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二章:キトア
10 「トドメ刺してあげるやさしさもあると思うけど?」byアルナミア
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殲滅派。
現在の魔族の人口のおよそ八割を占める開戦思考の派閥。積極的か消極的かの差異はあれど、人間を殺めることに一片の疑問も躊躇も抱かない者が多い。人間は敵。皆に共通する認識は単純にそれだけ。群れるも単独で動くも各々の自由。とにかく、殺しさえすればそれでいいといった主義思想だ。
殲滅か親和か。魔族が二つに分かたれたのは魔海大戦の末期に遡る。戦争が膠着し、魔海も地上も進退窮まった末に勇者と魔王を前線へ押し出した局面に端を発した事件に起因する。
全く同じタイミングで起きた勇者と魔王の裏切り。
憶測は絶えず現在でもその真相は定かではないが、戦争の最終局面に突入したタイミングでの二者の戦線離脱と叛逆行為。それらが齎した災禍は、魔海も地上も含めて事実として歴史にも記されている。
勇者は地上の人間に対して敵対を始め、魔王は魔海の魔族に対して敵対した。誰も予想だにしていなかった突然の叛意に両陣営共に対処する間もなく一蹴された。世界を人間と魔族で二分し、さらに二分した三つ巴の争い。三つ巴となったのは、勇者と魔王の軍勢が互いに干渉しなかったため。まるで背中を預け合うかのように戦局を覆した二人にとある噂が立つまでそう時間を要さなかった。あくまで誇張された諸説としてだが。
そうして混迷を極めた魔海大戦は、地上と魔海の戦力が底を尽きるまで一方的に戦況を支配され、やがてどちらからともなく手を引いた。休戦や停戦の協定はない。勇者と魔王が猛威を振るう限り、戦争に勝ち負けがなくなってしまったからだ。魔族は滅ぼすべし、人間は滅ぼすべし。その意思は今もまだ続いている。
その頃からだ。魔族の中に人間と共存しようと主張する者が現れたのは。彼らが人間に対して同族と変わりない接し方を始め、それらが僅かにだが浸透した頃、人間は滅ぼすべき存在だという共通認識だった魔族が一枚岩ではなくなった。殲滅派と親和派の誕生だ。
初めは困惑した。だが、人間と手を組みこちらへ危害を加える意図は全く見受けられず、あくまで手を取り合うだけに留めていた。
故に、ただ見放された。軟弱者と蔑み罵倒し、魔海の中で淘汰した。殺しはしないが、関わりもしない。やがて住む場所を負われた親和派は魔海の端へ端へと追いやられ、そこで集落を築いた。それが現在のウェグニア領。大戦終結から十年後のことだ。
親和派が集う土地ウェグニア。
ただ平和でありたいという願いの強さであれば、その思いは千年変わらず続いている。
************************
これぞ異世界ですよ。やっときましたリアルファンタジー。夢でも空想でもゲームでもない現実。
右を見れば獣人。犬っぽい狼っぽい耳としっぽが特徴のあの子とか、猫っぽい丸っこい耳としっぽがなんともキュートなあの子とか。屋台の匂いに釣られて美味しそうに焼かれた肉を頬張って幸せそうな顔をしてる光景が微笑ましい。
左を見れば魔族。角と耳っていう特徴を除けば人間と変わらないんだけどなあと眺めていたら興味があると思われたのか、ド直球ストレートに『ホテル行こうか?』みたいなノリでナンパされたけど丁重にお断りさせていただいた。男は無理です何度も言いますノーセンキュー。僕はノーマルです。って言ったら変な顔されたけどね。
上を見れば大きな鳥。首から大きな鞄を提げて、背に乗る人の指示であちこち飛び回って何かを配達している。手紙とか荷物とか色々。会話しているようなやり取りも見られたから、コミュニケーションは取れるんだろう。動物とコミュニケーション。実にファンタジー。
