしませんでした……!
正式に陛下に抗議させていただきます。
いますぐ、ここを出て行きなさい!」
メローナがほっと息を漏らした。
これを見てもクレアが黙っているようだったら、もはや奈々江を救う道は断たれたも同然だったからだ。
しかし、ライスの麗しい顔には今も邪な相が張り付いたままだ。
「クレア様、力のないあなたがどれほど叫んでも決定は変わりません。
私は父上と兄上の命に従って、ナナエの魔力切れを防ぐためのブレスレットを送り届けに来ただけです。
国家の安寧と発展のために、ナナエの力をコントロールすることが必要な今、私は正しいことをしているのです」
「ライス! だとしても、妻となる相手に、それも王族同士で隷属魔法をかけるなどもってのほかだ!
なぜそのような当たり前のことがわからない!」
「いいえ、こうするほかありません。これが一番安全で正しい方法なのです」
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「ラリッサ!」
「ライス、待て!」
次の瞬間、強い光が当たり包み、光が消えたときにはもうライスとラリッサの姿はなかった。
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