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第1話 見知らぬおっさんの通夜に出くわすの事

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 ドンドンドン!!

 近所迷惑な大きな音、ドアが凹むのではないかと思われる力強さで何度も何度も叩かれる安アパートの一室、玄関のドア。

「なぁ広井さんよぉ!! 居留守を使ってるのは分かってるんだよ!! 今日こそ貸し付けた50万円を耳を揃えて返してくんねぇかな!!」

 如何にもガラの悪い派手なアフロシャツにサングラスを掛けた男がドア越しの部屋に向かって声を張り上げる。

(……居ませんよ……留守ですよ……)

 膝を抱える様に丸まり布団を頭から被ってガタガタと震える男、彼は広井専太ひろいせんた
 この不景気で職を失い複数の消費者金融から金を借りまくりその総額は200万円以上。
 ほぼ毎日今の様な借金の取り立て屋が現れ日中は外にすら出られない毎日を送っていた。
 当然アパートの家賃も滞納しており大家にもそろそろ何とかしてくれないかと催促が絶えない。

(くそぅ、何で俺はこんな最低な人生を送っているんだ? 何の取り柄も無く、女にもモテず……このまま幸せになれずに一生を終えるのか?)

 布団の中で自己嫌悪に陥るのは彼にとって嫌な日課になっていた。
 やがて日が暮れると取り立て屋も今日の所は諦め帰っていく。
 取り立て屋とていくら何でも夜までは仕事をしない、ブラックな事をやっていながら勤務体制だけはホワイトなのは何と皮肉であろうか、専太より余程恵まれている。

「やっと帰ったか……」

 布団をはぐり立ち上がると専太は大きく溜息を吐いた。
 夜に取り立て屋が来ないのはほぼ分かっているが日が落ち暗い中にあっても部屋の電気は付けられなかった。
 そう、どこで誰が見ているか分からないから、用心に越した事は無い。

「腹が減ったな……」

 腹の虫が空腹を知らせる、専太はここの所まともな固形物を食べていない。
 専ら水道水で飢えを凌いでいた、当然そんな事で腹は満たされないのであるが。

「何か食べて来るか……」

 幾ばかりかの硬貨を握り締めズボンのポケットに突っ込む。
 所持金は562円、一体何が食べられるだろう。
 よれよれのパーカーを羽織りフードを目深に被ると玄関へと向かう。
 扉をゆっくりと僅かばかり開け、そこから顔をそっと出し目をきょろきょろと動かし辺りを伺う。

(よし、誰もいないな?)

 狭い隙間からスルっと身体を出し急いで扉を閉め鍵を掛けると専太は素早くその場を立ち去りアパートから離れた。

「フゥ……今日も何とか外に出られたな……」

 一本隣の路地に入った所で歩く速度を緩めた。
 パーカーのポケットに両手を突っ込んだまま猫背で歩き出す。

「流石に空腹も限界だ、有り金で牛丼でも食うか、ミニサイズなら何とか食えるだろ」

 行きつけと言っても行く頻度が減った牛丼屋を目指し歩みを進める。
 この次の角を曲がった瞬間、専太は慌てて身体を引っ込めた。

(なっ……何でまだあいつがここに居るんだよ?)

 何と日中に専太の所に取り立てに来ていた男がこの先の道でスマホで通話をしているではないか。

「はい、はい……えっ、そんな? 今日中に広井の借金を回収しろですって? これ以上待てない……はい、分かりました、今から戻ってもう一度取り立ててきます!」

 専太が聞き耳を立てているとこんな会話が聞こえた。

(何だって!? 冗談じゃない!! 見つかってたまるか!!)

 専太は一目散に今来た道を逆走すると普段使わない路地の方へと走っていった。
 動揺していたからか曲がり角の度に進路を変更してしまい、気付くと見た事が無い場所に出てしまった。

「あれ……ここは、どこだ?」

 外灯が煌々と照らし出す高級そうな木材を使ったと思われる高い塀で囲われた長い路地に迷い込んだ専太。
 左手はその高い塀がずっと続いており、路地は綺麗に整地してありゴミ一つ落ちていない。
 
「高級住宅地? こんな所に来たのは初めてだな……そもそもこんな所には全くの無縁だからな俺は」

 どうせすぐには繁華街にもアパートにも戻れない、専太は仕方なく塀沿いにぐるっと路地を周る事にした。
 塀の上から覗く瓦屋根がちらりと見える、その時点で和の佇まいの豪邸であると推察できた。

