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水と花の都の疾風姫編
川辺の三文芝居
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──昼下がり。
クラーケン討伐隊が街を発って十数分くらいした頃、俺たちは各々が商店街でクラーケン討伐のために準備を整えてきた。
俺たちはなにも、ソフィア一人に辺境伯からの依頼を押し付けて街で踏ん反り返るだけの輩ではないのだ。
レベル制限のせいでギルドからの依頼料は受け取れないものの、クラーケンそのものにかかった討伐報酬と辺境伯への貸しができることを考慮すれば討伐に参加しない理由がない。
それに、討伐隊がクラーケンの前で目立てば、それだけ俺たちの奇襲が刺さりやすくなるので好都合である。
……ところで、クラーケンはイカなのかタコなのか。書籍や魔物図鑑には頭足類のような魔物だと記されていたが、具体的にどっちなのかでたこ焼きにするかイカ焼きにするかが変わってくる。調べてもよくわからなかったので、今回はどっちにも対応できるよう食材の準備もしてきた。
そんな大荷物を抱えた俺を、商店街入口で待っていたマキと『月夜見』があんぐりと口を開けて出迎えてくれた。
「……これはまた、ずいぶんと大荷物ですね。仮にクラーケンを倒せなくても討伐隊は日没までには街に帰るそうですが、なぜそんなに荷物を?」
呆れた様子のマキがそんなことを聞いてくるので、あとのお楽しみだとだけ伝えて街の門を出た。
──街を出てからクラーケンがいるという河川へ向かって徒歩で数十分ほどたった頃。
街を出て川へ向かう途中は広大な農耕地が広がっており、川から引いた水で季節の野菜や麦がすくすくと育っていた。
「あ、ちなみにこの時期の農作物は大地の魔力を蓄えているので刺激すると反撃してくるのです。気を付けてくださいね」
農作物を眺めながら歩いていると、数歩先を『月夜見』と並んで進むマキがそう忠告してきた。
野菜が反撃するってどういうことだよ、と内心疑っていると。
「ほら、あそこの農家さんが飛び跳ねたニンジンに危うく急所を突きあげられるところだったのです」
マキが指さす先へ視線を向けると、数百メートルほど離れた場所で農家さんの農家さんがあわや大惨事に陥るところだった。
……霧の国に帰ったら、農家さんへの補助金を見直すことにしよう。
俺は思わず内股になりながらそう考えた。
日々の食材への感謝を再確認したところで再び歩みを進めるていると、川の方で魔法が飛び交っている様子がうっすらと見えてきた。
距離にしてまだ三キロほどあるが、川沿いに生えるちょっとした木々の先で激しい戦いが起きているのがわかる。
「地形が悪いな。川の近くまで農耕地になってるから、地形か削れる魔法銃は撃てない」
今日も今日とて持ってきたレールガンのメカニズムを魔力装置で再現した携帯魔法銃だが、装置で抑えてくれるとはいえ衝撃波で射線上に幅数メートルほど地面をえぐってしまうのだ。初速も弾がプラズマ化するのも速く、その一瞬でだいたい二キロメートル先までは狙える代物であるが、今回は場所を考える必要がありめんどくさい。
「なあマキ。ちょっとこの辺を駆け回ってよさげな狙撃ポイントを探してきてくれないか?」
こういうときは、低空飛行してるドラゴンに接近戦を仕掛けられるほど敏捷性も跳躍力も秀でたマキを頼るに限る。
そう考えていたのだが、首を横に振られた。
「簡単に言ってくれますけど、戦闘中にやってる高速移動はとてつもなく消耗するのです。例えるなら、同じ距離でも高速移動すれば数十倍の距離を全速力で駆け抜けるような負荷がかかるのです」
最速のシーフを目指しているだのなんだの言っていたマキだが、ただのパシリにはなってくれないようだ。
というか、普段のアレはそんなにも消耗するものだったのか。
当たり前のように異次元の敏捷性を見せつけてくれるのでてっきり常用できるものかと思っていた。
まあ、本当に常用できるなら、マキにとって隣町への移動に馬車は不要だしな。
「人間が使う高速移動スキルは持久力がある人でも一日で十キロメートルが限度だろうね。それ以上がたぶん体調を崩すんじゃないかな」
今までマキに無茶させ続けていたのだと反省しているところに『月夜見』が補足を入れてきた。
そう聞くと、本当にマキが最速を目指していたのだと実感させられる。
「なあマキ。これからはもっとわがまま言っていいからな。いい装備品だって経費で取り寄せてやれるしな」
本人が嫌そうにしなかったということもあるが、これまで酷使してきたことに変わりない。思えばコイツの装備も仲間になったときとほとんど変わっていないのでいい機会だろう。そう思って提案したら。
「嬉しいですけど遠慮しておきます。装備を着けると重さで足が遅くなってしまいますからね」
このロリっ子はどこまでも速さ一辺倒だった。
そんなことを話しながら歩いていると、クラーケンに対して数百メートルほど上流に位置する橋へとたどり着いた。
川を越えた先はすぐ水の国になるとのことだが検問所はないらしい。
それどころか、年季を感じる石橋で通行人の姿すら見えないくらいだ。
それもそのはず。主要な橋は王都から薔薇の都を直通する街道のものなのだから。
