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-2nd stage- NHKドラマ「ひとりでしにたい」ご覧になりましたか?
時流によって変わりすぎる女性たちの境遇とその生き方-4 人から人へ連鎖する、母という病、父という病
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時代時流によって女性の生き方は、大きく左右されてしまうようです。それはドラマ「ひとりでしにたい」でもそうですし、ドラマ以前も個人的に年上の先輩方をみて、あるいは自分自身の体験を通して、肌で感じてきました。今回は「フェミニズム」の観点も合わせて、すこし掘り下げて今の自分の考えを残しておこうと思います。
1、日本の家族の約80%が機能不全家族
2、女という病
3、男という病
4、人から人へ連鎖する、母という病、父という病
5、生まれつき生命力には絶対的な個体差がある
6、女の生き方は時流・メディアによって左右され過ぎる
7、ロールモデル・メンターの意義の有無について
8、自分と向き合うことこそが答え
読んだ方それぞれがいろいろな意見や感想をお持ちになると思いますが、すべてうのみになさらずに、リソースとなる本やサイトをご自身でお確かめください。同じリソースから全く別の視点や観点をえることもあるに違いありません。確認されたい方は、ぜひ原書をご覧になってみてください。きっとたくさんのヒントが得られると思います。最後に、全ての作品をまとめてありますのでご参考ください。
4、人から人へ連鎖する、母という病、父という病
女という病、男という病ときて、面白いことに「母という病」「父という病」さらには「夫婦という病―夫を愛せない妻たち」という本まであります。精神科医で医学博士の岡田尊司さんの本で、順番に2012年、2014年、2016年に発行されています。記憶では母という病を読んだ気がするのですが、専門用語(回避性パーソナリティ障害 や、愛着障害といった)が多くてあまり覚えていません。「父という病」にいたっては読んですらいません。あるいは逆だったかもしれません。当時は気持ち的に受け入れられなかったか、負の連鎖と言う意味では父も母も一緒なので、わかっちゃったような気になったのかもしれません。
ここまでくるとももはや、家族みんながなんらかの精神病という可能性もあながちありえない話ではなく、8割の家庭がおかしいということがリアルに感じられてきませんか? 尊敬する二宮尊徳(二宮金次郎)は「キュウリを植えればキュウリと別のものが収穫できると思うな。人は自分の植えたものを収穫するのである。」と言っています。このことを世代間連鎖といい、親から冷遇を受けて育った子が親になったとしても、自分の子をうまく愛せない。自分が受けたのと同じようなことをして育ててしまう。音楽好きの親から歌手が生まれるといったいい連鎖もありますが、負も連鎖します。
読書記録とユーザー同士で交流ができる読書メーターというサイトで、こんなレビューを「母という病」の中に見つけました。
ー引用(ここから)ー
(レビュアー)れに
言うなれば毒親(母)の心理と行動パターン、それによっておこる子どもの将来や人生に長きにわたって影響する毒について描かれた本。まずビックリしたのがこの本に出てくる毒親と自分の母親がまるっきり同じで行動や言動もそっくりそのままだったこと。そしてそういう親の元で育った子どもの成長過程で引き起こす問題事や悩みなんかはまさに恐ろしくなるほど自分に当てはまっていた。毒親も過去毒親に育てられていた率が高くそうなんだろうとは思うけどだからって自分には関係ない。そして毒親ってのはほぼ連鎖するから自分は子どもは絶対産まない。
ー引用(ここまで)ー
最後の一文に共感してしまいます。私は若い頃なんとなく大人になったら普通に結婚して子どもを産むんだろうなと漠然と思っていました。ところが、適齢期になって周りの同世代が結婚出産していく中で、努力しても結婚に踏み切れない自分がいて、なにかが心の中でストッパーになっているような気がしていました。それがなんなのかよくわからないままミドルエイジを迎え、今改めて思うのは、私と言う遺伝子を残すことにはもともと興味がなく、また自分が我が子がいたとしてもこの不透明な未来をサバイヴできるだけの投資や教育をしてあげるには、かなりの経済力が必要だが自分にはない。相手の経済力を期待するも、婚活市場で年々市場価値は下がっていく。さらにはお金があったとしても、自分が受けた家庭環境や教育環境において培ったもののすべてを否定するつもりはないけど、それでも積極的に我が子に残したい、自信を持って負の遺産なく子育てできるとも思えない。もはや親に孫の顔を見せてあげたいなんて一片も思いません。私は自分の子を被害者にしたくないし、自分も加害者になりたくないと思っています。それが心の何処かでブレーキをかけていたのかもしれません。
