大富豪-怨 LINE-

信道 正義

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 ある朝、ボクの味覚が消えた。
 






 流行りの感染症を疑ったママが専門の大きな病院に連れて来たが、医者は数分の診察と簡単な検査だけで自宅療養を命じた。

「今回の結果は陰性でしたが、ご家族や近しい方で陽性になった方はおられますか?」

やけに優しげな医者の問いかけにママはすぐに首を振ったけれど、ボクの脳裏にはふとあのアプリが浮かんだ。

でも、そんなのありえない。

口にしたら脳のCTスキャンを撮られるか、パパの研究所に車を走らせるだろう。

だから何も答えなかった。

そんなことより、体調はどこも悪くないのに学校を休めるから、内心の高揚をひた隠すのに注力している。帰りの車中で、親友のマコトが恨めしそうなスタンプを送ってきて、顔には出さないように満面の笑みの絵文字を返してやった。
 
 家に着くと、家政婦の弥生さんはボクの部屋を掃除していて、リビングでは隣町に住んでいる祖母が待ち構えていた。いつもの小言を華麗にあしらうママのかたわらで、ボクは喜び勇むシェイクの毛並みに顔を埋める。ひなたぼっこでもしていたのか、太陽の温もりと匂いにとても癒やされた。スピアを呼んでみたけれど、祖母がいるということはどこかに閉じ込められているのだろう。ママはばぁば…いや、祖母にボクの症状と病院でどんな検査をしたのか、最後まで言葉をにごして話さなかった。高齢者が感染すると命に関わるらしいが、余計に騒ぎ立てた後で結果的にも陰性だった時のことを考えたら、ボクでも同じ判断をしたかもしれない。

「じゃ、お義母さん。よろしくお願いします」

「そんな高いヒールの履いて!見栄より妊婦の自覚を持ちなさい」

「そうですね。車の中で履き替えます。晴希ー!病人なんだから、おとなしくしてなさいよ」

玄関先で声を上げるママに適当な返事をして、ボクは冷蔵庫の扉を開けた。味覚がおかしいとはいえ腹は減る。弥生さんにお願いしたいが、家の中でもマスクを付け直して帰り支度をしていた。祖母に作らせると必ず感想を求めてくるから、今日はとくに厄介だ。

「お昼ご飯、食べてないの?」

「うん。ママ、13時から会議だって」

「まったく…子どもより仕事優先なんて、母親失格だわ。私の時代では考えられない」

その子どもの前でも平気で確執を見せつける祖母とママはお察しの通り仲が悪い。車の中に替えの靴なんて載っていないから、嫌味を耐えたりかわしたりしているママのほうがよっぽどオトナだと思う。世間で云う典型的な老害ってやつだけど、お小遣いをくれるしお年玉もお盆玉だってくれるから、ボクは祖母が大好きだ。でも、さすがに中学に入ったし、ばぁばって呼ぶのは卒業することにした。



 その日の夕方になると、嗅覚も消えた。

ママがダイエットのために毎夜食べているセロリの独特な臭いと味が、一生喉を通ることは無いと思われたあれが、胃袋に収まってしまった。ボクよりママが目を見開き驚いて、すぐに今朝の医者へ電話を掛ける。話しながらテーブルに置いた名刺には携帯番号しか書かれておらず、やけに優しげだったのはそういうことかと腑に落ちた。ママと外出するとよくあることだ。

「また病院に行くの?」

「ううん。そのまま自宅で経過観察だって。でも、おかしいわね…」

どうやら、他の検査も全て異常なしだったらしい。ママはあれこれつぶやきながら、前日のボクの行動や食べた物をおさらいしていたが、いよいよボクの中では半信半疑の域に至っていた。

「あのね…」

「ん?どうしたの。他にもどこか変なとこある?」

心配そうに見つめるその目に、ボクはを伝えられなかった。疑いの余地はまだまだあるからだ。それでも、次はどの五感を奪われるのだろうという恐怖で布団にくるまる。

携帯を触るのが恐い。

あのアプリを開くのが怖い。

だから、マコトの怒りにも似たメッセージも既読スルーにしたままだ。こういう時に猫は勘が働くのか、ベッドの隅に最近は寄りつかなくなったスピアがちょこんと座って、ボクが顔を出すと体を倒してくつろいだ。