こちらの橋は互いの街の農家が行き来するための生活道路なのだという。
この国の辺境がこの街なら、対岸は水の国の辺境なのだ。
そして、農家同士は互いの苦労を知っているが故に精神的な国境はないのだろう。先ほどの農家を思い出せば、国が違うとか気にしていられないのだと思う。
閑話休題。そんな橋なので狙撃ポイントにしても怒られないだろうと考えて荷物を下ろす。
距離的にクラーケンが使う水系の上級攻撃魔法が届きそうだが、魔法使いたちの流れ弾には当たらないはずなのでここでいい。
射線上は川なので遮るものはなく、冒険者で構成された討伐隊も岸から攻撃しているので狙撃するのにうってつけなのだ。
地面に伏せて安全装置を外し第一射に『心理的制圧域』スキルを乗せようと準備していると。
「月の女神の『寵愛』を授けよう。……日中だからって効果は弱まらないからね!」
別に何も言っていないのだが、『月夜見』は言い訳っぽくそう付け加えた。
身の振り方に迷っている彼女だが、それでも今のところ神らしい数少ない要素なので大事にしているのだろう。あまり弄らないであげようと思う。
と、掛けてもらって困ることはないからと放っておいていると、傍で周囲の魔物の横やりに備えているマキが歓喜の声を上げた。
「すごい! すごいですよ『月夜見』! あなた、貴重なクリティカル系のバフもできるのですね!」
飛び跳ねるように……というか、実際に飛び跳ねながら喜ぶマキを見てふと思い出す。
俺が使ってる魔法銃は固定ダメージなので関係ないが、この世界にはクリティカルという概念がある。
攻撃で言えばダメージの大幅アップ。何らかの技術を使った作業の場合は、考えうる限り最も嬉しい結果になるというもの。
そう聞くと運命とやらを信じざるを得ないのだが、『月夜見』が使った『寵愛』スキルはそのクリティカルの発生率を大幅に上げつつ、更にクリティカル攻撃のダメージも底上げするようだ。
クリティカルは普通に過ごしているとまず起こりえない現象なのだが、その確率を上げる効果というのもまた貴重だという。調べた限りだと、決まって伝説級の武器についていたりするそうだが、実物を見れる人がそもそもあまりいないので信ぴょう性は定かではない。それでも、マキが飛び跳ねるほどには貴重だということはわかった。
と、ようやく魔法銃の装置に魔力が行き渡ったのでいつでも撃てる。
伏せたまま傍にいる二人に俺は声をかける。
「さて、準備が整ったようだから攻撃を開始しようと思う。覚悟はできたな?」
「「もちろん!」」
そんな返事を聞いた俺は、クラーケンを狙って引き金を引いた。
『必中』スキル、『反動抑制』スキル、『心理的制圧域』スキルなど、重ね掛けできるスキルは一通り重ねたスキルは放たれた弾丸に作用し寸分違わずクラーケンの眉間へ目掛けて飛んでいく。
スキルを複数乗せた狙撃を受けたクラーケンはというと。
『いでえええええええ! だ、だだ……誰の仕業じゃああああああああ!』
流暢な人語で野太い悲鳴をあげた。
うん?
中級の魔物くらいなら必殺できる威力のある攻撃を受けていながら、鼻先にデコピンされたくらいのリアクションを示すこのダイオウイカはいったい何者なのだろうか。
「ナイスなのです! 効いてますよあれ!」
隣でマキがはしゃいでいるが、なんだか有効打になっていないと思う。
この分だと体力に対する与えたダメージの割合も小さいだろうし、そうなると『心理的制圧域』のデバフ効果も小さいはずだ。
そのくせ。
『お、おお……お前かァッ⁉ お前の仕業なのかァァァッ‼』
あーあ、居場所がバレちゃった。
いや、撃ったらバレるのは必然なのだが、ほぼ無傷の状態で位置バレするのは話が違う。
しかも、魔法銃の発射には大量の魔力を使うので撃ててあと二、三発だ。
ちなみに、撃つ前は集中していてあまり意識していなかったが、討伐隊が放つ魔法や弓矢はクラーケンの外皮に悉く弾かれているようだ。固すぎるだろコイツ。
ようやく理解した。武闘派揃いと謳われるこの街がなぜ一匹の魔物に手を焼いていたのかが。
そういえば、愛読している魔物図鑑の出版社が最近出した新改訂版魔物図鑑には、コイツが最上級区分の魔物だと新たに記載されていたような。
参考までに当該書籍ではリヴァイアサンやヴァンパイアロード、エンシェントドラゴンにリッチなど、日本の娯楽コンテンツでも強敵として扱われる存在と同列視されていたはずだ。
そんな、世界でトップクラスにヤバイ魔物が今。
「落ち着くがいい。どうやら君は人と対話ができるようだ。なぜここに来たのか。そしていつ元の居場所へ帰るのかを明かすなら、君を見逃すことも考えてやろう」
『シバき回したろかおんどれがァァァッ‼』
俺の挑発を受けて、猛スピードで幅が広い河川を遡上し始めた。
──怒り心頭のクラーケンはというと、自身が有利な河川から這い出てまで俺たちを……正確には俺を追いかけてきていた。
先ほどまで討伐隊に攻撃されては巨大な触腕で払いのけていた時でさえ、これほど積極的に攻撃してくることはなかっただろう。
クラーケンの攻撃目標が俺たちに向いたことで、逃げる俺たちを追うクラーケンを追う討伐隊という構図が出来上がってしまった。
水棲魔物の癖に陸地に上がってきたクラーケンはあまり早くないのだが、ステータスが低い俺たちでは振り切るほど距離が取れない。
