無実の罪で謹慎中ですが、静かな暮らしが快適なので戻る気はありません

けろ

文字の大きさ
14 / 41

第14話 話さない優しさ

第14話 話さない優しさ

 その日も、朝は静かに始まった。

 窓から差し込む淡い光で目が覚め、エレシアはしばらくのあいだ、何もせずに天井を見つめていた。もう驚きはない。この静けさは、すでに彼女の一部になりつつあった。

 誰も起こしに来ない。今日の予定を告げる声もない。急がせる気配もない。

 何も始まらない朝。

 それが今の彼女には、何よりも穏やかなものに思えた。

(……落ち着くわね)

 ベッドの上で小さく息を吐いてから、ゆっくりと身を起こす。顔を洗い、髪を整え、簡素な身支度を済ませる。その一つひとつに、以前のような「見せるため」の緊張はない。ただ、自分が心地よく過ごすためだけの動作だった。

 窓辺に立つと、庭の木々が風に揺れているのが見えた。遠くには、城の中を行き交う人影もある。誰かが働き、誰かが走り、誰かが何かを決めているのだろう。

 けれど、そのすべてはもう、エレシアの世界の外側にある。

 その事実に、寂しさはなかった。

 むしろ、ほっとする。

 しばらくして、いつもの控えめなノックが響いた。

「……失礼いたします」

 扉が開き、あのメイドが入ってくる。

 毎日同じ時間。毎日同じ足音。毎日同じ静かな声。

 彼女は食事を机に置き、必要なだけ部屋を整え、余計な物音を立てることもなく動いていた。その所作には無駄がなく、見ているだけで心が静まる。

「お食事をお持ちしました」

「……ありがとうございます」

 短い会話は、それで終わる。

 エレシアは椅子に腰掛け、運ばれてきた朝食に目を落とした。温かなスープと、焼きたてのパン。それに小さな果物が少しだけ添えられている。

 豪華ではない。だが、必要十分だった。

 メイドはいつものように一歩下がり、室内を静かに整え始める。その背中を見ながら、エレシアはふと、前世のことを思い出した。

 あの頃、自分の周囲には「気を遣う人」がたくさんいた。

 疲れていれば、どうしたのと聞かれる。黙っていれば、何かあったのと覗き込まれる。少し元気がなさそうに見えれば、無理しないでと優しく声をかけられる。

 その言葉自体は、きっと悪いものではなかったのだろう。

 でも、あれは疲れた。

 返事をしなければならない。相手を安心させなければならない。大丈夫ですと笑うか、説明するか、どちらにしても何かを差し出さなければならない。

 優しさとは、時に重い。

 だが、目の前のメイドは違った。

 彼女は何も聞かない。何も察したような顔をしない。励まそうともしない。沈黙のまま、必要な仕事だけをきちんと終えていく。

(……本当に、不思議な人)

 不思議というより、稀有なのかもしれない。

 普通なら、これだけ毎日顔を合わせていれば、少しくらい情が移ってもおかしくない。体調を尋ねたり、窓の外の天気を口にしたり、その程度の雑談が混じっても不自然ではないはずだ。

