千年恋唄

月川ふ黒ウ

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高校生たち

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 桜狩の家は代々妖魔討伐を生業としている。

 千彰は桜狩の家の当主だが、日常の大半は県立高校に通う学生として過ごしている。
 県立野穂のほ高校は今年で創立三十周年を迎え、校門から昇降口まで続く桜並木は生徒もそうだが、教員や保護者たちからも高い評価を受けている。
 千彰が通うのは二年A組。四階建ての校舎の三階に教室はある。
 青葉繁る桜並木を潜り、昇降口で履き替え、階段を登り、雑談に花を咲かせる生徒たちでにぎわう廊下を渡り、がらり、とドアを開ける。

「はよーす」

 クラスメイトの大半が登校し、それぞれに雑談を交わしたり宿題に追われていたりしている。普段通りの日常に内心安堵しつつ、教室の一番後ろの窓際、自分の席へ向かう。

「あ、おはよー」
「おはよう」

 すずめと明香梨は同じクラスだ。すずめは黒縁めがねに太い三つ編みの地味な生徒と談笑している。

「あ、千彰くん昨日はありがとね。百恵さまにもごちそうさまって言っておいてね」
「わかってる」
「病院にはちゃんと行った?」

 面倒くさそうに眉根を寄せ、

「行った。とくに問題ないって」
「へー、珍しいね。いっつも三日ぐらいしてから行くのに」

 目を丸くするすずめをあしらいながら通学鞄を机の横にあるフックに引っかけ、腰の刀を鞘ごと引き抜いて教室の一番後ろにある、傘立てに似た刀置き場へ入れる。すでに何振りか入っているが、鞘や唾、柄の紐などに持ち主が分かる装飾などが施されているので間違えることはない。
 桜狩の家以外にも妖魔討伐を行う者は男女問わず多い。そのいずれにも分家を含めた御堂の家の者がサポートしており、すずめは千彰を担当している。
 こうして学校生活まで深く関わるケースはレアではあるが。

「き、昨日はありがと、千彰。あたしからも百恵さまにちゃんと言っておいてね」

 脇からふたりの会話に入ってきたのは三つ編みの生徒。

「ん。百恵さんもいつでも遠慮無く来てくれていいってさ」
「や、やだ。そんなの緊張するじゃない」
「このあいだはあんなにメシ食べといて、いまさらなに言ってんだ」
「だ、だって百恵さまのお料理美味しいのよ? いっぱい食べなきゃ失礼でしょ!」

 でしょ、って言われてもな、と嘆息しつつ、

「百恵さん、作りがいがあった、って喜んでたからいいけどよ」
「ほんと、百恵さまはお優しいしお料理もほんと美味しいから」

 うんうんと頷きながら、ふと意地悪い笑みを浮かべ、

「明香梨さんもそろそろお料理習ったら?」

 三つ編みの生徒は明香梨だ。この美貌は学校では目立ちすぎるから、とすずめの提案によりこんな野暮ったい格好をしているのだ。

「う、だ、だって……」
「百恵さま手際が悪いぐらいで怒ったりしないよ? それよりも桜狩家の味覚えるのに速すぎるってことはないと思うよ? ねえ千彰くん」

 最後に話題を振られて千彰はさして慌てた様子もなく、明香梨をまっすぐ見つめて言う。

「おれは料理も出来ない。お前が作ってくれるなら、嬉しい。昔作ってくれた弁当も美味かったからな」
「ば、莫迦。なに、言ってるのよ」

 言いながらも頬はほんのり赤く染まっていた。

「あらあらなによそれ。わかりあってるみたいな感じ出しちゃってさ」

 ちぇー、とすずめが唇を尖らせたところでチャイムが鳴り響き、ほどなく担任の田村早苗が入ってくる。
 それに気付いてすずめと明香梨を含めた生徒たちは自分の席に急ぎ足で戻っていく。

「うーい、ちゃんと全員生き残ってるね。んじゃ日直ー」

 ぼさぼさの短髪に無骨な黒縁めがね。現国教師でありながら、えんじ色のジャージが基本的な格好という、ずぼらを体現したような風体はしかし、わかりやすい授業ととっつきやすい性格から生徒達からの人気は高い。

「じゃあ今日は……」

 あくびをかみ殺しながら、連絡事項をつらつらと話す。いわく、期末試験が近いから職員室の出入りに制限が入っていること、夏休みに旅行に行く際には御堂の家に連絡して陰陽師か剣士を最低ひとりづつ護衛に付けることなどなど。

「はい、こんなところね。きょうはあんたたちにあたしの授業はないから明日もちゃんと生きて学校に来ること。いいわね」

 そう言い残して、あくび混じりに退室していった。



 逢魔が時。
 妖魔が活発に動き始める夕暮れ時に部活動に励む生徒はおらず、教師ですらも校内に残っている者はいない。鬼族や剣士に属する生徒は一般生徒の護衛も兼ねて一緒に下校している。
 それぞれの理由で孤立している生徒には、彼らの意志を尊重しつつ護衛がついているので問題はない。
 いま校舎には、人の残り香に惹かれて迷い出る妖魔たちを退治するため、御堂の家の陰陽師たちが警備にあたっている。
 そんな中すずめは校内にある弓道場でひとり稽古にはげんでいた。
 目を塞いでなおまぶしく感じるほどの強い西日の中、限界まで引き絞るのは、自身の身長ほどもある長大な弓。大きく感じるのはすずめの身長のせいもあるのだが、それを言うと矢がこちらに飛んでくるので控えておく。
 弓の下部の先端が床に付いたまま引き絞る姿は危なっかしく、同時に愛らしさも感じるが、本人はこの方がブレなくていい、と気にしていない。
 衣装は妖魔討伐に着込むのと同じ狩衣。烏帽子も被っているが顔を覆う半紙は付けていない。あの半紙は視聴覚能力の強化が施されていて、対象の特定の部分だけをズームアップして見ることができたりするのだが、いまは稽古なので、と外している。
 汗がひと滴、頬を顎先を伝って落ちる。