『待てやワレェ‼』
「お前は待てと言われて待つ者がいると思っているのか?」
『ぶっ殺してやらァ‼ 人間なんぞ潰す趣味はねえが……おんどれだけは、ケツの穴から触腕突っ込んで奥歯ガタガタ言わせたるわい‼』
海の大悪魔と言われ恐れられているクラーケンから『お前だけは絶対殺す』オーラを向けられる。いったい何がそこまでこのイカを掻き立てるのかイマイチわからない。
ここまでヘイトが向くほどのことかと考えていると、少し前を駆けるマキが振り向いて手を伸ばしてきた。
「……あの、埒があかないのでアタシが担いで逃げましょうか? 支援魔法をもらっているので二人くらい引っ張ってでも逃げれますが」
なんとも魅力的な提案だ……ろう、か。
いや、ダメだ。コイツの背丈では俺の足が地面に擦れながら逃げるハメになるだろう。
「却下だ却下。お前は俺の足を擦り下ろす気か」
マキとそう背が変わらないうえ、剣で切られてもケロッとしていた『月夜見』ならば問題ないだろう。しかし、俺は由緒正しき普通の人間だ。冒険者としてレベルが上がり、多少はステータスが成長したとはいえコイツの健脚から繰り出される速度で引きずられたら膝から先が無くなりそうだ。
「さすがにみっともないから遠慮するよ。頑張って走るから心配しないでおくれ」
『月夜見』にまで遠慮されたマキがこちらをムッと睨む。
「ケンジローはとても失礼なことを言いますね。いいでしょういいでしょう! そこまで言うのなら、支援魔法で強化されたアタシの運搬能力を思う存分体験させてやりますよ!」
「あ、ちょ、おまっ⁉ やめなさい! や、やめろおおおおお‼」
クラーケンに追い回されていた俺は、仲間のロリっ子のせいで悲鳴をあげるハメになった。
──逃走に失敗した俺たちは広大な農耕地でクラーケンと睨み合っていた。
全長十数メートルある巨体と相応のデカさを持つ触腕は、ひとたび地面を叩きつければ振動で足元を持っていかれるほど。
立っていることすら困難なほど強い振動に耐えるため、姿勢を低くして打開策を考えていた。
そんな時だった。スキルで脚力を底上げすることで振動に抵抗ながらクラーケンへ切りかかていたはずのマキの切羽詰まった声が聞こえた。
「ケンジロー上ですっ‼」
まともに立てない状態だが警告に従い頭上へ意識を向けた瞬間、視界が大きく揺れた。
『ガハハハハ! やっとじゃ。やっと、この憎たらしい人の子を捕らえたわい!』
体を締め付ける強い圧力と勝ち誇るような野太い声を耳にして何が起きたかを理解した。
交互に地面を叩いていた触腕のうちの片方に捕まったようだ。隙を見せてしまった。
しかしなぜだろう。絶対絶命のピンチなのに、なぜか恐怖が湧いてこない。別に破滅願望があるわけではいのだが。語弊なく言語化するとなると難しいがあえて言うなら。
「……なあクラーケン。お前普段何食ってるんだ? なんだか魚介の旨そうな香りがお前から漂ってくるんだが」
そう。今の俺の思考を支配しているのは食欲なのである。
俺の言葉に、クラーケンも仲間たちも言葉を失い硬直した。
やっぱり俺の想像は正しかったらしい。あとは荷物にある調味料さえ取り出すことができればいいのだが。
そんなことを考えていると、我に返ったクラーケンが焦りをあらわにして振り回してきた。
『殺す! この小僧は今ここで絶対に殺す! なんだか嫌な予感がするのじゃ!』
凄まじい殺意をぶつけられ、地面にも強く打ち付けられていて聞き取りづらいのだが、これだけは言いたい。一番焦らされているのは俺なはずでは?
まあ、実際には焦るほどのことではないのだが。
というのも、命綱に等しいバリアを。遠くからクラーケンを追ってきた討伐隊に混ざっているソフィアが必死こいて張り直しているからだ。万が一にも割れる心配はないはずである。
ちなみに、割れた場合は防御ステータスの支援魔法ごとクラーケンの怪力で捻り潰されてデッドエンドである。
色々な独り言を心の中で垂れたが、つまるところ命の危機はない。命は問題ないのだが、大変なことになっているのは別の要素であり。
「おいイカ野郎、いつまで振り回すつもりだよ‼ いいのか⁉ 吐くぞ⁉ 自律神経の乱れからくる諸々の生体反応の末に、お前にきたねえゲロがかかるぞ!」
そう。元々乗り物酔いを起こしやすい俺がこれほどまで振り回されたら、もはやこうならないほうが不思議なのだが……は、吐きそう。
人が見ているうえにソフィアと同類になりたくないので、気合を入れて人間の尊厳を守ろうとしている。しかし、それももう限界かもしれない。
というか。
「なぜ俺ばかり狙うんだ! いるぞあっちに! 必死こいて俺にバリア張り続けている奴が!」
割れそうにないバリアの上から執拗に攻撃している暇があったら、まずは支援魔法を掛け続けているところから叩けばいいのに。
その方がクラーケン側としても合理的なうえ、俺としても歴戦の猛者が徒党を組んで行動している討伐隊と対峙してくれた方がありがたい。双方に理がある最善手だと思うのだが。
「「うわぁ、最低」」
仲間たちの心をえぐる声がうっすらと耳に届いた。
それどころか、敵であり魔物のクラーケンにさえドン引きされている。
『……小僧。貴様実は魔物ではないのか? 人に化けて長年行動し、最後の最後で集落を滅ぼす種族もいたと思うが』
誰が魔物だ!
