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―― 光芒八年九月九日 終戦
十文字国内で、十文字鷲矢国王の独裁体制下に置かれた民衆の怒りが爆発し内乱が勃発したことにより、十文字国の戦力は縮小。千時丸帝国も領土の大半を占領され、あまりにも多くの軍人・民間人の命が奪われたため、これ以上の戦闘は不可能と判断した、千時丸桂樹 けいじゅ》様が再度、和平交渉を申請。内乱拡大により身の危険に晒される羽目になった十文字鷲矢は、千時丸桂樹 様の和平交渉を受け入れざるを得なかった。二十二回目の申請で漸く実現した和平交渉により、後に『文時戦争』と呼ばれることになる戦争は幕を閉じた。和平交渉成立とはいっても、事実上の敗戦国である千時丸帝国は、十文字国側が提示した条件に従う他選択肢のない不平等な条約であったわけだが、十文字国内で内乱が勃発しなければ、千時丸帝国の全土と国民は完全に十文字国の支配下に置かれていたであろうことを想定すれば、不幸中の幸いであったのだろう。二十二回もの和平交渉を申請し、民の人命を最優先した千時丸桂樹 様を責める国民はほぼ存在しなかったが、戦争自体を止めることができなかったことに責任を感じた千時丸桂樹 様は、まだ、幼い長子の千時丸松樹 様に皇位を継承した後に、自尽なさった。
*
――栄華元年
二年四カ月に渡る戦争は大きな爪痕を残した。殉職した兵士は言わずもがな、空襲や虐殺、飢餓や伝染病、自害によって、数え切れない一般人が尊い命を落とした。
そして、民に慕われていた平和と文化を愛する、前皇帝・千時丸桂樹 様が、戦争を回避することができなかったことに責任を感じ、
『どうか、この無力な私のために、敵国に報復することなかれ。
千時丸帝国の民であることに矜持を持ち、
二度と過ちを繰り返すことなかれ。
報復は虚しさしかもたらさない。
私は、この国の民を誇りに思っている。
千時丸帝国よ、永遠に、栄えよ!』
という、遺書を残し自尽なされたことは、民衆に筆舌に尽くしがたい悲しみとともに、千時丸桂樹 様のご遺志を受け継ごうという強い意志を植え付けた。民衆は、瓦礫の山と化した国土の復興に明け暮れた。
*
『一百野診療所』がある北十六区も、終戦があと一週間遅ければ焦土と化していたことだろう。奇跡的に命拾いした牡丹は、過去に大きな過ちを犯した自分が、またもや生き永らえてしまったことに、複雑な気持ちを抱いていた。もしや、大切な人たちが死んでいく中、自分だけ死ぬことができない。それこそが、自分に背負わされた罪なのではないか、と。
次々と戦地に駆り出されていた兵士が帰還し、傷病兵たちの治療に追われながら、牡丹は直理の帰還を待っていた。
―― 戦争が終わったら駆け付けます。お父さんから見れば、僕などまだまだひよっこかも知れませんが、少しは役に立てると思います。一緒に『一百野診療所』を盛り上げていきましょう。
牡丹は、毎朝、毎晩、息子からの手紙を読み、直理の帰還を信じ続けた。
*
―― 栄華元年 冬
薄めた墨汁みたいな色をした厚い雲が自重を支えきることができず、ぶらりと垂れ下がっていた。窓にへばりついた水滴が冷気で凍りつきピシピシと音を立てていた。
「今日は初雪になるやもしれんな」
牡丹は独言ちながら、診療所入口扉に『本日診療』と彫られた板看板を掲げた。診療所の中に戻ろうとしたところで、背後から、
「あの……貴方様が、一百野直理君のお父様の一百野牡丹院長でいらっしゃいますか?」
と、声を掛けられた。驚いて振り返ると、そこには、精悍な顔立ちをした青年が立っていた。
「ええ。私が直理の父の一百野牡丹です」
牡丹が答えると、青年は、