他にも武器屋とか防具屋とか、冒険者が集まる酒場とか。ギルドみたいなものはなかったけど、概ね僕が期待していたファンタジーなものが見られてご満悦。街並みとかは中世ヨーロッパとかに似てるんだけど、ファンタジーってだいたいそんなもんだよね。
「何がいったいそんなに珍しいのか」とニルギルスさんは呆れたような顔をしてた。分かるまい。僕のこの多幸感にも似た気持ちの高ぶりは。転生初日からあんな骨平原に放り出されてたから溜まりに溜まってますよ、ええ。今ならどんなイベントでも喜んでフラグ回収しちゃうね。間違いない。
「何を浮かれてるのかしら……きもい」
アルナミアさんの語尾だってノーダメージですよ。ちょっとやそっとじゃ今の僕はコンディション下がりませんとも。
「ニルギルスさんは魔術協会に行くんでしたよね」
「ああ。こいつを披露しにな」
取り出したるは徹夜で纏めた一冊の魔法書。最初は何十冊とあったのだけど、「効率ガー」「順序ガー」とか言って必死で一冊に纏めたらしい。中身は見てないけど、読む人の気持ちなんか考えてない小さな文字でびっしりあれこれ書かれているんだろうか。ありそうだな。単純に魔術の理論を煮詰めてコンパクトにしたのかもしれないけど、僕は前者だと思うね。
「宿は勝手に決めておけ。後から向かおう」
「連絡手段がないですけど」
「こちらで探す。街の外へ出るようなことでもなければすぐに探知する」
探知、とはあの甲高い音のことか。化け物かよってレベルの視力持ってるくせに、アクティブソナーも標準装備とか小手先の騙し討ちは絶対出来なさそうだ。
「それじゃあこっちで適当に決めますね。あんまり無駄遣いしないようにします」
スーツの内ポケットに入れた小袋に手を添える。数枚の金貨の重みをしっかりと感じる。
街へ入るときにニルギルスさんから貰ったお小遣いだ。「どうせこれから湯水のように使ってやるのだ。気にするな」ってぽんと渡してくれた。湯水のように使うの意図が分からないけど、気にするなってことだから遠慮なく貰っておいた。
「では後程合流しよう」
ニルギルスさんは、さささーっと人込みを文字通り押しのけて去っていった。ほんと他人なんて気にもかけてないな。改善の余地あるかなあ。
「じゃあ、とりあえず宿でも探しますか」
「その前に一つ言いたいんだけどいいかしら」
「あ、先に何か食べます? あっちじゃずっと魔力で我慢してたらしいですし、一杯いっときます?」
ちなみに僕はニルギルスさんが食べてた謎のお肉を貰って食べてた。龍毒塗れだからそんなもの食べられないって顔面蒼白にしているアルナミアさんを横目に食べてた。僕も案外神経が図太い。
「そうじゃなくて、その背中の」
「ああ――」
背中の、とはキトアに入る直前に拾った女性のこと。
何者かに襲われて死体同然になっていたところをニルギルスさんに治癒してもらった。彼曰くほぼ死んでいたみたいで助かって何よりだ。
怪我や呪病の類は根こそぎ治癒したし少しやつれているのは単なる栄養失調らしいから大丈夫だとニルギルスさんは言ってたけど、彼女を狙った何者かがまた手を出してこないとも限らないわけで、放置する訳にもいかずに連れてきた、ってところなんだけど。
アルナミアさんにはそれが疑問なんだろう。この人もニルギルスさんほどじゃないけど虫を殺す感覚でトドメ刺そうとしたからなあ。
「街中なら魔物に襲われる心配はないんだからその辺に捨てればいいじゃない」
「でも変な人に目を付けられちゃったら大変じゃないですか?」
「一度死にかけたんだから、それぐらいですんで運が良かったって思うでしょ」
こっちの世界ではその程度の認識なんだろうか。常識外れなのかな僕って。こっちの常識知らないんだけど。
「それは後味が悪いので。目を覚まして、大丈夫そうだったらお別れしましょう」
「そうね。目が覚めたら得体のしれない人間の奴隷にされてたって文句は言えないわね」
「はは……しないですよ」
その節は今後とも申し訳ないと思う次第なのでご容赦願いたい。
「あんたが女の子でよかったわ。男だったら何されてたことか。たまったもんじゃないわ」