「俺をそんな趣味の悪い姑息で陰湿な魔物と一緒にすんな! 心外だぞ!」
まるで信じてもらえてない様子だが、俺は無用な殺生をしなければ食べ物一つ粗末にしたことがない善良な人間である。信じてほしい。
そんな俺の祈りが届いたのか。はたまた、さきほど『月夜見』が掛けてくれた『寵愛』スキルによるクリティカル率アップによるものか。
都合のいいことに、クラーケンに掴まれていた荷物から焦げ茶色の液体が飛び出した。
次の瞬間。
『ギャアアアアアアアア‼ な、なな、なぜこんな禍々しい物がこんなところに⁉』
勢いよく俺を地面へ投げつけたクラーケンは、まるで生命の危機にでも直面したような悲鳴をあげながら後ずさる。
身を躱すようにして巨体を動かしたクラーケンは、まるで汚物を扱うように俺に触腕を向けてこう言った。
そんなに怖がらなくとも、その液体はただの。
『この醤油でワシをどうするつもりじゃ‼』
そう。俺はクラーケンと聞いて、倒した暁には食用として事業開拓できないかと企んでいたのだ。
醤油の他にも味噌や小麦粉など、手に入る範囲でイカやタコを使った料理の材料を揃えていたが、まさかここまで怯えさせることのできる代物だったとは。
この際、討伐対象のクラーケンに何を言われても気にはしない。だが。
「おいそれ以上よけいなことを言うんじゃないイカ野郎。俺を見る冒険者たちの視線が鬼や獣に対するそれになっているから」
今更取り返しがつかないだろうが、あまりにも俺が鬼畜生だという根も葉もない噂が広がってしまえば、今後の使者としての対談に悪影響を及ぼすかもしれない。それだけは絶対に避けたいのだが、クラーケンとしてはどうしても俺が怖いようで。
『さ、さては小僧、ニホン人とやらじゃろ‼ 数十年前とて、貴様らはワシやワシの同族を喰おうとしおって! 憎い、貴様ら民族がこの世の何よりも憎いわい‼』
まるで親の仇みたいな言われようで、さすがの俺も少し精神的にくるものがある。
「……マキ。今から暴れるから尻拭いは任せた」
地面に叩きつけられた俺を心配して駆け寄ってきていたマキに後のことを託す。
困惑とドン引きとそのた複雑な感情が渦巻いているだろうが、やがて本人のなかで折り合いをつけたのか首を縦に振ってくれた。
「どうせクラーケンへの有効打はあなた以外にありませんし、ヤバくなったらケンジローを引きずってでも逃げますから。やっちゃってください」
「ええ⁉ い、いいのかい⁉ 仲間の人がこれ以上堕ちていくのを止めなくちゃいけないんじゃ」
マキの同意が得られたのであまり関係がないことなのだが、俺とマキを交互に見てそんなことを言う『月夜見』は後で粉まみれにしてやろう。
とはいえ、まずはイカの処理からだ。拘束を解かれた俺は、荷物の中で無事だった小麦粉と片栗粉が入った袋を担ぐと、ハンマー投げの要領で投げ飛ばした。
「てめえみたいなイカ野郎を揚げ物にするときに使う粉だ! 受け取れぇ‼」
支援魔法で強化された腕力によって、触腕を振って防ごうとするクラーケンに見事命中。
上に長い胴体部分からバサッと粉がかかった。
辺りに漂う粉の白い気体が消えないうちに俺は叫んだ。
「魔法使いの皆、聞こえるかあ⁉ 炎の魔法を浴びせてやれええ‼」
困惑と警戒からその場で動かず身構えていた討伐隊に大声で指示を出す。
すると、小麦粉を撒いたあたりから察していたのだろう。既に詠唱を終えたらしい女性の魔法使いの声が……というか、普段よく聞くツンデレぺったん賢者娘の魔法を放つ声が最初に鳴り響いた。
「聖なる陽炎よ、すべてを焼き払え! 『ディバイン・フレア』ーッ‼」
ソフィアが稀に使う、神聖属性を帯びた火属性の上級魔法。それが、小麦粉と片栗粉の粉塵に包まれたクラーケンの足元から出現し。
「ドカーン……とはならないんだな、これが」
粉に引火して激しい炎に包まれたクラーケンを眺めながら、何かを察していたらしく魔法を撃った瞬間に身構えていた討伐隊に混じるソフィアへ嘲笑の念を抱いていた。
こうした事故で起きがちな粉塵爆発は、残念なことにこんな開けた農耕地で起こせるようなものではない。
しかし、それはそうとして、燃えやすい小麦粉や片栗粉をまぶされたクラーケンが燃焼するなど、文字通り火を見るより明らかなわけで。
「堅牢な表皮に守られたアイツは火や電撃の魔法にも強かった。それほどまでに熱やそれに近いエネルギーを通しにくい表皮では、じっくり加熱されてしまったら内部が高温になるだろう。アイツは己の堅牢さが仇となり蒸し焼き状態になるのさ」
勝ち誇るようにそう呟く。
普段はこんな風に独り言で勝ち誇ることはないのだが、意外なことに自分自身で思っていた以上に荷物をダメにされたことに憤っていたのかもしれない。
はたまた。
「お、おのれ。へなちょこな魔法使いどもだと見逃してやっておれば……」
先ほどから魔法使いたちを、正確にはその中にいるソフィアを見下すような目で見ていたコイツが許せなかったのかもしれない。
……なんだか鳥肌が立ちそうなのでこれ以上考えないでおこう。
さて、クラーケンから香ばしい匂いがしてきた頃。
持ってきていた箸を片手に火力が落ちてきたクラーケンへと近づこうとして。
『に、逃げるが勝ちじゃわい! ガハハ! よもや焼け死んだとでも思ったか⁉ 溜飲が下がったわい‼』
突然動き出したクラーケンは俺たちを煽ると、さきほどまでとは比べ物にならない敏捷性を見せて川の方へと逃げてしまった。
