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第35話 ビーフシチュー
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おそらく1ヵ月の中で最も王都市民の心が穏やかな日というのは、今日だろう。何故なら今日は給料日だからだ。
カネが無いと心も荒む。逆に言えばカネさえあれば、ある程度は心は穏やかになるものだ。
気のせいか笑顔をした者が多い中、マリアンヌは光食堂へと歩いていく。
もちろん彼女も今日が給料日で、まとまったカネが入ったから少しだけ贅沢をしに来たのだ。
ドアを開けると括り付けられていた鈴がチリンチリンと鳴った。
「いらっしゃいませ、ご注文はいかがいたしましょうか?」
「光さん。今日はビーフシチューと付け合わせのパンをお願いできるかしら?」
「はいかしこまりました。少々お待ちいただけますか?」
そう言って彼女は一旦店の奥に引っ込む。
「ビーフシチュー」
「牛の肉と野菜を赤ワインとソースで煮込んだ料理」
とメニューにはある。正直、こんな書き方では「損をしている」メニューである、とマリアンヌは思う。
牛肉というのは王都に住むほとんどの人にとっては「サンダルの底」などと言われるような代物で、
年を取って子種や乳が尽き、足腰が弱ったものを廃棄処分同然で処理したものが普通だ。
そのためその身は固く、挽き肉にしてハンバーグやソーセージにでもするか、シチューの具として長時間煮込むといった調理をしない限りまともに食えるものにはならない。
なのでマリアンヌがこの料理を初めて頼んだ際にはあまり期待していなかったのだが「いい意味で」裏切られた。
冬場になって温かいシチューでも食べようかと思い、頼んだこの料理の事を彼女は「大いなる驚き」を持って出迎えることになった。
「お待たせいたしました。ビーフシチューとパンになります」
とん。と彼女の前に置かれたのは付け合わせのパンと、とろりとした赤茶色い液体の中に浮かぶ肉や野菜達だった。
調理中に飛んだのだろうか、アルコールの臭いこそしないがワインやソースの香りが鼻をくすぐる。
(いい匂い。香りだけでも十分楽しめるわ)
まずは鼻で香りを存分に楽しんだ後、スプーンで牛肉をすくって口に入れる。
「……相変わらずすごいわね、この店の肉」
驚くのは、具である牛肉の肉質。
口に入れるとほろほろと崩れていき、彼女が知る普段の牛肉ではどんな魔法を使ってでも絶対出せないような濃厚なうま味を口の中に解き放つ。
どうすれば牛肉でここまでの美味を出せるのか、彼女にはさっぱりわからない。
この肉を楽しめるだけでも銅貨で26枚という値段には納得、いやむしろ破格の安さと言ってもいいくらいの値段だった。
ジャガイモやニンジン、タマネギやブロッコリーなどの他の具も文句なしに美味い。
肝心のスープも全ての野菜と肉のうまみを抱きかかえ、赤ワインとソースをもって最高の味を演出している。
全てにおいて隙が無い。完璧な料理だ。
(ふーむ。牛の肉を使ったシチューか。にしてはずいぶん柔らかそうな感じがするな。それに彼女、どこかで見たことがあるような……)
久しぶりに王都にやってきたので光食堂で夕飯を取ろうとしたサイフォンは、
隣の席に座っている完全に初対面ではなさそうな客を見て、ずいぶん美味そうに食ってるなと感じていた。
単純に今日がこの国の王都での給料日だというのを差し引いても、最高の顔をしていた。
(まぁいい。今日はこれにしようか)
「光さん。私にビーフシチュー、それに付け合わせのパンを1人前ずつ頼みます」
彼女につられてビーフシチューを頼んだ。その選択は間違いではなくシチューボウルに付いたスープをパンでぬぐって食べるほどには、美味かったという。
(……誰だろう? 確かどこかで見たような気がするんだけど。気のせいかしら?)
マリアンヌは後からやってきて隣に座った男をなんとなく前に見たような気がしてならなかった。
かなり上位にいる貴族に使用人として雇われている彼女の勤め先には来客が多い。そこで見た気がするのだが……思い出せない。
まぁいい、他人の空似というのも世の中にはあるんだし。と彼女は深く気にすることなく料理を食べ進める。
食事の最後にパンでボウルに付いたシチューをぬぐって食べる。
パサパサで固いパンをシチューの水分でふやかすのではなく、元から柔らかいパンでソースをぬぐって食べるとこれも美味い。
パンのほのかな甘みがスープと絡んでこれまた美味だ。
マリアンヌは料理を食べ終えるまでの間、至福の時間を過ごした。
「ごちそうさま。また来るわ」
「はい。またのご利用お待ちしています」
店主とそう会話をして店を後にする。
「ビーフシチュー」は「サバの味噌煮」より高いので、冬場というシチューがおいしく感じる時期だとしてもせいぜい月1程度しか頼める物ではないが、それでも美味い。
一時期はもしかしたらサバの味噌煮よりも美味い料理なのでは? と思った位には美味だ。
シチューがおいしく食べられるというのなら、冬というのも悪くない。今まで寒いのが苦手だった彼女に、少しだけ変化が起きた。
【次回予告】
寒い中でも犯罪が起きないよう見回りを続ける彼ら。寒い日に頼んだものは?