「くそぅ、俺なんて最底辺の人生を送っているというのにこんな豪邸に住んでいる奴もいるんだ……つくづく不公平だよな世の中ってのは」

 恨み節を口から垂れ流しながら塀沿いに歩いていくと光が漏れる場所が前方に見えた。

「やっと入り口に付いたのか?」

 近付くにつれその光の場所は屋敷の門構えだと確認出来た。
 しかし門の扉は閉まっておらず、中が丸見えだ。

「やっぱりな、スゲェお屋敷じゃないかよ……」

 二階建てではあるがとにかく横に広いザ・お屋敷といった佇まいだ。
 だが専太が建物に気を取られるのは僅かの時間ですぐに普通ではない状況に気付く。

「うん? 屋敷の前にテントがあるな……それに人がいる」

 屋敷の外壁には白と黒の縦縞の垂れ幕が下がっており、門から屋敷の間の敷地に学校の体育行事等でよく使われている屋根だけがある白いテントが設置してある。
 その中には記帳の為のテーブルと黒い服、喪服を着た少女が立っていた。
 喪服の少女は専太と目が合うとゆっくりとお辞儀をした。

「ど、どうも……」

 それに釣られ専太もお辞儀を返せす。

(うわぁ、目が青い、それに何だか憂いのある美少女だな……)

 こんなシチュエーションでありながら専太は目の前の少女に魅入られ頬を赤らめてしまう。
 だがそれも仕方がない、その喪服の少女はスレンダーな身体つきに色白の肌、美しいブロンドの髪を両サイドで三つ編みしたものを後頭部でシニオンに纏めている。
 通夜という事もあり物憂げな表情であるものの日本人離れした顔立ちは思わずため息が出る程整っていたのだ。

「お客様、どうかこちらにいらしてくださいませ」

「えっ、俺?」

 喪服の少女は鈴を転がしたような涼やかな美しい声で呼びかけて来た。
 専太が辺りを見回した後自分を指差すと喪服の少女はコクリと首を縦に振る。
 恐る恐る専太は路地から屋敷の敷地に足を踏み入れた。
 そして喪服少女の所まで歩を進めた。
 少女は再度頭を下げると専太にこう言った。

「もし宜しければ旦那様のお通夜に参列して頂けませんか?」

「旦那様?」

「はい、大富豪阿久戸零左衛門あくとれいざえもん様です」

 よく見ると記帳台には黒枠の遺影が置かれておりそれを見るとピンと張った口髭が特徴的な目つきの悪い厳つい壮年男性の顔があった。

(このおっさん、どう見ても悪役顔なんだが……)

「旦那様は御覧の通りの悪人顔ですので生前に親しくされたご友人も無く通夜だというのに誰一人参列して頂けていません」

 専太は少女の言動にドキリとし一瞬身体が縮こまる。

(この女の子、俺の思っていた事を……でも誰も通夜に来ないってのはまた……」

 この屋敷の前に訪れた時の専太が感じた違和感は他にもあった、通夜の会場だというのに屋敷の前には少女以外人っ子一人居なかった事だ。
 台帳を見るとまだ誰の名前も記入されていない真っ新な状態、少女の言った事は本当の様だ。

「零左衛門様の生前はあらゆる強硬で悪どい手段を用いて私腹を肥やしていましたので相当人に恨みを買っていたのでしょうね、自業自得とも言えます」

「君さ、見かけに寄らず辛辣な事を言うね、仮にも雇い主だったんでしょう、このおっさ……ご老人」

「そうでしょうか? 私はただ事実を申し上げただけですが」

「ははっ……」

 専太の指摘に対して無表情のまま首を傾げる少女。
 これには苦笑いするしかない。

「折角だけど俺はこの人の事を知らない、通夜に参列するのはどうかな……」

「いいえお構いなく、このまま誰も参列してくださらなければ故人もさぞ残念、いえ無念でしょうから」

(今残念て言わなかったか?)

 今更ながらこの少女、どこか胡散臭い。
 仮にも使用人なら生前に億万長者の主人から多額の報酬や優遇を受けていたはずだ、それをここまでぞんざいに扱うのは違和感があった。

「いや、やっぱり遠慮するよ」

「そうおっしゃらずに、私にもノルマがありまして」

「ノルマ?」

「いいえ、それはお聞き流してくださいませ」

「………」

 専太は思った、これ以上この少女に関わり合いにあるのは危険だと、そう彼の直感が告げていた。

「ホントゴメン!!」

「じゃあ記帳だけで宜しいですから!!」

 専太が片手を上げて別れを告げた途端、少女の態度が急に激変し大声を上げながら専太の腰にしがみ付いて放そうとしない。

「お願いです!! このままでは本当に私困るんです!!」

 終いには涙ぐむ始末。
 生まれてこの方女性経験の少ない専太にとって泣いて縋る少女を払い除けて立ち去る事は流石にできなかった。

「わ、分かったよ、名前だけなら……」

「ご住所もお願いします」

「えーーー、仕方がないなぁ……」

 渋々台帳に名前と住所を記入する専太。

「ほら、これでいいだろう? じゃあな」

「ご香典も承っておりますが」

「あ~~~~これで文句ないだろう!!」

 専太はポケットから五百円玉を取り出すと記帳台に叩きつけた。

「恐れ入ります」

「チキショーーーー!!」

 恭しくお辞儀する少女に目もくれず泣きながらその場を走り去る専太。
 これで今夜は何も食べることが出来なくなってしまったのだ。
 家に帰ってから水道水をたらふく自棄飲みし布団に潜り込み泣きながら不貞寝を決め込むのでっあった。