冒険者たちが困惑と怒りの感情が混ざった声を出す頃には時すでに遅し。あんなにデカかったクラーケンの姿が小さくなっていた。
つまり、今回もこの街の冒険者たちはクラーケン討伐に失敗したということになるのだ。
嫌だなぁ。しばらく毎日顔を出そうと思っていたギルドに顔を出しにくくなってしまう。
まあ、やれるだけのことはやっただろう。だからもう帰ろう。
俺たちはあくまで討伐隊とは別行動扱いになっているのだから、好きなタイミングで帰っていいはずなのだから。
そんなことを考えた俺は、マキと『月夜見』を連れて街へ帰った。
クラーケン討伐隊が街を発って十数分くらいした頃、俺たちは各々が商店街でクラーケン討伐のために準備を整えてきた。
俺たちはなにも、ソフィア一人に辺境伯からの依頼を押し付けて街で踏ん反り返るだけの輩ではないのだ。
レベル制限のせいでギルドからの依頼料は受け取れないものの、クラーケンそのものにかかった討伐報酬と辺境伯への貸しができることを考慮すれば討伐に参加しない理由がない。
それに、討伐隊がクラーケンの前で目立てば、それだけ俺たちの奇襲が刺さりやすくなるので好都合である。
……ところで、クラーケンはイカなのかタコなのか。書籍や魔物図鑑には頭足類のような魔物だと記されていたが、具体的にどっちなのかでたこ焼きにするかイカ焼きにするかが変わってくる。調べてもよくわからなかったので、今回はどっちにも対応できるよう食材の準備もしてきた。
そんな大荷物を抱えた俺を、商店街入口で待っていたマキと『月夜見』があんぐりと口を開けて出迎えてくれた。
「……これはまた、ずいぶんと大荷物ですね。仮にクラーケンを倒せなくても討伐隊は日没までには街に帰るそうですが、なぜそんなに荷物を?」
呆れた様子のマキがそんなことを聞いてくるので、あとのお楽しみだとだけ伝えて街の門を出た。
──街を出てからクラーケンがいるという河川へ向かって徒歩で数十分ほどたった頃。
街を出て川へ向かう途中は広大な農耕地が広がっており、川から引いた水で季節の野菜や麦がすくすくと育っていた。
「あ、ちなみにこの時期の農作物は大地の魔力を蓄えているので刺激すると反撃してくるのです。気を付けてくださいね」
農作物を眺めながら歩いていると、数歩先を『月夜見』と並んで進むマキがそう忠告してきた。
野菜が反撃するってどういうことだよ、と内心疑っていると。
「ほら、あそこの農家さんが飛び跳ねたニンジンに危うく急所を突きあげられるところだったのです」
マキが指さす先へ視線を向けると、数百メートルほど離れた場所で農家さんの農家さんがあわや大惨事に陥るところだった。
……霧の国に帰ったら、農家さんへの補助金を見直すことにしよう。
俺は思わず内股になりながらそう考えた。
日々の食材への感謝を再確認したところで再び歩みを進めるていると、川の方で魔法が飛び交っている様子がうっすらと見えてきた。
距離にしてまだ三キロほどあるが、川沿いに生えるちょっとした木々の先で激しい戦いが起きているのがわかる。
「地形が悪いな。川の近くまで農耕地になってるから、地形か削れる魔法銃は撃てない」
今日も今日とて持ってきたレールガンのメカニズムを魔力装置で再現した携帯魔法銃だが、装置で抑えてくれるとはいえ衝撃波で射線上に幅数メートルほど地面をえぐってしまうのだ。初速も弾がプラズマ化するのも速く、その一瞬でだいたい二キロメートル先までは狙える代物であるが、今回は場所を考える必要がありめんどくさい。
「なあマキ。ちょっとこの辺を駆け回ってよさげな狙撃ポイントを探してきてくれないか?」
こういうときは、低空飛行してるドラゴンに接近戦を仕掛けられるほど敏捷性も跳躍力も秀でたマキを頼るに限る。
そう考えていたのだが、首を横に振られた。
「簡単に言ってくれますけど、戦闘中にやってる高速移動はとてつもなく消耗するのです。例えるなら、同じ距離でも高速移動すれば数十倍の距離を全速力で駆け抜けるような負荷がかかるのです」
最速のシーフを目指しているだのなんだの言っていたマキだが、ただのパシリにはなってくれないようだ。
というか、普段のアレはそんなにも消耗するものだったのか。
当たり前のように異次元の敏捷性を見せつけてくれるのでてっきり常用できるものかと思っていた。
まあ、本当に常用できるなら、マキにとって隣町への移動に馬車は不要だしな。
「人間が使う高速移動スキルは持久力がある人でも一日で十キロメートルが限度だろうね。それ以上がたぶん体調を崩すんじゃないかな」
今までマキに無茶させ続けていたのだと反省しているところに『月夜見』が補足を入れてきた。
そう聞くと、本当にマキが最速を目指していたのだと実感させられる。
「なあマキ。これからはもっとわがまま言っていいからな。いい装備品だって経費で取り寄せてやれるしな」
本人が嫌そうにしなかったということもあるが、これまで酷使してきたことに変わりない。思えばコイツの装備も仲間になったときとほとんど変わっていないのでいい機会だろう。そう思って提案したら。
「嬉しいですけど遠慮しておきます。装備を着けると重さで足が遅くなってしまいますからね」
このロリっ子はどこまでも速さ一辺倒だった。
そんなことを話しながら歩いていると、クラーケンに対して数百メートルほど上流に位置する橋へとたどり着いた。
川を越えた先はすぐ水の国になるとのことだが検問所はないらしい。