「ワタシがそばにいるよ」

そう言っているかのように、大きな瞳でこちらを見る。年の功。それが正しいのかもしれない。スピアはボクと同い年で、すなわちいつ死んでもおかしくないおばあちゃん。小言はもちろんのこと鳴き声もあまり上げず、動きもゆったりしている。誰かれ尻尾を振るシェイクも健気で可愛いが、ボクはスピアといるとすごく安心するのだ。 
 
 「命の大切さを知ってほしい」という両親の願いでうちに来た二匹。6才の時にハムスターを飼いたいと駄々をこねたことがあって、〈ハムレット〉という名前まで先に考えていたが、当時は血気盛んだったスピアに食される可能性を考慮して泣く泣く諦めた。命の大切さはその頃からもう知っている。

でもまだ、死については知らない。

ボクの周りでそこに達した人はいないし、ボク自身だって考えたことすら無い。

今の、いままでーー。



 翌朝、違和感に留まっていたものが絶望へと変わった。

目覚めた瞬間から、シーツの温もりや枕の肌触り、じゃれつくスピアの柔らかい毛と甘噛みだって、すべてを感じなくなっていた。

を認識した24時間後、温度覚と痛覚などを司る触覚もがボクから消え失せる。

「ママー! ママっ!」

床は目で捉えられて足先を着くけれど、感覚が無いゆえ思うように歩けずたどたどしい。ドアノブを握るというなんてことない動作さえ、頭の中で確認しながら力を加えた。扉の向こうにはいまにもドアを開けようとしていたママが居て、ボクはその身体に飛び込んだ。何があったのかとしきりに尋ねられるが、今の状態をどう説明したらいいのかまったく分からずに、ただただ恐くて涙が止まらない。しどろもどろなボクの答えに、とにかく病院へ行こうと取り乱すママ。携帯を忘れたことに嘆きながら車を運転しているが、ボクはしっかりこの手にそれを握っていた。意識がハッキリしている今も、触れている感覚が起きる気配もないこの手に。

理解したんだ。

もう、せせら笑って放置するようなものではないと。今日ログインして実行しなければ、明日には視覚か聴覚が失くなり、最後にはこの恐怖すらを感じなくなる。すなわち…。
 
 病院では即入院の措置が執られた。パパの名前を告げたら、医者も看護師も顔つきを変えて、何かの恩恵にあやかろうと最良の個室を用意してくれた。

【Araki Brain Laboratory】

通称ABLの所長 柳原海馬という名はブラックカードのようなもので、ボクの誇りでもある。ママもそう。祖母いわく、元はテレビにも出ていた有名なモデルらしく、芸能人やらプロスポーツ選手とも浮世を流したらしい。だから、数ある学校行事の中で一番好きなのは授業参観だ。学年中の男子から教師、父兄までもが鼻の下を伸ばして羨ましがり、ボクは鼻が伸びる。さらには、都内に7か所のヨガスクールを経営する社長で、最高責任者として理想の夫婦としても、頻繁に雑誌の取材を受けている。

億ションに住み、家政婦を雇い、血統書付きの犬と猫に高級外車。

要するにボクは、親ガチャと呼ばれるもので幸せの鍵が入った希少なカプセルを引き当てたというわけ。…と、こんな時にボクの敷かれたステータスを披露する余裕が出るくらい、病室はとても退屈な空間である。

 矢継ぎ早に質問をしてくる医者はまるで、ボクを患者というより被験体として見ているかのようだった。感染症の検査は一通り陰性で、味覚・嗅覚・触覚が時間の経過と共に機能しなくなる症例は見たことがないと興奮ぎみだ。