第36話「アヒージョ」
カネが無いと心も荒む。逆に言えばカネさえあれば、ある程度は心は穏やかになるものだ。
気のせいか笑顔をした者が多い中、マリアンヌは光食堂へと歩いていく。
もちろん彼女も今日が給料日で、まとまったカネが入ったから少しだけ贅沢をしに来たのだ。
ドアを開けると括り付けられていた鈴がチリンチリンと鳴った。
「いらっしゃいませ、ご注文はいかがいたしましょうか?」
「光さん。今日はビーフシチューと付け合わせのパンをお願いできるかしら?」
「はいかしこまりました。少々お待ちいただけますか?」
そう言って彼女は一旦店の奥に引っ込む。
「ビーフシチュー」
「牛の肉と野菜を赤ワインとソースで煮込んだ料理」
とメニューにはある。正直、こんな書き方では「損をしている」メニューである、とマリアンヌは思う。
牛肉というのは王都に住むほとんどの人にとっては「サンダルの底」などと言われるような代物で、
年を取って子種や乳が尽き、足腰が弱ったものを廃棄処分同然で処理したものが普通だ。
そのためその身は固く、挽き肉にしてハンバーグやソーセージにでもするか、シチューの具として長時間煮込むといった調理をしない限りまともに食えるものにはならない。
なのでマリアンヌがこの料理を初めて頼んだ際にはあまり期待していなかったのだが「いい意味で」裏切られた。
冬場になって温かいシチューでも食べようかと思い、頼んだこの料理の事を彼女は「大いなる驚き」を持って出迎えることになった。
「お待たせいたしました。ビーフシチューとパンになります」
とん。と彼女の前に置かれたのは付け合わせのパンと、とろりとした赤茶色い液体の中に浮かぶ肉や野菜達だった。
調理中に飛んだのだろうか、アルコールの臭いこそしないがワインやソースの香りが鼻をくすぐる。
(いい匂い。香りだけでも十分楽しめるわ)
まずは鼻で香りを存分に楽しんだ後、スプーンで牛肉をすくって口に入れる。
「……相変わらずすごいわね、この店の肉」
驚くのは、具である牛肉の肉質。
口に入れるとほろほろと崩れていき、彼女が知る普段の牛肉ではどんな魔法を使ってでも絶対出せないような濃厚なうま味を口の中に解き放つ。
どうすれば牛肉でここまでの美味を出せるのか、彼女にはさっぱりわからない。
この肉を楽しめるだけでも銅貨で26枚という値段には納得、いやむしろ破格の安さと言ってもいいくらいの値段だった。
ジャガイモやニンジン、タマネギやブロッコリーなどの他の具も文句なしに美味い。
肝心のスープも全ての野菜と肉のうまみを抱きかかえ、赤ワインとソースをもって最高の味を演出している。
全てにおいて隙が無い。完璧な料理だ。
(ふーむ。牛の肉を使ったシチューか。にしてはずいぶん柔らかそうな感じがするな。それに彼女、どこかで見たことがあるような……)
久しぶりに王都にやってきたので光食堂で夕飯を取ろうとしたサイフォンは、
隣の席に座っている完全に初対面ではなさそうな客を見て、ずいぶん美味そうに食ってるなと感じていた。
単純に今日がこの国の王都での給料日だというのを差し引いても、最高の顔をしていた。
(まぁいい。今日はこれにしようか)
「光さん。私にビーフシチュー、それに付け合わせのパンを1人前ずつ頼みます」
彼女につられてビーフシチューを頼んだ。その選択は間違いではなくシチューボウルに付いたスープをパンでぬぐって食べるほどには、美味かったという。
(……誰だろう? 確かどこかで見たような気がするんだけど。気のせいかしら?)
マリアンヌは後からやってきて隣に座った男をなんとなく前に見たような気がしてならなかった。
かなり上位にいる貴族に使用人として雇われている彼女の勤め先には来客が多い。そこで見た気がするのだが……思い出せない。
まぁいい、他人の空似というのも世の中にはあるんだし。と彼女は深く気にすることなく料理を食べ進める。
食事の最後にパンでボウルに付いたシチューをぬぐって食べる。
パサパサで固いパンをシチューの水分でふやかすのではなく、元から柔らかいパンでソースをぬぐって食べるとこれも美味い。
パンのほのかな甘みがスープと絡んでこれまた美味だ。
マリアンヌは料理を食べ終えるまでの間、至福の時間を過ごした。
「ごちそうさま。また来るわ」
「はい。またのご利用お待ちしています」
店主とそう会話をして店を後にする。
「ビーフシチュー」は「サバの味噌煮」より高いので、冬場というシチューがおいしく感じる時期だとしてもせいぜい月1程度しか頼める物ではないが、それでも美味い。
一時期はもしかしたらサバの味噌煮よりも美味い料理なのでは? と思った位には美味だ。
シチューがおいしく食べられるというのなら、冬というのも悪くない。今まで寒いのが苦手だった彼女に、少しだけ変化が起きた。
【次回予告】
寒い中でも犯罪が起きないよう見回りを続ける彼ら。寒い日に頼んだものは?
第36話「アヒージョ」
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