 翌日の事。

 専太の部屋の呼び鈴が鳴る。

「また借金の取り立てか……朝早くからご苦労なこって……」

 専太は寝床から起き上がらずに布団に包まりそのまま居留守を決め込むことにした。

「早朝から恐れ入ります、こちら広井専太様のご自宅でしょうか?」

(あれ? この声は……)

 いつもの乱暴な男の声では無くどこかで聞いた事のある女性、少女の声だ。

(えっ、まさか!?)

 専太は思い出す、この声は昨日の億万長者の通夜の時に会ったあの少女の声だと。
 ガバッと布団から起き上がり慌てて玄関のドアの覗き穴に顔を近づける。

(やっぱり……)

 魚眼レンズの先には顔の造形が整ったあの少女が立っていた。
 しかも今日は喪服では無く何とフリフリのメイド服を着ているではないか。

(メイド服を実際に着ている女の子を初めて見た……いや今はそれどころではない、一体何の用だ? これはこれで取り立て屋とは違う危険な匂いがするな……)

 専太は敢えて少女に対して応対をせずそのまま居留守を続ける事にした。
 そんな時だった。

「ああん!? 何だ姉ちゃん、この部屋に何か用か!?」

(最悪だ……)

 新たに男の声がする、こちらも専太にとって聞き覚えのある借金取り立て屋の男の声だ。

「はい、私広井専太様に大切な要件がありまして」

「ほうほう、姉ちゃんは広井の知り合いなんだ?」

「はい、今日からお仕えする広井専太様の専属メイドですから」

「何~~~~~!?」

 少女の想定外の突拍子の無い言動に思わず声を張り上げてしまった専太。

「その声は広井だなぁ!? 中に居るんだろ!! 今日こそは貸し付けた50万、耳を揃えて返してもらおうか!?」

 ドンドンと扉を叩く音が鳴り響く。

(しまった!!)

 しかし時すでに遅し、居留守は完全にバレてしまった。

「まあ、広井専太様はあなたに借金をしておられるのですか?」

「おうよ!! 正確にはウチのボスにだがな!! オラ広井出てこいやぁ!!」

「そうでしたか、そんなはした金でしたら……はい、どうぞお納めください」

「うん!? 何だあんたが払ってくれるのか? それならそれでこっちとしちゃぁ全然構わねぇけどよ……後で返せって言うなよ?」

「はい、確かにお支払いしましたからね」

「おう、毎度あり……おい広井、もう返済の滞納するんじゃねぇぞ!!」

 最後に強くドアを叩くと借金取り立ての男はそのまま去って行った。

「おい!! これはどういう事だ!?」

 見計らったかのようなタイミングで部屋から飛び出した専太はすぐさま少女に詰め寄った。

「どういう事と申されましても私はただご主人様の借金をご返済しただけですが?」

 少女はしれっと言い放つ。

「ご主人様って……俺が!?」

「はい」

「君の!?」

「はい」

 専太の問い掛けに淡々と返事をする少女。

「何でそんな事になった!?」

「あら、お忘れですか? 専太様は昨日お屋敷前で記帳されたではありませんか」

「記帳……ああ、確かにしたさ、だがそれとこれと何の関係がある!?」

「大アリです、あの名簿に初めて記帳した方に財産の全てを譲渡するというのが阿久戸零左衛門様の遺言ですから」

「何ぃ!?」

 専太は心臓が止まりそうな衝撃を受けた。

「ですからあなた様は今日からはこんなボロアパートに住み食うや食わずの残飯を漁る生活を送る事とは無縁の人生を送ることが出来るのですよ」

「言い方……」

 だが少し冷静になって考えるとこんなに美味しい話しは無い。
 本意では無いにしろ巨額の財産が手に入ったのだ、これを喜ばずして何とする。

「これはいい……俺の人生はここから上向いていくんだな……」

 専太は両手の拳を握り締めワナワナと震える。
 もちろん歓喜から来る震えだ。

「お喜びの所水を差して申し訳ありませんが全くの無条件とは行きません」

「何だよ、条件があるのか?」

「はい、広井専太様、あなた様には世界平和を陰から支えるヒーロー戦隊のリーダーになって頂きたいのです」

「へっ……?」

「申し遅れました私はゲルダ、広井専太様の専属メイドです、何なりと御用をお申し付けくださいませ」

 ゲルダと名乗った少女はメイド服のスカートの裾を両手で掴むと腰を落として優雅にお辞儀をした。
 荒唐無稽なゲルダの申し出に頭がフリーズし付いていけない専太であった。
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