それどころか、年季を感じる石橋で通行人の姿すら見えないくらいだ。
それもそのはず。主要な橋は王都から薔薇の都を直通する街道のものなのだから。
こちらの橋は互いの街の農家が行き来するための生活道路なのだという。
この国の辺境がこの街なら、対岸は水の国の辺境なのだ。
そして、農家同士は互いの苦労を知っているが故に精神的な国境はないのだろう。先ほどの農家を思い出せば、国が違うとか気にしていられないのだと思う。
閑話休題。そんな橋なので狙撃ポイントにしても怒られないだろうと考えて荷物を下ろす。
距離的にクラーケンが使う水系の上級攻撃魔法が届きそうだが、魔法使いたちの流れ弾には当たらないはずなのでここでいい。
射線上は川なので遮るものはなく、冒険者で構成された討伐隊も岸から攻撃しているので狙撃するのにうってつけなのだ。
地面に伏せて安全装置を外し第一射に『心理的制圧域』スキルを乗せようと準備していると。
「月の女神の『寵愛』を授けよう。……日中だからって効果は弱まらないからね!」
別に何も言っていないのだが、『月夜見』は言い訳っぽくそう付け加えた。
身の振り方に迷っている彼女だが、それでも今のところ神らしい数少ない要素なので大事にしているのだろう。あまり弄らないであげようと思う。
と、掛けてもらって困ることはないからと放っておいていると、傍で周囲の魔物の横やりに備えているマキが歓喜の声を上げた。
「すごい! すごいですよ『月夜見』! あなた、貴重なクリティカル系のバフもできるのですね!」
飛び跳ねるように……というか、実際に飛び跳ねながら喜ぶマキを見てふと思い出す。
俺が使ってる魔法銃は固定ダメージなので関係ないが、この世界にはクリティカルという概念がある。
攻撃で言えばダメージの大幅アップ。何らかの技術を使った作業の場合は、考えうる限り最も嬉しい結果になるというもの。
そう聞くと運命とやらを信じざるを得ないのだが、『月夜見』が使った『寵愛』スキルはそのクリティカルの発生率を大幅に上げつつ、更にクリティカル攻撃のダメージも底上げするようだ。
クリティカルは普通に過ごしているとまず起こりえない現象なのだが、その確率を上げる効果というのもまた貴重だという。調べた限りだと、決まって伝説級の武器についていたりするそうだが、実物を見れる人がそもそもあまりいないので信ぴょう性は定かではない。それでも、マキが飛び跳ねるほどには貴重だということはわかった。
と、ようやく魔法銃の装置に魔力が行き渡ったのでいつでも撃てる。
伏せたまま傍にいる二人に俺は声をかける。
「さて、準備が整ったようだから攻撃を開始しようと思う。覚悟はできたな?」
「「もちろん!」」
そんな返事を聞いた俺は、クラーケンを狙って引き金を引いた。
『必中』スキル、『反動抑制』スキル、『心理的制圧域』スキルなど、重ね掛けできるスキルは一通り重ねたスキルは放たれた弾丸に作用し寸分違わずクラーケンの眉間へ目掛けて飛んでいく。
スキルを複数乗せた狙撃を受けたクラーケンはというと。
『いでえええええええ! だ、だだ……誰の仕業じゃああああああああ!』
流暢な人語で野太い悲鳴をあげた。
うん?
中級の魔物くらいなら必殺できる威力のある攻撃を受けていながら、鼻先にデコピンされたくらいのリアクションを示すこのダイオウイカはいったい何者なのだろうか。
「ナイスなのです! 効いてますよあれ!」
隣でマキがはしゃいでいるが、なんだか有効打になっていないと思う。
この分だと体力に対する与えたダメージの割合も小さいだろうし、そうなると『心理的制圧域』のデバフ効果も小さいはずだ。
そのくせ。
『お、おお……お前かァッ⁉ お前の仕業なのかァァァッ‼』
あーあ、居場所がバレちゃった。
いや、撃ったらバレるのは必然なのだが、ほぼ無傷の状態で位置バレするのは話が違う。
しかも、魔法銃の発射には大量の魔力を使うので撃ててあと二、三発だ。
ちなみに、撃つ前は集中していてあまり意識していなかったが、討伐隊が放つ魔法や弓矢はクラーケンの外皮に悉く弾かれているようだ。固すぎるだろコイツ。
ようやく理解した。武闘派揃いと謳われるこの街がなぜ一匹の魔物に手を焼いていたのかが。
そういえば、愛読している魔物図鑑の出版社が最近出した新改訂版魔物図鑑には、コイツが最上級区分の魔物だと新たに記載されていたような。
参考までに当該書籍ではリヴァイアサンやヴァンパイアロード、エンシェントドラゴンにリッチなど、日本の娯楽コンテンツでも強敵として扱われる存在と同列視されていたはずだ。
そんな、世界でトップクラスにヤバイ魔物が今。
「落ち着くがいい。どうやら君は人と対話ができるようだ。なぜここに来たのか。そしていつ元の居場所へ帰るのかを明かすなら、君を見逃すことも考えてやろう」
『シバき回したろかおんどれがァァァッ‼』
俺の挑発を受けて、猛スピードで幅が広い河川を遡上し始めた。
──怒り心頭のクラーケンはというと、自身が有利な河川から這い出てまで俺たちを……正確には俺を追いかけてきていた。
先ほどまで討伐隊に攻撃されては巨大な触腕で払いのけていた時でさえ、これほど積極的に攻撃してくることはなかっただろう。
クラーケンの攻撃目標が俺たちに向いたことで、逃げる俺たちを追うクラーケンを追う討伐隊という構図が出来上がってしまった。