「僕、直理君と同じ『南第一野戦病院』で軍医をしていた、桜井満と申します」
と言って、深々と頭を下げた。桜井という姓を聞いた牡丹の脳裏には、九賀野研究所跡地に『九賀野事件』の被害者たちの慰霊碑を建ててくれた、鬼灯少年の父、四童子竜胆 氏の親友の桜井昇 氏の姿が過ぎった。
「ああ! 直理と同じ部隊に……息子が大変お世話になりました」
そう言って、牡丹も深々と頭を下げた。
「それで……息子は……」
と、言いかけて、牡丹は口を噤んだ。ただただ、怖かったのだ、息子の『死』を受け入れることが。何処かで元気に生きていると信じていなければ、正気を保つことができなかったのだ。
桜井満は、
「これを、一百野君から、託されていました。僕の実家がある南二区はほぼ壊滅状態で、すぐに届けに来ることができず、大変申し訳ありませんでした」
と言って、牡丹の手に、直理が自死したあの日に手渡された紙切れを握らせた。
***
親愛なるお父さん
診療所を一緒に盛り上げていくという約束を守ることができない僕を、どうか、お許しください。そして、ずっと、お父さんを騙し続けて申し訳ありません。牡丹様の大切な直理様の体をお返しできずに申し訳ありません。偽りでも、牡丹様の息子として過ごした日々、とても楽しかったです。
どうかお元気で。長生きしてください。
九賀野直理 /『零』こと四童子鬼灯
***
牡丹の目から涙が零れ落ちた。
「桜井君……直理は、どんな医師でしたか?」
「最期の最期まで、医師としての矜持を貫いた、強く、立派な医師でした」
「そうですか……そうですか……教えてくださってありがとうございます……息子の最期の言葉を届けてくださり……本当に、ありがとうございます」
そう言って、牡丹は泣き崩れた。
垂れ込めた雲から雪がひらひらと舞い降りてきた。
不思議と、あたたかい雪だった。
了
十文字国内で、十文字鷲矢国王の独裁体制下に置かれた民衆の怒りが爆発し内乱が勃発したことにより、十文字国の戦力は縮小。千時丸帝国も領土の大半を占領され、あまりにも多くの軍人・民間人の命が奪われたため、これ以上の戦闘は不可能と判断した、千時丸桂樹 けいじゅ》様が再度、和平交渉を申請。内乱拡大により身の危険に晒される羽目になった十文字鷲矢は、千時丸桂樹 様の和平交渉を受け入れざるを得なかった。二十二回目の申請で漸く実現した和平交渉により、後に『文時戦争』と呼ばれることになる戦争は幕を閉じた。和平交渉成立とはいっても、事実上の敗戦国である千時丸帝国は、十文字国側が提示した条件に従う他選択肢のない不平等な条約であったわけだが、十文字国内で内乱が勃発しなければ、千時丸帝国の全土と国民は完全に十文字国の支配下に置かれていたであろうことを想定すれば、不幸中の幸いであったのだろう。二十二回もの和平交渉を申請し、民の人命を最優先した千時丸桂樹 様を責める国民はほぼ存在しなかったが、戦争自体を止めることができなかったことに責任を感じた千時丸桂樹 様は、まだ、幼い長子の千時丸松樹 様に皇位を継承した後に、自尽なさった。
*
――栄華元年
二年四カ月に渡る戦争は大きな爪痕を残した。殉職した兵士は言わずもがな、空襲や虐殺、飢餓や伝染病、自害によって、数え切れない一般人が尊い命を落とした。
そして、民に慕われていた平和と文化を愛する、前皇帝・千時丸桂樹 様が、戦争を回避することができなかったことに責任を感じ、
『どうか、この無力な私のために、敵国に報復することなかれ。
千時丸帝国の民であることに矜持を持ち、
二度と過ちを繰り返すことなかれ。
報復は虚しさしかもたらさない。
私は、この国の民を誇りに思っている。
千時丸帝国よ、永遠に、栄えよ!』