一方、「父という病」ではこんなレビューを見つけました。
ー引用(ここから)ー
(レビュアー)青蓮
ノラさんからのお勧め。以前同著者の「母という病」を読んで「父親はどうした?」と思ったらこちらの本が出ていました。時代と共に家父長制が解体され父親の存在が希薄になっていくに従って母子が際限なく緊密になり、その癒着が子の親離れ、自立を阻害しているという。失われた父親、理想の父親像を求める子は人間関係に躓いたり、下手をすると精神的にかなり不安定になってしまう。子供の健全な発達にはそれが例え代理的なものであっても父なるもの、母なるものが不可欠だ。憎しみながらも愛したいという子からの親のへの希求は切ない程だ。
ー引用(ここまで)ー
どうやら本の内容としては、家庭の中における父親の機能性と精神性、それすなわち家父長制ということのようです。これが薄れた家庭では母子の愛着が強くなり子どもの健全な自立が妨げられる、ということのようですね。確かに「男という病」の通りです。でも先ほど紹介したフェミニズムにおいて家父長制は女を縛り付けるシステムなのでは?と思いますよね。それに対しては、こんなレビューを見つけました。
ー引用(ここから)ー
(レビュアー)ハット
時代の変遷によって父親像、家庭内での立場などが変わって、存在が希薄になってしまったという。 なるほどと納得できる部分もあったが、エディプス・コンプレックスに関する記述など、疑問に思う部分もあった。 家父長制に支えられた父親像とは違う新たな父親像を提示してくれると興味を惹かれたんだけれど… 父親と上手く関係を作れなかった子どもは三者関係に弱く、人間関係に悩む、というのは心当たりがあった。
(レビュアー)てぷてぷ
父親も母親もいるに越したことはないような気もするし。でも、いなくても何とかなるっていう社会をつくっていけたらいいのになー。
ー引用(ここまで)ー
もはや時代は本が出版された年から大幅に過ぎ去っています。「家父長制と資本制 マルクス主義フェミニズムの地平」は今から35年前、「母という病」は13年「父という病」は11年前に書かれたものです。多様化を尊重する現代においては、家父長制なき、むしろ両親がいなくても健全な精神で生きていける社会そのものが求められているのです。
そして、ちょうどこれを書いているときに、ドラマ「ひとりでしにたい(5)」がやっていましたので追加します。親子の性別に限らず、親子間・家庭間の支配関係や歪んだ人間関係が、子の精神や思考、あるいは体に様々な傷をつけるということは、現代ではもはや知られています。那須田がまさに、その負の世代間連鎖の中で育ってきたようです。
こうしてみると、毒しか与えてくれない親ならいらないわ!と、いいかげん子どもの方から言われそうなものですが、話はそう簡単ではありません。人は世話を必要としない野生生物や魚や虫ではありません。養育してくれる誰かがいないとすぐに死んでしまいます。まがりなりにもそういう時期に少しでも世話をしてくれた相手に、人間の子どもは自動的に愛着を抱いてしまうのです。その相手が気まぐれで、すぐに手を離してしまったとしても、子どもは与えられない愛をひたすら求め続けてしまうのです。人類は時間をかけて哺乳類・社会性動物としてこういうふうに形成されてきたので、数世代の人類が「親を必要としない社会を!」「新しい家庭モデルを!」と叫んだとしてもすぐに変るわけではありません。
それでも、変化はじわじわと続いていきます。今を生きている私たちは絶え間なく、変化し続ける人類の歴史のまさにその中にいるのです。昨今はAIやロボット、クローンなどの台頭してきていますから、いつかは本当に親・子という概念がなくなる日が来るかもしれません。それまで間には過去の文明を見直すルネッサンスや、繰り返すファッションブームのように、「家父長制に戻せ!」「夫婦別姓を許すなどなどありえん!」というブームが来る可能性もあるでしょう。例えば、戦争などが起こった場合は、その可能性が極めて高くなると予想しています。
もはや戦争ということまでを考えるとなると命最優先になり、ウーマンリブから始まってここまで各方面の高名な先生方が築いてきたフェミニズムの流れはなかったものにされてしまうでしょう。こじらせ女子やら毒親などとはいってられません。誰かものを盗んで、体を売って、殺される前に殺して、自分が生き延びなければ…そういう非人間的・非文明的な時代に巻き戻ってしまうかもしれません。それは人間の退化そのものであり、本当に悲しいことだと思います。
すこし話がそれましたが、決して大げさではなく、女という病、男という病、母という病、父という病、これら家庭の問題と言うのは実は、地続きで人類社会学や歴史学や生物学に繋がっているものなのです。だからというわけではありませんが、生きづらさの関する悩みや苦しみは、根本を断絶すること「根絶治療」は非常に困難で、その日その都度行う「対処療法」しかありません。その最たるものが「毒親とは断絶し、精神的(場合によって物理的、経済的なども含む)に親と自分を分離する」というものになるのだろうと思います。つまり、負の連鎖を自分のところで断ち切る、ということです。少なくとも今の私はそう理解しています。