中身男なんですけどね僕。そして神様に誓ってそういうことはしないです。断じて。
「先に宿取りましょ。で背中のそれ置いてご飯にしましょ」
「そうしますか」
宿か。ぶっちゃけよくわからないからアルナミアさんに全部丸投げしよう。
宿に着いたらとりあえず一つだけ確認したいことがある。これ、結構重要なことだからな。
鏡、あるかな。
************************
キトアの街の中でも商人や冒険者などの施設が多く集まる区画で、ニルギルスは二年経っただけでこうも街並みが様変わりするものかと感慨に耽っていた。この辺りは確か倉庫として使われていた筈なのだがな、などと呟く。見ているのは通りに設けられた街の案内図。これだけ見ても、時の移り変わりというものを感じさせる。
などと表現しても、この現状を有体に言ってしまえば迷子だった。
記憶を頼りに魔術協会へ向かっていたと思ったらデコタ商会とやらの建物だった。親切にも、いや幸運にも、迷い込んだニルギルスを対応した商人は目的の施設への道のりを懇切丁寧に説明したことで一つ命を拾ったのだが、恐らくこの奇跡は誰にも知られることはない。予期せぬ龍の癇癪を未然に防いだことなど、知る由もない。
魔術協会は二つ隣の区画に移転していた。親切な商人曰く、どうも何かしらの魔術が暴走して建物が木っ端みじんになったことが原因らしい。その際に手狭になってきた施設をいっそ建て直してしまおうという話になり、土地の関係で移転することになった。
若干の遠回りをしつつ、魔術協会へたどり着いたニルギルスは早速カウンターへ向かう。
傍目にも高額そうな装備品に身を包む魔術師を押しのけ、言葉巧みにコネを獲得しようとする行商人を押しのけ。
「所長を出せ」
誰がどう見ても不遜な態度だ。受付を担当する魔族の男もむっとした表情を一瞬浮かべるが、何かしらの指示を受け取ったのか口を真一文字に引き攣らると「承りました。どうぞこちらへ」と申し、建物の奥へと案内した。
通された先の一室で応接机に用意された茶菓子を一通り手に付けていると小太りの魔族が額に汗を浮かべて入室してきた。
「おまたせいたしました!」
「楽にせい」
ニルギルスの尊大な態度に対応する姿はひたすらに下手に出るもの。
この魔族――ビルビゴスは、受付から聞いた客の容姿に心当たりがあり、尚且つ決して気分を害してはならないことを知っている数少ない魔族であった。
「二年ぶりで御座いましょうか。いやはや、前回の折に持ち込まれた魔法書はキトアに多大な振興を齎していただきまして……」
緊張で語彙がおかしくなりつつも礼を失さぬように配慮をするビルビゴスへ、件の魔法書を放り投げる。
「今回はこちらの魔法書で御座いますか」
「うむ。面白い物を目にしてな。年甲斐もなく徹夜などしてしまった」
「拝見させていただきます」
ぺらぺらとページを捲る音が続く。
その様子を気にするでもなくただ眺めているニルギルスだが、その視線を感じているビルビゴスは冷や汗が止まらない。
初めは気分を損なわないように細心の注意を払っているがための汗だったが、次第にそれは魔法書の内容の難解さに苛むものに変わっていく。
「これは……」
「いくらで買い取る」
「……この場では決めかねる内容で御座います」
「ふむ」
即金を要しているわけではないニルギルスにとってその返答はさほど気に掛けるものでもなかったが、龍に首を捧げる心持ちで発したビルビゴスは、椅子に腰かけながら腰を抜かすという事態に人知れず陥った。
「既存の公式、術理を大きく逸脱しない一般的な構築……しかしこれは、これまでの魔術とは大系を異にする代物……失礼ながら、こちらの魔法書を当協会へ持ち込まれた理由についてお伺いしても?」
「貴様ならどのような術式でも平等に広めるだろう?」
「これを……広めたいと、仰りますか」
ビルビゴスの表情が引き攣る。既に個人で判断できる範疇にない、この場で判断していい代物ではないと、頭の中ではどうやってこの龍を宥めようかという思いが巡る。
