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第6章
1 失えない人②
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病室の扉を開けて中を覗いたら、点滴をしながら寝ている瑞月の姿があった。
朝は目を覚ましていたらしいけど、まだ具合が悪くて食事がとれず、点滴をすることになったらしい。
酸素吸入器はもう外されていた。
それだけでも回復に向かって一歩進んだように感じられて、ホッとする。
もう少し早くに来ていれば、少しは話ができたのかな。
早く瑞月の目を見て、言葉を交わして、安心したいのに、たったそれだけのことが一晩待っても叶わない。
「瑞月が寝てる間に、入院に必要なものを買ってこようか」
母が小声で切り出した。
「そうだな」
父は返事をすると、そのまま出口へと歩き出す。
「伊月は?」
「うん、待ってる」
「それじゃ、行ってくるね」
二人が出ていって、いよいよ部屋は静まり返った。
心電図モニターの音だけが、安定したリズムを刻んでいる。
「心臓が動いてるから、大丈夫だね」
そんな子どもみたいな感想を、眠っている瑞月の顔の側にひとつ落として、傍らに置いてある椅子を寄せて腰掛けた。
シーツの端をめくって、点滴がつながる瑞月の右手を出す。
病衣の捲られた無傷の右腕は、私が思っていたより太い。
その先にある手を、できるだけ動かさないように注意しながらそっと包む。
「瑞月……」
そういえば、瑞月の手を握ることなんて、もうずっとなかったな。
子どもの頃以来かもしれない。
大人になってからも頻繁に会っているとはいえ、意外と触れる機会はないものだ。
というか、何もないのに弟の手を握るのもちょっと違うしな。
瑞月の爪の形、きれいだなぁ、と思いながらまじまじと見ていたら、
「……あれ」
枕元のほうから声がしたので、慌てて振り向いた。
「みっ、瑞月……!」
「……来てくれたの……?」
「昨日から来てるよ……もう、本当に、本当に心配したんだからね……ッ!」
「待って、声……まだ頭が……」
つい張ってしまった私の声が響いたようで、瑞月は苦しそうに目を閉じた。
「ご、ごめん……頭痛いの? 検査では大丈夫だって……」
「あ、ほんと……? よかった……」
瑞月はそう言いながら、顔色は決してよくないくせに、少し笑う。
「伊月のおかげで、頭守られた」
瑞月がバイクに乗ると言った時、絶対にフルフェイスのヘルメットにしてってうるさく言った。
危ないから一番安全なのにしてって、高校生で原付に乗り始めた時から、フルフェイス一択にさせていた。
その時は過保護だと呆れられたけど、瑞月はちゃんと言いつけを守って、ずっとフルフェイスしかかぶってこなかった。
「言ったじゃん、バイク気をつけてって。安全運転してって、いつもいつも言ってるでしょ? なのに、事故らないでよ……っ」
「え、怒られるの……? 俺、被害者……」
「怒りたくもなるよッ……私は……っ」
そこまで言うと気持ちがこみ上げて、瑞月の顔を見られなくなって、私はシーツの掛かった胸元に視線を移した。
「……お父さんとお母さんがいつか先にいなくなることは、想定して生きてる。でも、瑞月は……違うの」
瑞月の手を包んだ両手に、ぎゅうっと力が入る。
「瑞月が……途中で、いなくなるなんて、私、全く想定してない。だって瑞月は弟だもん。ずっと同じ時を生きてきたし、この先も一緒に生きていくんだもん。生きててくれなきゃ……私がおばあちゃんになっても、ちゃんと、当たり前に元気でいてくれなきゃ、困るよ……っ」
「伊月……」
「勝手に死んだら、絶対に、許さないんだから……!」
告げると同時に、涙がぼろぼろとこぼれてきた。
それを、慌てて指で拭う。