 それなのに、このメイドはそうしない。

 完璧なまでに、線を越えない。

 そのことが、エレシアにはありがたかった。

 朝食を食べ終える頃、メイドが食器を下げるために盆を持ち上げた。その動きは今日も変わらず正確だった。

 そこでエレシアは、ほんの少しだけ迷った末に口を開いた。

「……あなたは」

 珍しく、自分から話しかけたことで、声がわずかに遅れた。

 メイドは顔を上げることなく、次の言葉を待つ。

「……何も聞かないのね」

 言ってから、エレシアは自分でも少し不思議に思った。

 責めるつもりではなかった。ただ、本当にそう思ったのだ。どうしてこの人は、ここまで徹底して沈黙を守れるのだろう、と。

 メイドは盆を持ったまま、一瞬だけ動きを止めた。

 沈黙が落ちる。

 だが、その沈黙は気まずくなかった。むしろ、いつもより少しだけ中身のある静けさだった。

 やがて彼女は、視線を落としたまま、静かに答える。

「……必要ないと、思っておりますので」

 それだけだった。

 けれど、その一言はエレシアの胸にまっすぐ届いた。

 必要ない。

 詮索も、同情も、励ましも。

 今の自分には、どれも必要ない。

 そう言われた気がした。

 エレシアは、小さく目を瞬かせる。

「……そう」

 返した言葉は、それだけだった。

 だが、それ以上はいらなかった。

 メイドもまた、余計な言葉を足さない。ただ小さく一礼すると、いつも通りの足取りで部屋を出ていく。

 扉が閉まる。

 その音を聞きながら、エレシアはしばらく椅子に座ったままだった。

(……必要ない、か)

 その言葉を心の中で転がしてみる。

 冷たい言葉のようにも聞こえるかもしれない。だが、エレシアにはそう思えなかった。

 むしろ逆だ。

 それは、話さないことを選んだ優しさだった。

 無理に慰めない。事情を知ろうとしない。何かを分かったふうに語らない。ただ相手が静かでいたいのなら、その静けさを壊さない。

 それはきっと、とても難しいことだ。

 多くの人は、何かをしてあげようとする。言葉をかけ、手を差し伸べ、少しでも関わろうとする。それが善意だと思っているからだ。

 でも、本当に必要なのが「放っておいてほしいこと」だったなら、その善意は簡単に凶器になる。

 エレシアは前世で、それを何度も味わってきた。

 だから分かる。

 このメイドは、何も言わないことで、自分を守ってくれているのだ。

(……優しい人なのね)

 ぽつりとそう思って、エレシアは少しだけ口元を緩めた。

 昼になり、また同じように食事が運ばれてくる。やはり会話は最低限で、余計なやり取りはない。だが、朝のあの短い返答があってから、不思議と空気が変わった気がした。

 近づいたわけではない。

 距離はそのままだ。

 けれど、その距離が「ただの無関心」ではないことを知った。

 それだけで十分だった。

 午後、エレシアは窓辺の椅子に座って本を開いた。数ページ読んで、また閉じる。無理に読み進める必要はない。静かな部屋に、風の音だけがゆるやかに流れていた。

(……話さない優しさ、か)

 それは、前世の自分が一度も教わらなかったものかもしれない。

 優しさとは声をかけることだと思っていた。気にかけることだと思っていた。分かろうとすることだと思っていた。

 でも、そうじゃない形もある。

 踏み込まないこと。求めないこと。何も足さないこと。

 それもまた、確かな優しさなのだ。

 夕方になり、部屋の中の光が少しずつ橙色に変わっていく。エレシアはその色をぼんやり眺めながら、胸の奥の静かな満足を感じていた。

 この部屋には何もない。

 華やかな出来事も、胸を打つ劇的な言葉もない。

 でも、それでいい。

 何もないからこそ、守られているものがある。

 夜。

 灯りを落とし、ベッドに横になったエレシアは、静かな天井を見上げた。

 今日あったことを思い返す。

 短い会話。短い返答。たったそれだけのこと。

 なのに、心は穏やかだった。

(……十分ね)

 それ以上を望む必要はない。

 深い理解も、慰めも、特別な絆も、今の自分にはいらない。

 ただ静かに、互いの領域を侵さずにいること。

 それだけで、こんなにも楽なのだ。

 エレシアは目を閉じる。

 この部屋の中で交わされる最低限の会話は、少ないからこそ優しかった。

 そして彼女は、その優しさをちゃんと受け取っていた。

 言葉にしないまま。

 壊さないように、静かに。
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】王妃はもうここにいられません