「ねぇ、ママ。ボクの血液型まちがえてるよ」

頭の先にあったプレートには、主治医の名前に加えボクの情報が記されていた。それを指差して伝えると、チラリと時計を見て血相を変える。

「先生、ちょっと」

椅子に座っていた主治医の脇の下へ強引に腕を絡ませ、親密そうにそそくさと病室の外へ出た。数分後、ぎこちない笑顔で取り繕いながらプレートを外しに戻ってくる。

「いやーあぶない。大変なミスだ!よく気付いてくれたね」

冗談めかして口止めをしてくる後ろでホッと胸を撫で下ろした様子のママ。そのまた数分後に息を切らせてパパがやって来た。

「晴希、大丈夫か?痛い所はないのか?」

あるとすれば、爪がめり込むぐらいの力で掴まれているこの腕だと思う。多分。

「全然、平気。でも変な感じがする。宇宙にいるみたい」

ボクは言った後ですぐに後悔した。案の定、パパは怪訝けげんな顔をしている。

「晴希。宇宙に行ったことはないだろ?」

「う、うん」

「情報や知識、憶測で語ってはいけないと教えたはずだぞ」

「…ごめんなさい」

臨床・研究・実証が全て。
いかにも科学者らしい価値観を持っていて、言葉の選択を誤ればどんな時でもこうなってしまう。ボクは宇宙飛行士にならない限りそれを語れないのである。
 
 非論理的な子どもとの会話よりも主治医の話を聴く方が合理的だと思ったのか、パパとママの3人で病室の隅に固まった。各々首を傾げたり眉間にシワを寄せ、ボクの病状について話している。

「現段階ではまだ診断を下せない状況にあります。あらゆる検査をして、2~3日後には結果が出るかと…」
「では、それでも判らなかった場合、私の研究所に引き取らせてもらっても?」
「博士のABLに?」
「えぇ。私なら何か答えが出せるかもしれない」
「…たしかに」

パパはボクを不安にさせないように大きな手で頭を撫で、優しいまなざしをくれた。感触はなくても、すごく嬉しかった。所長になってから多忙を極め、あまり家に帰って来られなくなったから余計に。

でも実は、少なくともいまは、アイツの来訪を誰よりも心待ちにしていた。



 瞼を閉じると、宙に浮いているような気分になる。

慣れというのは不思議なもので、あんなに恐かった今朝が、違う自分だったのでは?とさえ思えた。ママは仕事をキャンセルして傍にいてくれるし、祖母はリンゴぐらいじゃ感想を求めてこないから、まさに天にも昇る心地だ。

「うおぉ~!すっげぇ広いじゃん!」

学校のテンションそのままにアイツはやって来た。

親友のマコトである。

玩具おもちゃみたくボクの身体をベタベタと触る様子を、祖母は微笑を浮かべながら白い目で見ていた。

「ごめん。コイツと大事な話があるから、ふたりにしてくれない?」

「あら。もしかして、好きな女の子の話?」

「そんなんじゃないし!」

ママは散乱していた書類を片してPCを閉じ、付き添いで来ていたマコトの母親に申し訳なさそうな顔をする。

「じゃ、少しマコト君に晴希のことお願いしようかしら」

「もう夜なのに、仕事に行くの?」

「ううん。弥生さんから連絡があってね、スピアの様子も変みたいなの。だから動物病院に連れていく」

「フンッ。あの無愛想なネコもとうとう寿命ね」

「…そうかもしれません」

祖母に背を向けて荷物をまとめるママは笑っているように見えた。尽きるのを願っているのはおそらく別にある。皆が出払ってふたりっきりになった途端、マコトは薄ら笑いを浮かべながら余計なことを口走った。

「好きな人って、お前フラれたばっかりなのにな」

どうせならその傷を癒せる所に入院したかった。

「で、ガチでヤバい話があるって?」

「うん。実はさ…」

早速、いま置かれている状況がどのようにして始まったのか、斯々然々かくかくしかじかを熱弁する。しかし、マコトの表情は一貫していて、話し終えた後に肩を落として言った。

「お前の病名が判ったよ」

「え?!」

「…厨二病だな」




 帰りのスクールバスの中で、インストールした憶えのないゲームアプリに気付いた。

【大富豪 ON LINE】

アイコンをタップすると、注意書きのようなものが現れる。



==============

ー招待状ー

げーむヲ開始(中断モ含ム)シナケレバ、12時間ゴトニ五感ノヒトツヲ削イデユク。
6日目ニハ魂ヲ奪イ取ル。
即チ、"死"ヲ意味スル。
私ニ勝テバコノ怨念ハ解ケルダロウ。

==============




もちろん意に介することはなかったし、そのタイミングで下りる停留所を乗り過ごしそうになったから、むしろすっかり忘れていた。翌朝になって嗅覚が消え、ふと思い出すのだが、両親の許可なく携帯でゲームをすると叱られるから、あとで消しておこうと頭の片隅に追い返す。だから、マコトの反応は真っ当と言える。でも友達ならいつか笑い話のネタにできるけれど、親だとそうはいかないわけで、最初に誰かに話すのなら彼しかいないと思った。

