ファーストフラッシュ

紺色橙

文字の大きさ
46 / 52
第四章 ダメな大人

4-9

しおりを挟む
 夕方一緒に引っ越すかと聞いたとき、雪は一緒に行きますとはっきり答えた。
 一緒に行きたいと、一緒が良いと繰り返し言った。



 腹に布団をかけ、微睡みの中で雪が思い出を語る。
「夜にお父さんが電話をしていて、オレは目を覚ましてそれを見に行ったんです」

 小学校に上がったばかりだったか、雪は父親の電話する声で目を覚ました。
 当時は祖父の認知症が進行しており、夜でも昼でも祖父や通所施設の人から電話があったという。
 金の無かった雪の祖父は施設でずっと暮らすことは出来ず、たまに泊まりをするという日々。
 すっかりぼけているのに自分は何でもできるんだと、ヘルパーさんに対しても「家政婦ごときが指示するな」と勘違いをしていた。
 偉そうで話の通じない祖父の態度、昼夜関係のない電話。
 雪の父親は疲弊し、その電話が切れた後に言ったという。
「雪、一緒に死ぬか?」
 雪はあの時唯一、父親に『一緒に』と言われたと語る。

「すぐに返事が出来なかった」
 雪はそれをまるで悔やむように言う。
 一緒にと言った父親に対してすぐにハイと返事できなかったと。
 黙っていれば父親は現実に帰ったように、雪をいつものごとく早く寝ろと叱った。
 あの時即答できていれば父親との関係も変わっていたんじゃないかと雪は分からない答えを探していた。



 何才だったかも正確に記憶していないような思い出話。
 生きていてよかったと軽率に口から出そうになって留める。
 当時の雪にとっては、父親こそ世界のすべてだったろう。
 その人に求められたことを悪いことだと否定はできない。
 結局二人とも生きていることは事実で、父親は雪を生かしここまで育てた。
 育てた、と言えるのかはわからないが、とにかく雪にとってはそれでも嫌えない父親なのだ。

 女なら体を売れたのにと言われていた時も、言葉だけで何もなかったと雪は言う。
 むしろその言葉の裏には女でなくてよかったという思いも透けて見えたと。
 それは雪の都合のいい考えかもしれない。
 自分は父親にそこまで嫌われてはいなかったと、少しくらいは愛情を持たれていたと。
 しかし都合のいい思い込みだろうと、当時の父親に聞いてみるしか正解は無いのだ。
 それなら、そのままでいい。

 布団から出されている腕は力なく開かれ、雪の体の形を作る。
 何と声をかけてやればいいのか悩み、雪の頭を抱き込んだ。
 冷えた指先が腕に触れる。
「ケースケさん」
 三か月に一度は切るようになった髪を払い、額に唇を寄せた。

 俺に代役は出来ない。なんせ俺は素晴らしい役者じゃない。
 だから代替品の愛を渡すこともしてあげられない。
 残念だけれど、いくら望まれようとも雪が心の奥底にずっと抱え続けるだろう父親の代わりも、それに等しい愛も与えられない。
 状況が違えば、時期が違えば、雪はここにいなかった。
 それは雪が父親と幸せに暮らしていた世界があったということ。
 そしてその世界に雪がいたなら、俺はそこにはいない。
 冴木に拾われず、ここに預けられる雪は発生しない。

「一緒に住む引っ越し先の条件考えといて」
 一緒に。
 少し強く口に出した。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

寂しいを分け与えた

こじらせた処女
BL
 いつものように家に帰ったら、母さんが居なかった。最初は何か厄介ごとに巻き込まれたのかと思ったが、部屋が荒れた形跡もないからそうではないらしい。米も、味噌も、指輪も着物も全部が綺麗になくなっていて、代わりに手紙が置いてあった。  昔の恋人が帰ってきた、だからその人の故郷に行く、と。いくらガキの俺でも分かる。俺は捨てられたってことだ。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

「好きって言ったら負け!」完璧すぎる生徒会コンビの恋愛頭脳戦は今日も平行線です~恋は勝ち負けじゃないと知るまでの攻防戦

中岡 始
BL
「好きって言ったら負け」 それが、俺たちの間にある、たったひとつのルールだった。 星遥学園の顔、生徒会長・一ノ瀬結翔と副会長・神城凪。 容姿、成績、カリスマ性――すべてが完璧なふたりは、周囲から「最強ペア」と呼ばれている。 けれどその内側では、日々繰り広げられる仁義なき恋愛頭脳戦があった。 ・さりげない言葉の応酬 ・SNSでの匂わせ合戦 ・触れそうで触れない、静かな視線の駆け引き 恋してるなんて認めたくない。 でも、相手からの“告白”を待ち続けてしまう―― そんなふたりの関係が変わったのは、修学旅行での一夜。 「俺、たぶん君に“負けてもいい”って思いかけてる」 その一言が、沈黙を揺るがし、心の距離を塗り替えていく。 勝ち負けなんかじゃない、想いのかたちにたどり着くまで。 これは、美形ふたりの駆け引きまみれなラブコメ戦線、 ついに“終戦”の火蓋が落ちるまでの物語。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

今日くらい泣けばいい。

亜衣藍
BL
ファッション部からBL編集部に転属された尾上は、因縁の男の担当編集になってしまう!お仕事がテーマのBLです☆('ω')☆

処理中です...