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祭りの終わり

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「わたしは、本気のライカと闘いたい」

 背中に投げかけられた言葉に口をへの字に結んできっかり三秒。ゆっくりと口を開き、半ば諦めたような口調でライカは言う。

「さっきも言ったろ。あたしは本気だって」
「だってライカの本気は、さっきのディルマュラの試合で見たから。ちょっと怖かったけど、かっこいいって思った。わたしは、あのライカと闘いたい」

 無茶言うな、と毒づき、それでも振り返らずに返す。

「あれは、駄々だよ。確かにあの一瞬、あたしは普段以上の出力を出してた。でもあれは精霊たちが怖がるし、負担もかけちまう。あたしが出せる本気は、さっきおまえとやってた時のが全部だよ」

 その言葉に偽りはない。ディルマュラを最初に殴ろうとしていたときの自分を振り返れば、心はドス暗く、ただただ破壊衝動だけでからだが動いていた。

「……でも」
「しつけぇよ」
「……ごめんなさい」
「謝るほどのことじゃねぇよ」

 ふぅ、と一つ息を吐いてようやくミューナに振り返る。
 その表情はすっきり、というよりも、子供をあやし疲れたような色が濃い。
 あやし疲れたのはミューナではなく、むしろライカ自身だ。
 あんな状態を自分の本気だとは思いたくないし、あんな真っ暗い拳でミューナを殴るわけにはいかない。

「仕切り直しだ。いいな」

 でもこいつはあの時の自分とやりという。
 あれだけの出力を精霊たちに負担なく出すためには、あと何年修練を重ねればいいのかすらわからない。
 できないことだらけだ。
 ふがいなさに苦笑するしかなかった。
 その意味を酌み取ってくれたのかはわからないが、ミューナはゆっくりと頷く。

「うん」
「これ以上文句言うなよ」
「……うん」

 す、と腰を落とし、

「じゃあ、いくぞ」

 そよ風のようにかき消えた。
  ふたりの拳がリング中央でぶつかり合い、観客の熱気も最高潮へ達する。
 試合中、ライカが心から笑うことは最後まで無かった。
 
    *     *     *

『それまで! 勝者、ミューナ・ロックミスト!』

 クレアの宣言により、観客席から爆発的な歓声があがる。
 リング中央で大の字に倒れているライカは、一番星も見え始めた空をしばらく見つめていた。

「……起きれる?」

 そこへ、ぬっとミューナが手を差し伸べ、ライカは一拍だけ間を置いてしっかりと握りしめ、「よっ」と立ち上がった。
 そのやりとりに観客たちはさらに歓声をあげ、それにふたりは深いお辞儀で応えた。

「じゃあな。あたしは先に部屋に戻ってる」

 小声で告げてライカはするすると花道から控え室へ戻っていく。
 あ、と追いかけようとしたミューナをクレアが立ち塞がって止めて、マイクを向ける。

『はい、じゃあ優勝したミューナにインタビューです』
『あ、あの、えっと、ライカが、』
『うんうん、いい試合だったわね』

 そんな声を背中に受けながらライカは控え室で着替えとシャワーを済ませ、誰にも気付かれないように自室へ戻り、そのままベッドに倒れ込んだ。

 ひどく疲れた。
 明日が休みでよかった。
 明日は一日寝て過ごそう。

 そう、決めた。

     *     *     *

 見るからに重そうな木製の机に、どさりと山積みにされた書類。その奥からホロ・キーボードを叩く電子音と、紙に万年筆を走らせる心地よい音が絶え間なく聞こえてくる。
 山積みになった書類の隙間から、時折こちらに視線をやる以外はまともに見ようとしないイルミナに、ライカは用意された椅子に座り、ディルマュラやミューナ相手にみっともない試合をした自分を叱るために呼んだのだと身を表情をこわばらせていた。
 ここはイルミナの執務室。
 昨日は予定通り丸一日を寝て過ごしたライカは、今朝方神殿長イルミナから呼び出しを受けた。
 ライカと話す時は普段なら私室に呼ぶイルミナだが、今日は立秋祭の事後処理に追われているためにここでの面談になった。

 ふぅ、とイルミナが一息ついたのを待って、なけなしの根性を振り絞ってライカは言う。

「な、なんの用、ですか」

 緊張しきったライカに、イルミナは目を丸くする。

「どうしたの。そんなに緊張なんかして」
「だっ、てよ。立秋祭であたし、恥ずかしいことばっかりやったから」

 ふふ、と微笑んで、そっと万年筆を置いて。

「結果として、ですが、ライカのあの怒りのおかげで精霊たちの興奮は一度冷めました。あのままふたりが歌っていたなら、どんな状況になっていたかはわたしにも分かりませんから」

 う、とうめく。

「あのときなにに対して怒っていたのかは訊きません。ああいう怒り方をしているライカは、心を堅く閉ざしていますから」

 いままで、ライカがイルミナに対してわがままを言ったことは、学舎院に入るときの一度だけ。
 それ以外は彼女に対してわがままは愚か、怒りをぶつけたことはない。
 ぶつけたことはないが、部屋でひとりぐずぐず文句を言っているところは、何度もドア越しに聞かれていた。 
 それを思い出したのか、ライカの頬が赤く染まる。

「……っ、思い出させるな、よ」

 イルミナからすれば、もっと自分にぶつけて欲しかったのだが、それはもう叶わぬ願いだ。
 だから、いまできることをやるために、ライカを呼んだのだ。

「ともあれ、今日呼んだのは他でもありません」

 す、と立ち上がってゆったりとライカの正面に立つ。
 反射的に立ち上がって、ぐ、拳をきつく握る。きっと殴られると思ったから。

「準優勝おめでとう。お疲れ様。かっこよかったわよ」

 ふわりと、抱きしめられた。

「な、なんだよ急に」
「いいでしょ。たまには」

 いいにおいがした。
 試合で積み重なった心身の疲れが一気に吹き飛ぶような、とてもいいにおいだ。

「は、恥ずかしいだろ」
「この時間は誰も来ないよう厳命していますから、大丈夫です」
「そうじゃ、なくてだな……」

 言葉だけの抵抗はむなしく通り過ぎ、ライカもそっとイルミナの腰に手を回した。

「ありがとう。少し、元気が出た」
「そう。ならよかった」

 ゆっくりとからだを離し、視線を合わせる。
 出会った頃はあんなに大きく感じたのに、いまイルミナの松葉色の瞳は自分のそれより少し下にある。

「ご褒美はここまでです。さ、もう行きなさい」
「ああ。……あんまり根を詰めないでくれよ」

 唐突な言葉に、イルミナは唇を尖らせる。

「なんですか、急に」
「い、いいだろ。たまには」
「そうですね。たまにはこういうこともしておかないと」

 こくりと頷いてライカはするりと出口へ向かう。

「あ、明日から宇宙実習でしたね。気をつけるんですよ」
「ああ。ありがとう」

 そっとドアを閉じる。
 それを合図に、ふたりは日常に戻った。
 お祭りはもう、終わったのだから。
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