「ふむ。時間を要するのであれば日を改めよう」
「っ!」
予想外の言葉にビルビゴスの表情が和らぐ。助かった。彼の頭の中にはどうあがいても八つ裂きにされる未来しか見えていなかった。
「しばらくキトアに滞在する。帰りの頃合にでも訪れよう」
「では、それまでに検討致します」
「ではな」と机の上の茶菓子を一掴みしてニルギルスが去る。
「……龍と言うものはなんと末恐ろしい」
ニルギルスが持ち込んだ魔法書へ再度目を通す。
間違いない。これは魔術の進歩だ。それも数百年をかけてようやく踏み出せる一歩を一足飛びに駆けていくような。
だが、それ故に取り扱いが危険だ。もし仮に、特定の意志を持つ集団や個人に知られてしまったら。凶悪な犯罪者やそれに準じる者達に知られてしまったら。最悪なのは協会が周知する前に、この魔法書の価値を何らかの手段で知られ、奪われでもしたら。
ビルビゴスは自分の手には負えないとばかりに、魔法書に厳重な隠蔽と隠匿の魔術を施す。誰の手にも信用して預けられない。もし奪われるのであれば、命を懸けて阻止しなければならない。仮に奪われた後のことを考えると、その咎を受け止めるぐらいなら先に死んだほうがマシだと思った。
「なんて代物を持ち込んでくれた……」
魔法書の内容は、要約するとモノに魔術を取り込むといったもの。
言葉にすれば単純。現在でも魔法書ではなく魔導書と呼ばれる代物は似たような効果を持つ。
しかし、これは、違う。魔術の素養があり、教養があり、魔術師としての修練を励んだ者にしか理解できない魔法書や魔導書とは全く違う。
魔力さえあれば扱える。それもほんの少量。術式を起動するためのほんの僅かな魔力で、だ。
あの龍は魔法書を持ち込む度にこう言う。「手慰みで書いた」と。
末恐ろしい。そんな言葉では済まない存在だったと、ビルビゴスは認識を改める。
落ち着きを取り戻したビルビゴスは部屋から出ると、内々に信用出来て且つ腕の立つ職員を集めた。
「……これから極秘裏に領主様へお目通り願う。各自戦闘を考慮した準備に取り掛かってくれ」
魔法書に関しては告げない。言える筈がない。
勤続三十年目にしての青天の霹靂。
この日、ビルビゴスの毛髪は呆気なく衰退した。
現在の魔族の人口のおよそ八割を占める開戦思考の派閥。積極的か消極的かの差異はあれど、人間を殺めることに一片の疑問も躊躇も抱かない者が多い。人間は敵。皆に共通する認識は単純にそれだけ。群れるも単独で動くも各々の自由。とにかく、殺しさえすればそれでいいといった主義思想だ。
殲滅か親和か。魔族が二つに分かたれたのは魔海大戦の末期に遡る。戦争が膠着し、魔海も地上も進退窮まった末に勇者と魔王を前線へ押し出した局面に端を発した事件に起因する。
全く同じタイミングで起きた勇者と魔王の裏切り。
憶測は絶えず現在でもその真相は定かではないが、戦争の最終局面に突入したタイミングでの二者の戦線離脱と叛逆行為。それらが齎した災禍は、魔海も地上も含めて事実として歴史にも記されている。
勇者は地上の人間に対して敵対を始め、魔王は魔海の魔族に対して敵対した。誰も予想だにしていなかった突然の叛意に両陣営共に対処する間もなく一蹴された。世界を人間と魔族で二分し、さらに二分した三つ巴の争い。三つ巴となったのは、勇者と魔王の軍勢が互いに干渉しなかったため。まるで背中を預け合うかのように戦局を覆した二人にとある噂が立つまでそう時間を要さなかった。あくまで誇張された諸説としてだが。
そうして混迷を極めた魔海大戦は、地上と魔海の戦力が底を尽きるまで一方的に戦況を支配され、やがてどちらからともなく手を引いた。休戦や停戦の協定はない。勇者と魔王が猛威を振るう限り、戦争に勝ち負けがなくなってしまったからだ。魔族は滅ぼすべし、人間は滅ぼすべし。その意思は今もまだ続いている。
その頃からだ。魔族の中に人間と共存しようと主張する者が現れたのは。彼らが人間に対して同族と変わりない接し方を始め、それらが僅かにだが浸透した頃、人間は滅ぼすべき存在だという共通認識だった魔族が一枚岩ではなくなった。殲滅派と親和派の誕生だ。
