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今宵、月の船が出る
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✦ファクトリーの完成、船出の時
「ひつような材料は、これだけ」
これだけ、ね。
まあ、あと十五人ほどころして、二百位のアンドロイドからコアチップを奪えばいいな。
とにかくやるしかない。
セイジたちは、もう半分以上の倉庫を調べつくしている。ファクトリーが見つかるまで、早くてあと三日。
やるしかない。
その日は、格安の仕事も含め、六人を始末した。その後はレムァ・ミュッフェのアンドロイドを片っ端から襲った。スクラップ屋に必要な部品を取りに行くのも忘れずに。
次の日は、四人暗殺して、スクラップを組み立ててファクトリーを拡大した。俺の愛車、バルトを格納するところも作った。
次の日は、五人ころして、レムァ・ミュッフェの総本山を襲った。アンドロイドの数が足らなかったが、それ以上に人間をやった。レムァ・ミュッフェは壊滅した。ことを荒立てたくなかったが、しかたない。
その次の日、昨日デ・ミラージュで暴れたおかげで、P区の探索が中止された。セイジたちは、デ・ミラージュ地区を探している。ラッキー。かくして、その夜、ファクトリーは完成した。パンダ曰く、くそ馬鹿でかい多機能コンピューターが。
「で、これをどうするわけ。ハクジ」
「きょうは曇り、風むきは―…、あっち、こっち?」
ハクジは人が入れるほどの小さなハッチを開けた。
「クロガトブ、パンダ、こっち」
俺たちは、狭っ苦しい格納庫に入った。ハクジはその中を這いずりながら、奥の制御室に行った。狭すぎて俺にはとても入れない。
「じゃあ、いくよー」
ハクジはメインスイッチを入れたらしい。
―――ヴヴヴ――ン…
その夜は、曇りだった。月も出ない曇り。明日は雨に違いない。
―――ボッ、ボッ、ボボボボボッ!
俺たちを乗せたファクトリーが、地面を離れ出した。
―――ゴゴゴゴゴッ
「あーっ…」
俺とパンダは、よくわからない声を上げた。巨大なファクトリーは、派手に倉庫を破壊しながら、浮き上がろうしている。これは、なんだ? なんの動力で動いてるんだ? 俺は知らない。
「あっ」
パンダがハッチから滑り落ちそうになった。俺は慌ててパンダを捕まえた。地面までのその距離、すでに五メートル。
浮いている。ファクトリーが浮いている。
―――ゴゴゴッ、バリッ!
ついに十五メーターも上にあった倉庫の天井を突き破った。
ファクトリーは、空に浮かんでいた。
曇っててよかった。
まともにみれる気力が、俺にはない。
✦ファクトリーの性能、ハクジによる説明
「この船のなまえは、こういいます」
ハクジは見えない制御室の向こうでいった。
「つクよフネ」
確かに、ファクトリーは月の形をしていた。下弦の月だ。
幅およそ二十五メートル、奥行きおよそ五メートル、高さ、十メートル弱。
「この船は、どこにむかっていますか、せんちょー」
「船長?」
俺とパンダは顔を見あわせた。
「うみですー」
あ、自分で答えた。船長はハクジ自身ということらしい。
目下には、町の明かりが見える。道路を流れていく車。これが、昼間だったら、俺はもう少し焦っていたと思う。俺だけじゃなく、多分パラレルシティ全土が。
俺は、首から由井のパスを取り出して、破いて棄てた。
この船にまで、関所も国境も関与できない。
俺はハッチを閉めようとして、そしてすぐに思った。ハッチを閉めたら明かりがない。
「おい、ハクジ」
「……」
「ハクジ」
「……」
「船長」
「なに?」
俺は一息ついていった。
「船はいいけどな」
「ふね?」
「…月夜船はいいけどな、俺たち、いつまでこうしてりゃあいいんだよ。ハッチを占めりゃあ真っ暗だし、海までの間ずっとこんな狭いところで丸くなってなきゃいけないのか?」
「あー、はい」
はい、じゃねえよ。
「これから、ファクトリーを、さどうさせます」
なんだ? ファクトリーはまだ動いてない? てことは…。
「この船がファクトリーじゃねぇのかよ? なにをする気なんだ?」
「まずは、じゃあ、クロガトブのへやをつくるね」
部屋? つくる?
―――ブゥィ――イン…
「お、おっ?」
俺は音のするハッチの外へ頭を出した。その瞬間、月夜船の外壁を、なにかが通り過ぎた。あれは…、建設ロボットだ。いつの間に、あんなもんを…。
「ハクジ、あれ…」
「建設ロボットのケンタクンだろ。さっきっからいたじゃねぇか」
パンダは物知り顔でいったが、いたか? しかも名前まで付いていたとは…。
「クロガトブのへや、かんせいまであと、二十分です」
二十分…。
俺はしばらく呆然としていた。
二十分後、建設ロボットの一つが呼び掛けに来た。
「完成しました。クロガトブ様のお部屋はこちらです」
ハッチの外には階段が出来ていた。階段の隣を薄い雲が滑っていく。ひょー、落ちればまっさかさまだな。けっこう笑える状況だ。俺はパンダとハクジを右と左に抱きあげて階段を上った。
月夜船の形は、新しくできた部屋と階段で初めより少し変形していた。
「こちらの扉をお開け下さい。稀に気圧差がありますからお気をつけを」
俺はドアを開けた。
部屋は、四畳ほどの小さな部屋だったが、ベッドまでしつらえてある。俺はようやく腰を落ち着けた(というのは嘘で結構混乱していた。)
「コーヒーが飲みたい気分だ」
俺は心の底からもらした。
「ケンタクン、つぎ、キッチン」
「はい、かしこまりました。ハクジ船長」
ハクジは楽しそうだ。
「えーと、ハクジ、始めから説明してくれ。俺は…」
ハクジは首を振った。
めんどくさいやつだな、おい…。
「ああえっと、船長、説明を」
「ファクトリーは、ファクトリーで、月夜船は月夜船です。月夜船は、ファクトリーがつくった材料と、ケンタクンがつくりました。ケンタクンは、ファクトリーがつくりました。ファクトリーは、ぼくがつくりました」
そりゃつまり…、ファクトリーは機械ならなんでも作れるってことか?
「ファクトリーの動力はなんなんだ? なんでこの船は浮いてるんだ」
「ファクトリーは、ひつようなものは自分でつくります。材料はぶんしとかいろいろです」
分子…?
「例えば、ファクトリーは、コーヒーもつくれるのか?」
「うん」
なんだって?
「でもねー、とり出し口に、だれもとりに行けないからねー、今はだめなの…」
そういう問題じゃない。
ファクトリーは、分子や原子レベルで、あらゆるものを生成する機械ということだろうか。
そんなこと、今まではあり得ないことだったが…
それが、このファクトリーではできるということか?
ファクトリーは必要なものを作り、それを使って廃棄されたものを分解し、再び精製する。この部屋も、そうしてつくられたんだ。ありえない。ありえないけど、たった今…
「ハクジ船長、キッチンができました。入口はこちらです」
✦月夜船、世界一周と半の旅
月夜船が地上から旅立ってから、二週間が過ぎた。その日と今日とを比べて変わったことを上げれば、こうだ。
俺の部屋が広くなった。ハクジの部屋ができた。風呂とトイレができた。
エアバイクができた。俺のバルトに、月夜船と同じ動力を搭載して、空中飛行できるバイクに改造したのだ。格納庫も広くした。
ファクトリーの制御室と管理室ができた。保管庫もできた。もうなんでも、いつでも欲しいものがつくれる。
月夜船の性能が上がった。時速三百キロ平均の移動ができるようになった。ワープ機能もついた。
はっきり言って、俺は、なにがどういう仕組みになっているかは知らない。ただ、ハクジの頭の中では明確にわかっているということだけがわかる。
月夜船で、俺たちは世界を一周して回った。途中でワープできようになったから、一周を飛び越したことになる。
ハクジはもう一人アンドロイドをつくった。ほとんどパンダと同じ形と性能で、名前はアンテ。二人がハクジの世話をしてくれるおかげで、俺は自由になった。
たまに、エアバイクで地上に降りて、食料を買ったり(もちろん買わなくてもいいのだが、気分の問題だ)廃棄物を回収したりする(今や正規の製品はなにひとつだっていらない。)地上では、突如現れた巨大な月型浮遊物体が話題になっていた。月夜船は、当初の五倍の大きさにまでなっていた。
後は、ユンを再生するだけだ。
✦クロガトブの願いと、ハクジの苦悩
「ハクジ、ユンのデータの再生はまだか」
俺の質問に、最近ハクジはすぐに背を向ける。
「うん、まだ」
俺はそれが嘘だということはわかっている。わからないのは、なぜ嘘をつくかだ。
俺はハクジを捕まえて、視線をそらすことができないように抱きかかえる。
「お前、なんで嘘つくんだよ」
「ううん」
「ほんとはもうユンを再生できるんだろ?」
「ううん」
「じゃあいつ?」
「…あ、あした…」
「昨日も明日っていってたぞ」
「う、じゃあつぎのあした」
俺は、うろうろとそらすハクジの目をじっとみた。
「お前、ユンを再生したくないのか?」
「う、ううん…」
「じゃあなに?」
「うー、う…」
ハクジは、じっと困った様子でしばらく黙ってからいった。
「クロガトブ、ユンがすき?」
「ああ」
「……」
ハクジは、その灰色の目を、陰らせた。
「ぼく…ユンをさいせいする…」
「そうか、してくれるか!」
「…うん…」
ハクジがなにを思い悩んでいるのか、俺は知らない。
✦ユンが目覚めるその日
待ちかねていたその日。
ハクジは、生前とそっくりの姿のユンをつくった。人口羊水の中には、もうすっかり成人したユンが眠っている。再生したユンの記憶データをユンの体に送り込むその日が来た。
ハクジは、ユンの再生に取りかかって以来、ふさぎ込みがちだ。制御室に閉じこもって、出てこないことが多い。食事の世話は、パンダとアンテがやっているから心配ない。
俺は、ユンが目覚めるその時を待っていた。
「クロガトブ、ユン、おきるよ」
ハクジが俺を呼びに来た。俺は、ユンのために、ユンの部屋をケンタクンに作らせていた。俺とユンが昔一緒に暮らした、あの部屋と全く同じにした。花も、ヒマワリも飾った。
「ああ!」
制御室のハクジは少し疲れて見えた。人口羊水が引いて行く。羊水は、ファクトリーの分解機器によって、再び原子に戻される。
ユンはのろのろと目を開けた。
「ユン…」
ケースが開いた。ユンは俺を見ると、にこっと笑った。
「秋皇…」
ユンはしゃべった。あの時のままの声で。
俺は興奮して、気づかなかった。
俺と抱き合ったユンが、じっとハクジを見つめていたこと。
そしてハクジが、なにも言わず部屋を出て行ったことを。
✦思い出を語らう二人の部屋
「すっかり大きくなったんだな、秋皇。いや、今はクロガトブか」
「どっちでもいいよ。それより、ユン。この部屋を覚えてる?」
「俺たちの部屋だな。すっかり昔のままだ」
ユンは、五年前とまったくかわらない。静かな眼差しと深い声。暗殺の術を身につけた物腰は、水面のように落ち着いている。
ユンが花瓶にいけられたヒマワリの花びらにふれた。俺は自分が五年前の自分に戻ったような気がした。
「すごい技術だ。ハクジのファクトリーは。…エターナルエナジーを精製し続け、あらゆるレベルで物質物体を生成する。この船もファクトリーでつくったんだろう」
「ああ。普段のあいつはまるで白痴のようだけど、天才さ。俺はユンを再生するために、由井にずっとデータを解析してもらってたんだ。でもあいつは肝心な最終データを俺に渡そうとしなかった。完璧にデータを復元させ、ユンを再生させたのはハクジなんだ」
「あの博士にまさか不可能な解析があったのかい?」
「知るかよ、あのくそじじいのことなんて。おおかた…、俺がユンの再生に必死になってるのを知っていたから、それをできるだけ利用しようとしたんだろう。俺はあいつをころしたかったのに、あいつはそんな俺をいいように使えて、さぞいい気分だったとおもうぜ」
「博士はいったいどこまで俺のメモリーを復元できたんだ?」
「あの事故の一日まえまでだ。それまでのデータはラボにも保存されていらしいんだ」
「まさか…」
「俺も、ユンからバックアップを取っていないと聞いていたから、正直疑ったけどな。でも今ユンを目の前にして、うそじゃなかったとわかったよ」
ユンはふと床を見てすこし複雑そうな唇を動かした。
「…由井博士らしいな」
俺はユンのその表情が気にかかる。
「ユン…」
「うん?」
「じじいに…由井博士に会いたいか?」
「そうだな。せっかく生き帰ったんだからな」
だろうな。そういうとおもったぜ…。
俺にとってはくそじじいでも、ユンにとっては生みの親だからな。ユンはユンなりに、というのはユンの持つ人工知能なりに、という話だが、由井博士の期待に応えようと成長をしてきたのだから、当然だろう。
博士はどの人工知能よりも高い性能をユンに与えた。博士の研究においてもっとも人間に近い思考力、そしてその成長性をユンに求めた。ユンだけが他の人工知能より極めて人間らしい関係性を理解し、そして実行した。それを博士は、愛と呼ぶ。
ユンは感情を理解するアンドロイドなのだ。
この成果は実用レベルとしてすでにRECM国際科学研究所から公表されている。一部の国家ではすでにユンと同じレベル人工知能が組み込まれた製品が販売されている。国際的にはどこまで流用させるのかの議論が継続している。
俺は昔のようにユンのまえでは感情を隠せなかったのだろう。ユンが、くっと小さく笑った。
「なんだよ?」
俺の顔を見て、ユンはおかしそうにほほ笑んだ。
「おまえはいつもそうだったな。なんでも博士に張りあって。博士はよく、おまえがつっかかってくるのはやきもちだといっていた」
俺は図らずも、頬を染めた。
「そう赤くなるところは、昔のままだな、クロガトブ」
俺は、その日一日かけてユンに、俺がユンと別れてからどう生きてきたかを話して聞かせた。
「KICT(じじいが以前属していた組織)は壊滅したよ。ていうか、俺がぶっ壊した。じじいが我慢ならなくて、あいつもぶっころしてやった。でもじじいは、保管しいおいたバックアップとクローンでさっさと再生しやがった。それで、今じゃRECM国際科学研究所の所長だよ」
「それじゃあ、博士は今もこの地球上で最も偉大な科学者ということだね」
ユンがそういいたいのはわかる。けれどそうじゃない。
「それはちがうね。今最も偉大なのはハクジだよ」
俺は素直にじじいの鼻を明かしてやりたいきもちでいった。けれどユンは冷たい顔を浮かべただけだった。俺は納得のいく理由をならべてみる。
「だって、ファクトリーは由井にはつくれない。それにユンを完璧には再生できなかった。そうだろ?」
「力を持つこととふるうことの違いを知らないのなら、それはやはり無能だよ」
力を持つこととふるうこと…?
