オワッテル。

九重智

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第五話

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 おい兄弟、人生ってのはわからないもんだな。まさかまさかだ。いや、小説のことじゃない、期待させてごめんよ。でも俺からすれば中々にデカいことなんだ、その、つまり、女性と出会うことになった。兄弟、きっとお前は予想していただろうけど、俺は恋人がいないし、いたこともないし、あの自称友人代表兼通称二次会幹事兼自称妻帯者の左手にはめこんだ銀のリングとは縁がない男なんだ。……なあ、兄弟、お前は馬鹿にしたりなんかしないだろ? 夢を追う、人生に向き合うってことはあんまり浮ついたことは邪魔なんだ、いやはっきりと言えば、そう思い込んだ節もあったな、だって現に俺はこうして浮足立って、薔薇、いや薔薇はちょっと違うな、薔薇なんて俺の頭にはないんだから、そう海だ、海が開けているんだ、いまの俺の脳内は船の甲板にいるような心地さ。俺は大地を飛び出て、深いブルーの世界を切り開くんだ。波頭が立つ、あのバージンロードとおなじ色の波頭が俺の軌跡に立つんだ。水平線がある、それらは大陸で急に途切れ、俺はそこに停泊する、錨を下ろしてさ。そしてまた大地を飛び立つ。そうやって冒険と安寧を繰り返し、俺は更なるリアルを獲得するんだ。……

 まあいい、その女性の話をしよう、興味はあるかい、兄弟? その女性はバイトの友人を通じて知り合ったんだ。バイトの友人ってのは、つまり前に神保町のことを教えてくれたインテリ学生クン、いや女性を紹介してくれるんだからその呼び名じゃ失礼だな、インテリ聖人学生クンさ、実際にあいつは良い奴だよ、俺を馬鹿にしないし、本の話でも気が合うんだ、あいつの勧めた丸山なんちゃらの本はさっぱりだったけど。

 あいつがな、言ったんだ、「チュウさん(そういえば、俺はチュウさんって呼ばれてるんだ、だからお前もそう呼んでくれ、兄弟)、女性恐怖症ではないですよね」「冗談はよしてくれ、こう見えても女性は好きさ」「別に恋愛とかでもなくて純粋に本好きを探してる女の子がいるんですよ」「へえ、いまは本離れも進んでるのにな」「そうなんです……会いますか?」「え?」「もし会ってもいいんなら会いませんか」

 やっぱり人生は不思議なもんだよ、兄弟。もしお前がくすぶったり、いやくすぶるなんて言い方はないな、もしお前が闘っていて、途方もない挑戦に参っているんだとしたら、お前、きっと諦めるべきじゃないぜ。運命ってのはお前を絶対におざなりにしない、ちょっとした意地悪をするかもしれないけどさ、なあ、頑張ろうぜ、兄弟。
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