という、遺書を残し自尽なされたことは、民衆に筆舌に尽くしがたい悲しみとともに、千時丸桂樹 様のご遺志を受け継ごうという強い意志を植え付けた。民衆は、瓦礫の山と化した国土の復興に明け暮れた。
*
『一百野診療所』がある北十六区も、終戦があと一週間遅ければ焦土と化していたことだろう。奇跡的に命拾いした牡丹は、過去に大きな過ちを犯した自分が、またもや生き永らえてしまったことに、複雑な気持ちを抱いていた。もしや、大切な人たちが死んでいく中、自分だけ死ぬことができない。それこそが、自分に背負わされた罪なのではないか、と。
次々と戦地に駆り出されていた兵士が帰還し、傷病兵たちの治療に追われながら、牡丹は直理の帰還を待っていた。
―― 戦争が終わったら駆け付けます。お父さんから見れば、僕などまだまだひよっこかも知れませんが、少しは役に立てると思います。一緒に『一百野診療所』を盛り上げていきましょう。
牡丹は、毎朝、毎晩、息子からの手紙を読み、直理の帰還を信じ続けた。
*
―― 栄華元年 冬
薄めた墨汁みたいな色をした厚い雲が自重を支えきることができず、ぶらりと垂れ下がっていた。窓にへばりついた水滴が冷気で凍りつきピシピシと音を立てていた。
「今日は初雪になるやもしれんな」
牡丹は独言ちながら、診療所入口扉に『本日診療』と彫られた板看板を掲げた。診療所の中に戻ろうとしたところで、背後から、
「あの……貴方様が、一百野直理君のお父様の一百野牡丹院長でいらっしゃいますか?」
と、声を掛けられた。驚いて振り返ると、そこには、精悍な顔立ちをした青年が立っていた。
「ええ。私が直理の父の一百野牡丹です」
牡丹が答えると、青年は、
「僕、直理君と同じ『南第一野戦病院』で軍医をしていた、桜井満と申します」
と言って、深々と頭を下げた。桜井という姓を聞いた牡丹の脳裏には、九賀野研究所跡地に『九賀野事件』の被害者たちの慰霊碑を建ててくれた、鬼灯少年の父、四童子竜胆 氏の親友の桜井昇 氏の姿が過ぎった。
「ああ! 直理と同じ部隊に……息子が大変お世話になりました」
そう言って、牡丹も深々と頭を下げた。
「それで……息子は……」
と、言いかけて、牡丹は口を噤んだ。ただただ、怖かったのだ、息子の『死』を受け入れることが。何処かで元気に生きていると信じていなければ、正気を保つことができなかったのだ。
桜井満は、
「これを、一百野君から、託されていました。僕の実家がある南二区はほぼ壊滅状態で、すぐに届けに来ることができず、大変申し訳ありませんでした」
と言って、牡丹の手に、直理が自死したあの日に手渡された紙切れを握らせた。
***
親愛なるお父さん
診療所を一緒に盛り上げていくという約束を守ることができない僕を、どうか、お許しください。そして、ずっと、お父さんを騙し続けて申し訳ありません。牡丹様の大切な直理様の体をお返しできずに申し訳ありません。偽りでも、牡丹様の息子として過ごした日々、とても楽しかったです。
どうかお元気で。長生きしてください。
九賀野直理 /『零』こと四童子鬼灯
***
牡丹の目から涙が零れ落ちた。
「桜井君……直理は、どんな医師でしたか?」
「最期の最期まで、医師としての矜持を貫いた、強く、立派な医師でした」
「そうですか……そうですか……教えてくださってありがとうございます……息子の最期の言葉を届けてくださり……本当に、ありがとうございます」
そう言って、牡丹は泣き崩れた。
垂れ込めた雲から雪がひらひらと舞い降りてきた。
不思議と、あたたかい雪だった。
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