俺にはその意味がわからなかった。
「ん…、まあたしかにハクジは馬鹿だけどさ、でも由井のじじいよりか危ないやつではないことは確かだぜ」
ユンはどこか承服しかねるという顔で
「まあ、どんな考えも持つのは自由だ」
ちぇっ、ユンはやっぱりじじいに加担するんだな。ま、今に始まったことじゃないけど。
「俺はユンの考えを尊重するけどな。でもじじいの考えには多分一生なじめねぇからな」
「俺もおまえの考えは、尊重するさ」
ユンはそこで笑ってみせた。
ま、ユンが笑っていられるなら、それでいいんだ俺は。そのために俺はここまで生きてきたんだから。
✦ユンのデータ処理
俺の意識が再生されたことを知ったのは、時間でいえば、ほんの十八時間三十五分十八秒前のことだ。
まだ、新しい体が上手くなじまないのか、時間の計測や現在の状況把握、過去情報の整理、各部への意志伝達など、うまく機能していないものが多い。これまでとはどうやら回路が大きく異なっている。時間の計測などは、十秒以上も誤差がある。ハクジのつくった体は、やはり由井博士のものと比べると性能が劣る。後に詳しく調べる必要がある。
クロガトブはようやく眠りについた。つい二十三分五十二秒前まで、朝まで話したいといっていたが、俺の新しい体がまだなじんでいないことと、その整合処理をする時間が必要だと伝えると、渋々自分の部屋に戻って行った。
二分二十一秒前に彼の呼吸が規則正しくなった。ここが、空の上だからだろうか、それとも俺がいるからだろうか。彼の眠りは深いようすだ。俺はクロガトブがもっと興奮して眠れないのではと思ったがとりこし苦労のようだ。彼はもう子どもじゃない。五年という月日がクロガトブを成長させたのだ。
はっきりいえることは、彼の成長をこうしてみると、ことのほか強いシグナルを感じるということだ。この新しい体は知能領域だけでは処理しきれないのか、あるいはシグナルの伝達経路が混乱しているのか、人工心臓の収縮数が早くなったり、人工筋肉のあちこちが思わぬ反応しめす。またこの体は人工皮膚からの発汗も多い。熱量の分配システムにかなりの不備があるのだろう。これらも改良するだけでもこの体のパフォーマンスは上がるはずだ。
とにかく、このシグナルを人は胸に迫る、とか感動するといった言葉で表現する。俺の人工知能が発達したのは、この感情を理解したからだ。
これは、うれしさ、よろこび、という感情の一種だ。
…やはり、誤差が大きい。前計測時点から十七秒、十八秒…もずれている。
ハクジのつくった機械人体(アンドロイド)に正直ここまで多岐にわたる不備があることは予想していなかったが、仕方あるまい。これ以降も多くの不具合が見つかるはずだ。それらも一つずつ改良していくほかあるまい。
では、整合処理を行う。
まず手始めに、過去のデータが上手く戻っているかを確認しよう。
俺が秋皇と出会ったのは、KICTの任務の帰路のことだった。
暗殺専用のアンドロイドとしてつくられた俺は、本来であれば任務以外のことはしないはずだった。だが、俺は事故で死にかけていた秋皇をあの路地で拾った。あのとき、俺の人工知能はこう判断したのだ。
――…由井博士は以前から俺に「おまえは完璧なわたしの写し身だ」といっていた。俺に「おまえを愛している」と。
俺は由井博士に、「愛」という思考をプログラムされていた。
愛とは?
これは博士が俺に与えてくれたプログラムそのものだ。
――愛とは、人間やその他の意志ある動物などに見られる意識活動の一種。個体によって愛を感知する対象には多様性がある。その一方でそれらは一様に執着性がある。自分にとって好ましいことを、よろこび、たのしい、うれしいなどの感情、また好ましくないことをかなしい、くるしい、いかりなどの感情によって発信する。またはその感情を受信することをいう――。
博士は、博士の定義する「愛」というプログラムを、俺がどのように発展させるのか、それを分析することを望んでいた。このプログラムを施されたのは、博士の研究の中で俺以外にはなかった。
俺はこれが博士の定義するプログラムの執着性を意味することを学び、博士の希望に沿うために学習を深めた。そして博士が俺を愛するように、俺は博士の意志に応える既存の命令プログラムだけではなくだけでなくを、愛するようになった。
しかし、ある時期からプログラムに発展性がみられなくなっていた。博士は俺にさらなる成長を期待しており、俺はそれに応えたいと思っていた。そのとき俺は、傷ついた一人の少年をみつけた。彼をみつけたとき、この者の命を救うことは、愛というプログラムを展開させると判断した。そのときまでに俺のプログラムは感情を受信することにおいてそれなりに情報の蓄積があり、少年が多くの感情を発信する可能性があることがわかったからである。俺はそのデータを集積し分析することによって、その結果は由井博士を満足させるだろうと判断したのだ。
秋皇は、組織の医療チームにより回復したが、左腕は失った。由井博士は、ナノマシンでつくった機械腕(メカアーム)を取りつけようとしていた。その移植を受けるということは、秋皇を組織の暗殺チームに加えるということだった。俺の人工知能は、秋皇の感情を受信することで飛躍的に学習していた。
その結果として、俺は由井博士の意志に反し、秋皇を組織に加えることに反対するにいたった。俺は生まれて初めて、俺にとって絶対者である由井博士の考えに否定する思考を持ったのだ。博士はこのプログラムの発展に対して大きな興味と感情を表した。博士はよろこんでいたのだ。
一方、秋皇は俺に対して愛と呼ばれる情報を多く発信するようになっていた。それは単純な定義でわかりやすいものもあれば、複数の感情があわさった複雑なものもあり、愛のプログラムデータの蓄積はかなりのスペックを必要とするようになっていた。
当時秋皇は、俺がアンドロイドとはしらなかったが、俺の人工知能に組み込まれていたプログラムによって、秋皇は俺から愛と呼ばれる情報を受け取っていた。俺は感情の授受によってお互いの関係性を確かめ合うことを学んだ。データの積み重ねによって関係性の深さが進展かつ決定する。しかし、つねに同じ状況においてまた時間において同じ感情を受信もしくは発信できるわけではない。あたらしいこどもを連れてきて、秋皇と同じ関係性を築き上げようと試みたとき、まったく同じ結果が得られる可能性は高くないことが推察された。俺は人間がそうしたいわば偶然性やおかれた環境、また受動的な態度の中で、対人関係を発展させていることを学ぶにいたった。
その結果として、秋皇はKICTに残ることを自ら望んだ。機械腕を装着する手術を受け、俺とともに生きることを選んだのだ。
俺は、秋皇に暗殺者としての技術と知識を教えることになった。だがこのとき俺の人工知能では二つの感情が発信されていた。いや、もっと複数の感情もあった。それは、もしこうであったなら、という仮説を立てた際に頻発した。
例えば…、
秋皇は俺に執着性の強い感情を抱いている。それは命を救ったこと、泣きじゃくる秋皇が泣きやむまでそばにいてやったこと、暗殺術の稽古中に褒めてやったこと、などそうしたときに強く発信された。その感情が発信されるとき、関係性はより強固となることがわかっている。それは多面的に見て俺にとって好ましいことが多い。また、その繰り返しによって得られる安定には執着性が生じ、感情が発生しうる。それは、うれしい。
俺は秋皇に組織に入って欲しくなかった。機械腕を授かるということは、組織から抜けられなくなることを示していた。密偵、殺人、探査などあらゆる機能を搭載した機械腕は、秋皇が暗殺チームに所属することを意味した。暗殺者として従事すれば死の危険にさらされる。もし秋皇が死ぬことになれば、俺は秋皇――との関係性――を喪失してしまう。それは、かなしい。
もしも、俺が秋皇が機械腕をつけることに反対し、そうさせなかったのなら、秋皇はただの子どもとして、表社会に戻ることができただろうか。あるいは殺人者という道を歩まずにすんだだろうか。さまざまな感情の授受を経て、深い関係性を得たとき、俺も秋皇もそれがどこにでも、まただれにでも、さらにいつでも起こりうることではないことを知っている。貴重なのである。貴重なものには否応がなく執着性は高まる。それがよりお互いの関係性、愛、感情を高めることがわかった。俺は、秋皇を組織に引き入れてしまったことを後悔している。その一方で、一緒にいられる今をよろこばしくも感じている。
貴重、という考えは無限と有限の概念のもとに成り立つものだ。それはつまるところ、命である。
俺は次第に、人間、命限りのある人間という存在に強い興味を抱くようになった。限りのあるものには、その意識に自然と貴重という考えが生まれる。それは成長や老いることによって、より人生に色濃くつきまとう。それはときに喜びをもたらし、ときに不安や恐怖をもたらす。究極的に、命のない者には喜びや悲しみはない。
俺には、命の限りがない。
俺に施されたプログラムは、プログラムであって、本当の愛ではないのだ。
秋皇と共に存在する時間をへるごとに、俺は限りのある人間という存在に、興味以上の強い興味、すなわち執着を持つようになった。
人になりたい。
そう思うまでに俺のプログラムは人間に執着し始めたのだ。
そしてその時は訪れた。
俺にとっての死、存在の消失が訪れたのは五年前だ。
アンドロイドの俺は完璧に存在の消失することはできないことはわかっていた。これまでのデータの蓄積は本体ではなく、ラボに保管されていたからだ。俺にそれを破壊することは不可能だった。それでも俺は人間への憧れを、データを保存しないというやり方で、代用的に叶えようとしていた。
バックアップデータは規則的に自動的に保存され、一日おきにメインラボに送信される。しかし、俺は秋皇と出会ってから四か月十日八時間十二分後から、その機能を停止させていた。
しかし今日の話からすれば、博士は俺の行動に気が付いていたのだろう。その行動も博士とっては分析の対象なのだ。データは俺の知らないところで保存されていた。おそらく、博士が復元できなかった、いやしなかったのは、事故のあった日のほんのわずかな時間だったにちがいない。
あの日、俺はしんだ。
博士は人間になりたがってしんだ俺の意思を尊重して、クロガトブにデータを渡さなかったのだろう。それが愛といわずして、なんだといえよう。
正確にいえば、アンドロイドに死はない。欲しがる人間がいれば、それはいつでも再生され、いくつでも複製できる。
だが、由井博士は俺をそうしなかったのだ。俺にはわかる。
いくらクロガトブが博士の要望を聞いたとしても、そうしなかったはずだ。由井博士は俺を、愛していたからだ。
あの日、俺は確かに、しんだ。
秋皇に出会い、共に生活する中で、人になりたいと思った。
人として生き、人として死ぬ、そういう願いを抱いた。
あの日、秋皇の前で俺が破壊された時、俺の願いは叶った。
最後に俺の願いを叶えたのは、由井博士だった。
今から二十時間十五分二秒前に、ハクジが俺を再生するまでは。
✦ハクジの独り言
その日の朝、ハクジは珍しくキッチンの奥の椅子に座っていた。
「早いな、ハクジ」
ハクジはなにも答えず、黙っていた。両脇でパンダとアンテが俺をみた。なにかいいたげなようすだが、なにもいうようすがない。いったいなんだ?
ハクジの奇行はいつものことだから放っておく。
俺は、ソーセージと卵を焼く。俺とハクジの分だ。ユンはアンドロイドだから人間の食べものは食べない。俺は焼きあがったソーセージと卵を乗せた皿を、テーブルに置きながら、
「なに、だんまり決めてんだよ。船長」
するとハクジがぼそりといった。
「ユンが、たべる」
「え?」
丁度、キッチンにユンが入って来た。
「いい匂いだな」
俺はハクジとユンの顔を交互に見た。
「ハクジ、もしかすると…ユンの新しい体は人間と同じものからエネルギーを摂取できるのか?」
ハクジは無言で頷いた。
「道理で。前の体と性能が違うと思ったよ。かなりの不備が生じていてね」
ユンはハクジをちらりとみる。
「エネルギー効率がかなり悪いんだ。あまり貯蓄しておくこともできないみたいだし。それにエネルギー不足と同時に極端にパフォーマンスの悪化がみられる部位がある。改善の余地があるね」
ハクジはなにもいわずに椅子からおりると、そのままキッチンを出て行ってしまった。
「なんだ? あいつ」
俺はテーブルにナイフとフォークを並べた。
「気を悪くしたのかな」
「あいつのことは放っておけばいいよ。パンダとアンテが世話してくれる。さあ、一緒に食おうぜ。ユン、固形燃料以外を食べるの初めてだろ?」
「ああ、興味深いよ」
「ねえ、パンダ、アンテ。
おねがいがあるの。
あのねぇ、月夜船のことは、船長をクロガトブにして。
これは、パンダにおねがいするからね。
ファクトリーのつかいかたは、
アンテ。ぜんぶ、ユンにおしえてあげてよ。
ぼく、この船をおりるから」
✦電子版 未来予測ジャーナル
――月型浮遊物体について新事実続々――
今月上旬から突如上空に現れた月型浮遊物体について、国際宇宙科学センター他あらゆる国家、機関、組織の見解が相次いで発信されるなか、州内某ホテルで未明行われた、P国O州に本部を置くRECM国際科学研究所の記者会見において重大な事実が次々と明らかにされた。
以下、記事は時系列に三編に分け、全文(一部修正)を記す。要点だけを読みたい場合は、会見の概要(まとめ)をご覧いただくのがいいだろう。第三編は専門的な知識がないと理解しがたい内容が多いが、第一編と第二編は重大な事柄がわかりやすく説明されており、科学や物理に造詣のない方でも容易に理解できる。ゆえに、第一編、第二編、まとめと読み進めるといいだろう。
また記事内における用語リンクの内容の一部は今会見の引用をそのまま使用せざるをえないものが複数あるが、未来予測ジャーナルはその責任は負わない。
なお、会見を映像でご覧になりたい場合は、こちらからMYJアーカイブの映像提供サービス(有料)が利用可能。
【PR】国会中継、裁判・取調、各種会見映像が見れる! 探せる!
全編ノーカット映像が見られるのはMYJアーカイブだけ!