水棲魔物の癖に陸地に上がってきたクラーケンはあまり早くないのだが、ステータスが低い俺たちでは振り切るほど距離が取れない。
『待てやワレェ‼』
「お前は待てと言われて待つ者がいると思っているのか?」
『ぶっ殺してやらァ‼ 人間なんぞ潰す趣味はねえが……おんどれだけは、ケツの穴から触腕突っ込んで奥歯ガタガタ言わせたるわい‼』
海の大悪魔と言われ恐れられているクラーケンから『お前だけは絶対殺す』オーラを向けられる。いったい何がそこまでこのイカを掻き立てるのかイマイチわからない。
ここまでヘイトが向くほどのことかと考えていると、少し前を駆けるマキが振り向いて手を伸ばしてきた。
「……あの、埒があかないのでアタシが担いで逃げましょうか? 支援魔法をもらっているので二人くらい引っ張ってでも逃げれますが」
なんとも魅力的な提案だ……ろう、か。
いや、ダメだ。コイツの背丈では俺の足が地面に擦れながら逃げるハメになるだろう。
「却下だ却下。お前は俺の足を擦り下ろす気か」
マキとそう背が変わらないうえ、剣で切られてもケロッとしていた『月夜見』ならば問題ないだろう。しかし、俺は由緒正しき普通の人間だ。冒険者としてレベルが上がり、多少はステータスが成長したとはいえコイツの健脚から繰り出される速度で引きずられたら膝から先が無くなりそうだ。
「さすがにみっともないから遠慮するよ。頑張って走るから心配しないでおくれ」
『月夜見』にまで遠慮されたマキがこちらをムッと睨む。
「ケンジローはとても失礼なことを言いますね。いいでしょういいでしょう! そこまで言うのなら、支援魔法で強化されたアタシの運搬能力を思う存分体験させてやりますよ!」
「あ、ちょ、おまっ⁉ やめなさい! や、やめろおおおおお‼」
クラーケンに追い回されていた俺は、仲間のロリっ子のせいで悲鳴をあげるハメになった。
──逃走に失敗した俺たちは広大な農耕地でクラーケンと睨み合っていた。
全長十数メートルある巨体と相応のデカさを持つ触腕は、ひとたび地面を叩きつければ振動で足元を持っていかれるほど。
立っていることすら困難なほど強い振動に耐えるため、姿勢を低くして打開策を考えていた。
そんな時だった。スキルで脚力を底上げすることで振動に抵抗ながらクラーケンへ切りかかていたはずのマキの切羽詰まった声が聞こえた。
「ケンジロー上ですっ‼」
まともに立てない状態だが警告に従い頭上へ意識を向けた瞬間、視界が大きく揺れた。
『ガハハハハ! やっとじゃ。やっと、この憎たらしい人の子を捕らえたわい!』
体を締め付ける強い圧力と勝ち誇るような野太い声を耳にして何が起きたかを理解した。
交互に地面を叩いていた触腕のうちの片方に捕まったようだ。隙を見せてしまった。
しかしなぜだろう。絶対絶命のピンチなのに、なぜか恐怖が湧いてこない。別に破滅願望があるわけではいのだが。語弊なく言語化するとなると難しいがあえて言うなら。
「……なあクラーケン。お前普段何食ってるんだ? なんだか魚介の旨そうな香りがお前から漂ってくるんだが」
そう。今の俺の思考を支配しているのは食欲なのである。
俺の言葉に、クラーケンも仲間たちも言葉を失い硬直した。
やっぱり俺の想像は正しかったらしい。あとは荷物にある調味料さえ取り出すことができればいいのだが。
そんなことを考えていると、我に返ったクラーケンが焦りをあらわにして振り回してきた。
『殺す! この小僧は今ここで絶対に殺す! なんだか嫌な予感がするのじゃ!』
凄まじい殺意をぶつけられ、地面にも強く打ち付けられていて聞き取りづらいのだが、これだけは言いたい。一番焦らされているのは俺なはずでは?
まあ、実際には焦るほどのことではないのだが。
というのも、命綱に等しいバリアを。遠くからクラーケンを追ってきた討伐隊に混ざっているソフィアが必死こいて張り直しているからだ。万が一にも割れる心配はないはずである。
ちなみに、割れた場合は防御ステータスの支援魔法ごとクラーケンの怪力で捻り潰されてデッドエンドである。
色々な独り言を心の中で垂れたが、つまるところ命の危機はない。命は問題ないのだが、大変なことになっているのは別の要素であり。
「おいイカ野郎、いつまで振り回すつもりだよ‼ いいのか⁉ 吐くぞ⁉ 自律神経の乱れからくる諸々の生体反応の末に、お前にきたねえゲロがかかるぞ!」
そう。元々乗り物酔いを起こしやすい俺がこれほどまで振り回されたら、もはやこうならないほうが不思議なのだが……は、吐きそう。
人が見ているうえにソフィアと同類になりたくないので、気合を入れて人間の尊厳を守ろうとしている。しかし、それももう限界かもしれない。
というか。
「なぜ俺ばかり狙うんだ! いるぞあっちに! 必死こいて俺にバリア張り続けている奴が!」
割れそうにないバリアの上から執拗に攻撃している暇があったら、まずは支援魔法を掛け続けているところから叩けばいいのに。
その方がクラーケン側としても合理的なうえ、俺としても歴戦の猛者が徒党を組んで行動している討伐隊と対峙してくれた方がありがたい。双方に理がある最善手だと思うのだが。
「「うわぁ、最低」」
仲間たちの心をえぐる声がうっすらと耳に届いた。
それどころか、敵であり魔物のクラーケンにさえドン引きされている。
『……小僧。貴様実は魔物ではないのか? 人に化けて長年行動し、最後の最後で集落を滅ぼす種族もいたと思うが』
誰が魔物だ!
