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第8章

1 四十歳③

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 亮弥くんを連れてマンションに戻った。
 部屋に洗濯物を干してあったから、十分ほど外で待っててもらって、ついでに空気を入れ換えながら軽く掃除して、ピッタリ十分後に招き入れた。
「突然来ても片づいてるなぁ」
「うーん、ちょっと雑然としてるかもだけど」
「全然。ウチが片づいてる時より綺麗」
 亮弥くんの家には、まだ行ったことがない。
 こっちに来てもらったほうが何かと便利だし、必要もないのにわざわざ自宅を覗きに行くみたいなのもちょっと気が引けて。
 すごく散らかってて幻滅したらどうしようという気持ちも無くはない。
 亮弥くんに限ってそれはないと思いたいけど、男性の一人暮らしはけっこうヤバかったことが経験上多い。

「夜ごはん食べたの?」
 尋ねると、
「あ、いや。仕事終わってケーキ買ってそのまま来たから……。帰ってから食べる」
「パスタだけで良ければすぐ作れるけど……」
「えっ、マジで? 大変じゃない?」
「全然。でも、ちょうシンプルなやつだよ、私が最近はまってる、かぶのパスタ」
「蕪? 想像できないけど、食べたい」
「それじゃ、十五分くらい待ってて」
 私はキッチンに立ってエプロンをつけた。
「俺も見てていい?」
 亮弥くんがこちらを覗く。
「いいよ」

 フライパンにお湯を沸かして、パスタを茹でている間に蕪を洗って、切る。葉も切る。
 鷹の爪は種を取ってキッチンバサミで刻む。
「辛いやつ?」
「亮弥くん辛いのは平気だっけ? たまに全然辛くないことがあるから、多めに入れようかな…」
「辛めで大丈夫」
 茹で上がりまでに時間が余ったので、ついでにエリンギも入れることにした。
 パスタが茹で上がったらザルにあけ、フライパンにオリーブオイルと刻んだ鷹の爪を入れて、ゆっくり温める。
 念のため少し掬って味見。うん、ちゃんと辛い。
 そこにまず蕪を入れて火を通し、続いてエリンギを入れ、最後に刻んだ葉の部分を投入。
 炒めたらゆで汁を入れて乳化させ、パスタと絡めて、最後は塩で味を整える。

 仕上がったのは「蕪のペペロンチーノ」……にんにく抜き。
 蕪の甘さと唐辛子の辛さが絶妙にマッチして、見た目にも鮮やかで良い。
 アッサリした味だから、亮弥くんのお口に合うかは、ちょっと心配。
「美味しいかわからないけど、私の好みってことで……」
 そう言いながら器に盛りつけると、亮弥くんは「おお……」と声を漏らしてからそれを手に取った。
「ありがとう、いただきます……!」
 亮弥くんはお菓子をもらった子供みたいな笑顔を見せて、嬉しそうにテーブルに運んでいった。
 この笑顔だけで、作った甲斐があったと思った。
 エプロンを外してから、コップにお水を注いで部屋に戻り、私は亮弥くんの向かいの席に座った。

 パスタを上手にクルクルと巻いて、蕪と一緒に一口目を食べる亮弥くんは、
「あ、おいしい……」
 と意外そうな目でこちらを見る。
「蕪って美味しいんだね、パスタにするとか考えたことなかった……。つか普通に謎の野菜だった」
「食感が優しくて、甘みもあって好きなんだよねぇ。最初は葉だけをペペロンチーノ風に炒めてたんだけど、それならパスタにしたらどうかなって……本体もついでに入れて」
「いや、めっちゃ当たりじゃん」
「ほんと? 良かった。亮弥くんには物足りないかなって思ったけど」
「全然! 逆にたったあれだけの材料でこんなに美味しいのかってビックリしてる。これなら俺でも作れるかも……」
「うふふ」
 このパスタの美味しさをわかってもらえたことに、私は安心したし、亮弥くんの純粋さが嬉しかった。
 実は私にとっての、男性が発する好きではない言葉の上位に、「肉ないの?」が入っていたりするのだ。
 肉ばかりをひたすら求める食習慣が好きではないのかもしれない。
 だから、亮弥くんからその言葉が出なかったことに内心ホッとしていた。
 そういえば、亮弥くんはこうして一緒に過ごすことが増えても、私が苦手な言い回しをすることがない。
 感受性が近いのか、性格が近いのか、気を遣ってくれてるのかわからないけど、こういう人は本当に貴重だ。

 パスタを食べ終えた部屋には、コーヒーの香ばしく甘い香りが広がっている。
 亮弥くんが買ってきてくれたのは、苺のショートケーキ。
 四角くて高さのある、ちょっとオシャレな形だ。
 ブランド苺が使われている、この季節の限定商品だそうで、クリーム薄めでスポンジ多め。
 私はケーキのクリームよりもスポンジが好き派だ。
「この比率は理想」
「でしょ。他にもいろいろあったけど、優子さんは多分コレだと思って」
「ふふ、ありがとう」
 そうなのだ。
 これまでいろんなケーキを食べてきたけれど、結局スポンジをしっかり楽しめる苺ショートが、一番満足度が高い。
 食べてみると、スポンジの口どけが良くて、とても美味しい。
「幸せ」
 そう言うと、亮弥くんは優しく微笑んだ。
 その顔が最高にイケメンで、私は思わずキュンとしてしまった。
「自分がこんな四十歳を迎えるなんて思わなかったな……」
「どんなだと思ってたの?」
「少なくとも、十二も年下の美形の彼氏は全く予定になかったよ」
「いて良かった?」
「うん、良かった。感謝してる」
 そうだ。
 さっきはついつい問題点にばかり向き合ってしまったけど、良い現実だってある。
 亮弥くんとつき合い始めてから、私の人生はずいぶん潤った。
 自分を真っすぐに愛してくれる人がいて、その人と自由に触れ合えることは、結局のところ、この上ない幸せなのだ。
 それをもう要らないと長年思ってきた私が、やっぱりそう思ってしまうのだから、恋愛の威力にはかなわない。
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