次は、「生まれつき生命力には絶対的な個体差がある」について。
1、日本の家族の約80%が機能不全家族
2、女という病
3、男という病
4、人から人へ連鎖する、母という病、父という病
5、生まれつき生命力には絶対的な個体差がある
6、女の生き方は時流・メディアによって左右され過ぎる
7、ロールモデル・メンターの意義の有無について
8、自分と向き合うことこそが答え
読んだ方それぞれがいろいろな意見や感想をお持ちになると思いますが、すべてうのみになさらずに、リソースとなる本やサイトをご自身でお確かめください。同じリソースから全く別の視点や観点をえることもあるに違いありません。確認されたい方は、ぜひ原書をご覧になってみてください。きっとたくさんのヒントが得られると思います。最後に、全ての作品をまとめてありますのでご参考ください。
4、人から人へ連鎖する、母という病、父という病
女という病、男という病ときて、面白いことに「母という病」「父という病」さらには「夫婦という病―夫を愛せない妻たち」という本まであります。精神科医で医学博士の岡田尊司さんの本で、順番に2012年、2014年、2016年に発行されています。記憶では母という病を読んだ気がするのですが、専門用語(回避性パーソナリティ障害 や、愛着障害といった)が多くてあまり覚えていません。「父という病」にいたっては読んですらいません。あるいは逆だったかもしれません。当時は気持ち的に受け入れられなかったか、負の連鎖と言う意味では父も母も一緒なので、わかっちゃったような気になったのかもしれません。
ここまでくるとももはや、家族みんながなんらかの精神病という可能性もあながちありえない話ではなく、8割の家庭がおかしいということがリアルに感じられてきませんか? 尊敬する二宮尊徳(二宮金次郎)は「キュウリを植えればキュウリと別のものが収穫できると思うな。人は自分の植えたものを収穫するのである。」と言っています。このことを世代間連鎖といい、親から冷遇を受けて育った子が親になったとしても、自分の子をうまく愛せない。自分が受けたのと同じようなことをして育ててしまう。音楽好きの親から歌手が生まれるといったいい連鎖もありますが、負も連鎖します。
読書記録とユーザー同士で交流ができる読書メーターというサイトで、こんなレビューを「母という病」の中に見つけました。
ー引用(ここから)ー
(レビュアー)れに
言うなれば毒親(母)の心理と行動パターン、それによっておこる子どもの将来や人生に長きにわたって影響する毒について描かれた本。まずビックリしたのがこの本に出てくる毒親と自分の母親がまるっきり同じで行動や言動もそっくりそのままだったこと。そしてそういう親の元で育った子どもの成長過程で引き起こす問題事や悩みなんかはまさに恐ろしくなるほど自分に当てはまっていた。毒親も過去毒親に育てられていた率が高くそうなんだろうとは思うけどだからって自分には関係ない。そして毒親ってのはほぼ連鎖するから自分は子どもは絶対産まない。
ー引用(ここまで)ー
最後の一文に共感してしまいます。私は若い頃なんとなく大人になったら普通に結婚して子どもを産むんだろうなと漠然と思っていました。ところが、適齢期になって周りの同世代が結婚出産していく中で、努力しても結婚に踏み切れない自分がいて、なにかが心の中でストッパーになっているような気がしていました。それがなんなのかよくわからないままミドルエイジを迎え、今改めて思うのは、私と言う遺伝子を残すことにはもともと興味がなく、また自分が我が子がいたとしてもこの不透明な未来をサバイヴできるだけの投資や教育をしてあげるには、かなりの経済力が必要だが自分にはない。相手の経済力を期待するも、婚活市場で年々市場価値は下がっていく。さらにはお金があったとしても、自分が受けた家庭環境や教育環境において培ったもののすべてを否定するつもりはないけど、それでも積極的に我が子に残したい、自信を持って負の遺産なく子育てできるとも思えない。もはや親に孫の顔を見せてあげたいなんて一片も思いません。私は自分の子を被害者にしたくないし、自分も加害者になりたくないと思っています。それが心の何処かでブレーキをかけていたのかもしれません。
一方、「父という病」ではこんなレビューを見つけました。
ー引用(ここから)ー
(レビュアー)青蓮
