6 / 52
第一章 3か月
1-6
しおりを挟む
慣れてきたしそこまでの遠慮はしていないだろうと、思っていた。
急遽休みになった人の代わりにバイトに入る。
自分の休みは潰れたが特に予定があるわけでもなく問題はない。
欠伸をしながら出勤し、あいつにはいつもと同じくらいに帰ると告げて出た。
が、いつもよりは早くなった帰宅時間。
桜が咲き、散り、すっかり春らしくなっているが冷えた夜だった。
最近夜でも温かくなってきたのにずいぶん冷えていると、手をポケットに突っ込んで帰る。
地上から見上げた自宅の電気はついている。
一息ついて階段を上る。
電気も死にかけてる暗い階段を2階まで上がり、古びたドアの冷たいドアノブを回す。
最近ずっと、寒い日でもあいつが家にいるから帰宅すれば暖かかった。
だからこの時も同じように無意識の期待をしていたのに。
入った部屋は冷えていた。
ドアが閉じる音に重なる様におかえりなさいと声がする。
「お前寒くねーの?」
スマホに表示されていた現在気温は5度。
断熱されている家ならまだしも、うちは違う。
あいつは慌てて暖房をつけた。
そしてまた、ごめんなさいと謝る。
「別にお前が寒くないなら、謝る必要はねーよ」
それでもまたあいつは、ごめんなさいと言った。
「あのな」
怒られる、と思ったのだろう。
小さな体が縮こまる。
「俺はお前を預かるために金をおっさんから貰ってる。だから光熱費とか食費とか、金の心配はしなくていい」
封筒はずっと置かれているのに、それでもこいつは心配なのだろうか。
ひと月で約30万。
十分な額だ。
「お前が、それでも遠慮しちゃうとか他人となんて暮らしにくいっていうなら、俺はお前が3か月住めるとこ探すよ? 自分ではやり方がわかんなくて出ていけないって思ってるかもしれないから言うけど、ちゃんと協力する」
3週間前は放り出そうとも思っていた。
やることは同じだが、気持ちは違う。
「でも一応俺は3か月任せられたって思ってる。だから、お前がちゃんと決めろ。ここに居たいのか一人がいいのか。他人と暮らすのがストレスになる人間なんかいくらでもいるから、俺に申し訳なく思う必要もない」
ずっと一人暮らしをしていたものだから、一人暮らしの気楽さは知っている。
今更家族と同居する気もない。
それがましてや全く面識のない他人となんて、ストレス以外の何物でもないだろう。
更には突然のことで満足に自分の持ち物も持ってこれず、自分の心地の良い環境でもなく。
「オレは――」
「どっちでもいいは無しな。お前が決めろ」
あいつは口を開いたまま言葉を紡がない。
何かを言おうとして、でも音が出てこない。
「今すぐに決めなくていいから考えろ」
***
3日経った。
その間あいつは言われたとおりに生活した。
1週間経った。
相変わらずあっちからは言ってこない。
どっちでもいいではない、決定をあいつは下さない。
「決めた?」
軽い問いに、びくりと足元の体が震えた。
あの、と小さな前置きが出る。
「決めて欲しいです」
目線を上げないその様にため息が漏れる。
この1か月は何だったのだろうか。
良くない共同生活だったとしても、こんなにすべてを放り出されるなんて。
「『出てけ』――、つったら出てくのか? 今すぐ」
「はい」
俯いた視線がふらりと部屋を巡る。
自分の持ち物を確認しているんだろうか。
「俺はさぁ冴木さんに任されたんだけど」
契約書の一つもないが、俺は任されそれを受けた。
足元の小さな体の前に座り込むと、小さな声がごめんなさいと俯いた。
世話になっている冴木の名前を出されると弱いのだろう。
他人に迷惑をかけたくないと思っているようなこいつには特に。
だけども俺に対して「ここにいさせてくれ」と言うこともできない。
それは俺に迷惑をかけることになると思っているからだ。
「お前さ、家は?」
びくりと頭が揺れる。
親切な冴木さん、ではない家だ。
「家は出ました」
「出たってなんだよ。冴木さんと暮らしてんの?」
同居しているのならそこはもうこいつの家でもあるのだし、うちに来る必要はないだろうに。
「今は――」
――こいつの名前は堂前治雪。
3月に高校を卒業したばかりの18歳。
母親は雪を生んだ時に死んだという。