「俺をそんな趣味の悪い姑息で陰湿な魔物と一緒にすんな! 心外だぞ!」
まるで信じてもらえてない様子だが、俺は無用な殺生をしなければ食べ物一つ粗末にしたことがない善良な人間である。信じてほしい。
そんな俺の祈りが届いたのか。はたまた、さきほど『月夜見』が掛けてくれた『寵愛』スキルによるクリティカル率アップによるものか。
都合のいいことに、クラーケンに掴まれていた荷物から焦げ茶色の液体が飛び出した。
次の瞬間。
『ギャアアアアアアアア‼ な、なな、なぜこんな禍々しい物がこんなところに⁉』
勢いよく俺を地面へ投げつけたクラーケンは、まるで生命の危機にでも直面したような悲鳴をあげながら後ずさる。
身を躱すようにして巨体を動かしたクラーケンは、まるで汚物を扱うように俺に触腕を向けてこう言った。
そんなに怖がらなくとも、その液体はただの。
『この醤油でワシをどうするつもりじゃ‼』
そう。俺はクラーケンと聞いて、倒した暁には食用として事業開拓できないかと企んでいたのだ。
醤油の他にも味噌や小麦粉など、手に入る範囲でイカやタコを使った料理の材料を揃えていたが、まさかここまで怯えさせることのできる代物だったとは。
この際、討伐対象のクラーケンに何を言われても気にはしない。だが。
「おいそれ以上よけいなことを言うんじゃないイカ野郎。俺を見る冒険者たちの視線が鬼や獣に対するそれになっているから」
今更取り返しがつかないだろうが、あまりにも俺が鬼畜生だという根も葉もない噂が広がってしまえば、今後の使者としての対談に悪影響を及ぼすかもしれない。それだけは絶対に避けたいのだが、クラーケンとしてはどうしても俺が怖いようで。
『さ、さては小僧、ニホン人とやらじゃろ‼ 数十年前とて、貴様らはワシやワシの同族を喰おうとしおって! 憎い、貴様ら民族がこの世の何よりも憎いわい‼』
まるで親の仇みたいな言われようで、さすがの俺も少し精神的にくるものがある。
「……マキ。今から暴れるから尻拭いは任せた」
地面に叩きつけられた俺を心配して駆け寄ってきていたマキに後のことを託す。
困惑とドン引きとそのた複雑な感情が渦巻いているだろうが、やがて本人のなかで折り合いをつけたのか首を縦に振ってくれた。
「どうせクラーケンへの有効打はあなた以外にありませんし、ヤバくなったらケンジローを引きずってでも逃げますから。やっちゃってください」
「ええ⁉ い、いいのかい⁉ 仲間の人がこれ以上堕ちていくのを止めなくちゃいけないんじゃ」
マキの同意が得られたのであまり関係がないことなのだが、俺とマキを交互に見てそんなことを言う『月夜見』は後で粉まみれにしてやろう。
とはいえ、まずはイカの処理からだ。拘束を解かれた俺は、荷物の中で無事だった小麦粉と片栗粉が入った袋を担ぐと、ハンマー投げの要領で投げ飛ばした。
「てめえみたいなイカ野郎を揚げ物にするときに使う粉だ! 受け取れぇ‼」
支援魔法で強化された腕力によって、触腕を振って防ごうとするクラーケンに見事命中。
上に長い胴体部分からバサッと粉がかかった。
辺りに漂う粉の白い気体が消えないうちに俺は叫んだ。
「魔法使いの皆、聞こえるかあ⁉ 炎の魔法を浴びせてやれええ‼」
困惑と警戒からその場で動かず身構えていた討伐隊に大声で指示を出す。
すると、小麦粉を撒いたあたりから察していたのだろう。既に詠唱を終えたらしい女性の魔法使いの声が……というか、普段よく聞くツンデレぺったん賢者娘の魔法を放つ声が最初に鳴り響いた。
「聖なる陽炎よ、すべてを焼き払え! 『ディバイン・フレア』ーッ‼」
ソフィアが稀に使う、神聖属性を帯びた火属性の上級魔法。それが、小麦粉と片栗粉の粉塵に包まれたクラーケンの足元から出現し。
「ドカーン……とはならないんだな、これが」
粉に引火して激しい炎に包まれたクラーケンを眺めながら、何かを察していたらしく魔法を撃った瞬間に身構えていた討伐隊に混じるソフィアへ嘲笑の念を抱いていた。
こうした事故で起きがちな粉塵爆発は、残念なことにこんな開けた農耕地で起こせるようなものではない。
しかし、それはそうとして、燃えやすい小麦粉や片栗粉をまぶされたクラーケンが燃焼するなど、文字通り火を見るより明らかなわけで。
「堅牢な表皮に守られたアイツは火や電撃の魔法にも強かった。それほどまでに熱やそれに近いエネルギーを通しにくい表皮では、じっくり加熱されてしまったら内部が高温になるだろう。アイツは己の堅牢さが仇となり蒸し焼き状態になるのさ」
勝ち誇るようにそう呟く。
普段はこんな風に独り言で勝ち誇ることはないのだが、意外なことに自分自身で思っていた以上に荷物をダメにされたことに憤っていたのかもしれない。
はたまた。
「お、おのれ。へなちょこな魔法使いどもだと見逃してやっておれば……」
先ほどから魔法使いたちを、正確にはその中にいるソフィアを見下すような目で見ていたコイツが許せなかったのかもしれない。
……なんだか鳥肌が立ちそうなのでこれ以上考えないでおこう。
さて、クラーケンから香ばしい匂いがしてきた頃。
持ってきていた箸を片手に火力が落ちてきたクラーケンへと近づこうとして。
『に、逃げるが勝ちじゃわい! ガハハ! よもや焼け死んだとでも思ったか⁉ 溜飲が下がったわい‼』
突然動き出したクラーケンは俺たちを煽ると、さきほどまでとは比べ物にならない敏捷性を見せて川の方へと逃げてしまった。
冒険者たちが困惑と怒りの感情が混ざった声を出す頃には時すでに遅し。あんなにデカかったクラーケンの姿が小さくなっていた。
つまり、今回もこの街の冒険者たちはクラーケン討伐に失敗したということになるのだ。
嫌だなぁ。しばらく毎日顔を出そうと思っていたギルドに顔を出しにくくなってしまう。
まあ、やれるだけのことはやっただろう。だからもう帰ろう。
俺たちはあくまで討伐隊とは別行動扱いになっているのだから、好きなタイミングで帰っていいはずなのだから。
そんなことを考えた俺は、マキと『月夜見』を連れて街へ帰った。
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