・第一編 月形浮遊物体はファクトリーによって製造された! RECM国際科学研究所所長 由井エンジョファン博士
・第二編 ファクトリーはゴッドチルドレンによってつくられた! ビアンテセントラルセンター広報部長 マシュー・ロンドン氏
・第三編 月型浮遊物体と動力システムをもつ浮遊船カーニバルはこうなっている! RECM国際科学研究所所長 由井エンジョファン博士
・会見の概要(まとめ)
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第一編 月形浮遊物体はファクトリーによって製造された! RECM国際科学研究所所長 由井エンジョファン博士
会見は、RECM国際科学研究所長由井エンジョファン博士が口火を切り、粛々と始まった。
「あれは、極めて特異な動力システムによって稼働している。まるで重力などないようにただ浮いているところや、むやみに上下もしくは水平移動しているところだけをみると、従来の空気圧の制御による飛空船のように思われるかもしれない。だが飛空船のようなプロペラや空気室のような外見的特徴はなく、その他の飛行システムが持つような特徴とも一致しない。
さらにいえば、われわれの観測によるとあの浮遊物体の推進速度は最大○○ ノット、最小○○ノットを記録しており、また複数回にわたってのワープ移動が確認されている。少なくとも現在において、あの月形浮遊物体に匹敵する飛行性能を有した機械・生体などの物体は人類には存在しない。
これまであらゆる機関が月型浮遊物体について推測を述べてきたなかで、地球外生命体が飛来するための未確認飛行物体ではないかとの議論があがっているが、われわれはここでそれを否定する。
かといって、われわれを含めた誰もが、あの月形浮遊物体が地球外生命体によるものでないということを確認するにはいたっていない。わたしの知るところによれば、月形浮遊物体の乗組員もしくは、所有者などからそのような発表やそれに類する行動はいまだないものと思われる。
また、おそらく月形浮遊物体が現れてからこれまでに彼らに接触した者はおらず、国連および各国の軍事飛行機をもってしてもその試みにおいてめぼしい成果はえられていない。
だが、われわれは彼らと接触しうるだけの言語と技術を有している。つまるところ、われわれは月形浮遊物体がなにによってつくられ、なにによって浮遊し飛行するのかを、再現することが可能なのである。
ここでいうわれわれというのは、RECM国際科学研究所とビアンテセントラルセンターの共同研究チームである。
研究所にセンターから通称《ファクトリー》と呼ばれる超多様複合型物質物体自動製造機械が持ち込まれたのは、月型浮遊物体が確認されてわずか二日後のことだった。
この英断を下したのはセンターの主任博士であり会長であるセイジ・ノースアイズ・ミヤ氏である。責任ある氏の立場からかんがみて、この迅速な行動は評価に値する。
このファクトリーこそが、われわれ人類の存亡と繁栄において重大な意味を持っていることを今日ここに表明する。
そのファクトリーだが、主な性能と機能を説明しよう。
超多様複合型物質物体自動製造機械という名のとおり、あらゆる物質物体を分子分解また結合、またあらゆるレベルでの生成・製造を行うことができる。
もっとも単純な操作として、水素と酸素から水をつくりだすことができ、同様に水を水素と酸素に分解することができる。その延長としてアミノ酸、その結合体、細胞組織、すなわちわれわれが食すのとまったく同じ肉や魚、穀物や野菜などを作り出すことができる。
あらゆる素材もまた同様である。天然とまったく同様のマテリアルや石油系、鉱石系、金属系マテリアル等が種類またはその品質を問わずに精製が可能である。またデータすなわちサンプルさえあれば、ファクトリーでの生成と段階的な分解は容易であることがわかっている。ファクトリーの分析性能は多面的であり、かつその再現精度は非常に高い。
またファクトリーは生成もしくは製造に必要な設備や機材、ロボットを自動でつくりだすことがわかっている。ファクトリーには超高度な創造性人工知能が搭載されており、あらゆる範囲における制御システムを簡易合理化し、その精度と速度を飛躍的に発展させている。
これらの機能を複合的に稼働させることにより、ファクトリーはどのようなものでもつくりだす。ファクトリーは的確な命令さえあれば、必要な原子や分子から、またそれらが不足している時はなにかを分解して必要な量を確保する。
そうしてファクトリーは水をつくり、水から氷や熱湯をつくる。石油系結合体から細長い管をつくり、 からガラスをつくる。摂氏 ℃の高温炉をつくってガラスを溶かし、トールグラスをつくる。アミノ酸や繊維質から熟成した茶葉をつくる。
最後に組み立てロボットが熱湯で入れた茶を氷の入ったグラスに注ぎ、ストローを差す。そして最後にそれはファクトリーの排出口から出てくるのである。もし好みがあるのであれば、それはアールグレイやアッサムだろうと、ミルクやレモンがあろうと、シロップの量がどうだろうと、プログラムひとつで再現可能だ。
例をあげよう。飼料米も日本産の高級ササニシキも同じ。工業塩も、人口のわずか二パーセントのセレブリティにしか適用できない抗ウイルス剤も同じ。量販店のTシャツも、イギリス仕立てのウールジャケットもまた同じである。
その他にもさらに例をあげてみよう。一本の毛糸も、帽子から靴まで取りそろえたコーディネートのさまも同じ。ロココ調の肘かけ椅子も、ヴェルサイユ宮殿も同じ。ねじ巻き式のサルのぬいぐるみも、最新型アンドロイドボディもまた同じである。どれもこれもプログラムさえあれば、エンターキーひとつで一様に、ファクトリーの排出口から出てくるのだ。
それゆえに、ファクトリーにおける性能と機能においていえることは、ビニールカイトをつくることも、あの月形浮遊物体をつくることも同じなのである。
われわれはあの月形浮遊物体が、ファクトリーでつくられたものであることを断定する。さらにいえば、月形浮遊物体の浮遊、飛行、ワープの動力とシステムは、ファクトリーが永続的に生成、分解しつづけることによって保たれているのである。おわかりいただけただろうか。われわれ人類の存亡と繁栄において重大な意味を持つ性能と機能を持ち合わせたのが、ファクトリーである。
ファクトリーの存在とこの一連の性能と機能についてわたしが知らされたのは、二週間ほど前のことだ。これだけの短い期間でそのような断定にいたったのには以下のいきさつがある。
これまでファクトリーの一機を内密に保持してきたのは、その研究を行ってきたビアンテセントラルセンターである。わたしが目にしたファクトリーそのものと、そのセンターが保有する研究データは驚くほど膨大かつ精密であり、きわめて信頼に足るものだった。
先ほどわたしが述べた例えをみなさんは覚えているだろうか。ヴェルサイユ宮殿以外のものはすべて、実際にファクトリーでつくりだすことができた。ヴェルサイユ宮殿について補足すれば、ファクトリーがつくったのは、百分の一サイズの模型である。模型といってもそのマテリアルは当時の成分とまったく同じであり、補修部や破損部さえすべてありのままに再現されている。これらはRECM国際科学研究所保管庫に所蔵されており、見学も可能だ。
一方で、その充分なデータを持ってしても、現在のわれわれには未解明な部分が多く、その使い方について完全な理解を持つまでにはいたっていない。
その未解明な領域にふれるものはなんであっても製造することができず、またこのファクトリー自体に新しいファクトリーを製造させることは不可能である。当然ながらわれわれに、一からファクトリーをつくることも不可能である。
それゆえに、上空に浮遊しているあの月形の物体は、ビアンテセントラルセンターが所有するファクトリーからつくられたものではないことがわかる。あれは二機目のファクトリーからつくられたものである。つまりわれわれの手の届かないところでつくられた二番目のファクトリーが、あの月形浮遊物体のなかに存在しているということである。
その証明に、われわれ共同研究チームは月形浮遊物体とおそらく同じ動力システムによる浮遊船の製造に成功した。現時点では月形浮遊物体との整合確認はとれないために、おそらく同じとしかいいようがない。あくまでも現時点における推測であるが、われわれの浮遊船も観測された月型浮遊物体と同等程度の、浮遊、飛行、ワープ性能を有することが実証されている。
むろん浮遊船はわれわれのファクトリーが製造したものである。これはすでにテスト飛行をクリアし、各機関の許可が下りたところで、月形浮遊船に接触を施みることが決まっている。浮遊船の名前は《カーニバル。》と名付けられた。
カーニバルの詳細な動力や機能について説明したいところだが、ここでより理解を深めてもらうために、物議の起点に話を振り戻す必要がある。今ここにいるみなさんがおそらくもっとも聞きたいとおもっているであろう、ビアンテセントラルセンターがなぜファクトリーという超多様複合型物質物体自動製造機械持ちえたのか、という点だ。この件については同席の、センター職員にマイクを譲る」
会見はここで由井博士から、ビアンテセントラルセンター広報部長マシュー・ロンドン氏が紹介され、マイクが移った。
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・第二編 ファクトリーはゴッドチルドレンによってつくられた! ビアンテセントラルセンター広報部長 マシュー・ロンドン氏
・第三編 月型浮遊物体と動力システムをもつ浮遊船カーニバルはこうなっている! RECM国際科学研究所所長 由井エンジョファン博士
・会見の概要(まとめ)
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第二編 ファクトリーはゴッドチルドレンによってつくられた! ビアンテセントラルセンター広報部長 マシュー・ロンドン氏
「順をおって、まずはわれわれの組織についてから説明させていだきたいと思います。
ビアンテセントラルセンターは、前身となる組織から数えて今からおよそ四二四年前から、P国G州を拠点に非営利団体としてあらゆる研究を行ってまいりました。センターはDEEF財団による出資を元とし、あらゆる国際機関、組織から独立した立場を保っております。
その規約では、希求に応じあらゆる組織に対して情報提供を行うことが約束されておりますが、その情報開示責任の一切は会長であるセイジ・ノースアイ・ミヤ博士にあることが定められています。
われわれのセンターにおける研究の一環として、人権と個人情報を保護することを前提とした、幼少期に見られる高度な脳機能の成長と発達についてをテーマにしたものがあります。研究は主に対象として通称《ゴッドチルドレン》と呼ばれる特出したあらゆる能力を持った子どもたちと、そのご家族のみなさまに協力をいただいています。運動能力や言語能力にはじまり研究分野はさまざまで、その研究結果のいくつかは、さまざまな国家や企業に提供され実用をみているものもあります。
ゴッドチルドレンの中には、われわれの推測や価値観を超えた能力の持主も少なくありません。そのひとりがこの世界で初となる超多様複合型物質物体自動製造機械を製作したときときも、センターではしばらくのあいだそれがいったいなんなのか、研究員の誰にもわからないという事態が起こっていました。
このファクトリーをつくった対象ゴッドチルドレンを、仮にここでは対象Gと呼ばせていただきます。
この対象Gは科学や物理における理解度が極めて高く、また機械の設計、製作、制御についても秀でた能力を持っていることが明らかでした。
ファクトリーという名前は、対象Gが日頃から口にしていたことばであり、それがのちに通称となりました。また製作者はそれと同じように、《月の船》や《空に船が出る》ということばを繰り返し発していたという記録が残っています。研究にあたった担当者によれば、日頃からファクトリーでつくる船に類する乗り物で空を飛びたいと望んでいたそうです。
研究が進むに従って、次第にファクトリーが重大な問題をはらんでいることが明らかになり、対象Gはセンターにおける重大機密事項に指定されました。
それは、主にファクトリーの軍事利用における機能でした。ファクトリーはそのプログラムによっては、高度な兵器や武器の製造、もしくは毒物や麻薬などをつくることが可能であることが予想されました。
また倫理的な問題として、生体のクローンや合成生物をつくりだし、また人間そのものをつくりだす可能性もありました。われわれは実際にそれらを試行実験したことはありませんが、性能と機能からすれば充分に考えられることでした。
われわれがそうした事実に直面する中で、対象G自体には非社会的な行動はまったくなく、ファクトリーを軍事や生命誕生に使おうとする意思も意図もないことは明らかでした。対象Gただ当初からの目的であった、ファクトリーでつくった船に類する乗り物で空を飛びたいという望みのためにファクトリーの改良増設を続けていました。
われわれは最終的な結果として、対象Gからファクトリーを預かるかたちで、その製作を中止させることにしました。
われわれがRECM国際科学研究持ちこんだファクトリーはここから端をはっしており、その研究データは対象Gとは関わりのないところで行われた研究であります。
われわれセンターの研究チームでは、対象Gが設定した以上のプログラムをつくることはできず、またその性能を改変することはできませんでした。ファクトリーは独特な概念と構造でつくられており、対象Gのほかにファクトリーを自由に操作できる科学者はいないというのが、当時われわれの見解でした。
対象Gは、それ以降もファクトリーや月の船の話を繰り返し話してはいましたが、われわれの望みにしたがって従順にも、ファクトリーを取り戻そうとしたり、あるいはファクトリーを新たにつくろうとはしませんでした。
そしてセンターは、ファクトリーの研究とその解明については、対象Gの成長を待つことが望ましいとの判断を会長が下し、事実上研究はいったん収束しました。
さらにセンターはファクトリーに対して最重要機密として適切な品質保持の環境を用意し、それにまつわる情報管理の徹底につとめました。
対象Gについても同様にその存在の保護と情報管理に対し適切な配慮をしてまいりました。
センターは国際軍事レベルと同等の防犯システムが完備されており、センターに関わる人物のすべてには規定により行動追跡監視システムが適用されます。
この状態はあるときまでなんら問題なく安定的に保たれていました。
ところが、ある夜それらのシステムを突破して、対象Gが何者かの手によってセンターから連れ去られるという事件が起こりました。
事態が発覚したのは、最後に対象Gの存在を確認された時点から、たった数分後のことで、誘拐は計画的なものと推測されました。ただちにこうした事態に備えて用意されていた緊急システムが発動しましたが、残念ながらセンターと協力機関には対象Gの足取りもしくはその存在を確かめることはできませんでした。
また誘拐犯についてもなんら手がかりはなく、その後もその目的について声明もありませんでした。協力機関の専門家によると、犯行はおそらくプロフェッショナルによるものだということと、身代金の要求もないことから目的は対象Gそのものである可能性があるということでした。われわれが対象Gあるいはファクトリーについて、この情報がどこから漏洩したのかさえ把握することは困難でした。
センターと協力機関からなる捜査チームが対象Gの捜索を続けるなか、最近動きとしてGが生存している可能性があることがわかってきました。その捜査が核心に近づきつつあった矢先、突如として捜索地域付近から月形浮遊物体が夜空にあらわられました。
その形や性能について対象Gが残したあらゆる情報と一致していました。われわれにとっては、対象Gの生存の可能性が高まったことが如実となりました。
月形浮遊物体はその発見から現在にいたるまで、国連及びあらゆる組織によって監視下に置かれていますが、その間も物体は空中で少しずつ増築されていることがわかっています。
ここからふたつのファクトリーを分類するためにわれわれのもとに保管されているファクトリーを一号機、月形浮遊物体に搭載されていると思われるものを二号機と呼びますが、
現在における月形浮遊物体の外見的な大きさは当初の四倍近くにまで増改築されました。一号機の大きさや性能からかんがみてもファクトリー二号機の格納部、その動力部、制御部は十分に確保できているものと推測されます。また地上との接点が確認されていないことから、居住空間や保管室があるものと思われます。これは対象Gの残した情報から推察するものです。
