愛の反響定位

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5 二回目の

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 文字通り"目を通す"以上のことをしなかった彼のデータを、今度はしっかり読むことにした。
 先日は年齢すら把握していなかったが、彼の公開データは他の人よりも随分と細かい。国の土木課で働く彼は僕らの住む地域を担当しているとあるが、災害時などは派遣されることも多く、その時は帰宅予定が断定できない。要するに約束を反故にしてしまう可能性があるだとか、獣人の特性も相まって酒に弱いから、付き合いでどうしてもとならなければ口にしないだとか。
 結婚において大事な家族関係も勿論書かれている。彼の両親は共に獣人だとある。二人とも田舎で農業に従事しているが、雇われの身であり、結婚相手がそれを手伝ったり跡を継ぐ必要はない。
 コメントにある、生涯を仲良く共に過ごせる人を探しているというのは、彼に聞いたそのままだ。アドバイザーは、これを見て彼を薦めてきたんだろうか。子を成さない僕らがわざわざ結婚相談所に来て相手を探す理由。『真面目な相手を探す』以外ない気がするけれど、それぞれ事情もあるのだろう。

 今週末はいかがですかと問われ、意味もなく一週間先延ばした。
 獣人バロウ・ストーンとの二回目のお見合いは、初回よりは気軽なカフェで、初回よりもしっかりとした気持ちを持って顔を合わせることになった。

 彼は晴れ男なのか今回も見事な晴天で、店に着くまではジャケットを脱いでいた。スーツよりもカジュアルなジャケットは、お見合いのために買ったもの。初回はスーツで、というのが何となく決まっているから、このジャケットは今まで仕事がなかった。出番ができてよかったな。
 待ち合わせの場所には訪れたことがなかった。あのホテルがある駅から遠くもないけれど、通りの雰囲気は結構違うように思う。一階に店舗があり、二階以上は住居。そんな建物たちが並ぶのは結婚相談所周辺と似ている。道はホテル前より狭く、大型バスが何本も行きかったりはしていない。車止めのポールには小さな花が吊るされているし、街灯には旗が飾られていた。

 テラス席に老婦人が犬とくつろぐカフェを覗けば、窓際に彼を見つけた。
 前回もそうだったけれど、彼は先に待っているのだ。女性と会うときは入口で顔を合わせてから一緒に店へということが基本だったけれど、彼は今回も少し下を向いて、入口に背を向け綺麗な姿勢で待っていた。
 まっすぐ彼の元へ向かい、背中に声をかけ、目の前の席に座った。慌てて腰をあげようとするのを止める。
 おやつ時にはまだ早い店内はほどほどに空いていた。店内には陽気な曲が流れている。ホテルの聞こえているのか聞こえていないのかわからないような静かな音ではない。天井では茶色い木目のファンが回り、店員は手早くコーヒーを作っている。
 メニューを開き、頼んだのは紅茶。開いてすぐに目にしたでかいパフェを頼むなんてことはしない。そういうのはやめておきましょう、とアドバイザーが濁しつつ言っていた。

「いい天気で良かったですね」

 当たり障りのない会話が始まる。
 僕は面接官ではないのだが、彼はコーヒーに口もつけずに視線を合わせ話してくる。彼もこのお天気で少し暑くなったのだろう。ジャケットが椅子の背にかかっていた。襟のついた皴のない白いシャツに、赤茶の髪が目を引く。

「コーヒーより紅茶の方がお好きですか?」

 注文の品が届けられ、当たり障りのない話が続く。あいにくどちらも別に好きではない。しかしそれをそのままいうのも……大体あれが好きだとかで話が弾むものだけど、特になしだった場合詰むのだ。なのでさらっと流して聞き返す。

「あー、いやー、特には。コーヒー派ですか?」
「いえ、実は、コーヒーも紅茶もいつもは飲まないんです」

 この会話失敗じゃないか?
 気まずそうな顔をしている。そりゃそうだ。聞き返されることを想定しておかないと。聞かれたらまずいことを聞いちゃいけない。

「ジュースもありますよ。変えますか」
「基本的に味のついた飲み物を飲まないんです」

 どうしようもない。

「でもお店で、というか、お相手の方がいる場面で定番ではないものを頼むのって駄目な気がして」
「そこを無理する必要はないと思いますけど。これとか美味しそうですよね。ほら、フルーツ山盛りパフェ」

 ちょっとした冗談というか、まぁそんな雰囲気でメニューの最初にある季節のオススメ品を提示した。しかし彼は意外にも、その目に反応を見せる。下がっていた眉が上がる。薄茶の瞳が山のように盛られたパフェの写真を見つめている。甘いものが好きだって、データにあったか?

「……頼む?」

 彼ははっとしたように首を横に振った。おそらく彼もアドバイザーの言葉を守っているのだろう。

「僕は美味しそうだと思うんですけど、もうこの量の甘いものは食べきれないなぁ」

 ふと思う。

「誰か一緒に食べてくれる人がいたら、今でも挑戦できるんでしょうね。残すのは勿体ないから」

 気分的にはホールケーキ位食べられるのだけど、体はそうもいかない。
 言ってから、誘っているようだと気付く。そんなつもりはなかった。――そんなつもりはなかったが、これはお見合いなのだし、彼と付き合うことを考えていくのであれば問題はない。彼を好きになっていこうと考えるのであれば。
 だから僕は、ただ彼に向けて笑った。
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