「これ見てよ!ほら、書かれてるだろ?」

携帯を手渡すと、興味を示したように画面を凝視していた。

「私に勝てばこの怨念は解けるだろう…へぇー面白そうじゃん!オレが代わりにやってやるよ」
「おい!」

いつものノリで椅子から立ち上がったかと思えば、すぐさま表情を曇らせる。

「は?本人以外はゲームを始められない、だってさ」

投げ返された画面にはその通りに表示されていた。

「ヘンだな。指紋認証でもあるのか?」

「そんなアプリある?」

「…たしかに」

単なる携帯の不具合かと、スタートへスライドしたその瞬間、微細な電流が身体中を駆け巡った。

「どうした!?」

「…いや、なんか…」

自分の手脚をまじまじと見た後、やんわりシーツを掴んでみる。

「感じる!」

そう、感じる。

決して高級には思えないその肌触りを。ベッドの傍らに置かれた皿の、少し黄ばんだリンゴを手に取ってみた。若干のヌメリ気、そして。

「リンゴだ!甘い。美味しい!」

「…別に感想求めてねぇけど」

噛み切った時に弾けた果汁が、酸味のある匂いを醸す。

味覚・嗅覚・触覚

すべてがボクの元へ帰ってきた。それはそれは感動の嵐だったけれど、一方のマコトは嵐の前の静けさみたく不穏な顔をしていた。

「お前、それガチか?」

「マジのガチだって!」 

この元凶はゲームテーブルに切り替わっており、すでに手札が配られている状態だった。プレイヤーはボクを含めて5人。まず目を見張ったのは、一人だけ設定されていたアイコンだった。黒いフードを被った骸骨ガイコツ、不気味な死神が眼球のない目でこちらを睨みつけている。

ユーザーネームは【カゲフミ】

瞬時に、コイツがこの摩訶不思議な現象の主宰者だと直感した。

「趣味悪いアイコンだな。てか、これって…」

顔をしかめながらマコトが指差したのは、彼にも懐いている愛された存在の名前だった。

「スピア…」

「なんで、お前ん家の猫?その隣の喜美代って随分古くさい名前だし」

「…ボクのおばあちゃんの名前と同じだ」

驚いてすぐにバツが悪そうな顔をして、さらに隣の人物で誤魔化す。

「香織って、じゃあ…美人ママ?」

「ちがう。ボクの知ってる人でこの名前なのは関本さんだけ」

「ぁ、あの?」

そう。あの、生まれて初めての告白をして、見事に打ち砕いてくれた関本香織だ。今にもマコトに恨み節を噴いてしまいそうだから、ぐっと気持ちを抑え込む。こんなに複雑な感情は今までに味わったことが無い。

ハルキ 香織 スピア 喜美代 カゲフミ

この5名がゲームテーブルに着き、どうやらボクの初手でゲームが始まるようだ。知る名が3つもあって当然のごとく携帯を疑い、乗っ取られているのではないか、遠隔操作されているのでないかとふたりで端末内を詮索したが、それらしいものは何も見つからなかった。

「気持ち悪いけど、とりあえず始めてみたら?」

先程までとは打って変わって顔が強張っているマコトの後押しで指が動く。すると、全体的に画面が暗くなり、下部真ん中の【ルール設定】だけが明るく灯った。

「誘導してるな…」

「…うん」


==============

コレヨリ、5回戦行ワレル。
大貧民ニナッタ者ニ待チ受ケルノハ"死"。
私ヲ大貧民ニ陥レルカオ前ノ死ヲモッテげーむハ終ワル。

==============


「死って…死ぬ?」 

「いやまさか、ゲームオーバーってことだろ」

続けてルールの一覧画面が表示されたが、妙なことに説明を見ることは出来ても変更は一切利かなかった。

「ちょっと待ってろ」

マコトは自分のスマホをポケットから取り出して何やら操作し始める。

「あった!これだ。オレもダウンロードしてみるか」
「え?!ホントに?」

と言いつつも、指先と眉間が躊躇ためらっているのを見て取れた。実際にそのアプリは存在していて、検証のために取り込むらしい。

「怖くないの?」

「ん~…ま、アプリ内のイベントでそういう仕様になってるだけだろ。すぐに分かる」

固唾を呑んでタップすると、数分で同じスタート画面が現れ、スライドして中に入るとすぐにマコトの予想は塵と消える。モード変更にルール設定、すべてがユーザーの気のままにプレイできたからだ。明白にボクのアプリが奇妙であったが、マコトはあるルールを見てやはり何かの冗談だと一笑に付す。