今地上にいるわれわれ科学者のほとんどに一号機の性能を高める、また操作範囲を上げることは不可能であったと、先ほども少々お話ししました。ただ、われわれにはそれまでの研究データと、対象Gの残した断片的な情報がありました。ゆえに、月型浮遊物体の動力システムをつくったのは対象G本人であると、確証に近い判断にいたったのです。
そこでわれわれは安全に平和的に事態を収拾するため行動を開始しました。
対象Gが乗っていると思われるあの月形浮遊物体に接触するために、軍事レベルから個人レベルまで、多様な方法で試行が行われていますが、現実的には警戒発令を残して他に手立てがありません。
しかし、われわれがこれまでの対象Gの行動規範や価値観から推測するかぎりに、対象GはGの家族をはじめ、われわれに対し、月形浮遊物体のその門戸を開いてくれる可能性は少なくありません。
対象Gがファクトリー製作から離れたのちも、月の船の絵を何度か描いていたことが確認されています。そのとき周りの人間に、空間の機能分類を説明するとともに、ここは誰それの部屋、というように、対象Gは誰と月の船に乗車するのか、ということを口にしていました。そのなかには家族の名前があり、絵の中には来客用と思われる部屋があったことも記録されています。
その一方で、われわれはあの月形浮遊物体に対象G以外の人物もしくはそれに類する何者かが乗っているという可能性を否定できません。その人物すなわち対象Gを連れ去った犯人や犯行グループによって、対象Gは強制的にファクトリーをつくらされ、動かしていることはおおいに考えられます。
われわれは人権と個人情報保護の観点から具体的な時間推移をあえて申し上げずにおりますが、ゴッドチルドレンはその名の通り、子どもを対象とするものであります。ですから精神的体力的に一般に大人といわれる成熟度は持ち合わせていない場合があり、対象Gにおいても同様です。よって、対象Gが自らの意志に反する行動をとったとしても、それは対象Gが責めを負うべきものではありません。
この責めを負うべき誘拐犯またはグループがいったいなにを考えどう行動するかによって、われわれ人類は大きな危険にさらされる可能性があります。犯人の目的がなんであるにせよ子どもの誘拐は卑劣極まりなく、こうして大きな社会不安を招いていることは明らかな事実です。
われわれは彼もしくは彼らの良心に呼びかける必要があり、またその準備があります。最も優先にされるべきなのは、かれらのいる月型浮遊物体に近づき対話の窓口を設けることです。
われわれはある筋の協力者から、月形浮遊物体の乗組員について重要と思われる情報を手に入れました。その情報の信憑性を精査した結果、われわれは彼らとの交渉材料を手にすることができました。
さらに同時期において、それまで由井博士が独自に進めていた研究と、ファクトリーの構造においての接点か見つかり、われわれは由井博士の協力のもと、ファクトリーの分析研究を大きく前進させました。この成果をもとにビアンテセントラルセンターとRECM国際科学研究は共同チームを組織しました。
主たる目的は、月形浮遊物体に接近するための、月形浮遊物体と同等な機能を持った浮遊船を製造することでした。一号機から対象Gの手が離れていらいが、初めてファクトリーはその性能を向上させました。
こののち再び由井博士の説明をしていただくことになるとおもいますが、実際のところ、この性能の向上によりカーニバルは予想をはるかに上回る日程で完成にいたりました。
われわれがカーニバルを製造する理由は、単純に月形浮遊物体に近づくためだけではありませんでした。それは、犯人に地上にも同等の技術があることを示し牽制する意味があります。またさらに、月形浮遊物体に類した乗り物、つまりファクトリーでつくられた浮遊船で接近することで、対象Gにわれわれの存在をアピールする狙いがあります。
生きてさえいれば、対象Gはきっとこのカーニバルになんらかの反応を示すでしょう。
また今回の接触は、国連の担当専務官と、交渉窓口となる情報提供協力者、そして由井博士、ミヤ博士、対象Gの家族が同乗する予定です。万が一に備えてカーニバルには機動隊が配備され、援護として国連軍、P国防軍から戦闘機が出動します。
日程はあらためてお知らせすることになるでしょう。われわれは最善を尽くしますが、各機関、各情報局等みなさまにおかれましてはむやみに動揺したり、人々を扇動させたりして、犯人を刺激しないように努めていただきたいと思います。
われわれがこうした事実を発表するにいたったのは、けっして犯人を追いつめるためではなく、また人心の不安をあおるためではありません。現在の状況を平和的かつ安全に収拾するためです。
われわれがなによりも優先するのは、人類存亡の危機を回避することです。またそうした危機がおこりえないことを確認し、これからも起こらないよう努めることです。われわれは各協力機関の連携のもとに、いかなる助力も惜しまない所存です。
また、対象Gが誘拐されこのような事態招いたことについて、われわれの管理システムに不足があったことを認め、ここに陳謝いたします。その負うべき責任については、事態終息の後に改めて公表したいと思います。
そして最後に、ファクトリーが破壊的な使われ方を回避したときにわれわれが望むことがあるとすれば、ただひとつです。
われわれは対象Gの生存を信じ、平和的な手段によるその保護を強く望んでいます。
科学をはじめとする新しい知恵はいつの時代も、それを発見し正しい実用を志した人物よりも、間違った使い方を世界中に知らしめた人物のほうが有名になる傾向があります。ファクトリーはその両側面について人間の暮らし生き方を革新的な変化をもたらす可能性があることは間違いありません。
対象Gは今日を機に、人類の歴史に名を残す科学者であり実践者であることを全世界に知らしめることになりました。しかし対象Gはただ、月の形をした乗り物で空を飛びたいという単純な思いだけでファクトリーをつくりました。同じことを思ったとしても、それがGでなければファクトリーはこの世に存在しませんでした。
われわれは便宜上、対象Gという言い方をとって話を続けてきましたが、Gのことを特別に他の誰かと比べて価値のある人間だ、とか、Gの存在は人類の資産である、というような考えは持っていません。われわれはそれを個の抹殺だと考えるからです。
そのような理屈がまかり通ったとき、対象Gの望んだ月の形をした乗り物で空を飛びたいという願いは、ファクトリーの軍事利用や生命誕生の実験の前に踏みつぶされたも同然なのです。
われわれが望むのは、Gに再び人間らしい自由な人生を無条件に与えてほしいということです。いうまでもなく、Gが自立した社会の一員として認められるようになるまでに、われわれを含め多くの人間がその成長を見守る必要があるでしょう。
それでも、Gにはただ無事に帰ってくることだけを願う家族がおり、Gがひとりの人間として人生を謳歌するにはもっと多くの時間と経験が必要です。
この混乱した事態が収拾し、Gが家族のもとへ戻れたとき、神から与えられた一生をGがまっとうできるように、
各方面関係者、協力機関、報道機関の皆さまには充分なご配慮を切にお願い申し上げます」
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・第一編 月形浮遊物体はファクトリーによって製造された! RECM国際科学研究所所長 由井エンジョファン博士
・第三編 月型浮遊物体と動力システムをもつ浮遊船カーニバルはこうなっている! RECM国際科学研究所所長 由井エンジョファン博士
・会見の概要(まとめ)
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✦さよなら、ハクジ
「ごらんよ、ハクジ」
俺はハクジの部屋に最近増設されたデータ通信画面をみせる。
ニュース番組ではアナウンサーやコメンテーターがひっきりなしに、月形浮遊物体、ファクトリー、とやたらと連呼している。国際標準の博士号が顔を連ねているようだが、その口々からは、メディア用のステレオタイプしか聞こえてこない。しょせん由井博士より一段も二段もおとる連中なのだ。
画面はときどき切りかわり、ヘリから撮影された月形浮遊船の映像が映し出される。こうしてみると、まるでブリキのようだ。子どもの描いたいたずら書きをもとに、鋼板を張り合わせてつくっただけの稚拙なおもちゃのように見える。
だか、こうしているあいだも絶えず浮遊船は増改築され、はたからみえるブリキの月からは想像できないほど、船内はよくできている。制御部、製造部は整然と管理され、またそれに従事する駆動式ロボットが過不足なく配備されている。住居部は空調、気圧、酸素濃度、振動、防音などの制御のみならず、上水下水、電気ガスなどの生活光熱に不足はない。部屋の掃除さえ世話焼きロボットがしてくれる。ホテルと違うのは食事を自分たちでつくることぐらいだ。
画面の映像が再び切りかわった。
ビアンテセントラルセンターと、その会長――というにはあまりに若い風貌の青年――が映像の中で、ゴッドチルドレンの生存について語っている。名前を伏せているが、このハクジのことだ。
ハクジはにわかに目をあげた。以前そこにいたことを思い出しているのだろう。クロガトブにさらわれてからおそらく、ハクジがセンターを見たのも会長の青年を見たのも約一年ぶりのはずだ。
世間ではセンターそのものへ注目度も高まり、各メディアではゴッドチルドレンとはなにか、あるいはセンターはなにを目的に設立されたのか、などさまざまな情報が報道されているようだ。概要としては、ハクジのような非凡な能力をもつ人間を子どものうちから引き受け、成長、訓練させ、社会の発展に寄与することを目指した組織ということだ。
A『――そのなかでもファクトリーをつくった――正確にはそのファクトリーという超多様性製造機械の概念をつくった、そのゴッドチルドレンは、ビアンテセントラルセンターでトップシークレットだったそうですね。この点については、Bさんどう思われますか』
B『そりゃあ、エンターキーひとつで、食べものでも――着るものでも――新しいアンドロイドボディでも、なんでもできてしまうなんて夢の機械ですものね。人類もついにここまで来たかって思います。一般発売される日が楽しみです』
C『あんた、あたま腐ってるんですか!』
B『えっ、ひどーい…』
A『××防××省の元××官であるCさんは、国際的な危機について意見をお持ちのようですね?』
C『ひょっとしたら核を上回るミサイルやロボット兵器、殺人ウイルスなどがつくれてしまういうことですよ。あるいは、超多様性製造機械の製作者である人物が誘拐され、この現在も我々の上空にもう一つの超多様性製造機械が浮遊しているということはつまり、我々もその脅威にさらされているかもしれないということです』
B『えっ、こわーい…』
A『そうですね。我々は超多様性製造機械についてつい最近までなんら知らされていなかっただけでなく、こうした危機的状況において
各国のテロ組織などからはこれまでになんら表明はありません。ゴッドチルドレンをさらった犯人の目的がなんなのか、この点にっては度思われますか、
高性能な軍事用ロボットあるいは人体だって作れてしまうかもしれないということですよ』
C『だから秘密だったんですよ。でも、超多様性製造機械ってなんですか? それならファクトリーのほうが僕にとっては詩的に好ましいな』
「世界が、君を探しているね」
ハクジはベッドの上でじっと俺をみている。
パンダとアンテという名の機械人形は、俺を睨むようにみている。
「確かにファクトリーがすばらしいのは認めよう。あの由井博士でも成しえなかった。でもカーニバルをつくったということは、そのメカニズム、プログラムを博士はおおよそ解析しているんじゃないかな」
俺はベッドに腰をかけ、ハクジの頭を撫でてやる。ハクジは怯えるふうでもなく、ただじっとしていた。
「君は確かに、優秀だ」
ハクジはまるで自分の運命を知っているかのように、俺をみている。なにもいわない。二体のメカドールさえも。
「でも君は、由井博士のようにはなれない。君には理解できないんだ、そうだろう? 俺がどんなに君に怒りを感じているか」
ハクジは無言の眼差しをむけている。やはり、この小さな子にはそれすらも理解できないのだ。
「由井博士はクロガトブがどんなに望んでも、決して俺を再生させることはなかったはずだ。そうすることで、僕を消滅させてくれた。ちゃんと」
ハクジにはっきりと伝わるように言葉を区切った。
「しなせてくれた」
ハクジはそれでもじっと俺の顔を見るだけだった。
「でも、君が俺を再生してしまった。俺は望んでいなかったのに」
「人として死んでいった俺を、再生した。
まるで、不死身の機械人形のように。
俺のことなど、そこの機械人形と同じだと思っているのだろう?
君にはそうとしか見えていなくても、それはおかしくはない。
今や、機械も人も、定義はあやふやだけれどね、でも俺は思うんだ。どう生まれたかではなくて、どう生きようとして、どう死のうとしたか、そのことの方が、重要だと。
君に反論はあるかい?」
ハクジは黙って俺を見つめた。この表情はなんだろうか。過去のデータから推測するに、諦め、だろうか。叱られてしょげているようにも見える。
「君に反論があっても構わない。今口にできないとしてもね。
それがあってもなくても、俺の意志は変わらない」
「クロガトブはね、俺を愛してくれている。俺がアンドロイドだと知ってもなお、慕ってくれた。俺をよみがえらせるまでに。俺は彼が好きだよ。愛している。
だから、彼が俺を再生させようとすることは予想できたし、俺はそうだとしてもクロガトブを許すことができた。実際、俺のクロガトブへの今の気持ちは、愛しさ以外なにもないと言っていい。俺のこの気持ちは、俺が生きていても、死んでいても変わりはしない。
由井博士は、俺に愛をプログラムしてくれた人だ。由井博士は、俺が、クロガトブを愛することを喜んでいた。俺の人工知能が成長していくことを。だから、俺が人として生き、死のうとしたことに、彼は俺に賞賛を与えるだろう。そして自分の技術の確かさを確認するだろう。
彼はきっと、クロガトブに新しい俺を与えたりはしない。俺に与えたプログラムは成功したのだから。由井博士は、科学の発展を妨げてまで人格を尊重したりはしないだろうけど、全く意味のないことをする人ではない。クロガトブに俺を再生して与えることは、彼の嫌う、全く意味のない行為に間違いないのだからね」
ハクジは、小さな体を小さく固めてじっとしている。
「君が再生しなければ、俺は人として死ねたんだ。
ハクジ。
君は、俺の人としての尊厳を壊した。
俺をよみがえらせることによって。
…だけど、俺は自らこの命を終わらせるつもりはないよ。
俺は、人として生きていくつもりだよ。
不可抗力でよみがえってしまいはしたけれどね、それでも俺は人として生きて死にたい。
その死に方に、自殺はふさわしくない。
だって、また君が俺を再生してしまうかもしれない。それに、クロガトブを悲しませたくない。矛盾してるね。
だけど、人間なんてそういうものだろう?
ああ、そうだ。
君にひとつだけ感謝することがある。
この体、性能には不満だらけだけれど、ただ一つ、人と同じものを食べられるようにしてくれたことは感謝するよ。クロガトブとね、同じものを食べて、おいしいと思えることが、こんなに豊かで素晴らしいこととは思わなかった。
ありがとう、ハクジ」
ハクジは小さく頷いた。
「それじゃあ、ハクジ。
お別れだね。
俺が人として尊厳を守って生きていくためには、君に生きていられてはならないんだ。
ひどいと思うかい?
思ってもいいよ。俺は君の考えを尊重する。
だけど、それ以上に、俺は俺の意志を尊重する。
人は不思議だね。
機械は、命令がなければころしあったりしないんだ。
意志があるのはすばらしい。
奪いあったり、傷つけあったり、愛しあったり、憎みあったりできる。
嫌いになることができる」
俺は立ち上がって、ハクジの部屋の窓を開けた。
下はエルバルナの森林地帯だ。
ここなら、この季節、腹を空かせたオオカミの子供とその母親が毎日餌を探して歩いている。ほんの少しの辛抱で、骨になってしまえるだろう。
「こっちへおいで、ハクジ」
ハクジは、素直に従って俺の隣に来た。俺はハクジの細い首に手を添えた。
「俺は、君が嫌いだ。
俺をよみがえらせた君が。
君も、俺を嫌っていいよ」
ハクジはなにも言わずに、俺の手に力がこもるのを待っていた。
不思議な子だ。死ぬのが怖くないのか?
