10 / 14
くだらない噂
クラリモンドは苛立った声を出す。
「だからと言って侯爵が出てくる理由にはならない」
侯爵はあっさり言った。
「暇でしたので」
「……何?」
「冗談です」
侯爵は軽く肩をすくめる。
「ちょうど王都に用事がありました」
そしてマリアを見る。
「それに」
ほんの少しだけ、真面目な顔になった。
「あなたの噂を聞いていましたから」
マリアは首をかしげる。
「噂……?」
「ええ」
侯爵は言った。
「ベルディア男爵家の屋敷を、ほとんど一人で回している有能な奥方がいる、と」
執事が小さく咳払いをした。侍女たちは視線を逸らす。クラリモンドの顔が不機嫌そうに歪む。
「くだらん噂だ」
侯爵は静かに答えた。
「くだらないかどうかは、これから分かるでしょう」
そしてマリアに向き直る。
「マリア様」
「はい」
「あなたの父君からは、こうも言われました」
侯爵は少し笑った。
『もし娘が本当に帰ってくるなら、
その前に、外の世界を少し見せてやってほしい』
マリアは驚いた。
「外の世界……?」
「ええ」
侯爵は頷く。
「ずっと屋敷の中で働き詰めだったそうですね」
マリアは少し言葉に詰まる。それは事実だった。帳簿、仕入れ、使用人の配置、社交の手配。気づけば、一日が終わっていた。
侯爵は穏やかに言う。
「もしよろしければ少し寄り道をしませんか」
馬車の方を示す。マリアは迷った。
だがその時、背後から声が飛ぶ。
「マリア!」
クラリモンドだった。
「いい加減にしろ」
彼は苛立った顔で言う。
「家出のつもりか?」
マリアはゆっくり振り返った。
「家出ではありません」
「なら何だ」
「帰省です」
静かな声だった。クラリモンドは鼻で笑う。
「どうせすぐ戻る」
マリアは少しだけ考えた。そして穏やかに、にこやかに言った。
「……そうだといいですね」
だがその目は、もう迷っていなかった。侯爵が馬車の扉を開く。
「どうぞ」
マリアは小さな鞄を握り直した。
そして――一歩、外へ踏み出した。マリアの靴が石畳に小さく音を立てた。
一歩。また一歩。
ベルディア男爵邸の玄関から、ゆっくりと離れていく。侯爵の馬車は黒く艶やかで、王都でも一目で名門と分かる立派なものだった。御者が静かに扉を開けた。
「どうぞ」
カイル侯爵が手を差し出す。マリアはほんの一瞬だけ躊躇した。
その時――
「マリア!」
クラリモンドの怒鳴り声が響いた。
「いい加減にしろと言っている!」
玄関の階段を降りてきて、マリアの前に立つ。
「侯爵の前だからと言って、好き勝手していいと思うな」
「だからと言って侯爵が出てくる理由にはならない」
侯爵はあっさり言った。
「暇でしたので」
「……何?」
「冗談です」
侯爵は軽く肩をすくめる。
「ちょうど王都に用事がありました」
そしてマリアを見る。
「それに」
ほんの少しだけ、真面目な顔になった。
「あなたの噂を聞いていましたから」
マリアは首をかしげる。
「噂……?」
「ええ」
侯爵は言った。
「ベルディア男爵家の屋敷を、ほとんど一人で回している有能な奥方がいる、と」
執事が小さく咳払いをした。侍女たちは視線を逸らす。クラリモンドの顔が不機嫌そうに歪む。
「くだらん噂だ」
侯爵は静かに答えた。
「くだらないかどうかは、これから分かるでしょう」
そしてマリアに向き直る。
「マリア様」
「はい」
「あなたの父君からは、こうも言われました」
侯爵は少し笑った。
『もし娘が本当に帰ってくるなら、
その前に、外の世界を少し見せてやってほしい』
マリアは驚いた。
「外の世界……?」
「ええ」
侯爵は頷く。
「ずっと屋敷の中で働き詰めだったそうですね」
マリアは少し言葉に詰まる。それは事実だった。帳簿、仕入れ、使用人の配置、社交の手配。気づけば、一日が終わっていた。
侯爵は穏やかに言う。
「もしよろしければ少し寄り道をしませんか」
馬車の方を示す。マリアは迷った。
だがその時、背後から声が飛ぶ。
「マリア!」
クラリモンドだった。
「いい加減にしろ」
彼は苛立った顔で言う。
「家出のつもりか?」
マリアはゆっくり振り返った。
「家出ではありません」
「なら何だ」
「帰省です」
静かな声だった。クラリモンドは鼻で笑う。
「どうせすぐ戻る」
マリアは少しだけ考えた。そして穏やかに、にこやかに言った。
「……そうだといいですね」
だがその目は、もう迷っていなかった。侯爵が馬車の扉を開く。
「どうぞ」