初めは困惑した。だが、人間と手を組みこちらへ危害を加える意図は全く見受けられず、あくまで手を取り合うだけに留めていた。
故に、ただ見放された。軟弱者と蔑み罵倒し、魔海の中で淘汰した。殺しはしないが、関わりもしない。やがて住む場所を負われた親和派は魔海の端へ端へと追いやられ、そこで集落を築いた。それが現在のウェグニア領。大戦終結から十年後のことだ。
親和派が集う土地ウェグニア。
ただ平和でありたいという願いの強さであれば、その思いは千年変わらず続いている。
************************
これぞ異世界ですよ。やっときましたリアルファンタジー。夢でも空想でもゲームでもない現実。
右を見れば獣人。犬っぽい狼っぽい耳としっぽが特徴のあの子とか、猫っぽい丸っこい耳としっぽがなんともキュートなあの子とか。屋台の匂いに釣られて美味しそうに焼かれた肉を頬張って幸せそうな顔をしてる光景が微笑ましい。
左を見れば魔族。角と耳っていう特徴を除けば人間と変わらないんだけどなあと眺めていたら興味があると思われたのか、ド直球ストレートに『ホテル行こうか?』みたいなノリでナンパされたけど丁重にお断りさせていただいた。男は無理です何度も言いますノーセンキュー。僕はノーマルです。って言ったら変な顔されたけどね。
上を見れば大きな鳥。首から大きな鞄を提げて、背に乗る人の指示であちこち飛び回って何かを配達している。手紙とか荷物とか色々。会話しているようなやり取りも見られたから、コミュニケーションは取れるんだろう。動物とコミュニケーション。実にファンタジー。
他にも武器屋とか防具屋とか、冒険者が集まる酒場とか。ギルドみたいなものはなかったけど、概ね僕が期待していたファンタジーなものが見られてご満悦。街並みとかは中世ヨーロッパとかに似てるんだけど、ファンタジーってだいたいそんなもんだよね。
「何がいったいそんなに珍しいのか」とニルギルスさんは呆れたような顔をしてた。分かるまい。僕のこの多幸感にも似た気持ちの高ぶりは。転生初日からあんな骨平原に放り出されてたから溜まりに溜まってますよ、ええ。今ならどんなイベントでも喜んでフラグ回収しちゃうね。間違いない。
「何を浮かれてるのかしら……きもい」
アルナミアさんの語尾だってノーダメージですよ。ちょっとやそっとじゃ今の僕はコンディション下がりませんとも。
「ニルギルスさんは魔術協会に行くんでしたよね」
「ああ。こいつを披露しにな」
取り出したるは徹夜で纏めた一冊の魔法書。最初は何十冊とあったのだけど、「効率ガー」「順序ガー」とか言って必死で一冊に纏めたらしい。中身は見てないけど、読む人の気持ちなんか考えてない小さな文字でびっしりあれこれ書かれているんだろうか。ありそうだな。単純に魔術の理論を煮詰めてコンパクトにしたのかもしれないけど、僕は前者だと思うね。
「宿は勝手に決めておけ。後から向かおう」
「連絡手段がないですけど」
「こちらで探す。街の外へ出るようなことでもなければすぐに探知する」
探知、とはあの甲高い音のことか。化け物かよってレベルの視力持ってるくせに、アクティブソナーも標準装備とか小手先の騙し討ちは絶対出来なさそうだ。
「それじゃあこっちで適当に決めますね。あんまり無駄遣いしないようにします」
スーツの内ポケットに入れた小袋に手を添える。数枚の金貨の重みをしっかりと感じる。
街へ入るときにニルギルスさんから貰ったお小遣いだ。「どうせこれから湯水のように使ってやるのだ。気にするな」ってぽんと渡してくれた。湯水のように使うの意図が分からないけど、気にするなってことだから遠慮なく貰っておいた。
「では後程合流しよう」
ニルギルスさんは、さささーっと人込みを文字通り押しのけて去っていった。ほんと他人なんて気にもかけてないな。改善の余地あるかなあ。
「じゃあ、とりあえず宿でも探しますか」
