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極東にて、最初から詰んでいる

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「全く、遅いのよ」

 翌日、入学を決めたは良いものの、どの様に出向こうかデルタラは考えていた。
極東と呼ばれるこの地から第六校舎までの道程は長い。どうにしても数ヶ月は掛かってしまうし、魔物もそこかしこに居る。

「迎えくらい寄越せ」
「来れないっていったじゃない、絶対に死人が出るわよ。やっぱりやめる?」
「いや……行くけど」

 ジェニーの言うとおり、デルタラの住む辺境の地は見つかったとて並の冒険者でも辿り着けない程過酷な環境だ。
 彼女が養父たる師、魔導師ジルクなしで今もここで生活が出来ている理由はひとえに彼女自身も非常に優秀な魔法使いである事、そして師の残した術式があってこそだった。
 ――その一つが足枷になっているのであるが。

「で?お師匠様の残した術式が邪魔して、デルタ自体も屋敷を出られないのはどうするのよ」
「その為にあんた達と契約したんじゃない。魂の音色が変われば適応されないと思ったんだけど……意外と変わらないもんだね」

 魂の音色、それは人それぞれが持つ紋の様なものであり、原則生涯変わらない。一つとして同じものはなく、音色と言ってもそれを聴くことは通常難しい。魔術に多少なりとも造詣が深い者は、術者の音色の極僅かな特徴を感じることが出来るが、通常は神殿や寺院、高位の術者を保有する然るべき施設を訪れるか、学園のような機関に入学してようやく明らかとなる
 知らなくても生きて行けるし、それで左右されるものは特になかったのだ。
 『類似する音色を持つ者は近い性質を持つ』という昨今の研究で判明した事実を踏まえても、一般的には別物である。
 デルタラが招かれた学園ではこの規則性を活かしクラス分けを行うことで、更なる研究と育成の効率化を計っているのだが――師によりデルタラのみを通さないよう組み上げられた結界により応じることが出来ない――これが現状である。

「確かにそれは目的の一つだったけど……あたしも想定外よ、だってデルタの音色全然変わらないんだもの。何?頑固なの?驚異の五人契約よ?あたし達、人じゃないけど」
「変わらないなら出ることは難しいし、参ったね。師匠の結界術は強力だし、私の音色に合わせて通せんぼされてるから庭より先に出られない。予定じゃもう出られたんだけど」

 机に地図を広げそれを眺めてはいるものの、困難であることを確信した二人は諦め半分にソファでカップを傾けていた。

「詰んでない?」
「そうね」
「入学、出来なくない?」
「……そうね」

 前記の通り、魂の音色を把握されても通常はなんの問題もない。
 あるとすれば他人の音色に干渉する術式を構築出来る術者に知られた時であるが、それは大魔導師マリィドの伝説に記載されていた解析魔術の応用のみであり、現在までそれを扱えるものはいなかった。

「世界最高峰の魔導師、ジルク・フェイ。伝説の再来、ね。確かにとんでもないわ。貴女の音色にのみ反応して、外に出さないための結界を貼るなんてどうかしてるわ」
「魂の音色に干渉する術式……伝承を元に再現してみせたんだから規格外だよ、師匠は。でも困ったな……内側から突破出来ないなら外側から破ってもらうしかないけど、大魔導師マリィドの術式を破ったのは賢王ラウジーンだけ」
「つまりその子孫か、それに匹敵する素質を持った者じゃないと駄目ってことね」

 やっぱり詰みじゃない。
 ジェニーはカップを置いて、長い四肢をぐっと伸ばした。それからふと、気づいたように隣に座る主人の手首を掴んだ。

「何よ」
「ねえ、デルタの血筋ってさ」

 白い肌から透ける血管を凝視しながらジェニーは訊ねる。

「マリィド・シルヴァンの直系……って言われてるのよね」
「……だから出られるわけでもない」
「でしょうね。術を構築する命令式にも命の音色は影響するわ、だからどんなに簡単な術式でも同じ魔法は一つとして存在しない。箱が同じでも中身が違うもの……でも、同じものはなくても近い物は存在する、でしょ?」
「サキュバスらしからぬ知識量ね、恐れ入ったよジェニー。正解だ」
「貴女がそう育てたのよ、ご主人様。
だから魔術士達は血筋を大事にするのよね、音色の性質は大きな価値。かけ合わせたらより強くなる……脱線したけれど、伝承に書いてあったマリィドの特徴と貴女のそれは全然似てない」
「寧ろ近いのは魔物避けに刻まれた師匠のって、言いたいことは分かる」

 デルタラは少し躊躇った後、手首を掴んだままの美しい使い魔の問に答えてやることにした。どうせ魔物を喚び出し契約を結んだ時点で、魂レベルの縁を結んだに等しい間柄なのだ。隠しても仕方がない。

「私の本来の音色は師匠に抜き取られてしまってね――あんた達と契約する前の話よ。生まれ故郷なんて覚えてないし、物心付いたときには師匠が私の養父だった……今考えたら拉致でもされたんじゃないかな」
「魂の音色を抜き取る、ですって?」
「半分くらいね」
「音色は魂を構成する要素の一つ、半分だろうと抜かれたら!」
「そう、死ぬ」

 驚きのあまり開放された腕。丁度良かったとにデルタラはティーポットに手を伸ばし、空になったカップを満たして行く。

「でも相手はジルク・フェイ。常識で測れる相手じゃない」

 喉を潤し、一息ついてから続ける。

「予め自分の音色――あの人は譜面って呼んでたけど。それを高純度の魔鉱石に記録させて作った、人工の音色を私に移植したのよ。あんた達と契約したのはその後」
「だから生きてます……って言われても、規格外過ぎるわ。何よ人工の音色って。召喚契約で魂を結んでも変わらない理由だけよ、分かったのは」
「何で私が此処から出たいかも分かったでしょ?私の音色を持ち去った挙げ句、帰って来やしないあの人を待っても無駄」
「……寧ろ待つのは危険だわ」

 ジェニーは額を抑えながら頷いた。
此処はジルクの館。結界の外には出られずとも、裏庭の温室では作物が通年取れるし、敷地内を通る川には魚もいる。食料には困らない。出られないだけで不便はなく、旅に出たと聞いていたジルクが過保護なだけだと、数年待てば帰ってくると思っていたのだ。しかし魂の音色を抜き取り、持ち去ったまま帰らないとなれば話は違う。
 この館はデルタラを閉じ込める為にある檻なのだ。生かしているということは次があるという事である。

「貴女、良く軽々と出て行くなんて言えたわね」
「行くのよ」
「詰んでんのよ、現実見なさい」

 デルタラの音色に合わせて構築された結界は、彼女と彼女の音色と交わった使い魔達を通さない。

「私だって無策じゃない。手は打ってあるわ」
「一応聞くけど成功する確率は?」
「低い」
「詰んでんじゃねえか」
「ちょっと学園側に届くように烏飛ばしてたのよ、一人じゃこんな険しい山は降りられない。それどころか此処は生半可な冒険者じゃ到達すら難しい。英雄の血筋とか、そんな立派な血を持つ人が来てくれたら助かるのにって」
「やだ、具体的……ああ、だから手紙握り潰してたのね」
「入学命令しか書いてなかったし」
「確かにデルタ以外にも子孫はいてもおかしくないわ。学園に当てなんてあったのは意外だけど」
「ないよ。だから言ったじゃない、確率は低いって」
「詰んでる!現実見て!」

    
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