【イレブンバック】
場に出した瞬間、11日前に戻る。
または、カードの強さが逆転する。

「あと、コレもな」

【革命】
大貧民になったプレイヤーを1名生き返らせることができる。
その後で、カードの強さは逆転する。

「ありえねぇだろ。こんなの」

タイムスリップに加えて、死者蘇生というまさに万物の革命。やはりこれはただのゲームだとボクも安堵あんどした。

「アプリ自体がオレらの1年先輩だな。ほれ、試しにやってみりゃいいじゃん!」

ボクの手札にあるスペードのジャックに人差し指を当て含み笑いをするマコト。たまに波長が合うノリに乗じて、頭一つ出ているそのカードを緑色のテーブル中央にスワイプした。

刹那ーー。






「ねぇ、ヤナ君…起きてってば!ヤナ君!」

身体を揺さぶられて意識が醒めると、右肩の先に関本さんが立っていた。

「呼び出しておいて寝てるとか、マジでありえないんだけど」

怒っているよりは呆れているというか、だけど表情や雰囲気は焦りを持たせるものではなく、むしろ「これは夢だ!」という焦りで周囲を見渡す。

晩秋の夕焼けに染まるオレンジ色の図書室。

ここで彼女と出会い、笑顔に触れて、恋をした大切な場所。

「あのさ、今日って何日?」

「は?寝ぼけすぎでしょ」

この色彩と匂いを、まるで昨日のことのように憶えている。ボクが彼女を呼び出したのはたった一度だけ。

「話って何?もしかして、放課後のシーンのイメージ?」
「…ちがうよ」

 ボクは小さい頃から本を読むのが好きで、小学5年生の時には自分で物語を書きたいと思うようになった。中学に上がってからもよくいる場所は図書室で、紛れもなく俗に云う陰キャである。想像と妄想がトランスしてしまうと、そのシーンの動作やセリフを真似てしまうことが多々あって、それを見ていた彼女が笑いながら話しかけてくれたのが始まりだった。端から見れば陰キャどころか変人の域に達しているのに、彼女は屈託のない笑顔でボクの小説に興味を持ってくれて…。
登場人物の動作や所作、表情のイメージは湧いても文字におこせない時、彼女がそれを見せてくれることで文章に羽化するシーンがいくつもあって…。

ボクにとって、彼女はいつ何時もヒロインだった。

思い返せば、そう。
関本香織に告白をしたのは、たしかに11日前。でもこれは夢の中で、ボクに深く刻まれた辛く哀しい記憶を理想的な形にすり替えたくてピックアップしたものだろう。

ずっと考えていた。

もっと違う言葉で伝えていたら、恥ずかしくて隠そうとした胸が焼けるような熱い思いをもっと素直に曝け出せたなら、結果は違うものになっていたかもしれない…、と。試してみる価値はある。結果が同じでも、どうせ醒める夢だ。好転したのなら、目覚めた後でもう一度挑む勇気に繋げたらいい。

「せ、関本さん」

「ぇ、何。急に改まって…香織でいいよって言ったじゃん」

「ぅん。あのね、小説が出来上がったらさ、カオリには一番最初に読んでほしいんだ」

「ぇ、いいの?すごく嬉しい!めっちゃ読みたい!」

どもって「好き」としか言えなかった現実とは全然違う。彼女の反応を見るに、この走り出しは上手くいっているようだ。

「高校に入っても、その先も…カオリには読んでもらいたい」

「うん。こんな風に本棚に置かれるようになったらいいよね。そしたら、いつでも会えるから」

一冊の本を指でなぞるその横顔はうれいを帯びているのに何故かとても美しくて、ボクは目に焼きつけるよりも万年筆を手に取りたかった。

「そうじゃなくて…その、彼女として応援してほしいんだ」

まただ。

あの日と同じ、核心的な言葉を口にすると途端に表情がかげる。

「それはごめん、ムリ。いまはっていうか、ちょっと…」

「好きな人がいるから。でしょ?」

カオリは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。あの日に続く言葉を知っていたからこその些細な抵抗。