マリアは小さな鞄を握り直した。
そして――一歩、外へ踏み出した。マリアの靴が石畳に小さく音を立てた。
一歩。また一歩。
ベルディア男爵邸の玄関から、ゆっくりと離れていく。侯爵の馬車は黒く艶やかで、王都でも一目で名門と分かる立派なものだった。御者が静かに扉を開けた。
「どうぞ」
カイル侯爵が手を差し出す。マリアはほんの一瞬だけ躊躇した。
その時――
「マリア!」
クラリモンドの怒鳴り声が響いた。
「いい加減にしろと言っている!」
玄関の階段を降りてきて、マリアの前に立つ。
「侯爵の前だからと言って、好き勝手していいと思うな」
あなたにおすすめの小説
私が出て行った後になって、後悔した旦那様から泣きの手紙がもたらされました♪
睡蓮
恋愛
ミーシャとブラッケン伯爵は婚約関係にあったが、その関係は伯爵の妹であるエリーナによって壊される。伯爵はミーシャの事よりもエリーナの事ばかりを優先するためだ。そんな日々が繰り返される中で、ミーシャは伯爵の元から姿を消す。最初こそ何とも思っていなかった伯爵であったが、その後あるきっかけをもとに、ミーシャの元に後悔の手紙を送ることとなるのだった…。
最後なので全部言わせていただきます
れいも
恋愛
伯爵令嬢としてできる限りのことをせよ、という父親の言葉を遂行しようとしたローレシア。
だが、気付けばローレシアの努力と苦労は、無駄となってしまった。
ローレシアを罵倒する父親に、ついに彼女は切れた。
そうして父親に、今までの鬱憤をぶちまけるのだった。
※ざまあ展開はありません。
また、カテゴリー設定がどれに該当するか分からないため、一番近そうな「恋愛」(婚約破棄を含むため)にしております。
とある侯爵家の騒動未満~邪魔な異母妹はお父様と一緒に叩き出します
中崎実
ファンタジー
妻が死んだ直後に、愛人とその娘を引っ張り込もうとする父。
葬儀が終わったばかりで騒ぎを起こした男だが、嫡子である娘も準備は怠っていなかった。
お父さまと呼ぶ気にもならない父よ、あなたは叩き出します。
あの日々に戻りたくない!自称聖女の義妹に夫と娘を奪われた妃は、死に戻り聖女の力で復讐を果たす
青の雀
恋愛
公爵令嬢スカーレット・ロッテンマイヤーには、前世の記憶がある。
幼いときに政略で結ばれたジェミニ王国の第1王子ロベルトと20歳の時に結婚した。
スカーレットには、7歳年下の義妹リリアーヌがいるが、なぜかリリアーヌは、ロッテンマイヤー家に来た時から聖女様を名乗っている。
ロッテンマイヤーは、代々異能を輩出している家柄で、元は王族
物語は、前世、夫に殺されたところから始まる。
「静かで、退屈な婚約者だった」と切り捨てられたので、最後くらい全部言って去ることにしました
桃我タロー
恋愛
「静かで、退屈な婚約者だった」
婚約破棄のその日、王太子は広間でそう言い捨てた。
三年間、失言を隠し、場を整え、黙って支えてきたのに。
どうやら私に必要だったのは婚約者ではなく、“便利な人”という役割だけだったらしい。
しかも隣には、つい三日前まで殿下の従兄に求婚していた令嬢まで立っていて――。
ならばもう、黙っている理由はない。
これは、最後まで笑って終わるつもりだった令嬢が、自分の声を取り戻す話。
【完結】そんなに好きなら、そっちへ行けば?
雨雲レーダー
恋愛
侯爵令嬢クラリスは、王太子ユリウスから一方的に婚約破棄を告げられる。
理由は、平民の美少女リナリアに心を奪われたから。
クラリスはただ微笑み、こう返す。
「そんなに好きなら、そっちへ行けば?」
そうして物語は終わる……はずだった。
けれど、ここからすべてが狂い始める。
*完結まで予約投稿済みです。
*1日3回更新(7時・12時・18時)
旦那様は、義妹の味方をしたことを心から後悔されているみたいですね♪
睡蓮
恋愛
マリーナとの婚約関係を築いていたクルーゲル伯爵、しかし彼はマリーナにとって義妹にあたるリオーネラとの関係を深めてしまい、その果てに子どもを作ってしまう。伯爵はマリーナを捨ててリオーネラを正式な婚約者にするよう動こうとするものの、その行いこそが自分たちを破滅に導く第一歩となってしまうのだった…。
教養が足りない、ですって
たくわん
恋愛
侯爵令嬢エリーゼは、公爵家の長男アレクシスとの婚約披露宴で突然婚約破棄される。理由は「教養が足りず、公爵夫人として恥ずかしい」。社交界の人々の嘲笑の中、エリーゼは静かに会場を去る。