なか
恋愛
「受け入れろ、ラツィア。側妃となって僕をこれからも支えてくれればいいだろう?」  長年王妃として支え続け、貴方の立場を守ってきた。  だけど国王であり、私の伴侶であるクドスは、私ではない女性を王妃とする。  私––ラツィアは、貴方を心から愛していた。  だからずっと、支えてきたのだ。  貴方に被せられた汚名も、寝る間も惜しんで捧げてきた苦労も全て無視をして……  もう振り向いてくれない貴方のため、人生を捧げていたのに。 「君は王妃に相応しくはない」と一蹴して、貴方は私を捨てる。  胸を穿つ悲しみ、耐え切れぬ悔しさ。  周囲の貴族は私を嘲笑している中で……私は思い出す。  自らの前世と、感覚を。 「うそでしょ…………」  取り戻した感覚が、全力でクドスを拒否する。  ある強烈な苦痛が……前世の感覚によって感じるのだ。 「むしろ、廃妃にしてください!」  長年の愛さえ潰えて、耐え切れず、そう言ってしまう程に…………    ◇◇◇  強く、前世の知識を活かして成り上がっていく女性の物語です。  ぜひ読んでくださると嬉しいです!

王妃さまは断罪劇に異議を唱える

土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。 そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。 彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。 王族の結婚とは。 王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。 王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。 ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。

婚約者と義妹に裏切られたので、ざまぁして逃げてみた

せいめ
恋愛
 伯爵令嬢のフローラは、夜会で婚約者のレイモンドと義妹のリリアンが抱き合う姿を見てしまった。  大好きだったレイモンドの裏切りを知りショックを受けるフローラ。  三ヶ月後には結婚式なのに、このままあの方と結婚していいの?  深く傷付いたフローラは散々悩んだ挙句、その場に偶然居合わせた公爵令息や親友の力を借り、ざまぁして逃げ出すことにしたのであった。  ご都合主義です。  誤字脱字、申し訳ありません。

白のグリモワールの後継者~婚約者と親友が恋仲になりましたので身を引きます。今さら復縁を望まれても困ります!

ユウ
恋愛
辺境地に住まう伯爵令嬢のメアリ。 婚約者は幼馴染で聖騎士、親友は魔術師で優れた能力を持つていた。 対するメアリは魔力が低く治癒師だったが二人が大好きだったが、戦場から帰還したある日婚約者に別れを告げられる。 相手は幼少期から慕っていた親友だった。 彼は優しくて誠実な人で親友も優しく思いやりのある人。 だから婚約解消を受け入れようと思ったが、学園内では愛する二人を苦しめる悪女のように噂を流され別れた後も悪役令嬢としての噂を流されてしまう 学園にも居場所がなくなった後、悲しみに暮れる中。 一人の少年に手を差し伸べられる。 その人物は光の魔力を持つ剣帝だった。 一方、学園で真実の愛を貫き何もかも捨てた二人だったが、綻びが生じ始める。 聖騎士のスキルを失う元婚約者と、魔力が渇望し始めた親友が窮地にたたされるのだが… タイトル変更しました。

王太子に婚約破棄されてから一年、今更何の用ですか?

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しいます。 ゴードン公爵家の長女ノヴァは、辺境の冒険者街で薬屋を開業していた。ちょうど一年前、婚約者だった王太子が平民娘相手に恋の熱病にかかり、婚約を破棄されてしまっていた。王太子の恋愛問題が王位継承問題に発展するくらいの大問題となり、平民娘に負けて社交界に残れないほどの大恥をかかされ、理不尽にも公爵家を追放されてしまったのだ。ようやく傷心が癒えたノヴァのところに、やつれた王太子が現れた。

