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第7章

2 筒抜け③

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「なんかドロドロしてんじゃないの? 優子さん大丈夫? 友達のフリして嫌がらせとかされてない?」
 そう言うと、姉ちゃんはアッハッハと大声で笑った。
「その子は私に嫉妬するくらい優子さんが大好きだから大丈夫」
「なんで姉ちゃんに嫉妬すんの」
「私が優子さんの彼氏の姉だからよ」
「そ、そう……」
 そう言われると、ちょっとニヤニヤしちゃうじゃん。
「ま~、実を言うとね、私とその奥さんも十年来の友達なんだわ。だから、優子さん経由じゃなくても、私経由でウッカリ旦那さんと顔合わせる可能性も無きにしもあらず」
「マジで。俺詰んだじゃん」
「あとその奥さんはアンタに会いたがってる」
「え、なんで」
「アンタが優子さんの彼氏だからでしょ」
 またニヤニヤしちゃう。
 どうしよう、俺ってけっこう単純かもしれない。

「まあでも十年以上前って言ったら俺が高校生とかの頃だし、正直そんなに気にならないっていうか……二十代の優子さんとつき合った人なんて一人じゃないわけだし」
 どちらかというと、現在進行形で優子さんの側にいる"たくみさん"のほうが気になって、昔の彼氏なんてどうでもいい存在に思えた。
「じゃあ、もしかしたら偶然顔合わせる時が来るかもしれないっていう心の準備だけしとけば? 私が結婚式やる時は、その奥さん多分呼ぶし」
「あー、まあ、奥さんは別にいいけど……。ねぇ、優子さんと元カレは、連絡取ったりしてないよね? そこは信じていいよね?」
「そのために間で妻がガードしている」
「あ! そういうこと」
「大人の世界は複雑なのよ」
 姉ちゃんはしみじみとした調子で言った。
「つかよくそんな狭いコミュニティでそんな複雑な関係になれたね……」
「アンタもその一員な」
「俺巻き込むのやめてよ。ま、とりあえず話はわかったから」
「できればアンタからそれとなく優子さんに話振ってあげてよ。優子さん、アンタの気持ち考えて言えずにいるから」
「いやでも……、正直積極的には聞きたくないし、しばらく俺の中で寝かせとくわ。優子さんがよほど悩んでそうなら言うけど……」
 現状、それがネックになって物事が進まないわけではないし、優子さんとの仲に支障があるわけでもない。
 急いで話す必要性は感じられないのだ。
「優子さんには、俺が聞いたこと黙ってて」
「いや、私も口止めされてるから、アンタも私に聞いたこと黙っててね」
「口止めされてるなら言うなよ……」
 つか聞いたこと言わずにどうやって話を切り出せってんだか。
「私なりにアンタと優子さんのこと考えてのことじゃん。先に私から聞いてたほうが、ショックも少ないと思って」
「まぁ……、そうかもだけど」
「とにかくそういうことだから。私も先週初めて知ってさ。本当はもっと早く連絡するつもりだったんだけど、なかなか時間とれなくて」
「いいよ。妊娠してんだから無理すんなよ」
「はいは~い。じゃあね」

 姉ちゃんとの長い電話にすっかりテンションを下げた俺は、テーブルを占拠していたPCを、まだ半分も減っていないビールと共に端によけて、手近なところにあった郵便物の封筒を手に取った。
 封筒の空いたスペースに、今姉ちゃんから聞いた人間関係の相関図を描いてみると、何だかややこしいことになった。
 あの人間不信の優子さんが、こんなにハードな人間関係の中に入っていたなんて、考えもしなかった。
 優子さんの周りには、極論俺以外誰もいないようなイメージだった。
 だから逆に安心していたのもある。
 でも……。

 俺は相関図を持ち上げ、背中をソファにもたれさせた。
 リスクがあっても関係を切れないほどの友人。
 色んな意味で信頼関係があるのであろう同僚。
 昔の優子さんを知る元カレ。
 その全員を知っている姉ちゃん。

 俺は全てを知らない。何も知らない。
 俺の知らない優子さんを知っている人達が、日々優子さんと顔を合わせている人達が、こんなにたくさんいるのに。
 そんな気持ちで凹んだまま数日を過ごしていた俺を、思いがけず明るくしてくれたのは、晃輝からのメッセージだった。
 "プレゼント届いたぞ! お前仕事早いな!"
 "あかり大喜び!"
 "\青山ありがと~/"
 そして、その下に添付された一枚の写真。
 ベビーベッドを背に、晄理ひかりを横抱きして座り、こんな顔初めてじゃねーかってくらい嬉しそうに顔をほころばせた戸田さんが、俺が贈った大きくてカラフルなおむつケーキと一緒に写っていた。
 晄理はぱっちりと目を開けて、喜ぶ母親の顔を、さも興味深そうにじっと見つめていた。
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