「ふっ」

 小さく息を吐くと同時に弦から手を離す。矢は鋭く風を切り、六十メートル離れた、射場から見れば手のひらほどの的へ吸い込まれるように矢は命中する。

「すごいのね。あんなに遠いし西日だって強いのに」

 射場の脇にある審判席から、明香梨が声をかける。

「動かない的に当てたって実戦じゃ使えないよ」

 いわゆる正鵠、ど真ん中に当たったというのにすずめの顔は晴れない。

「すずめも援護するようにしたの?」

 ううん、と首を振るすずめ。

「弓は集中力付けるためだけ。ちゃんとした弓道の所作とか知らないし、あたしぐらいの腕じゃ千彰くんの足引っ張るだけだから、必要になったら得意なひとにお願いしてる」

 それに、と言って弓を腰に戻して四方に礼をする。

「千彰くんの隣は明香梨さんのものだから」

 にひ、と意地悪く笑ってみせるすずめに、明香梨は頬を西日以上に朱に染める。

「あたしはね、千彰くんに死んで欲しくない。もちろん明香梨さんも」

 弓を壁の棚に片付けるすずめを見つめながら、明香梨は口を開く。

「わたしだって、ふたりは大事」
「ありがと。でもあたしは、もっと多くのひとに死んで欲しくない。妖魔に食べられるひとを減らしたい。家のひとたちはそう考えてないみたいだけど」

 御堂の家に居候する明香梨も、その雰囲気は感じ取っている。
 明香梨の生家、七星の家は代々各地を転々としながら妖魔討伐を行っている。その際の宿場として御堂の家を使うことは古い盟約によるものなのに、すずめの祖母や母から向けられる視線は決して暖かなものではない。
 そのことを思い出した明香梨の両頬を流れる、先端の深紅が鈍く輝く。

「大体さ、ひばりさまが五十年前の和議の立役者なのにさ、妖のひとたちを目の敵にするなんてどうかしてるよ、ホント」

 口調は軽いが内容は決して軽くないすずめに、明香梨は堪えきれない様子で返す。

「五十年もあったんだし、なにか、あったんじゃない? だからひばりさまもつばめさまもああいう態度になってるとかさ」

 言われ、すずめは一瞬目を丸くし、そして浮かべた笑みは寂しそうだった。

「優しいね、明香梨さん」
「だってすずめが、……すずめの、ことなのに」
「だいじょうぶだよ。明香梨さんに手を出すようなひとは、あの家ににはいないから」

 にひひ、と一転して明るく微笑み、

「それよりさ、千彰くんとはどうなのよ。あたしに言ったのよりも早く帰ってきて、到着するなり稽古してさ。そんなに会いたかったの?」

 急に話題が変えられて、明香梨の頬が一気に朱に染まる。

「な、なによ急に」
「だって、いままでそんなこと無かったじゃない。千彰くんはあんまり気付いてないっぽいけどさ」

 うん、と小さく頷いて、

「す、すずめはどう思ってるのよ、千彰のこと」

 予想外の質問に、さすがに目を丸くした。しばし見つめ合ったあと、すずめは大声で笑い出した。

「ないないないない。千彰くんはただの幼なじみ。おむつしてた時から知ってるけど、そういう感情になったことは一度もない。安心して」
「そ、そう。ならいいんだけど」

 立ち上がってすずめは明香梨の手を取る。

「な、なに」
「千彰くんは剣術にしか興味ないけどね、見た目だけはいいから、誰かが攫っちゃうかも知れないよ?」
「な、なんでそんなこと言うの」
「だから、ツバ付けとくなら今のうちってこと」

 その言葉がなにを意味するのかを察した明香梨の、頬どころか鎖骨まで真っ赤に染まる。

「んじゃ帰ろ。いつ妖魔が出てくるかわからないし」
「や、ちょっと、待って。そんなこと言われて、わたし、」
「そこはもう、押し倒すとかじゃない? 明香梨さんの方が勝率いいんでしょ?」

 にひひ、と意地悪く笑って踊るように弓道場をあとにする。

「ま、待ってってば!」

 手を伸ばす明香梨の背後で、あれだけまぶしかった夕陽ももうすぐ沈む。ここからさきは本格的に妖魔たちの時間だ。
 けれどきょうは妖魔たちの気配は薄い。
 月に一度か二度、こういう日がある。月齢が関係している、という者もいるが、例外が多すぎて確証は誰も出せていない。
 どちらにしても、平和なのはいいことだ。
 きっと何事もなく、朝になるだろう。
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