土曜日の本

１２６ 「空色の彗星」

　春妃は、楽しそうに語る。

「ああ、愛するひとに命を捧げることができるなんて」

　春妃は、獰猛な肉食獸の笑みを浮かべた。

「死んだかいも、あるってもんよ」

　わたしらしい、気楽な台詞を吐くと、世界を見上げる。

　春妃は、吠えた。

　満月の夜に咆哮する、狼のように。

　復讐を誓い、トマホークを掲げる、モヒカンの戦士のように。

　歌うような、絶叫するような、吹きすさぶ風のような、その叫び声は夜のように黒い空間を渡ってゆく。

　春妃は、跳躍した。

　春妃は、空色の彗星となる。


　無数の光の矢が、赤の女王から春妃へと標的を変えた。

　光の奔流が、春妃に襲いかかる。

　グラインダーを金属の板に押し付けたときのような火花が、春妃を覆った。

　春妃は、燃え盛る白銀の焔に、飲み込まれたようだ。

　それでも、春妃は吠え続けている。

　その身体は、ずたずたに切り裂かれているだろうに。


　ああ、わたしはその叫びを、そのわたし自身の叫びを忘れることはないだろう。

　その響き渡る叫びは、わたしの魂へと食い込んでゆく。

　こんなに喜びに満ちて尚、深い苦しみと哀しみを湛えた叫びは。

　二度と聞くことは、できないだろうと思う。


　春妃は、全身を切り裂かれながらも、ついに世界のそばに辿り着く。

　白銀の焔を切り裂くように、闇色の剣が振るわれる。

　この世の終わりを告げるような、春妃の絶叫が轟く。

　ついに、春妃の身体は四散したけれど、黒い剣が止まることは無かった。

　それは、水晶の城へと食い込んでゆく。

　七色の光が溢れだし、あたりをメスカリンがもたらす夢のように、極彩色へと変えてゆく。

　世界は、虹色の血を撒き散らしながら、闇へと沈む。

　きらきらと、水晶の破片が、闇の海へと沈んでいく。

　城は、崩壊していった。

　黒い剣に犯された、硝子の乙女のように。

　粉々に砕け、暗黒の死に蹂躪される。


　そして、唐突に、わたしたちは暗黒へ向かって落ちていった。