そしてずっとこいつは父親に家から出て行けと言われていたらしい。
こいつは、その言葉を素直に受け取り実行した。
そしてあの冴木のおっさんに拾われたわけだ。
おっさんには卒業前からちょくちょく世話になっていたらしい。
ぽつりぽつりと深夜の部屋に落とされる言葉は少なかった。
「あのおっさんに体でも売ってたのかよ」
血縁関係もない赤の他人に100万出せる関係。
茶化すように言った。
雪は否定しなかった。
そして肯定もしなかった。
ぎゅうっと握っていた鉛筆を床に置くと、雪はゆっくりとした動作で俺に手を伸ばした。
何をしようとしているのか。
ただ見つめる先で、細い指先が俺のズボンに手をかける。
おぼつかない手つき。
下ろされたファスナー。
逡巡する手が下着に手をかけたところでやめさせた。
「ごめんなさい」
静かに怒っているのかと思った。俺の悪い冗談に。
怒っているからわざとらしく俺が言ったことを実行してみせようとしているのかと。
――でもこいつが謝ることで、それも否定された。
「いや」
俺が悪かったとは口から出てこなかった。
暗に確認した冴木との不健全な関係。
雪は行為に慣れているようには思えなかった。
そもそも、性的な経験すら薄いのではないかと何となく思った。
もしかして俺が体でも売っているのかと言ったから、こいつはそれが"使えるものなのだ"と思ったんだろうか。
それが望まれるものだと。
俺の言い方では軽い冗談には聞こえなかったかもしれない。
しかしどちらかというと、こいつはそもそもこういうことを冗談ともとらない奴で、なんならそれが望まれているのならと実行にも移せてしまうのではないか。
そうだとするならば。
正しい行いだとか悪い行いだとかを言うつもりはないが、雪を今放り出すのはあまり良いことになるとは思えなかった。
急遽休みになった人の代わりにバイトに入る。
自分の休みは潰れたが特に予定があるわけでもなく問題はない。
欠伸をしながら出勤し、あいつにはいつもと同じくらいに帰ると告げて出た。
が、いつもよりは早くなった帰宅時間。
桜が咲き、散り、すっかり春らしくなっているが冷えた夜だった。
最近夜でも温かくなってきたのにずいぶん冷えていると、手をポケットに突っ込んで帰る。
地上から見上げた自宅の電気はついている。
一息ついて階段を上る。
電気も死にかけてる暗い階段を2階まで上がり、古びたドアの冷たいドアノブを回す。
最近ずっと、寒い日でもあいつが家にいるから帰宅すれば暖かかった。
だからこの時も同じように無意識の期待をしていたのに。
入った部屋は冷えていた。
ドアが閉じる音に重なる様におかえりなさいと声がする。
「お前寒くねーの?」
スマホに表示されていた現在気温は5度。
断熱されている家ならまだしも、うちは違う。
あいつは慌てて暖房をつけた。
そしてまた、ごめんなさいと謝る。
「別にお前が寒くないなら、謝る必要はねーよ」
それでもまたあいつは、ごめんなさいと言った。
「あのな」
怒られる、と思ったのだろう。
小さな体が縮こまる。
「俺はお前を預かるために金をおっさんから貰ってる。だから光熱費とか食費とか、金の心配はしなくていい」
封筒はずっと置かれているのに、それでもこいつは心配なのだろうか。
ひと月で約30万。
十分な額だ。
「お前が、それでも遠慮しちゃうとか他人となんて暮らしにくいっていうなら、俺はお前が3か月住めるとこ探すよ? 自分ではやり方がわかんなくて出ていけないって思ってるかもしれないから言うけど、ちゃんと協力する」
3週間前は放り出そうとも思っていた。
やることは同じだが、気持ちは違う。
「でも一応俺は3か月任せられたって思ってる。だから、お前がちゃんと決めろ。ここに居たいのか一人がいいのか。他人と暮らすのがストレスになる人間なんかいくらでもいるから、俺に申し訳なく思う必要もない」
ずっと一人暮らしをしていたものだから、一人暮らしの気楽さは知っている。
今更家族と同居する気もない。
それがましてや全く面識のない他人となんて、ストレス以外の何物でもないだろう。
更には突然のことで満足に自分の持ち物も持ってこれず、自分の心地の良い環境でもなく。
「オレは――」
「どっちでもいいは無しな。お前が決めろ」