ノラさんからのお勧め。以前同著者の「母という病」を読んで「父親はどうした?」と思ったらこちらの本が出ていました。時代と共に家父長制が解体され父親の存在が希薄になっていくに従って母子が際限なく緊密になり、その癒着が子の親離れ、自立を阻害しているという。失われた父親、理想の父親像を求める子は人間関係に躓いたり、下手をすると精神的にかなり不安定になってしまう。子供の健全な発達にはそれが例え代理的なものであっても父なるもの、母なるものが不可欠だ。憎しみながらも愛したいという子からの親のへの希求は切ない程だ。
ー引用(ここまで)ー
どうやら本の内容としては、家庭の中における父親の機能性と精神性、それすなわち家父長制ということのようです。これが薄れた家庭では母子の愛着が強くなり子どもの健全な自立が妨げられる、ということのようですね。確かに「男という病」の通りです。でも先ほど紹介したフェミニズムにおいて家父長制は女を縛り付けるシステムなのでは?と思いますよね。それに対しては、こんなレビューを見つけました。
ー引用(ここから)ー
(レビュアー)ハット
時代の変遷によって父親像、家庭内での立場などが変わって、存在が希薄になってしまったという。 なるほどと納得できる部分もあったが、エディプス・コンプレックスに関する記述など、疑問に思う部分もあった。 家父長制に支えられた父親像とは違う新たな父親像を提示してくれると興味を惹かれたんだけれど… 父親と上手く関係を作れなかった子どもは三者関係に弱く、人間関係に悩む、というのは心当たりがあった。
(レビュアー)てぷてぷ
父親も母親もいるに越したことはないような気もするし。でも、いなくても何とかなるっていう社会をつくっていけたらいいのになー。
ー引用(ここまで)ー
もはや時代は本が出版された年から大幅に過ぎ去っています。「家父長制と資本制 マルクス主義フェミニズムの地平」は今から35年前、「母という病」は13年「父という病」は11年前に書かれたものです。多様化を尊重する現代においては、家父長制なき、むしろ両親がいなくても健全な精神で生きていける社会そのものが求められているのです。
そして、ちょうどこれを書いているときに、ドラマ「ひとりでしにたい(5)」がやっていましたので追加します。親子の性別に限らず、親子間・家庭間の支配関係や歪んだ人間関係が、子の精神や思考、あるいは体に様々な傷をつけるということは、現代ではもはや知られています。那須田がまさに、その負の世代間連鎖の中で育ってきたようです。
こうしてみると、毒しか与えてくれない親ならいらないわ!と、いいかげん子どもの方から言われそうなものですが、話はそう簡単ではありません。人は世話を必要としない野生生物や魚や虫ではありません。養育してくれる誰かがいないとすぐに死んでしまいます。まがりなりにもそういう時期に少しでも世話をしてくれた相手に、人間の子どもは自動的に愛着を抱いてしまうのです。その相手が気まぐれで、すぐに手を離してしまったとしても、子どもは与えられない愛をひたすら求め続けてしまうのです。人類は時間をかけて哺乳類・社会性動物としてこういうふうに形成されてきたので、数世代の人類が「親を必要としない社会を!」「新しい家庭モデルを!」と叫んだとしてもすぐに変るわけではありません。
それでも、変化はじわじわと続いていきます。今を生きている私たちは絶え間なく、変化し続ける人類の歴史のまさにその中にいるのです。昨今はAIやロボット、クローンなどの台頭してきていますから、いつかは本当に親・子という概念がなくなる日が来るかもしれません。それまで間には過去の文明を見直すルネッサンスや、繰り返すファッションブームのように、「家父長制に戻せ!」「夫婦別姓を許すなどなどありえん!」というブームが来る可能性もあるでしょう。例えば、戦争などが起こった場合は、その可能性が極めて高くなると予想しています。
もはや戦争ということまでを考えるとなると命最優先になり、ウーマンリブから始まってここまで各方面の高名な先生方が築いてきたフェミニズムの流れはなかったものにされてしまうでしょう。こじらせ女子やら毒親などとはいってられません。誰かものを盗んで、体を売って、殺される前に殺して、自分が生き延びなければ…そういう非人間的・非文明的な時代に巻き戻ってしまうかもしれません。それは人間の退化そのものであり、本当に悲しいことだと思います。
すこし話がそれましたが、決して大げさではなく、女という病、男という病、母という病、父という病、これら家庭の問題と言うのは実は、地続きで人類社会学や歴史学や生物学に繋がっているものなのです。だからというわけではありませんが、生きづらさの関する悩みや苦しみは、根本を断絶すること「根絶治療」は非常に困難で、その日その都度行う「対処療法」しかありません。その最たるものが「毒親とは断絶し、精神的(場合によって物理的、経済的なども含む)に親と自分を分離する」というものになるのだろうと思います。つまり、負の連鎖を自分のところで断ち切る、ということです。少なくとも今の私はそう理解しています。
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