【完結】離縁王妃アデリアは故郷で聖姫と崇められています ~冤罪で捨てられた王妃、地元に戻ったら領民に愛され「聖姫」と呼ばれていました~

猫燕
恋愛
「――そなたとの婚姻を破棄する。即刻、王宮を去れ」 王妃としての5年間、私はただ国を支えていただけだった。 王妃アデリアは、側妃ラウラの嘘と王の独断により、「毒を盛った」という冤罪で突然の離縁を言い渡された。「ただちに城を去れ」と宣告されたアデリアは静かに王宮を去り、生まれ故郷・ターヴァへと向かう。 しかし、領地の国境を越えた彼女を待っていたのは、驚くべき光景だった。 迎えに来たのは何百もの領民、兄、彼女の帰還に歓喜する侍女たち。 かつて王宮で軽んじられ続けたアデリアの政策は、故郷では“奇跡”として受け継がれ、領地を繁栄へ導いていたのだ。実際は薬学・医療・農政・内政の天才で、治癒魔法まで操る超有能王妃だった。 故郷の温かさに癒やされ、彼女の有能さが改めて証明されると、その評判は瞬く間に近隣諸国へ広がり── “冷徹の皇帝”と恐れられる隣国の若き皇帝・カリオンが現れる。 皇帝は彼女の才覚と優しさに心を奪われ、「私はあなたを守りたい」と静かに誓う。 冷徹と恐れられる彼が、なぜかターヴァ領に何度も通うようになり――「君の価値を、誰よりも私が知っている」「アデリア・ターヴァ。君の全てを、私のものにしたい」 一方その頃――アデリアを失った王国は急速に荒れ、疫病、飢饉、魔物被害が連鎖し、内政は崩壊。国王はようやく“失ったものの価値”を理解し始めるが、もう遅い。 追放された王妃は、故郷で神と崇められ、最強の溺愛皇帝に娶られる!「あなたが望むなら、帝国も全部君のものだ」――これは、誰からも理解されなかった“本物の聖女”が、 ようやく正当に愛され、報われる物語。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

私は側妃なんかにはなりません!どうか王女様とお幸せに

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のキャリーヌは、婚約者で王太子のジェイデンから、婚約を解消して欲しいと告げられた。聞けば視察で来ていたディステル王国の王女、ラミアを好きになり、彼女と結婚したいとの事。 ラミアは非常に美しく、お色気むんむんの女性。ジェイデンが彼女の美しさの虜になっている事を薄々気が付いていたキャリーヌは、素直に婚約解消に応じた。 しかし、ジェイデンの要求はそれだけでは終わらなかったのだ。なんとキャリーヌに、自分の側妃になれと言い出したのだ。そもそも側妃は非常に問題のある制度だったことから、随分昔に廃止されていた。 もちろん、キャリーヌは側妃を拒否したのだが… そんなキャリーヌをジェイデンは権力を使い、地下牢に閉じ込めてしまう。薄暗い地下牢で、食べ物すら与えられないキャリーヌ。 “側妃になるくらいなら、この場で息絶えた方がマシだ” 死を覚悟したキャリーヌだったが、なぜか地下牢から出され、そのまま家族が見守る中馬車に乗せられた。 向かった先は、実の姉の嫁ぎ先、大国カリアン王国だった。 深い傷を負ったキャリーヌを、カリアン王国で待っていたのは… ※恋愛要素よりも、友情要素が強く出てしまった作品です。 他サイトでも同時投稿しています。 どうぞよろしくお願いしますm(__)m

居候と婚約者が手を組んでいた!

すみ 小桜(sumitan)
恋愛
 グリンマトル伯爵家の一人娘のレネットは、前世の記憶を持っていた。前世は体が弱く入院しそのまま亡くなった。その為、病気に苦しむ人を助けたいと思い薬師になる事に。幸いの事に、家業は薬師だったので、いざ学校へ。本来は17歳から通う学校へ7歳から行く事に。ほらそこは、転生者だから!  って、王都の学校だったので寮生活で、数年後に帰ってみると居候がいるではないですか!  父親の妹家族のウルミーシュ子爵家だった。同じ年の従姉妹アンナがこれまたわがまま。  アンアの母親で父親の妹のエルダがこれまたくせ者で。  最悪な事態が起き、レネットの思い描いていた未来は消え去った。家族と末永く幸せと願った未来が――。