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第1章

1 急展開②

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「縛りたがる――ねぇ。まあ、その辺は女も同じだろ」
「あー、先輩、別れた奥さんがそういう人だったんでしたっけ」
 俺はバツイチだ。二十代の頃に結婚して、伊月と知り合うよりも前にはもう離婚していた。
 若気の至りというほどの情熱もなく、年上だった相手が結婚しろと言うから、年齢的なものを考えて責任感で結婚した。
 そんな受動的な結婚だったのだから、うまくいくはずもない。

 縛られるとムリだという伊月の気持ちも、全部じゃないにしろ理解できる部分はある。
 なぜなら、元妻が嫉妬深い人だったからだ。
 その嫉妬深さが病的で、束縛がきつくて、それにドン引きする一方だった俺との間の空気は常に悪く、あっという間にセックスレスになった。
 子どもをほしがった妻は一段と攻撃的になってDVにまで発展。
 逃げるように家を出て、あとは弁護士を通してなんとか別れてそれきりだ。
 俺は目つきが悪くて無愛想だから、DVしそうだと揶揄されることもあったが、実際は真逆。
 おかげで女が怖くなって、二度と誰ともお近づきになりたくないと思っている。

 そういう事情がある中で、どんなに近くにいても適度に距離を保ってくれる伊月は、俺が拒絶心を起こさない数少ない女性の一人だ。

「何なんだろうな。人間って人を好きになると、誰でもそうなってしまうのかねぇ」
「さあ、どうなんでしょう。私はそうでもないですけど。たぶん、先輩も私も恋愛運がないんじゃないですか?」
「それであぶれた者同士がこうして集ってるのか」
「あぶれてないです~! 私は毎日推しを愛でてるから、常に満たされてて恋愛なんて必要ないんです。彼氏なんてほんと邪魔だし、むしろいないほうが幸せ!」
「若いアイドルがそんなにいいかねぇ?」
「先輩みたいに枯れたオッサンにはわからないんですよ~」
「先輩に言う言葉かよ」
「人生に必要なのは目の保養! そしてワクワクする気持ち! がんばってる推したちに刺激を受けて自分の人生もより良くしようと努力できるし、私にとっていわば人生の活力なんです、彼らの存在は!」
「ふーん……」
 伊月の推し活論は、何度聞いても俺にはよくわからん。

「……でも、たまにふと思うんですよね。私このまま一生一人で生きるのかなって」
 伊月は視線を下げ、力なく言う。俺は氷が溶けて薄くなったハイボールをあおった。
「だって推しなんて、どこかよその世界の話っていうか、私とは交わらない人生を生きてる人たちなわけで……」
「ちゃんとわかってるんだな」
「わかってますよ。現実主義の鬼を舐めないでください」
「そうだった。スーパーリアリスト伊月ちゃん」
「結局繋がれるのは目の前にいる人だけなのだとしたら、何かあったときに気軽に頼れる人って、私にはいないんだなぁって」
 何かあったとき、が何を指すのか、もはや当たり前のように長く一人で生きている俺にはピンとこなかったし、自力で乗り越えられないことなどないように思えたが、やはりそこは男女差があるのだろうか。

「それに、彼氏は要らなくてもやっぱりたまには誰かに抱きしめられたいなって思うじゃないですかぁ」
 伊月にそんな欲求があるとは意外だ。
「贅沢だな」
「でも恋愛が絡むとろくなことないし~、って考えていくと~……。結局私がほしいのって、ソフレなんですよね~」
 思いがけない言葉に、俺は思わず首を傾げて伊月の顔を覗き込んだ。
「は? セフレ?」
「違います! ソ! ソフレ! 知りません? けっこう前に流行ってた……」
「知らん」
「添い寝フレンドの略ですよ。添い寝だけしてくれる異性のことです」
「添い寝だけ……」

 知らないなりに、頭の中でイメージする。
 言葉どおりに捉えるなら、うーん、なんだ、親が子どもを寝かしつけるみたいな、そんなふうに男女が寄り添って寝るのだろう。それはまあ、わかる。
 でもあくまで添い寝する、となると……。

「成立するのかそんなの。どんな奴らだったらそういう仲になるんだよ」
 健全な男女なら、何かが起きても文句は言えない状況だ。
「ね~! 隙あらば襲おうとするのが男ですからね~。そんな理性のある人いるなら出会ってみたいですよ正直~」
「お前やっぱり変な男しか知らんだろ……」
「でも成立することもあるんじゃないですか? 利害が一致すれば。たまたま運よくそういう相手に出会えた人だけが、ソフレを持てるんですよきっと。あー、どっかにソフレ転がってないかな~……」
「拾おうとするな。でもなんで敢えてソフレなんだ? 一緒に寝るならもう彼氏とそんな変わらんだろ」
「なんていうか……安心できるじゃないですか。体を寄せ合えるくらい気持ちを許しても、恋愛感情も性的欲求も生まれないなら。何かに応えないとって考えずに、ただ一緒にいて満たし合えるっていうか……。――安心。うん。利害がなくて、安心できる人がほしいのかもしれない」
 伊月は自分の言葉に納得したように、何度か小さく頷く。

「さっき利害が一致すればって言ってなかったか?」
「えっとー、だからぁー」
「まあでも、いわんとすることはわかる。でもそれって同性の友達でもよくねぇ? 女子って友達同士でベタベタすんの好きだろ」
「やだー。女の子の質感とか匂いとか好きじゃないし、どうせなら男の人がいい!」
「あっそ」
 ここまで堂々と男がいいと言われると、すがすがしさすらある。
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