それは、君にとっていいことかもしれないね。
「さよなら、ハクジ」
ハクジは泣きもしないで、森の中に吸い込まれていった。
「ひつような材料は、これだけ」
これだけ、ね。
まあ、あと十五人ほどころして、二百位のアンドロイドからコアチップを奪えばいいな。
とにかくやるしかない。
セイジたちは、もう半分以上の倉庫を調べつくしている。ファクトリーが見つかるまで、早くてあと三日。
やるしかない。
その日は、格安の仕事も含め、六人を始末した。その後はレムァ・ミュッフェのアンドロイドを片っ端から襲った。スクラップ屋に必要な部品を取りに行くのも忘れずに。
次の日は、四人暗殺して、スクラップを組み立ててファクトリーを拡大した。俺の愛車、バルトを格納するところも作った。
次の日は、五人ころして、レムァ・ミュッフェの総本山を襲った。アンドロイドの数が足らなかったが、それ以上に人間をやった。レムァ・ミュッフェは壊滅した。ことを荒立てたくなかったが、しかたない。
その次の日、昨日デ・ミラージュで暴れたおかげで、P区の探索が中止された。セイジたちは、デ・ミラージュ地区を探している。ラッキー。かくして、その夜、ファクトリーは完成した。パンダ曰く、くそ馬鹿でかい多機能コンピューターが。
「で、これをどうするわけ。ハクジ」
「きょうは曇り、風むきは―…、あっち、こっち?」
ハクジは人が入れるほどの小さなハッチを開けた。
「クロガトブ、パンダ、こっち」
俺たちは、狭っ苦しい格納庫に入った。ハクジはその中を這いずりながら、奥の制御室に行った。狭すぎて俺にはとても入れない。
「じゃあ、いくよー」
ハクジはメインスイッチを入れたらしい。
―――ヴヴヴ――ン…
その夜は、曇りだった。月も出ない曇り。明日は雨に違いない。
―――ボッ、ボッ、ボボボボボッ!
俺たちを乗せたファクトリーが、地面を離れ出した。
―――ゴゴゴゴゴッ
「あーっ…」
俺とパンダは、よくわからない声を上げた。巨大なファクトリーは、派手に倉庫を破壊しながら、浮き上がろうしている。これは、なんだ? なんの動力で動いてるんだ? 俺は知らない。
「あっ」
パンダがハッチから滑り落ちそうになった。俺は慌ててパンダを捕まえた。地面までのその距離、すでに五メートル。
浮いている。ファクトリーが浮いている。
―――ゴゴゴッ、バリッ!
ついに十五メーターも上にあった倉庫の天井を突き破った。
ファクトリーは、空に浮かんでいた。
曇っててよかった。
まともにみれる気力が、俺にはない。
✦ファクトリーの性能、ハクジによる説明
「この船のなまえは、こういいます」
ハクジは見えない制御室の向こうでいった。
「つクよフネ」
確かに、ファクトリーは月の形をしていた。下弦の月だ。
幅およそ二十五メートル、奥行きおよそ五メートル、高さ、十メートル弱。
「この船は、どこにむかっていますか、せんちょー」
「船長?」
俺とパンダは顔を見あわせた。
「うみですー」
あ、自分で答えた。船長はハクジ自身ということらしい。
目下には、町の明かりが見える。道路を流れていく車。これが、昼間だったら、俺はもう少し焦っていたと思う。俺だけじゃなく、多分パラレルシティ全土が。
俺は、首から由井のパスを取り出して、破いて棄てた。
この船にまで、関所も国境も関与できない。
俺はハッチを閉めようとして、そしてすぐに思った。ハッチを閉めたら明かりがない。
「おい、ハクジ」
「……」
「ハクジ」
「……」
「船長」
「なに?」
俺は一息ついていった。
「船はいいけどな」
「ふね?」
「…月夜船はいいけどな、俺たち、いつまでこうしてりゃあいいんだよ。ハッチを占めりゃあ真っ暗だし、海までの間ずっとこんな狭いところで丸くなってなきゃいけないのか?」
「あー、はい」
はい、じゃねえよ。
「これから、ファクトリーを、さどうさせます」
なんだ? ファクトリーはまだ動いてない? てことは…。
「この船がファクトリーじゃねぇのかよ? なにをする気なんだ?」
「まずは、じゃあ、クロガトブのへやをつくるね」
部屋? つくる?
―――ブゥィ――イン…
「お、おっ?」
俺は音のするハッチの外へ頭を出した。その瞬間、月夜船の外壁を、なにかが通り過ぎた。あれは…、建設ロボットだ。いつの間に、あんなもんを…。
「ハクジ、あれ…」
「建設ロボットのケンタクンだろ。さっきっからいたじゃねぇか」
パンダは物知り顔でいったが、いたか? しかも名前まで付いていたとは…。
「クロガトブのへや、かんせいまであと、二十分です」
二十分…。
俺はしばらく呆然としていた。
二十分後、建設ロボットの一つが呼び掛けに来た。
「完成しました。クロガトブ様のお部屋はこちらです」
ハッチの外には階段が出来ていた。階段の隣を薄い雲が滑っていく。ひょー、落ちればまっさかさまだな。けっこう笑える状況だ。俺はパンダとハクジを右と左に抱きあげて階段を上った。
月夜船の形は、新しくできた部屋と階段で初めより少し変形していた。
「こちらの扉をお開け下さい。稀に気圧差がありますからお気をつけを」
俺はドアを開けた。
部屋は、四畳ほどの小さな部屋だったが、ベッドまでしつらえてある。俺はようやく腰を落ち着けた(というのは嘘で結構混乱していた。)
「コーヒーが飲みたい気分だ」
俺は心の底からもらした。
「ケンタクン、つぎ、キッチン」
「はい、かしこまりました。ハクジ船長」
ハクジは楽しそうだ。
「えーと、ハクジ、始めから説明してくれ。俺は…」
ハクジは首を振った。
めんどくさいやつだな、おい…。
「ああえっと、船長、説明を」
「ファクトリーは、ファクトリーで、月夜船は月夜船です。月夜船は、ファクトリーがつくった材料と、ケンタクンがつくりました。ケンタクンは、ファクトリーがつくりました。ファクトリーは、ぼくがつくりました」
そりゃつまり…、ファクトリーは機械ならなんでも作れるってことか?
「ファクトリーの動力はなんなんだ? なんでこの船は浮いてるんだ」
「ファクトリーは、ひつようなものは自分でつくります。材料はぶんしとかいろいろです」
分子…?
「例えば、ファクトリーは、コーヒーもつくれるのか?」
「うん」
なんだって?
「でもねー、とり出し口に、だれもとりに行けないからねー、今はだめなの…」
そういう問題じゃない。
ファクトリーは、分子や原子レベルで、あらゆるものを生成する機械ということだろうか。
そんなこと、今まではあり得ないことだったが…
それが、このファクトリーではできるということか?
ファクトリーは必要なものを作り、それを使って廃棄されたものを分解し、再び精製する。この部屋も、そうしてつくられたんだ。ありえない。ありえないけど、たった今…
「ハクジ船長、キッチンができました。入口はこちらです」
✦月夜船、世界一周と半の旅
月夜船が地上から旅立ってから、二週間が過ぎた。その日と今日とを比べて変わったことを上げれば、こうだ。
俺の部屋が広くなった。ハクジの部屋ができた。風呂とトイレができた。
エアバイクができた。俺のバルトに、月夜船と同じ動力を搭載して、空中飛行できるバイクに改造したのだ。格納庫も広くした。
ファクトリーの制御室と管理室ができた。保管庫もできた。もうなんでも、いつでも欲しいものがつくれる。
月夜船の性能が上がった。時速三百キロ平均の移動ができるようになった。ワープ機能もついた。
はっきり言って、俺は、なにがどういう仕組みになっているかは知らない。ただ、ハクジの頭の中では明確にわかっているということだけがわかる。
月夜船で、俺たちは世界を一周して回った。途中でワープできようになったから、一周を飛び越したことになる。
ハクジはもう一人アンドロイドをつくった。ほとんどパンダと同じ形と性能で、名前はアンテ。二人がハクジの世話をしてくれるおかげで、俺は自由になった。
たまに、エアバイクで地上に降りて、食料を買ったり(もちろん買わなくてもいいのだが、気分の問題だ)廃棄物を回収したりする(今や正規の製品はなにひとつだっていらない。)地上では、突如現れた巨大な月型浮遊物体が話題になっていた。月夜船は、当初の五倍の大きさにまでなっていた。
後は、ユンを再生するだけだ。
✦クロガトブの願いと、ハクジの苦悩
「ハクジ、ユンのデータの再生はまだか」
俺の質問に、最近ハクジはすぐに背を向ける。
「うん、まだ」
俺はそれが嘘だということはわかっている。わからないのは、なぜ嘘をつくかだ。
俺はハクジを捕まえて、視線をそらすことができないように抱きかかえる。
「お前、なんで嘘つくんだよ」
「ううん」
「ほんとはもうユンを再生できるんだろ?」
「ううん」
「じゃあいつ?」
「…あ、あした…」
「昨日も明日っていってたぞ」
「う、じゃあつぎのあした」
俺は、うろうろとそらすハクジの目をじっとみた。
「お前、ユンを再生したくないのか?」
「う、ううん…」
「じゃあなに?」
「うー、う…」
ハクジは、じっと困った様子でしばらく黙ってからいった。
「クロガトブ、ユンがすき?」
「ああ」
「……」
ハクジは、その灰色の目を、陰らせた。
「ぼく…ユンをさいせいする…」
「そうか、してくれるか!」
「…うん…」
ハクジがなにを思い悩んでいるのか、俺は知らない。
✦ユンが目覚めるその日
待ちかねていたその日。
ハクジは、生前とそっくりの姿のユンをつくった。人口羊水の中には、もうすっかり成人したユンが眠っている。再生したユンの記憶データをユンの体に送り込むその日が来た。
ハクジは、ユンの再生に取りかかって以来、ふさぎ込みがちだ。制御室に閉じこもって、出てこないことが多い。食事の世話は、パンダとアンテがやっているから心配ない。
俺は、ユンが目覚めるその時を待っていた。
「クロガトブ、ユン、おきるよ」
ハクジが俺を呼びに来た。俺は、ユンのために、ユンの部屋をケンタクンに作らせていた。俺とユンが昔一緒に暮らした、あの部屋と全く同じにした。花も、ヒマワリも飾った。
「ああ!」
制御室のハクジは少し疲れて見えた。人口羊水が引いて行く。羊水は、ファクトリーの分解機器によって、再び原子に戻される。
ユンはのろのろと目を開けた。
「ユン…」
ケースが開いた。ユンは俺を見ると、にこっと笑った。
「秋皇…」
ユンはしゃべった。あの時のままの声で。
俺は興奮して、気づかなかった。
俺と抱き合ったユンが、じっとハクジを見つめていたこと。
そしてハクジが、なにも言わず部屋を出て行ったことを。
✦思い出を語らう二人の部屋
「すっかり大きくなったんだな、秋皇。いや、今はクロガトブか」
「どっちでもいいよ。それより、ユン。この部屋を覚えてる?」
「俺たちの部屋だな。すっかり昔のままだ」
ユンは、五年前とまったくかわらない。静かな眼差しと深い声。暗殺の術を身につけた物腰は、水面のように落ち着いている。
ユンが花瓶にいけられたヒマワリの花びらにふれた。俺は自分が五年前の自分に戻ったような気がした。
「すごい技術だ。ハクジのファクトリーは。…エターナルエナジーを精製し続け、あらゆるレベルで物質物体を生成する。この船もファクトリーでつくったんだろう」
「ああ。普段のあいつはまるで白痴のようだけど、天才さ。俺はユンを再生するために、由井にずっとデータを解析してもらってたんだ。でもあいつは肝心な最終データを俺に渡そうとしなかった。完璧にデータを復元させ、ユンを再生させたのはハクジなんだ」
「あの博士にまさか不可能な解析があったのかい?」
「知るかよ、あのくそじじいのことなんて。おおかた…、俺がユンの再生に必死になってるのを知っていたから、それをできるだけ利用しようとしたんだろう。俺はあいつをころしたかったのに、あいつはそんな俺をいいように使えて、さぞいい気分だったとおもうぜ」
「博士はいったいどこまで俺のメモリーを復元できたんだ?」
「あの事故の一日まえまでだ。それまでのデータはラボにも保存されていらしいんだ」
「まさか…」
「俺も、ユンからバックアップを取っていないと聞いていたから、正直疑ったけどな。でも今ユンを目の前にして、うそじゃなかったとわかったよ」
ユンはふと床を見てすこし複雑そうな唇を動かした。
「…由井博士らしいな」
俺はユンのその表情が気にかかる。
「ユン…」
「うん?」
「じじいに…由井博士に会いたいか?」
「そうだな。せっかく生き帰ったんだからな」
だろうな。そういうとおもったぜ…。
俺にとってはくそじじいでも、ユンにとっては生みの親だからな。ユンはユンなりに、というのはユンの持つ人工知能なりに、という話だが、由井博士の期待に応えようと成長をしてきたのだから、当然だろう。
博士はどの人工知能よりも高い性能をユンに与えた。博士の研究においてもっとも人間に近い思考力、そしてその成長性をユンに求めた。ユンだけが他の人工知能より極めて人間らしい関係性を理解し、そして実行した。それを博士は、愛と呼ぶ。
ユンは感情を理解するアンドロイドなのだ。
この成果は実用レベルとしてすでにRECM国際科学研究所から公表されている。一部の国家ではすでにユンと同じレベル人工知能が組み込まれた製品が販売されている。国際的にはどこまで流用させるのかの議論が継続している。
俺は昔のようにユンのまえでは感情を隠せなかったのだろう。ユンが、くっと小さく笑った。
「なんだよ?」
俺の顔を見て、ユンはおかしそうにほほ笑んだ。
「おまえはいつもそうだったな。なんでも博士に張りあって。博士はよく、おまえがつっかかってくるのはやきもちだといっていた」
俺は図らずも、頬を染めた。
「そう赤くなるところは、昔のままだな、クロガトブ」
俺は、その日一日かけてユンに、俺がユンと別れてからどう生きてきたかを話して聞かせた。
「KICT(じじいが以前属していた組織)は壊滅したよ。ていうか、俺がぶっ壊した。じじいが我慢ならなくて、あいつもぶっころしてやった。でもじじいは、保管しいおいたバックアップとクローンでさっさと再生しやがった。それで、今じゃRECM国際科学研究所の所長だよ」
「それじゃあ、博士は今もこの地球上で最も偉大な科学者ということだね」
ユンがそういいたいのはわかる。けれどそうじゃない。
「それはちがうね。今最も偉大なのはハクジだよ」
俺は素直にじじいの鼻を明かしてやりたいきもちでいった。けれどユンは冷たい顔を浮かべただけだった。俺は納得のいく理由をならべてみる。
「だって、ファクトリーは由井にはつくれない。それにユンを完璧には再生できなかった。そうだろ?」
「力を持つこととふるうことの違いを知らないのなら、それはやはり無能だよ」
力を持つこととふるうこと…?