あいつは口を開いたまま言葉を紡がない。
何かを言おうとして、でも音が出てこない。
「今すぐに決めなくていいから考えろ」
***
3日経った。
その間あいつは言われたとおりに生活した。
1週間経った。
相変わらずあっちからは言ってこない。
どっちでもいいではない、決定をあいつは下さない。
「決めた?」
軽い問いに、びくりと足元の体が震えた。
あの、と小さな前置きが出る。
「決めて欲しいです」
目線を上げないその様にため息が漏れる。
この1か月は何だったのだろうか。
良くない共同生活だったとしても、こんなにすべてを放り出されるなんて。
「『出てけ』――、つったら出てくのか? 今すぐ」
「はい」
俯いた視線がふらりと部屋を巡る。
自分の持ち物を確認しているんだろうか。
「俺はさぁ冴木さんに任されたんだけど」
契約書の一つもないが、俺は任されそれを受けた。
足元の小さな体の前に座り込むと、小さな声がごめんなさいと俯いた。
世話になっている冴木の名前を出されると弱いのだろう。
他人に迷惑をかけたくないと思っているようなこいつには特に。
だけども俺に対して「ここにいさせてくれ」と言うこともできない。
それは俺に迷惑をかけることになると思っているからだ。
「お前さ、家は?」
びくりと頭が揺れる。
親切な冴木さん、ではない家だ。
「家は出ました」
「出たってなんだよ。冴木さんと暮らしてんの?」
同居しているのならそこはもうこいつの家でもあるのだし、うちに来る必要はないだろうに。
「今は――」
――こいつの名前は堂前治雪。
3月に高校を卒業したばかりの18歳。
母親は雪を生んだ時に死んだという。
そしてずっとこいつは父親に家から出て行けと言われていたらしい。
こいつは、その言葉を素直に受け取り実行した。
そしてあの冴木のおっさんに拾われたわけだ。
おっさんには卒業前からちょくちょく世話になっていたらしい。
ぽつりぽつりと深夜の部屋に落とされる言葉は少なかった。
「あのおっさんに体でも売ってたのかよ」
血縁関係もない赤の他人に100万出せる関係。
茶化すように言った。
雪は否定しなかった。
そして肯定もしなかった。
ぎゅうっと握っていた鉛筆を床に置くと、雪はゆっくりとした動作で俺に手を伸ばした。
何をしようとしているのか。
ただ見つめる先で、細い指先が俺のズボンに手をかける。
おぼつかない手つき。
下ろされたファスナー。
逡巡する手が下着に手をかけたところでやめさせた。
「ごめんなさい」
静かに怒っているのかと思った。俺の悪い冗談に。
怒っているからわざとらしく俺が言ったことを実行してみせようとしているのかと。
――でもこいつが謝ることで、それも否定された。
「いや」
俺が悪かったとは口から出てこなかった。
暗に確認した冴木との不健全な関係。
雪は行為に慣れているようには思えなかった。
そもそも、性的な経験すら薄いのではないかと何となく思った。
もしかして俺が体でも売っているのかと言ったから、こいつはそれが"使えるものなのだ"と思ったんだろうか。
それが望まれるものだと。
俺の言い方では軽い冗談には聞こえなかったかもしれない。
しかしどちらかというと、こいつはそもそもこういうことを冗談ともとらない奴で、なんならそれが望まれているのならと実行にも移せてしまうのではないか。
そうだとするならば。
正しい行いだとか悪い行いだとかを言うつもりはないが、雪を今放り出すのはあまり良いことになるとは思えなかった。
2
あなたにおすすめの小説
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
寂しいを分け与えた
こじらせた処女
BL
いつものように家に帰ったら、母さんが居なかった。最初は何か厄介ごとに巻き込まれたのかと思ったが、部屋が荒れた形跡もないからそうではないらしい。米も、味噌も、指輪も着物も全部が綺麗になくなっていて、代わりに手紙が置いてあった。
昔の恋人が帰ってきた、だからその人の故郷に行く、と。いくらガキの俺でも分かる。俺は捨てられたってことだ。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる