最後の物語 【R18】

ヒルナギ

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第十三話

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「いわゆる抗原抗体反応と呼ばれるものだって、人間の体の中で遺伝子情報の組み替えが発生しているのよ。まあ、正確にいうならゼロから造り出すのではなくて、ある種のウィルスを造り変えているというべきなのだけれど」

「ワームをコントロールするとどうなるの?」

「ダークワームが情報を食べることで、わたしたちは多元的な並行世界の中から一意に決定された世界を選択して生きていると思われる。そのワームをコントロールできたら、世界はあらゆる可能性に向かって開放されたものとなる。何がおこるか、わたしには見当もつかないわ」

 わたしは呻いた。そのウィルスは、おそらくわたしの体内にもいるということだ。

「では、あなたの見たものを教えてあげるわ」

 恵理香は厳かといってもいい口調で語る。

「ワームをコントロールすることによって、わたしたちが生きているのとは別の潜在的世界がえびねの脳内には幻覚として到来する。彼女が描くのはその世界、そして、あなたが見たのはそれ」

 わたしは言葉を失った。わたしはいつのまにか迷路の中に迷い込んでいる。出口の見えない、どこに続くともしれない迷路。

「あなたの前にある机の一番下の引出しを、あけてごらんなさい」

 わたしは言われるがままに引き出しをあける。そこにあったのは禍禍しい形をした、短機関銃だった。イングラムと呼ばれる、銃把の中に弾倉が格納されたタイプのコンパクトな短機関銃は、わたしには暗闇で静かに眠る毒虫のように思える。
 わたしはイングラムを手にとった。恵理香がわたしに囁きかける。

「それを使う時がくるかもしれない。とっておきなさい」

 それはえびねを殺せということなのかと聞く前に、電話は切れた。一体、落合征士がどういう理由でその銃を持っていたのかは見当もつかない。わたしはとにかく、恵理香の忠告に従っておくことにした。
 わたしは、その銃の弾倉を取り出し、五十連弾倉に弾が込められていることを確認する。
 弾倉を抜いた状態でコッキングレバーを弾いてみた。薬室にカートリッジは、入っていない。
 昔つきあった元特殊部隊のボーイフレンドのおかげで、銃の基本的操作は学んでいたため、とりあえずそのイングラムの扱いに戸惑うことはなかった。スリングで銃を肩から提げる。
 その時、部屋に激しい音が轟いた。狂える野獣の咆哮のような、あるいは世界そのものが軋みながら崩壊してあげる悲鳴のような音。
 それはわたしの友人のギターが放つ音だった。ギターは操作するものもいないのに、凄まじい轟音を放っている。
 わたしはそのギターを手にとった。ぴたりと音がやむ。わたしは何が起こっているのか、判っていた。えびねの呼び声。彼女が地下から放った絶叫だ。
 えびねの必要とするものは、間違いなくこれだろう。そして落合征士が企てて、わたしがここに来るはめになったのも、彼女がこれを必要としたからだ。
 いくつかの、選択肢がある。わたしの持つ銃も、またそのひとつ。わたしは落合の企てに、のってみることとした。それが何を引き起こすかは、判らない。しかし、わたしはその先にあるものに、間違いなく惹きつけられていた。
 わたしは、地下室へ降りる。その右手にギターを持ち、左手には銃があった。
 わたしが檻に入ったとき、始めてえびねはわたしを見つめる。透明な、背後に人間の意識を感じさせない視線。わたしはその眼差しに、戦慄を覚える。
 わたしはギターと銃を床に置くと、えびねの前におかれたイーゼルの向きをかえた。そして、わたしはギターを手にとり、その逆巻く闇を見つめる。
 わたしは何をすればいいのか、さっきよりも明瞭に感じ取ることができた。渦を巻き、絶望への咆哮を放つその闇の力に呼応して、わたしの手にしたギターは身震いするように低い音を放つ。わたしはただ、そいつが望む通りの音を奏でてやればいい。
 金属の野獣が放つ壮絶な絶叫に地下室が揺れた。頭の中で立て続けに弾薬が炸裂していくような、凄まじい轟音がその密閉された空間を満たす。
 わたしは狂おしい衝動をぎりぎりのところで押さえつける。それはまるで、激しく躍動する金属の荒馬を無理やり手綱を取って乗りこなすような感覚だ。
 わたしはかろうじてその轟音をコントロールする。わたしの身体は粉々に分解されていた。
 その無数の音の破片となったような身体を、音の向かう方向に沿って操ってゆく。それはある種の奇跡の顕現のようにさえ思えた。
 音の微粒子は確かな意思を持って、暴力的に地下の空間を犯してゆく。

「ああ」

 わたしはえびねの吐息とも、歌声ともつかないような声を聞く。わたしは彼女がこの炸裂する無限の破壊と創造の空間の中で、始めて人間めいた存在感を持ったような気がする。
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