俺にはその意味がわからなかった。
「ん…、まあたしかにハクジは馬鹿だけどさ、でも由井のじじいよりか危ないやつではないことは確かだぜ」
ユンはどこか承服しかねるという顔で
「まあ、どんな考えも持つのは自由だ」
ちぇっ、ユンはやっぱりじじいに加担するんだな。ま、今に始まったことじゃないけど。
「俺はユンの考えを尊重するけどな。でもじじいの考えには多分一生なじめねぇからな」
「俺もおまえの考えは、尊重するさ」
ユンはそこで笑ってみせた。
ま、ユンが笑っていられるなら、それでいいんだ俺は。そのために俺はここまで生きてきたんだから。
✦ユンのデータ処理
俺の意識が再生されたことを知ったのは、時間でいえば、ほんの十八時間三十五分十八秒前のことだ。
まだ、新しい体が上手くなじまないのか、時間の計測や現在の状況把握、過去情報の整理、各部への意志伝達など、うまく機能していないものが多い。これまでとはどうやら回路が大きく異なっている。時間の計測などは、十秒以上も誤差がある。ハクジのつくった体は、やはり由井博士のものと比べると性能が劣る。後に詳しく調べる必要がある。
クロガトブはようやく眠りについた。つい二十三分五十二秒前まで、朝まで話したいといっていたが、俺の新しい体がまだなじんでいないことと、その整合処理をする時間が必要だと伝えると、渋々自分の部屋に戻って行った。
二分二十一秒前に彼の呼吸が規則正しくなった。ここが、空の上だからだろうか、それとも俺がいるからだろうか。彼の眠りは深いようすだ。俺はクロガトブがもっと興奮して眠れないのではと思ったがとりこし苦労のようだ。彼はもう子どもじゃない。五年という月日がクロガトブを成長させたのだ。
はっきりいえることは、彼の成長をこうしてみると、ことのほか強いシグナルを感じるということだ。この新しい体は知能領域だけでは処理しきれないのか、あるいはシグナルの伝達経路が混乱しているのか、人工心臓の収縮数が早くなったり、人工筋肉のあちこちが思わぬ反応しめす。またこの体は人工皮膚からの発汗も多い。熱量の分配システムにかなりの不備があるのだろう。これらも改良するだけでもこの体のパフォーマンスは上がるはずだ。
とにかく、このシグナルを人は胸に迫る、とか感動するといった言葉で表現する。俺の人工知能が発達したのは、この感情を理解したからだ。
これは、うれしさ、よろこび、という感情の一種だ。
…やはり、誤差が大きい。前計測時点から十七秒、十八秒…もずれている。
ハクジのつくった機械人体(アンドロイド)に正直ここまで多岐にわたる不備があることは予想していなかったが、仕方あるまい。これ以降も多くの不具合が見つかるはずだ。それらも一つずつ改良していくほかあるまい。
では、整合処理を行う。
まず手始めに、過去のデータが上手く戻っているかを確認しよう。
俺が秋皇と出会ったのは、KICTの任務の帰路のことだった。
暗殺専用のアンドロイドとしてつくられた俺は、本来であれば任務以外のことはしないはずだった。だが、俺は事故で死にかけていた秋皇をあの路地で拾った。あのとき、俺の人工知能はこう判断したのだ。
――…由井博士は以前から俺に「おまえは完璧なわたしの写し身だ」といっていた。俺に「おまえを愛している」と。
俺は由井博士に、「愛」という思考をプログラムされていた。
愛とは?
これは博士が俺に与えてくれたプログラムそのものだ。
――愛とは、人間やその他の意志ある動物などに見られる意識活動の一種。個体によって愛を感知する対象には多様性がある。その一方でそれらは一様に執着性がある。自分にとって好ましいことを、よろこび、たのしい、うれしいなどの感情、また好ましくないことをかなしい、くるしい、いかりなどの感情によって発信する。またはその感情を受信することをいう――。
博士は、博士の定義する「愛」というプログラムを、俺がどのように発展させるのか、それを分析することを望んでいた。このプログラムを施されたのは、博士の研究の中で俺以外にはなかった。
俺はこれが博士の定義するプログラムの執着性を意味することを学び、博士の希望に沿うために学習を深めた。そして博士が俺を愛するように、俺は博士の意志に応える既存の命令プログラムだけではなくだけでなくを、愛するようになった。
しかし、ある時期からプログラムに発展性がみられなくなっていた。博士は俺にさらなる成長を期待しており、俺はそれに応えたいと思っていた。そのとき俺は、傷ついた一人の少年をみつけた。彼をみつけたとき、この者の命を救うことは、愛というプログラムを展開させると判断した。そのときまでに俺のプログラムは感情を受信することにおいてそれなりに情報の蓄積があり、少年が多くの感情を発信する可能性があることがわかったからである。俺はそのデータを集積し分析することによって、その結果は由井博士を満足させるだろうと判断したのだ。
秋皇は、組織の医療チームにより回復したが、左腕は失った。由井博士は、ナノマシンでつくった機械腕(メカアーム)を取りつけようとしていた。その移植を受けるということは、秋皇を組織の暗殺チームに加えるということだった。俺の人工知能は、秋皇の感情を受信することで飛躍的に学習していた。
その結果として、俺は由井博士の意志に反し、秋皇を組織に加えることに反対するにいたった。俺は生まれて初めて、俺にとって絶対者である由井博士の考えに否定する思考を持ったのだ。博士はこのプログラムの発展に対して大きな興味と感情を表した。博士はよろこんでいたのだ。
一方、秋皇は俺に対して愛と呼ばれる情報を多く発信するようになっていた。それは単純な定義でわかりやすいものもあれば、複数の感情があわさった複雑なものもあり、愛のプログラムデータの蓄積はかなりのスペックを必要とするようになっていた。
当時秋皇は、俺がアンドロイドとはしらなかったが、俺の人工知能に組み込まれていたプログラムによって、秋皇は俺から愛と呼ばれる情報を受け取っていた。俺は感情の授受によってお互いの関係性を確かめ合うことを学んだ。データの積み重ねによって関係性の深さが進展かつ決定する。しかし、つねに同じ状況においてまた時間において同じ感情を受信もしくは発信できるわけではない。あたらしいこどもを連れてきて、秋皇と同じ関係性を築き上げようと試みたとき、まったく同じ結果が得られる可能性は高くないことが推察された。俺は人間がそうしたいわば偶然性やおかれた環境、また受動的な態度の中で、対人関係を発展させていることを学ぶにいたった。
その結果として、秋皇はKICTに残ることを自ら望んだ。機械腕を装着する手術を受け、俺とともに生きることを選んだのだ。
俺は、秋皇に暗殺者としての技術と知識を教えることになった。だがこのとき俺の人工知能では二つの感情が発信されていた。いや、もっと複数の感情もあった。それは、もしこうであったなら、という仮説を立てた際に頻発した。
例えば…、
秋皇は俺に執着性の強い感情を抱いている。それは命を救ったこと、泣きじゃくる秋皇が泣きやむまでそばにいてやったこと、暗殺術の稽古中に褒めてやったこと、などそうしたときに強く発信された。その感情が発信されるとき、関係性はより強固となることがわかっている。それは多面的に見て俺にとって好ましいことが多い。また、その繰り返しによって得られる安定には執着性が生じ、感情が発生しうる。それは、うれしい。
俺は秋皇に組織に入って欲しくなかった。機械腕を授かるということは、組織から抜けられなくなることを示していた。密偵、殺人、探査などあらゆる機能を搭載した機械腕は、秋皇が暗殺チームに所属することを意味した。暗殺者として従事すれば死の危険にさらされる。もし秋皇が死ぬことになれば、俺は秋皇――との関係性――を喪失してしまう。それは、かなしい。
もしも、俺が秋皇が機械腕をつけることに反対し、そうさせなかったのなら、秋皇はただの子どもとして、表社会に戻ることができただろうか。あるいは殺人者という道を歩まずにすんだだろうか。さまざまな感情の授受を経て、深い関係性を得たとき、俺も秋皇もそれがどこにでも、まただれにでも、さらにいつでも起こりうることではないことを知っている。貴重なのである。貴重なものには否応がなく執着性は高まる。それがよりお互いの関係性、愛、感情を高めることがわかった。俺は、秋皇を組織に引き入れてしまったことを後悔している。その一方で、一緒にいられる今をよろこばしくも感じている。
貴重、という考えは無限と有限の概念のもとに成り立つものだ。それはつまるところ、命である。
俺は次第に、人間、命限りのある人間という存在に強い興味を抱くようになった。限りのあるものには、その意識に自然と貴重という考えが生まれる。それは成長や老いることによって、より人生に色濃くつきまとう。それはときに喜びをもたらし、ときに不安や恐怖をもたらす。究極的に、命のない者には喜びや悲しみはない。
俺には、命の限りがない。
俺に施されたプログラムは、プログラムであって、本当の愛ではないのだ。
秋皇と共に存在する時間をへるごとに、俺は限りのある人間という存在に、興味以上の強い興味、すなわち執着を持つようになった。
人になりたい。
そう思うまでに俺のプログラムは人間に執着し始めたのだ。
そしてその時は訪れた。
俺にとっての死、存在の消失が訪れたのは五年前だ。
アンドロイドの俺は完璧に存在の消失することはできないことはわかっていた。これまでのデータの蓄積は本体ではなく、ラボに保管されていたからだ。俺にそれを破壊することは不可能だった。それでも俺は人間への憧れを、データを保存しないというやり方で、代用的に叶えようとしていた。
バックアップデータは規則的に自動的に保存され、一日おきにメインラボに送信される。しかし、俺は秋皇と出会ってから四か月十日八時間十二分後から、その機能を停止させていた。
しかし今日の話からすれば、博士は俺の行動に気が付いていたのだろう。その行動も博士とっては分析の対象なのだ。データは俺の知らないところで保存されていた。おそらく、博士が復元できなかった、いやしなかったのは、事故のあった日のほんのわずかな時間だったにちがいない。
あの日、俺はしんだ。
博士は人間になりたがってしんだ俺の意思を尊重して、クロガトブにデータを渡さなかったのだろう。それが愛といわずして、なんだといえよう。
正確にいえば、アンドロイドに死はない。欲しがる人間がいれば、それはいつでも再生され、いくつでも複製できる。
だが、由井博士は俺をそうしなかったのだ。俺にはわかる。
いくらクロガトブが博士の要望を聞いたとしても、そうしなかったはずだ。由井博士は俺を、愛していたからだ。
あの日、俺は確かに、しんだ。
秋皇に出会い、共に生活する中で、人になりたいと思った。
人として生き、人として死ぬ、そういう願いを抱いた。
あの日、秋皇の前で俺が破壊された時、俺の願いは叶った。
最後に俺の願いを叶えたのは、由井博士だった。
今から二十時間十五分二秒前に、ハクジが俺を再生するまでは。
✦ハクジの独り言
その日の朝、ハクジは珍しくキッチンの奥の椅子に座っていた。
「早いな、ハクジ」
ハクジはなにも答えず、黙っていた。両脇でパンダとアンテが俺をみた。なにかいいたげなようすだが、なにもいうようすがない。いったいなんだ?
ハクジの奇行はいつものことだから放っておく。
俺は、ソーセージと卵を焼く。俺とハクジの分だ。ユンはアンドロイドだから人間の食べものは食べない。俺は焼きあがったソーセージと卵を乗せた皿を、テーブルに置きながら、
「なに、だんまり決めてんだよ。船長」
するとハクジがぼそりといった。
「ユンが、たべる」
「え?」
丁度、キッチンにユンが入って来た。
「いい匂いだな」
俺はハクジとユンの顔を交互に見た。
「ハクジ、もしかすると…ユンの新しい体は人間と同じものからエネルギーを摂取できるのか?」
ハクジは無言で頷いた。
「道理で。前の体と性能が違うと思ったよ。かなりの不備が生じていてね」
ユンはハクジをちらりとみる。
「エネルギー効率がかなり悪いんだ。あまり貯蓄しておくこともできないみたいだし。それにエネルギー不足と同時に極端にパフォーマンスの悪化がみられる部位がある。改善の余地があるね」
ハクジはなにもいわずに椅子からおりると、そのままキッチンを出て行ってしまった。
「なんだ? あいつ」
俺はテーブルにナイフとフォークを並べた。
「気を悪くしたのかな」
「あいつのことは放っておけばいいよ。パンダとアンテが世話してくれる。さあ、一緒に食おうぜ。ユン、固形燃料以外を食べるの初めてだろ?」
「ああ、興味深いよ」
「ねえ、パンダ、アンテ。
おねがいがあるの。
あのねぇ、月夜船のことは、船長をクロガトブにして。
これは、パンダにおねがいするからね。
ファクトリーのつかいかたは、
アンテ。ぜんぶ、ユンにおしえてあげてよ。
ぼく、この船をおりるから」
✦電子版 未来予測ジャーナル
――月型浮遊物体について新事実続々――
今月上旬から突如上空に現れた月型浮遊物体について、国際宇宙科学センター他あらゆる国家、機関、組織の見解が相次いで発信されるなか、州内某ホテルで未明行われた、P国O州に本部を置くRECM国際科学研究所の記者会見において重大な事実が次々と明らかにされた。
以下、記事は時系列に三編に分け、全文(一部修正)を記す。要点だけを読みたい場合は、会見の概要(まとめ)をご覧いただくのがいいだろう。第三編は専門的な知識がないと理解しがたい内容が多いが、第一編と第二編は重大な事柄がわかりやすく説明されており、科学や物理に造詣のない方でも容易に理解できる。ゆえに、第一編、第二編、まとめと読み進めるといいだろう。
また記事内における用語リンクの内容の一部は今会見の引用をそのまま使用せざるをえないものが複数あるが、未来予測ジャーナルはその責任は負わない。
なお、会見を映像でご覧になりたい場合は、こちらからMYJアーカイブの映像提供サービス(有料)が利用可能。
【PR】国会中継、裁判・取調、各種会見映像が見れる! 探せる!
全編ノーカット映像が見られるのはMYJアーカイブだけ!