「その前に一つ言いたいんだけどいいかしら」
「あ、先に何か食べます? あっちじゃずっと魔力で我慢してたらしいですし、一杯いっときます?」
ちなみに僕はニルギルスさんが食べてた謎のお肉を貰って食べてた。龍毒塗れだからそんなもの食べられないって顔面蒼白にしているアルナミアさんを横目に食べてた。僕も案外神経が図太い。
「そうじゃなくて、その背中の」
「ああ――」
背中の、とはキトアに入る直前に拾った女性のこと。
何者かに襲われて死体同然になっていたところをニルギルスさんに治癒してもらった。彼曰くほぼ死んでいたみたいで助かって何よりだ。
怪我や呪病の類は根こそぎ治癒したし少しやつれているのは単なる栄養失調らしいから大丈夫だとニルギルスさんは言ってたけど、彼女を狙った何者かがまた手を出してこないとも限らないわけで、放置する訳にもいかずに連れてきた、ってところなんだけど。
アルナミアさんにはそれが疑問なんだろう。この人もニルギルスさんほどじゃないけど虫を殺す感覚でトドメ刺そうとしたからなあ。
「街中なら魔物に襲われる心配はないんだからその辺に捨てればいいじゃない」
「でも変な人に目を付けられちゃったら大変じゃないですか?」
「一度死にかけたんだから、それぐらいですんで運が良かったって思うでしょ」
こっちの世界ではその程度の認識なんだろうか。常識外れなのかな僕って。こっちの常識知らないんだけど。
「それは後味が悪いので。目を覚まして、大丈夫そうだったらお別れしましょう」
「そうね。目が覚めたら得体のしれない人間の奴隷にされてたって文句は言えないわね」
「はは……しないですよ」
その節は今後とも申し訳ないと思う次第なのでご容赦願いたい。
「あんたが女の子でよかったわ。男だったら何されてたことか。たまったもんじゃないわ」
中身男なんですけどね僕。そして神様に誓ってそういうことはしないです。断じて。
「先に宿取りましょ。で背中のそれ置いてご飯にしましょ」
「そうしますか」
宿か。ぶっちゃけよくわからないからアルナミアさんに全部丸投げしよう。
宿に着いたらとりあえず一つだけ確認したいことがある。これ、結構重要なことだからな。
鏡、あるかな。
************************
キトアの街の中でも商人や冒険者などの施設が多く集まる区画で、ニルギルスは二年経っただけでこうも街並みが様変わりするものかと感慨に耽っていた。この辺りは確か倉庫として使われていた筈なのだがな、などと呟く。見ているのは通りに設けられた街の案内図。これだけ見ても、時の移り変わりというものを感じさせる。
などと表現しても、この現状を有体に言ってしまえば迷子だった。
記憶を頼りに魔術協会へ向かっていたと思ったらデコタ商会とやらの建物だった。親切にも、いや幸運にも、迷い込んだニルギルスを対応した商人は目的の施設への道のりを懇切丁寧に説明したことで一つ命を拾ったのだが、恐らくこの奇跡は誰にも知られることはない。予期せぬ龍の癇癪を未然に防いだことなど、知る由もない。
魔術協会は二つ隣の区画に移転していた。親切な商人曰く、どうも何かしらの魔術が暴走して建物が木っ端みじんになったことが原因らしい。その際に手狭になってきた施設をいっそ建て直してしまおうという話になり、土地の関係で移転することになった。
若干の遠回りをしつつ、魔術協会へたどり着いたニルギルスは早速カウンターへ向かう。
傍目にも高額そうな装備品に身を包む魔術師を押しのけ、言葉巧みにコネを獲得しようとする行商人を押しのけ。
「所長を出せ」
誰がどう見ても不遜な態度だ。受付を担当する魔族の男もむっとした表情を一瞬浮かべるが、何かしらの指示を受け取ったのか口を真一文字に引き攣らると「承りました。どうぞこちらへ」と申し、建物の奥へと案内した。
通された先の一室で応接机に用意された茶菓子を一通り手に付けていると小太りの魔族が額に汗を浮かべて入室してきた。
「おまたせいたしました!」
「楽にせい」