「……え、俺、死ぬの?」
「死なないよ。死ぬ気配全くなし」
「なんだ……びっくりした……。そんな泣くほどやばいのかと……」
「これは怒鳴りたいのを抑えたら出てきただけ」
「怒りの涙なのそれ」
はは、と、シーツを震わせて、瑞月は笑う。
笑い事じゃない、って、言おうと思って顔を見たら、目が合った瑞月は少し真面目な顔になって、
「伊月が……そんなふうに思ってるなんて、知らなかったから……」
言いながら、私の手を弱く握り返す。
「ごめんね、心配かけて。生きてるから許して」
それを聞いて、安心したからか、また涙がこぼれる。
「うん……。よかった、生きてて」
「泣くな泣くな」
「だって~……」
瑞月と話せてよかった。お父さんとお母さんがいない時に、二人で話せる時に、目を覚ましてくれてよかった。
おかげで気持ちが落ち着いたから、心残りなく東京に帰れそうだ。
その時、バッグの中でスマホが震える音が響いた。
「あ、ごめん私だ……」
瑞月の手を離して、バッグからスマホを取り出す。
音の主は理雄先輩だった。
“帰りどうする? 俺は連れて帰るつもりだけど、嫌なら別々でもいい”
“十二時過ぎたら先に帰るから返事したくなければスルー可”
それを見て、ギリギリと胸が痛む。
時間の表示に目を移すと、まだ九時過ぎだった。
「誰? 彼氏?」
「ううん。友達。……東京から、友達が車で連れてきてくれて。帰りどうするって」
「彼氏じゃないの?」
「とっ……友達だよ」
添い寝フレンドだから、友達で間違ってない。
「彼氏になりそうな友達?」
「もう、具合悪いくせに、変な詮索しないで」
彼氏どころか、この先どうなるのか、……一緒に居続けられるかもわからない状況なのに。
「……やっぱりパートナー見つけたら? 俺がいなくなったときのためにも」
理雄先輩がいなかったら、瑞月の事故の知らせを乗り越えられなかったことくらい、私だってわかってる。
……でも。
「縁起でもないこと、言わないで」
私にはまだ、その決断をする準備はできていない。
朝は目を覚ましていたらしいけど、まだ具合が悪くて食事がとれず、点滴をすることになったらしい。
酸素吸入器はもう外されていた。
それだけでも回復に向かって一歩進んだように感じられて、ホッとする。
もう少し早くに来ていれば、少しは話ができたのかな。
早く瑞月の目を見て、言葉を交わして、安心したいのに、たったそれだけのことが一晩待っても叶わない。
「瑞月が寝てる間に、入院に必要なものを買ってこようか」
母が小声で切り出した。
「そうだな」
父は返事をすると、そのまま出口へと歩き出す。
「伊月は?」
「うん、待ってる」
「それじゃ、行ってくるね」
二人が出ていって、いよいよ部屋は静まり返った。
心電図モニターの音だけが、安定したリズムを刻んでいる。
「心臓が動いてるから、大丈夫だね」
そんな子どもみたいな感想を、眠っている瑞月の顔の側にひとつ落として、傍らに置いてある椅子を寄せて腰掛けた。
シーツの端をめくって、点滴がつながる瑞月の右手を出す。
病衣の捲られた無傷の右腕は、私が思っていたより太い。
その先にある手を、できるだけ動かさないように注意しながらそっと包む。
「瑞月……」
そういえば、瑞月の手を握ることなんて、もうずっとなかったな。
子どもの頃以来かもしれない。
大人になってからも頻繁に会っているとはいえ、意外と触れる機会はないものだ。
というか、何もないのに弟の手を握るのもちょっと違うしな。
瑞月の爪の形、きれいだなぁ、と思いながらまじまじと見ていたら、
「……あれ」
枕元のほうから声がしたので、慌てて振り向いた。
「みっ、瑞月……!」
「……来てくれたの……?」
「昨日から来てるよ……もう、本当に、本当に心配したんだからね……ッ!」
「待って、声……まだ頭が……」