・第一編 月形浮遊物体はファクトリーによって製造された! RECM国際科学研究所所長 由井エンジョファン博士
・第二編 ファクトリーはゴッドチルドレンによってつくられた! ビアンテセントラルセンター広報部長 マシュー・ロンドン氏
・第三編 月型浮遊物体と動力システムをもつ浮遊船カーニバルはこうなっている! RECM国際科学研究所所長 由井エンジョファン博士
・会見の概要(まとめ)
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第一編 月形浮遊物体はファクトリーによって製造された! RECM国際科学研究所所長 由井エンジョファン博士
会見は、RECM国際科学研究所長由井エンジョファン博士が口火を切り、粛々と始まった。
「あれは、極めて特異な動力システムによって稼働している。まるで重力などないようにただ浮いているところや、むやみに上下もしくは水平移動しているところだけをみると、従来の空気圧の制御による飛空船のように思われるかもしれない。だが飛空船のようなプロペラや空気室のような外見的特徴はなく、その他の飛行システムが持つような特徴とも一致しない。
さらにいえば、われわれの観測によるとあの浮遊物体の推進速度は最大○○ ノット、最小○○ノットを記録しており、また複数回にわたってのワープ移動が確認されている。少なくとも現在において、あの月形浮遊物体に匹敵する飛行性能を有した機械・生体などの物体は人類には存在しない。
これまであらゆる機関が月型浮遊物体について推測を述べてきたなかで、地球外生命体が飛来するための未確認飛行物体ではないかとの議論があがっているが、われわれはここでそれを否定する。
かといって、われわれを含めた誰もが、あの月形浮遊物体が地球外生命体によるものでないということを確認するにはいたっていない。わたしの知るところによれば、月形浮遊物体の乗組員もしくは、所有者などからそのような発表やそれに類する行動はいまだないものと思われる。
また、おそらく月形浮遊物体が現れてからこれまでに彼らに接触した者はおらず、国連および各国の軍事飛行機をもってしてもその試みにおいてめぼしい成果はえられていない。
だが、われわれは彼らと接触しうるだけの言語と技術を有している。つまるところ、われわれは月形浮遊物体がなにによってつくられ、なにによって浮遊し飛行するのかを、再現することが可能なのである。
ここでいうわれわれというのは、RECM国際科学研究所とビアンテセントラルセンターの共同研究チームである。
研究所にセンターから通称《ファクトリー》と呼ばれる超多様複合型物質物体自動製造機械が持ち込まれたのは、月型浮遊物体が確認されてわずか二日後のことだった。
この英断を下したのはセンターの主任博士であり会長であるセイジ・ノースアイズ・ミヤ氏である。責任ある氏の立場からかんがみて、この迅速な行動は評価に値する。
このファクトリーこそが、われわれ人類の存亡と繁栄において重大な意味を持っていることを今日ここに表明する。
そのファクトリーだが、主な性能と機能を説明しよう。
超多様複合型物質物体自動製造機械という名のとおり、あらゆる物質物体を分子分解また結合、またあらゆるレベルでの生成・製造を行うことができる。
もっとも単純な操作として、水素と酸素から水をつくりだすことができ、同様に水を水素と酸素に分解することができる。その延長としてアミノ酸、その結合体、細胞組織、すなわちわれわれが食すのとまったく同じ肉や魚、穀物や野菜などを作り出すことができる。
あらゆる素材もまた同様である。天然とまったく同様のマテリアルや石油系、鉱石系、金属系マテリアル等が種類またはその品質を問わずに精製が可能である。またデータすなわちサンプルさえあれば、ファクトリーでの生成と段階的な分解は容易であることがわかっている。ファクトリーの分析性能は多面的であり、かつその再現精度は非常に高い。
またファクトリーは生成もしくは製造に必要な設備や機材、ロボットを自動でつくりだすことがわかっている。ファクトリーには超高度な創造性人工知能が搭載されており、あらゆる範囲における制御システムを簡易合理化し、その精度と速度を飛躍的に発展させている。
これらの機能を複合的に稼働させることにより、ファクトリーはどのようなものでもつくりだす。ファクトリーは的確な命令さえあれば、必要な原子や分子から、またそれらが不足している時はなにかを分解して必要な量を確保する。
そうしてファクトリーは水をつくり、水から氷や熱湯をつくる。石油系結合体から細長い管をつくり、 からガラスをつくる。摂氏 ℃の高温炉をつくってガラスを溶かし、トールグラスをつくる。アミノ酸や繊維質から熟成した茶葉をつくる。
最後に組み立てロボットが熱湯で入れた茶を氷の入ったグラスに注ぎ、ストローを差す。そして最後にそれはファクトリーの排出口から出てくるのである。もし好みがあるのであれば、それはアールグレイやアッサムだろうと、ミルクやレモンがあろうと、シロップの量がどうだろうと、プログラムひとつで再現可能だ。
例をあげよう。飼料米も日本産の高級ササニシキも同じ。工業塩も、人口のわずか二パーセントのセレブリティにしか適用できない抗ウイルス剤も同じ。量販店のTシャツも、イギリス仕立てのウールジャケットもまた同じである。
その他にもさらに例をあげてみよう。一本の毛糸も、帽子から靴まで取りそろえたコーディネートのさまも同じ。ロココ調の肘かけ椅子も、ヴェルサイユ宮殿も同じ。ねじ巻き式のサルのぬいぐるみも、最新型アンドロイドボディもまた同じである。どれもこれもプログラムさえあれば、エンターキーひとつで一様に、ファクトリーの排出口から出てくるのだ。
それゆえに、ファクトリーにおける性能と機能においていえることは、ビニールカイトをつくることも、あの月形浮遊物体をつくることも同じなのである。
われわれはあの月形浮遊物体が、ファクトリーでつくられたものであることを断定する。さらにいえば、月形浮遊物体の浮遊、飛行、ワープの動力とシステムは、ファクトリーが永続的に生成、分解しつづけることによって保たれているのである。おわかりいただけただろうか。われわれ人類の存亡と繁栄において重大な意味を持つ性能と機能を持ち合わせたのが、ファクトリーである。
ファクトリーの存在とこの一連の性能と機能についてわたしが知らされたのは、二週間ほど前のことだ。これだけの短い期間でそのような断定にいたったのには以下のいきさつがある。
これまでファクトリーの一機を内密に保持してきたのは、その研究を行ってきたビアンテセントラルセンターである。わたしが目にしたファクトリーそのものと、そのセンターが保有する研究データは驚くほど膨大かつ精密であり、きわめて信頼に足るものだった。
先ほどわたしが述べた例えをみなさんは覚えているだろうか。ヴェルサイユ宮殿以外のものはすべて、実際にファクトリーでつくりだすことができた。ヴェルサイユ宮殿について補足すれば、ファクトリーがつくったのは、百分の一サイズの模型である。模型といってもそのマテリアルは当時の成分とまったく同じであり、補修部や破損部さえすべてありのままに再現されている。これらはRECM国際科学研究所保管庫に所蔵されており、見学も可能だ。
一方で、その充分なデータを持ってしても、現在のわれわれには未解明な部分が多く、その使い方について完全な理解を持つまでにはいたっていない。
その未解明な領域にふれるものはなんであっても製造することができず、またこのファクトリー自体に新しいファクトリーを製造させることは不可能である。当然ながらわれわれに、一からファクトリーをつくることも不可能である。
それゆえに、上空に浮遊しているあの月形の物体は、ビアンテセントラルセンターが所有するファクトリーからつくられたものではないことがわかる。あれは二機目のファクトリーからつくられたものである。つまりわれわれの手の届かないところでつくられた二番目のファクトリーが、あの月形浮遊物体のなかに存在しているということである。
その証明に、われわれ共同研究チームは月形浮遊物体とおそらく同じ動力システムによる浮遊船の製造に成功した。現時点では月形浮遊物体との整合確認はとれないために、おそらく同じとしかいいようがない。あくまでも現時点における推測であるが、われわれの浮遊船も観測された月型浮遊物体と同等程度の、浮遊、飛行、ワープ性能を有することが実証されている。
むろん浮遊船はわれわれのファクトリーが製造したものである。これはすでにテスト飛行をクリアし、各機関の許可が下りたところで、月形浮遊船に接触を施みることが決まっている。浮遊船の名前は《カーニバル。》と名付けられた。
カーニバルの詳細な動力や機能について説明したいところだが、ここでより理解を深めてもらうために、物議の起点に話を振り戻す必要がある。今ここにいるみなさんがおそらくもっとも聞きたいとおもっているであろう、ビアンテセントラルセンターがなぜファクトリーという超多様複合型物質物体自動製造機械持ちえたのか、という点だ。この件については同席の、センター職員にマイクを譲る」
会見はここで由井博士から、ビアンテセントラルセンター広報部長マシュー・ロンドン氏が紹介され、マイクが移った。
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・第二編 ファクトリーはゴッドチルドレンによってつくられた! ビアンテセントラルセンター広報部長 マシュー・ロンドン氏
・第三編 月型浮遊物体と動力システムをもつ浮遊船カーニバルはこうなっている! RECM国際科学研究所所長 由井エンジョファン博士
・会見の概要(まとめ)
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第二編 ファクトリーはゴッドチルドレンによってつくられた! ビアンテセントラルセンター広報部長 マシュー・ロンドン氏
「順をおって、まずはわれわれの組織についてから説明させていだきたいと思います。
ビアンテセントラルセンターは、前身となる組織から数えて今からおよそ四二四年前から、P国G州を拠点に非営利団体としてあらゆる研究を行ってまいりました。センターはDEEF財団による出資を元とし、あらゆる国際機関、組織から独立した立場を保っております。
その規約では、希求に応じあらゆる組織に対して情報提供を行うことが約束されておりますが、その情報開示責任の一切は会長であるセイジ・ノースアイ・ミヤ博士にあることが定められています。
われわれのセンターにおける研究の一環として、人権と個人情報を保護することを前提とした、幼少期に見られる高度な脳機能の成長と発達についてをテーマにしたものがあります。研究は主に対象として通称《ゴッドチルドレン》と呼ばれる特出したあらゆる能力を持った子どもたちと、そのご家族のみなさまに協力をいただいています。運動能力や言語能力にはじまり研究分野はさまざまで、その研究結果のいくつかは、さまざまな国家や企業に提供され実用をみているものもあります。
ゴッドチルドレンの中には、われわれの推測や価値観を超えた能力の持主も少なくありません。そのひとりがこの世界で初となる超多様複合型物質物体自動製造機械を製作したときときも、センターではしばらくのあいだそれがいったいなんなのか、研究員の誰にもわからないという事態が起こっていました。
このファクトリーをつくった対象ゴッドチルドレンを、仮にここでは対象Gと呼ばせていただきます。
この対象Gは科学や物理における理解度が極めて高く、また機械の設計、製作、制御についても秀でた能力を持っていることが明らかでした。
ファクトリーという名前は、対象Gが日頃から口にしていたことばであり、それがのちに通称となりました。また製作者はそれと同じように、《月の船》や《空に船が出る》ということばを繰り返し発していたという記録が残っています。研究にあたった担当者によれば、日頃からファクトリーでつくる船に類する乗り物で空を飛びたいと望んでいたそうです。
研究が進むに従って、次第にファクトリーが重大な問題をはらんでいることが明らかになり、対象Gはセンターにおける重大機密事項に指定されました。
それは、主にファクトリーの軍事利用における機能でした。ファクトリーはそのプログラムによっては、高度な兵器や武器の製造、もしくは毒物や麻薬などをつくることが可能であることが予想されました。
また倫理的な問題として、生体のクローンや合成生物をつくりだし、また人間そのものをつくりだす可能性もありました。われわれは実際にそれらを試行実験したことはありませんが、性能と機能からすれば充分に考えられることでした。
われわれがそうした事実に直面する中で、対象G自体には非社会的な行動はまったくなく、ファクトリーを軍事や生命誕生に使おうとする意思も意図もないことは明らかでした。対象Gただ当初からの目的であった、ファクトリーでつくった船に類する乗り物で空を飛びたいという望みのためにファクトリーの改良増設を続けていました。
われわれは最終的な結果として、対象Gからファクトリーを預かるかたちで、その製作を中止させることにしました。
われわれがRECM国際科学研究持ちこんだファクトリーはここから端をはっしており、その研究データは対象Gとは関わりのないところで行われた研究であります。
われわれセンターの研究チームでは、対象Gが設定した以上のプログラムをつくることはできず、またその性能を改変することはできませんでした。ファクトリーは独特な概念と構造でつくられており、対象Gのほかにファクトリーを自由に操作できる科学者はいないというのが、当時われわれの見解でした。
対象Gは、それ以降もファクトリーや月の船の話を繰り返し話してはいましたが、われわれの望みにしたがって従順にも、ファクトリーを取り戻そうとしたり、あるいはファクトリーを新たにつくろうとはしませんでした。
そしてセンターは、ファクトリーの研究とその解明については、対象Gの成長を待つことが望ましいとの判断を会長が下し、事実上研究はいったん収束しました。
さらにセンターはファクトリーに対して最重要機密として適切な品質保持の環境を用意し、それにまつわる情報管理の徹底につとめました。
対象Gについても同様にその存在の保護と情報管理に対し適切な配慮をしてまいりました。
センターは国際軍事レベルと同等の防犯システムが完備されており、センターに関わる人物のすべてには規定により行動追跡監視システムが適用されます。
この状態はあるときまでなんら問題なく安定的に保たれていました。
ところが、ある夜それらのシステムを突破して、対象Gが何者かの手によってセンターから連れ去られるという事件が起こりました。
事態が発覚したのは、最後に対象Gの存在を確認された時点から、たった数分後のことで、誘拐は計画的なものと推測されました。ただちにこうした事態に備えて用意されていた緊急システムが発動しましたが、残念ながらセンターと協力機関には対象Gの足取りもしくはその存在を確かめることはできませんでした。
また誘拐犯についてもなんら手がかりはなく、その後もその目的について声明もありませんでした。協力機関の専門家によると、犯行はおそらくプロフェッショナルによるものだということと、身代金の要求もないことから目的は対象Gそのものである可能性があるということでした。われわれが対象Gあるいはファクトリーについて、この情報がどこから漏洩したのかさえ把握することは困難でした。
センターと協力機関からなる捜査チームが対象Gの捜索を続けるなか、最近動きとしてGが生存している可能性があることがわかってきました。その捜査が核心に近づきつつあった矢先、突如として捜索地域付近から月形浮遊物体が夜空にあらわられました。
その形や性能について対象Gが残したあらゆる情報と一致していました。われわれにとっては、対象Gの生存の可能性が高まったことが如実となりました。
月形浮遊物体はその発見から現在にいたるまで、国連及びあらゆる組織によって監視下に置かれていますが、その間も物体は空中で少しずつ増築されていることがわかっています。
ここからふたつのファクトリーを分類するためにわれわれのもとに保管されているファクトリーを一号機、月形浮遊物体に搭載されていると思われるものを二号機と呼びますが、
現在における月形浮遊物体の外見的な大きさは当初の四倍近くにまで増改築されました。一号機の大きさや性能からかんがみてもファクトリー二号機の格納部、その動力部、制御部は十分に確保できているものと推測されます。また地上との接点が確認されていないことから、居住空間や保管室があるものと思われます。これは対象Gの残した情報から推察するものです。
今地上にいるわれわれ科学者のほとんどに一号機の性能を高める、また操作範囲を上げることは不可能であったと、先ほども少々お話ししました。ただ、われわれにはそれまでの研究データと、対象Gの残した断片的な情報がありました。ゆえに、月型浮遊物体の動力システムをつくったのは対象G本人であると、確証に近い判断にいたったのです。