「ううん。私、部活に入ろうと思ってて。忙しくなりそうだし、恋愛してる余裕ないかなって」

「ぁ…そ。そっか」

なるほど。夢で会えたとしても、こうして形を変えて傷つく悪夢を見続けるのだろう。

「でもさ、友達としても応援できるし、それに…いい子紹介してあげる!今度4人で遊ぼっ。ほら、ヤナ君が仲良いマコトくん連れてきてさ、4人で。ね?私、マコトくんと話してみたいんだ。チョー女子に人気だし」

好きな人がいると言った現実の後とまったく同じくだりが貼付された。誰がどう見ても聞いても、彼女が好きなのは有森真琴マコトだ。フった男を踏み台にして、他の誰かを充てがって、親友に近付こうとする無神経さに再びの切なさが込み上げた。

「醒めたらいいのに…」

「ぇ、冷める?」

「そう。すぐにでも醒めてほしい」

口をついて出た本心に、カオリは意外な反応を見せる。

「そう…だよね。私なんか好きでいる価値ないよ。ごめんね」

走り去ってゆく間際に見せた瞳には、いまにも溢れんばかりの涙が溜まっていた。

ひとり残されたボクは呆然とするしかない。

「これが女心となんとかってやつか…」

空を切り裂くように伸びてゆく飛行機雲を見つめながら、ため息交じりの声が出る。この感情とことわざは小説に使えるだろうし、戻ったらすぐに辞典を開こう。

 ボクが小説や映画の結末で興冷めするのは多重人格や“夢オチ”で、運悪く出くわしたならば「時間を返せ!」と叫びたくなる。今もまさにそうで、刻々と辺りが暗くなる中、しつこすぎる夢の続きに頭を抱えながら嘆いていた。にしても、大抵は時間経過や場面転換が瞬時に切り替わったりするものだ。でも、これは頑として現実をオマージュしている。

「夢なんだろ…もういいって!」

この世界はどうせ虚構だから、壁の貼り紙を無視して叫ぶ。ホラー作品だけは書く気がないボクにとって、暮れなずむ図書室なんかまっぴらごめんで、あまりにリアルすぎる畏怖いふから早く解放されたかった。

しかし、は逆撫でしてくる。


__カッ  __サササッ


図書室の前の廊下を入口に向かって進む足音。厳密に言えば、何かを突く音がした後に脚を引きずっているような…。
奇しくも入院する機会があったボクにはその音のコントラストが記憶の引き出しにあった。脚を怪我した者が松葉杖をついて歩く時と似ているが、わずかに違う。むしろ、半身不随の老人がステッキを使って歩行しているほうがしっくりきた。でも、それにしたって不可解である。こんな時間に学校の廊下を歩く老人なんかゾッとする他ない。

ついに、扉の前までやって来た。

壁の向こうからひしひしと伝わる何者かの異様な威圧。対象として捕捉しているのはボクだと、こめかみを流れるじっとりした脂汗が伝えている。

恐れ、怯み、後ずさりして、一番遠い対角線上の隅へ。

「来るな…っ来る"な!」

その場にうずくまり、目を閉じ耳を塞ぐ。

これは、紛れもない悪夢だ。

しかしーー。

「本当二夢カナ?」

人間とは思えないイビツで不気味な声に心臓を掴まれたような衝撃が走る。ボクの思考を見透かし、つ、手で蓋をする鼓膜にコンタクトしてきたからだ。

「コレカラ君ニ見セルノハ、人トイウ生キ物ノ愚カサダ」

いいや、違う。
鼓膜ではなく、脳に直接コネクトしている。すなわちそれは、ボクに逃げ場がないことを表していた。

恐るおそる瞼を上げる。

すると、ボクの眼前に黒装束を身に纏う下半身と、金色の装飾が施してある杖があった。

人が立っている。

知る者であるか確かめたくなり、視野をゆっくり上へ広げた。

「ひっ…」

ーー先には、フードを深く被った骸骨がこちらを見据えていた。

眼球のない漆黒の闇がしかと。

あまりの衝撃に息が詰まり声が出ず、一瞬で血がたぎって意識が遠ざかるーー。
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