世界を旅する龍と付き人

天束あいれ

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四章:ラスタ迷宮

 Tolista;Nichterh Deucha owlies egzeit mizza

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 マンションの一室。およそ一人暮らしの成人男性がこじんまりと生活していたことを思わせる至って平凡とした内装。特筆すべき点は無い。しいて上げるなら、部屋の隅に埃が積もりここ数週間ほどは掃除もろくにされていないといった点のみ。

 その一室。寝室のベッドで顔を毛布に埋めていた榎本嘉穂が唐突に振り返った。物音を察知したというには表情に罰の悪さが際立つが、部屋に何も異常がないと確認すると落胆したような面持ちで顔を伏せ、しかしすぐに跳ね起きる。

「今……彰悟の声が……?」

 立ち上がり寝室を出て玄関の鍵を確認する。施錠は間違いなく為されており、チェーンもしっかりと掛かっている。誰かが入ってきたのであれば鍵を開ける物音で判断がつくが、彼女が聞き取ったのはそういう音ではない。声。一言疑問を浮かべたような短い声だった。耳を澄ましていた訳でもなく、確かに聞き取ったという確証もない。空耳や幻聴と言われればそれまでのような、気のせいで済んでしまう些細なもの。そんな声は聞こえなかった。ただの気のせいだ。そういう思いが頭をよぎり、しかし感情でそれを否定する。

 会いたい。声を聴きたい。手を握りたい。言いたい伝えたい確かめたい。

 数週間前に消息を絶った幼馴染が今どこで何をしているのか。実家の家族に訊ねても、職場の上司に問い合わせても誰も何も知らなかった。共通の友人も皆一様に行方を知らず、何時、何処で行方を眩ましたのかさえ分からなかった。家族が捜索願を出してはいるが、事件性が薄いとのことで積極的な捜索には至っていない。嘉穂自身も時間を作っては方々探し回っているのだが、全くと言って手掛かりは掴めなかった。報道番組で事故や殺人事件が取り上げられる度に彼の名前が出ないことを祈り、日が経つにつれて肥大していく不安を押し殺す日々。

 枢沢彰悟の身に切迫した何かが迫っていると思えば居ても立っても居られない。我が身の状況ですら切迫している彼女にとっては、心身を擦り減らしてでも探し出さなければならない要因が重なり合って他の事に手がつかなくなる現状でもある。

 マナーモードに設定した携帯端末には不在着信が数百件。簡易伝達用のアプリケーションによる通知も含めれば千に迫る数字。そのどれもが、ある個人からの執拗なアプローチであることが問題だった。

 郷里河修平。嘉穂にとっては名前も顔も知らない人物だった。苗字に関してはどこかで目にしたような気がするが、少なくとも二十数年の人生の中で郷里河なる人物と出会った記憶は無い。

 通話に出る気はない。通知を見るのもおぞましい。何度か確認した文面は、どれも自分の欲望を曝け出し悦に入り自己満足の果てに彼女の意思も感情も無視した愛情の押し付けといったもの。問題なのは外堀を埋めて徐々に逃げ道を奪っていること。端的に言ってお金の力で嘉穂を手に入れようとしていることだった。

 初めは職場に。新人の域を脱し得ない嘉穂を指名しての納品の依頼。プログラミング初心者ですら一時間もあれば完成するような拙いアプリケーションの発注だった。
 気づけば自宅に。帰宅のタイミングを狙い澄ましたかのように届く贈り物の数々。

 何時、何処で、どうやって嘉穂を知ったのかすら不明。執着される理由についても平々凡々とした人生を送ってきた嘉穂には皆目見当もつかない。

 ただただ、気味が悪かった。素直に好意を向けられていると思えば居心地がよくなるといったこともなく、日に日にエスカレートしていく行為に嫌悪感が増すばかり。

 それらの行為の決定打とばかりに先日届いたのが捺印済みの婚姻届。奇しくもそれ自体が嘉穂に一つの答えを導く結果になった。

 幼い頃から一緒に育ってきた幼馴染――枢沢彰悟と入籍してしまえばこの迷惑な行為も終わるのでは。
 兼ねてより彼に抱いていた好意は自覚していた。言葉にせず、だらだらと続いていた友人という関係に我慢が出来なくなっていたのも事実。
 カチリと歯車が噛み合ったように解決すると思えた。
 その日の内に枢沢彰悟へ連絡を取り、翌日に全てを終わらせるつもりで準備を整えて。

 しかし、彼は姿を現さなかった。あまつさえ、その日を境に消息を絶って。

 今思えば、それすらも郷里河なる人物の仕業なのではないかと疑えた。何もかもが彼の人間のせいに思えてしまう。

 望まぬことを強いられ、望むことを奪われる。

 恐らくは富と名誉を利用して嘉穂を手に入れようとしている郷里河に対して、おおよそ一般人である嘉穂が取り得る反撃の手段は無いに等しい。

 現状、郷里河が本気で嘉穂を手に入れようとすれば、簡単に奪われてしまうことは彼女自身察している。

 それ故に、なんとしてでも枢沢彰悟の行方を掴み、彼に救いを求めることが彼女に唯一取れる対抗策だった。

 思い詰めて自らを傷つけることはしない。それをすれば、彼は本気で怒ると理解している。今まで相談しなかった嘉穂にも、頼られなかった自分にも憤ることだろう。

「……大丈夫。元気はもらったから」

 本人が行方知れずなのをいいことに欲求不満の捌け口を堪能して嘉穂はマンションを後にする。

「絶望したからって死んでやらないし、私をくれてやる気もないんだから」

 目星はない。手掛かりも情報も何一つ無い。
 それでも、探し出すと決めた。

 榎本嘉穂も、枢沢彰悟も、互いの事情を何一つ理解しないまま、遠い世界で今日を過ごしている。


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