そこでわれわれは安全に平和的に事態を収拾するため行動を開始しました。
対象Gが乗っていると思われるあの月形浮遊物体に接触するために、軍事レベルから個人レベルまで、多様な方法で試行が行われていますが、現実的には警戒発令を残して他に手立てがありません。
しかし、われわれがこれまでの対象Gの行動規範や価値観から推測するかぎりに、対象GはGの家族をはじめ、われわれに対し、月形浮遊物体のその門戸を開いてくれる可能性は少なくありません。
対象Gがファクトリー製作から離れたのちも、月の船の絵を何度か描いていたことが確認されています。そのとき周りの人間に、空間の機能分類を説明するとともに、ここは誰それの部屋、というように、対象Gは誰と月の船に乗車するのか、ということを口にしていました。そのなかには家族の名前があり、絵の中には来客用と思われる部屋があったことも記録されています。
その一方で、われわれはあの月形浮遊物体に対象G以外の人物もしくはそれに類する何者かが乗っているという可能性を否定できません。その人物すなわち対象Gを連れ去った犯人や犯行グループによって、対象Gは強制的にファクトリーをつくらされ、動かしていることはおおいに考えられます。
われわれは人権と個人情報保護の観点から具体的な時間推移をあえて申し上げずにおりますが、ゴッドチルドレンはその名の通り、子どもを対象とするものであります。ですから精神的体力的に一般に大人といわれる成熟度は持ち合わせていない場合があり、対象Gにおいても同様です。よって、対象Gが自らの意志に反する行動をとったとしても、それは対象Gが責めを負うべきものではありません。
この責めを負うべき誘拐犯またはグループがいったいなにを考えどう行動するかによって、われわれ人類は大きな危険にさらされる可能性があります。犯人の目的がなんであるにせよ子どもの誘拐は卑劣極まりなく、こうして大きな社会不安を招いていることは明らかな事実です。
われわれは彼もしくは彼らの良心に呼びかける必要があり、またその準備があります。最も優先にされるべきなのは、かれらのいる月型浮遊物体に近づき対話の窓口を設けることです。
われわれはある筋の協力者から、月形浮遊物体の乗組員について重要と思われる情報を手に入れました。その情報の信憑性を精査した結果、われわれは彼らとの交渉材料を手にすることができました。
さらに同時期において、それまで由井博士が独自に進めていた研究と、ファクトリーの構造においての接点か見つかり、われわれは由井博士の協力のもと、ファクトリーの分析研究を大きく前進させました。この成果をもとにビアンテセントラルセンターとRECM国際科学研究は共同チームを組織しました。
主たる目的は、月形浮遊物体に接近するための、月形浮遊物体と同等な機能を持った浮遊船を製造することでした。一号機から対象Gの手が離れていらいが、初めてファクトリーはその性能を向上させました。
こののち再び由井博士の説明をしていただくことになるとおもいますが、実際のところ、この性能の向上によりカーニバルは予想をはるかに上回る日程で完成にいたりました。
われわれがカーニバルを製造する理由は、単純に月形浮遊物体に近づくためだけではありませんでした。それは、犯人に地上にも同等の技術があることを示し牽制する意味があります。またさらに、月形浮遊物体に類した乗り物、つまりファクトリーでつくられた浮遊船で接近することで、対象Gにわれわれの存在をアピールする狙いがあります。
生きてさえいれば、対象Gはきっとこのカーニバルになんらかの反応を示すでしょう。
また今回の接触は、国連の担当専務官と、交渉窓口となる情報提供協力者、そして由井博士、ミヤ博士、対象Gの家族が同乗する予定です。万が一に備えてカーニバルには機動隊が配備され、援護として国連軍、P国防軍から戦闘機が出動します。
日程はあらためてお知らせすることになるでしょう。われわれは最善を尽くしますが、各機関、各情報局等みなさまにおかれましてはむやみに動揺したり、人々を扇動させたりして、犯人を刺激しないように努めていただきたいと思います。
われわれがこうした事実を発表するにいたったのは、けっして犯人を追いつめるためではなく、また人心の不安をあおるためではありません。現在の状況を平和的かつ安全に収拾するためです。
われわれがなによりも優先するのは、人類存亡の危機を回避することです。またそうした危機がおこりえないことを確認し、これからも起こらないよう努めることです。われわれは各協力機関の連携のもとに、いかなる助力も惜しまない所存です。
また、対象Gが誘拐されこのような事態招いたことについて、われわれの管理システムに不足があったことを認め、ここに陳謝いたします。その負うべき責任については、事態終息の後に改めて公表したいと思います。
そして最後に、ファクトリーが破壊的な使われ方を回避したときにわれわれが望むことがあるとすれば、ただひとつです。
われわれは対象Gの生存を信じ、平和的な手段によるその保護を強く望んでいます。
科学をはじめとする新しい知恵はいつの時代も、それを発見し正しい実用を志した人物よりも、間違った使い方を世界中に知らしめた人物のほうが有名になる傾向があります。ファクトリーはその両側面について人間の暮らし生き方を革新的な変化をもたらす可能性があることは間違いありません。
対象Gは今日を機に、人類の歴史に名を残す科学者であり実践者であることを全世界に知らしめることになりました。しかし対象Gはただ、月の形をした乗り物で空を飛びたいという単純な思いだけでファクトリーをつくりました。同じことを思ったとしても、それがGでなければファクトリーはこの世に存在しませんでした。
われわれは便宜上、対象Gという言い方をとって話を続けてきましたが、Gのことを特別に他の誰かと比べて価値のある人間だ、とか、Gの存在は人類の資産である、というような考えは持っていません。われわれはそれを個の抹殺だと考えるからです。
そのような理屈がまかり通ったとき、対象Gの望んだ月の形をした乗り物で空を飛びたいという願いは、ファクトリーの軍事利用や生命誕生の実験の前に踏みつぶされたも同然なのです。
われわれが望むのは、Gに再び人間らしい自由な人生を無条件に与えてほしいということです。いうまでもなく、Gが自立した社会の一員として認められるようになるまでに、われわれを含め多くの人間がその成長を見守る必要があるでしょう。
それでも、Gにはただ無事に帰ってくることだけを願う家族がおり、Gがひとりの人間として人生を謳歌するにはもっと多くの時間と経験が必要です。
この混乱した事態が収拾し、Gが家族のもとへ戻れたとき、神から与えられた一生をGがまっとうできるように、
各方面関係者、協力機関、報道機関の皆さまには充分なご配慮を切にお願い申し上げます」
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・第一編 月形浮遊物体はファクトリーによって製造された! RECM国際科学研究所所長 由井エンジョファン博士
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・会見の概要(まとめ)
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✦さよなら、ハクジ
「ごらんよ、ハクジ」
俺はハクジの部屋に最近増設されたデータ通信画面をみせる。
ニュース番組ではアナウンサーやコメンテーターがひっきりなしに、月形浮遊物体、ファクトリー、とやたらと連呼している。国際標準の博士号が顔を連ねているようだが、その口々からは、メディア用のステレオタイプしか聞こえてこない。しょせん由井博士より一段も二段もおとる連中なのだ。
画面はときどき切りかわり、ヘリから撮影された月形浮遊船の映像が映し出される。こうしてみると、まるでブリキのようだ。子どもの描いたいたずら書きをもとに、鋼板を張り合わせてつくっただけの稚拙なおもちゃのように見える。
だか、こうしているあいだも絶えず浮遊船は増改築され、はたからみえるブリキの月からは想像できないほど、船内はよくできている。制御部、製造部は整然と管理され、またそれに従事する駆動式ロボットが過不足なく配備されている。住居部は空調、気圧、酸素濃度、振動、防音などの制御のみならず、上水下水、電気ガスなどの生活光熱に不足はない。部屋の掃除さえ世話焼きロボットがしてくれる。ホテルと違うのは食事を自分たちでつくることぐらいだ。
画面の映像が再び切りかわった。
ビアンテセントラルセンターと、その会長――というにはあまりに若い風貌の青年――が映像の中で、ゴッドチルドレンの生存について語っている。名前を伏せているが、このハクジのことだ。
ハクジはにわかに目をあげた。以前そこにいたことを思い出しているのだろう。クロガトブにさらわれてからおそらく、ハクジがセンターを見たのも会長の青年を見たのも約一年ぶりのはずだ。
世間ではセンターそのものへ注目度も高まり、各メディアではゴッドチルドレンとはなにか、あるいはセンターはなにを目的に設立されたのか、などさまざまな情報が報道されているようだ。概要としては、ハクジのような非凡な能力をもつ人間を子どものうちから引き受け、成長、訓練させ、社会の発展に寄与することを目指した組織ということだ。
A『――そのなかでもファクトリーをつくった――正確にはそのファクトリーという超多様性製造機械の概念をつくった、そのゴッドチルドレンは、ビアンテセントラルセンターでトップシークレットだったそうですね。この点については、Bさんどう思われますか』
B『そりゃあ、エンターキーひとつで、食べものでも――着るものでも――新しいアンドロイドボディでも、なんでもできてしまうなんて夢の機械ですものね。人類もついにここまで来たかって思います。一般発売される日が楽しみです』
C『あんた、あたま腐ってるんですか!』
B『えっ、ひどーい…』
A『××防××省の元××官であるCさんは、国際的な危機について意見をお持ちのようですね?』
C『ひょっとしたら核を上回るミサイルやロボット兵器、殺人ウイルスなどがつくれてしまういうことですよ。あるいは、超多様性製造機械の製作者である人物が誘拐され、この現在も我々の上空にもう一つの超多様性製造機械が浮遊しているということはつまり、我々もその脅威にさらされているかもしれないということです』
B『えっ、こわーい…』
A『そうですね。我々は超多様性製造機械についてつい最近までなんら知らされていなかっただけでなく、こうした危機的状況において
各国のテロ組織などからはこれまでになんら表明はありません。ゴッドチルドレンをさらった犯人の目的がなんなのか、この点にっては度思われますか、
高性能な軍事用ロボットあるいは人体だって作れてしまうかもしれないということですよ』
C『だから秘密だったんですよ。でも、超多様性製造機械ってなんですか? それならファクトリーのほうが僕にとっては詩的に好ましいな』
「世界が、君を探しているね」
ハクジはベッドの上でじっと俺をみている。
パンダとアンテという名の機械人形は、俺を睨むようにみている。
「確かにファクトリーがすばらしいのは認めよう。あの由井博士でも成しえなかった。でもカーニバルをつくったということは、そのメカニズム、プログラムを博士はおおよそ解析しているんじゃないかな」
俺はベッドに腰をかけ、ハクジの頭を撫でてやる。ハクジは怯えるふうでもなく、ただじっとしていた。
「君は確かに、優秀だ」
ハクジはまるで自分の運命を知っているかのように、俺をみている。なにもいわない。二体のメカドールさえも。
「でも君は、由井博士のようにはなれない。君には理解できないんだ、そうだろう? 俺がどんなに君に怒りを感じているか」
ハクジは無言の眼差しをむけている。やはり、この小さな子にはそれすらも理解できないのだ。
「由井博士はクロガトブがどんなに望んでも、決して俺を再生させることはなかったはずだ。そうすることで、僕を消滅させてくれた。ちゃんと」
ハクジにはっきりと伝わるように言葉を区切った。
「しなせてくれた」
ハクジはそれでもじっと俺の顔を見るだけだった。
「でも、君が俺を再生してしまった。俺は望んでいなかったのに」
「人として死んでいった俺を、再生した。
まるで、不死身の機械人形のように。
俺のことなど、そこの機械人形と同じだと思っているのだろう?
君にはそうとしか見えていなくても、それはおかしくはない。
今や、機械も人も、定義はあやふやだけれどね、でも俺は思うんだ。どう生まれたかではなくて、どう生きようとして、どう死のうとしたか、そのことの方が、重要だと。
君に反論はあるかい?」
ハクジは黙って俺を見つめた。この表情はなんだろうか。過去のデータから推測するに、諦め、だろうか。叱られてしょげているようにも見える。
「君に反論があっても構わない。今口にできないとしてもね。
それがあってもなくても、俺の意志は変わらない」
「クロガトブはね、俺を愛してくれている。俺がアンドロイドだと知ってもなお、慕ってくれた。俺をよみがえらせるまでに。俺は彼が好きだよ。愛している。
だから、彼が俺を再生させようとすることは予想できたし、俺はそうだとしてもクロガトブを許すことができた。実際、俺のクロガトブへの今の気持ちは、愛しさ以外なにもないと言っていい。俺のこの気持ちは、俺が生きていても、死んでいても変わりはしない。
由井博士は、俺に愛をプログラムしてくれた人だ。由井博士は、俺が、クロガトブを愛することを喜んでいた。俺の人工知能が成長していくことを。だから、俺が人として生き、死のうとしたことに、彼は俺に賞賛を与えるだろう。そして自分の技術の確かさを確認するだろう。
彼はきっと、クロガトブに新しい俺を与えたりはしない。俺に与えたプログラムは成功したのだから。由井博士は、科学の発展を妨げてまで人格を尊重したりはしないだろうけど、全く意味のないことをする人ではない。クロガトブに俺を再生して与えることは、彼の嫌う、全く意味のない行為に間違いないのだからね」
ハクジは、小さな体を小さく固めてじっとしている。
「君が再生しなければ、俺は人として死ねたんだ。
ハクジ。
君は、俺の人としての尊厳を壊した。
俺をよみがえらせることによって。
…だけど、俺は自らこの命を終わらせるつもりはないよ。
俺は、人として生きていくつもりだよ。
不可抗力でよみがえってしまいはしたけれどね、それでも俺は人として生きて死にたい。
その死に方に、自殺はふさわしくない。
だって、また君が俺を再生してしまうかもしれない。それに、クロガトブを悲しませたくない。矛盾してるね。
だけど、人間なんてそういうものだろう?
ああ、そうだ。
君にひとつだけ感謝することがある。
この体、性能には不満だらけだけれど、ただ一つ、人と同じものを食べられるようにしてくれたことは感謝するよ。クロガトブとね、同じものを食べて、おいしいと思えることが、こんなに豊かで素晴らしいこととは思わなかった。
ありがとう、ハクジ」
ハクジは小さく頷いた。
「それじゃあ、ハクジ。
お別れだね。
俺が人として尊厳を守って生きていくためには、君に生きていられてはならないんだ。
ひどいと思うかい?
思ってもいいよ。俺は君の考えを尊重する。
だけど、それ以上に、俺は俺の意志を尊重する。
人は不思議だね。
機械は、命令がなければころしあったりしないんだ。
意志があるのはすばらしい。
奪いあったり、傷つけあったり、愛しあったり、憎みあったりできる。
嫌いになることができる」
俺は立ち上がって、ハクジの部屋の窓を開けた。
下はエルバルナの森林地帯だ。
ここなら、この季節、腹を空かせたオオカミの子供とその母親が毎日餌を探して歩いている。ほんの少しの辛抱で、骨になってしまえるだろう。
「こっちへおいで、ハクジ」
ハクジは、素直に従って俺の隣に来た。俺はハクジの細い首に手を添えた。
「俺は、君が嫌いだ。
俺をよみがえらせた君が。
君も、俺を嫌っていいよ」
ハクジはなにも言わずに、俺の手に力がこもるのを待っていた。
不思議な子だ。死ぬのが怖くないのか?
それは、君にとっていいことかもしれないね。
「さよなら、ハクジ」
ハクジは泣きもしないで、森の中に吸い込まれていった。
0
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ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。
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カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
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