つい張ってしまった私の声が響いたようで、瑞月は苦しそうに目を閉じた。
「ご、ごめん……頭痛いの? 検査では大丈夫だって……」
「あ、ほんと……? よかった……」
瑞月はそう言いながら、顔色は決してよくないくせに、少し笑う。
「伊月のおかげで、頭守られた」
瑞月がバイクに乗ると言った時、絶対にフルフェイスのヘルメットにしてってうるさく言った。
危ないから一番安全なのにしてって、高校生で原付に乗り始めた時から、フルフェイス一択にさせていた。
その時は過保護だと呆れられたけど、瑞月はちゃんと言いつけを守って、ずっとフルフェイスしかかぶってこなかった。
「言ったじゃん、バイク気をつけてって。安全運転してって、いつもいつも言ってるでしょ? なのに、事故らないでよ……っ」
「え、怒られるの……? 俺、被害者……」
「怒りたくもなるよッ……私は……っ」
そこまで言うと気持ちがこみ上げて、瑞月の顔を見られなくなって、私はシーツの掛かった胸元に視線を移した。
「……お父さんとお母さんがいつか先にいなくなることは、想定して生きてる。でも、瑞月は……違うの」
瑞月の手を包んだ両手に、ぎゅうっと力が入る。
「瑞月が……途中で、いなくなるなんて、私、全く想定してない。だって瑞月は弟だもん。ずっと同じ時を生きてきたし、この先も一緒に生きていくんだもん。生きててくれなきゃ……私がおばあちゃんになっても、ちゃんと、当たり前に元気でいてくれなきゃ、困るよ……っ」
「伊月……」
「勝手に死んだら、絶対に、許さないんだから……!」
告げると同時に、涙がぼろぼろとこぼれてきた。
それを、慌てて指で拭う。
「……え、俺、死ぬの?」
「死なないよ。死ぬ気配全くなし」
「なんだ……びっくりした……。そんな泣くほどやばいのかと……」
「これは怒鳴りたいのを抑えたら出てきただけ」
「怒りの涙なのそれ」
はは、と、シーツを震わせて、瑞月は笑う。
笑い事じゃない、って、言おうと思って顔を見たら、目が合った瑞月は少し真面目な顔になって、
「伊月が……そんなふうに思ってるなんて、知らなかったから……」
言いながら、私の手を弱く握り返す。
「ごめんね、心配かけて。生きてるから許して」
それを聞いて、安心したからか、また涙がこぼれる。
「うん……。よかった、生きてて」
「泣くな泣くな」
「だって~……」
瑞月と話せてよかった。お父さんとお母さんがいない時に、二人で話せる時に、目を覚ましてくれてよかった。
おかげで気持ちが落ち着いたから、心残りなく東京に帰れそうだ。
その時、バッグの中でスマホが震える音が響いた。
「あ、ごめん私だ……」
瑞月の手を離して、バッグからスマホを取り出す。
音の主は理雄先輩だった。
“帰りどうする? 俺は連れて帰るつもりだけど、嫌なら別々でもいい”
“十二時過ぎたら先に帰るから返事したくなければスルー可”
それを見て、ギリギリと胸が痛む。
時間の表示に目を移すと、まだ九時過ぎだった。
「誰? 彼氏?」
「ううん。友達。……東京から、友達が車で連れてきてくれて。帰りどうするって」
「彼氏じゃないの?」
「とっ……友達だよ」
添い寝フレンドだから、友達で間違ってない。
「彼氏になりそうな友達?」
「もう、具合悪いくせに、変な詮索しないで」
彼氏どころか、この先どうなるのか、……一緒に居続けられるかもわからない状況なのに。
「……やっぱりパートナー見つけたら? 俺がいなくなったときのためにも」
理雄先輩がいなかったら、瑞月の事故の知らせを乗り越えられなかったことくらい、私だってわかってる。
……でも。
「縁起でもないこと、言わないで」
私にはまだ、その決断をする準備はできていない。
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