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第4章

2 情報交換②

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 しばらく沈黙が続いた。
 エアコンの音だけがリビングに鈍く響いている。

「あのさあ」
 姉ちゃんが体を起こして切り出した。
「私の結婚式に優子さん呼んでいい?」
「えっ……」
「覚えてない? アンタが好きだった私の会社の先輩」
 突然の名指しに、俺はさっきよりもっとうろたえた。
 姉ちゃんの口から優子さんの名前が出たのは、あの時以来だった。
「お、覚えてるけど……」
「まだどのくらい人を呼ぶか考え中でね。身内で小さくやるかもしれないし、会社の人呼ぶかもしれないし、わからないんだけど、念のため聞いとこうと思って。アンタに聞かずに呼んで、過去の傷を抉っちゃったらいけないしさ。いや、ダメなら別にいいんだけどね」
「えっと……」
「まあ、優子さんのほうが気まずいからって断るかもしれないけどねー。でも優子さんまだ独身だし、今ならアンタにもワンチャンあるかも……」
「あ、あのね!」
 話を遮ると、姉ちゃんは言葉を止めてこちらに視線を向けた。

「そ、その、優子さんとは……」
「ああ~、ごめんごめん。もう昔のことだもんね。今さらそんなに興味もないか」
「いや、そうじゃなくて」
 完全に勘違いされてしまっている。
 そりゃ、まさか俺と優子さんが仲良くなってるなんて思わないだろうから、仕方ないんだけど。
「いいっていいって。若気の至りの無謀な記憶思い出させて悪かったよ」
「いや、だから……」
「まあでも、結婚式でちょっと顔見るくらいなら別に良くない? 優子さん四十前だけど相変わらず綺麗……」
「知ってます!!」
「……は?」
 ようやく自分の言葉を伝えられた。
 知ってますの意味がピンと来ないらしく黙ってしまった姉ちゃんに、今だと思い一気に言葉を繰り出す。

「実は俺、去年優子さんと偶然会って、それでもう……えっと、九ヶ月くらい? メールしたりあちこち遊びに行ったりしてんの。まだ全然その、恋愛的な雰囲気は皆無だけど、一応俺、優子さんに気持ちは伝えてるし、どうにかしようと必死でがんばっているところで……」
 姉ちゃんの顔はみるみる怪訝そうになった。
「それほんと? 私、春に優子さんとごはん食べたけど、そんなこと一言も言ってなかったよ」
「それは俺が口止めしたから……」
「なんで」
「イヤ、いろいろ事情があって。優子さん、姉ちゃんといる時に携帯鳴ったりしなかった? 俺、優子さんからメールもらって折り返して、その後電話で話したんだけど」
 すると姉ちゃんは急に驚いた顔になって、
「ああー、あれ! アンタだったの! いや、優子さんが人といる時にスマホ出してるの珍しいなと思ったんだよね。てっきり仕事の電話だと……」
「それ俺。姉ちゃんに俺達が会ってること話していいかって、確認の電話」
「そんなのいちいち聞かなくてもいいのに~! さすが優子さん、律儀だねぇ」
「でも俺はあの時は聞いてもらえて助かったよ。今日話すこともちゃんと優子さんから許可もらってる」
「そっか~、二人とも真面目だね。でもすごいじゃん! アンタ今も優子さん好きだったんだ。チョー一途いちずじゃんウケる」
「ウケるな」
「それじゃ、結婚式は顔合わせても全然問題ないわけだね」
「うん……、それまでに俺が振られてなければ」
「大丈夫っしょ、あの優子さんがプライベートで会ってくれるくらいなんだから」
「え?」

 よくよく話を聞くと、優子さんは普段仕事と仕事の延長以外には、ほとんど人づき合いをしないらしい。
 休みの日は基本的に単独行動、電話やメールなども私的なやり取りはしないし、友達はそれなりにいるらしいけど事情がない限りわざわざ会わないとか。
「すげぇ、俺みたい」
「アンタは晃ちゃんとベッタリじゃん」
「最近はそうでもないの。あいつ結婚したし、俺も忙しいし」
「そうなの?」
「でも俺は晃輝以外に親しい友達いないし、根暗だから独りでも普通だけどさ、あんなに社交的なのにプライベートは孤独に過ごしてるなんて、なんか信じられない」
「優子さんも自分では根暗だって言ってたよ。元気で明るいって言われるけど超根暗だって」
「まあでも、そう言われてみれば確かに……」
 俺から見た優子さんは、"元気で明るい"ではないかもしれない。
 よく笑うし朗らかな雰囲気だけど、別にハイテンションではないし、静かで落ち着いてて、どちらかというとあれはプライベート寄りなのかも。
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