ニルギルスの尊大な態度に対応する姿はひたすらに下手に出るもの。
この魔族――ビルビゴスは、受付から聞いた客の容姿に心当たりがあり、尚且つ決して気分を害してはならないことを知っている数少ない魔族であった。
「二年ぶりで御座いましょうか。いやはや、前回の折に持ち込まれた魔法書はキトアに多大な振興を齎していただきまして……」
緊張で語彙がおかしくなりつつも礼を失さぬように配慮をするビルビゴスへ、件の魔法書を放り投げる。
「今回はこちらの魔法書で御座いますか」
「うむ。面白い物を目にしてな。年甲斐もなく徹夜などしてしまった」
「拝見させていただきます」
ぺらぺらとページを捲る音が続く。
その様子を気にするでもなくただ眺めているニルギルスだが、その視線を感じているビルビゴスは冷や汗が止まらない。
初めは気分を損なわないように細心の注意を払っているがための汗だったが、次第にそれは魔法書の内容の難解さに苛むものに変わっていく。
「これは……」
「いくらで買い取る」
「……この場では決めかねる内容で御座います」
「ふむ」
即金を要しているわけではないニルギルスにとってその返答はさほど気に掛けるものでもなかったが、龍に首を捧げる心持ちで発したビルビゴスは、椅子に腰かけながら腰を抜かすという事態に人知れず陥った。
「既存の公式、術理を大きく逸脱しない一般的な構築……しかしこれは、これまでの魔術とは大系を異にする代物……失礼ながら、こちらの魔法書を当協会へ持ち込まれた理由についてお伺いしても?」
「貴様ならどのような術式でも平等に広めるだろう?」
「これを……広めたいと、仰りますか」
ビルビゴスの表情が引き攣る。既に個人で判断できる範疇にない、この場で判断していい代物ではないと、頭の中ではどうやってこの龍を宥めようかという思いが巡る。
「ふむ。時間を要するのであれば日を改めよう」
「っ!」
予想外の言葉にビルビゴスの表情が和らぐ。助かった。彼の頭の中にはどうあがいても八つ裂きにされる未来しか見えていなかった。
「しばらくキトアに滞在する。帰りの頃合にでも訪れよう」
「では、それまでに検討致します」
「ではな」と机の上の茶菓子を一掴みしてニルギルスが去る。
「……龍と言うものはなんと末恐ろしい」
ニルギルスが持ち込んだ魔法書へ再度目を通す。
間違いない。これは魔術の進歩だ。それも数百年をかけてようやく踏み出せる一歩を一足飛びに駆けていくような。
だが、それ故に取り扱いが危険だ。もし仮に、特定の意志を持つ集団や個人に知られてしまったら。凶悪な犯罪者やそれに準じる者達に知られてしまったら。最悪なのは協会が周知する前に、この魔法書の価値を何らかの手段で知られ、奪われでもしたら。
ビルビゴスは自分の手には負えないとばかりに、魔法書に厳重な隠蔽と隠匿の魔術を施す。誰の手にも信用して預けられない。もし奪われるのであれば、命を懸けて阻止しなければならない。仮に奪われた後のことを考えると、その咎を受け止めるぐらいなら先に死んだほうがマシだと思った。
「なんて代物を持ち込んでくれた……」
魔法書の内容は、要約するとモノに魔術を取り込むといったもの。
言葉にすれば単純。現在でも魔法書ではなく魔導書と呼ばれる代物は似たような効果を持つ。
しかし、これは、違う。魔術の素養があり、教養があり、魔術師としての修練を励んだ者にしか理解できない魔法書や魔導書とは全く違う。
魔力さえあれば扱える。それもほんの少量。術式を起動するためのほんの僅かな魔力で、だ。
あの龍は魔法書を持ち込む度にこう言う。「手慰みで書いた」と。
末恐ろしい。そんな言葉では済まない存在だったと、ビルビゴスは認識を改める。
落ち着きを取り戻したビルビゴスは部屋から出ると、内々に信用出来て且つ腕の立つ職員を集めた。
「……これから極秘裏に領主様へお目通り願う。各自戦闘を考慮した準備に取り掛かってくれ」
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