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第4章

2 抱えているもの⑥

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 自家焙煎の残り香が漂う午前中の喫茶店。
 外観はいかにも昭和から営業し続けているような古めかしい店に見えたが、中はむしろ昭和レトロを復刻したような、比較的新しいテーブルとイスが並んでいて、壁紙やレースカーテンにもシミなどは見当たらない。
 まばらに座っている客の年齢層は高い。自分たちもその「高い」部類に入るのだろう。

 テーブルに運ばれてきたのは、取り立ててオシャレでもないシンプルなサンドイッチとサラダとスープのプレート。
 カットされた卵サンドとハムサンドが二つずつ並び、レタスを盛ってコーンを乗せたサラダにはサウザンドレッシングがかかっている。スープはドライパセリを振りかけたコンソメスープだ。
 コーヒー付きで税込み千円。悪くない値段だ。

「朝ゆっくり食べられるっていいな~」
 向かいに座る伊月は、上機嫌で卵サンドにかじりついている。
 喫茶店のモーニングが食べたいから帰る時に一緒に食べに行こう、と言われて出てきたところだ。
「なんか最近いつも部屋で会ってるから、こういうのが逆に新鮮ですね」
「そういえばそうだな」
 元々は二人で飲み屋に行ったり、そのまま上野まで一緒に帰ってきたり、外にいるのが普通だった。
 でも最近は、平日に添い寝した翌朝に二人で出勤するとき以外は、会社か家でしか顔を合わせない。

「たまには外に出るか」
「絵の取材でお店に行くときとか、一緒に行きたいなぁ」
「え、なんで」
「先輩の仕事ぶり見たい」
「会社でいつも見てるだろ」
「そういえばそうですね」
「仕事に彼女を連れてきたと思われたら癪だし、あんまり連れていきたくはないな」
「大丈夫です、助手として行きますから!」
「まあ……そのうちな。……気が向いたら」
「それ絶対に向かないやつ」

 いつも思うんだが、サラダはフォークではすごく食べづらい。
 そこそこ大きさのある不定形なレタスならなおさらだ。
 コーンもコーンで散らばる上にフォークに乗せるのもままならない。
 なんとかならないものかと考えながら、どうにかフォークで刺して口に運ぶ。
「サラダ食べにくいですよね」
 伊月がつぶやいたので、気が合うなと内心思いながらも特に反応せずに見ていたら、コーンをちまちまとレタスに乗せて、フォークで掬うようにして食べていた。

「今日この後何するんですか?」
「絵を描く」
「えっ、お仕事ですか? 今まさに?」
「そ。昨日途中まで描いてたんだけどな」
「……もしかして私が邪魔した?」
「そ」
「エーン、ごめんなさい」
「いいよ。まだ納期は先だから」
 そう言うと、伊月は嬉しそうにはにかんでみせた。
「何」
「先輩優しいなーって思って」
「あっそ。ところでお前、今夜は来ないんだよな?」
「あ、そうですね、次は来週でいいです。でもお望みなら全然来ますよ!」
「いや、来なくていい」
「ヒドい」
 今夜が空くなら、丸々二日間時間ができるな。
 土日である程度進められたら、予定より早めに納品できるかもしれない。

 伊月は小さなスープカップを両手で持って、こくこくと飲んだ。
 そしてカチャリと音を立ててプレートに戻すと、今度はハムサンドに手を伸ばす。
「えー、でも絵を描くんだったら、帰らないで先輩が描くとこ見たいなー」
「やだ」
「なんでですか」
「集中できないから」
「おとなしくしてますから~」
「ダメ。お金もらってるから」
「ふーんだ……」
 そう口を尖らせて拗ねてみせるが、俺としてはその気持ちがあまりわからない。
「なんでそんなに見たいの?」
 黙々と作業をするだけで、別に何も面白いことなんてないのに。
「えー、だって刺激になるじゃないですか。人の制作過程見るの好きなんです」
「ふーん……」
 変な奴。

「じゃ、お前がイラスト描くとこも見せてくれるなら」
 交換条件として提示すればきっと要望を取り下げるだろう、と思って提案したら、
「え、見たいんですか、いいですよ!」
 予想に反して前のめりの伊月。
「……やっぱやめとく」
「なんでですか! むしろ見てくださいよ!」
 なんでそんなに意欲的になれるのか、さっぱりわからん。
「お前と俺って、ほんと全然性格違うよな……」
「なんですか今さら」
「いや、こんなに違うのに、なんで一緒にいるのかなと思って」
「そんなの、決まってるじゃないですか」
 すでに答えを持っているらしい伊月を意外に思いながら、続く言葉をサンドイッチ片手に待つ。

「最高に都合がいいからです!」
「目輝かせて言うな」

 都合がいい。
 都合がいいねぇ。
 たしかに俺にとっても伊月は都合がいい。
 結局のところは、互いを利用している似た者同士ということなんだろうか。
 やっぱりよくわからん。
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