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第1話 冷たい結婚生活
薄いレース越しに朝の光が差し込み、寝室の空気を淡く照らしていた。
ラングフォード侯爵家の寝室は、どこを見ても完璧に整えられている。
磨き上げられた床、繊細な刺繍が施された天蓋、壁に掛けられた絵画の額縁に至るまで、すべてが高価ですべてが美しい。
けれど、その美しさはどこか冷たかった。
ノエルはゆっくりと目を開け、天蓋の布を見つめた。
朝の光が揺らめき、布の影が床に淡く落ちている。
その光景は昨日と変わらない。
そして、今日もまた――変わらないものがあった。
隣の寝台は、昨夜のまま乱れていない。
夫エドモンドは、帰ってこなかった。
(……今日も、なのね)
胸の奥に広がるのは、怒りでも悲しみでもない。
ただ、静かに沈んでいくような空洞だけだった。
ノエルは上体を起こし、隣の枕に視線を落とす。
そこには、夫の気配は何ひとつ残っていない。
香りも、体温も、重みも。
結婚して一年。
夫婦として同じ寝台に横たわった夜は、片手で数えられるほどしかない。
初夜のことを思い出す。
緊張と不安と、ほんの少しの期待を抱いて臨んだあの夜。
エドモンドは最低限の言葉を交わしただけで、淡々と義務を果たし、そのまま背を向けて眠ってしまった。
翌朝、彼は何事もなかったかのように起き上がり、「出かけてくる」とだけ言って部屋を出ていった。
その瞬間、ノエルの中で何かが静かに折れた。
(私は……妻ではなく、ただの『条件』だったのでしょうね)
ノエルは自嘲のように微笑んだ。
その笑みは、ひどく冷たかった。
◇
身支度を整え、寝室を出る。
廊下には朝の空気が満ちていた。
使用人たちが静かに行き交い、ノエルを見ると一斉に頭を下げる。
「おはようございます、ノエル様」
「おはよう。今日もよろしくね」
彼らはノエルに敬意を払っている。
それは、ノエルがこの一年で屋敷を整え、家政を立て直し、使用人たちの信頼を得たからだ。
だが、その立場を与えたはずの夫だけが、ノエルの努力を一度も見ようとしなかった。
朝食の席に着くと、銀の蓋が静かに開けられた。
焼きたてのパン、香り高いスープ、新鮮な野菜。
侯爵家にふさわしい朝食が並ぶ。
しかし、向かいの席は空のまま。
「旦那様は……?」
ノエルが問うと、侍女が小さく首を振った。
「本日も、まだお戻りではございません」
「そう……ありがとう」
ノエルは短く答え、ナイフとフォークを手に取る。
料理の味は申し分ない。
けれど、ひとりで食べる食卓はどうしても味気なかった。
(結婚したら、朝食の席で他愛もない会話をするものだと思っていたのだけれど)
今日の天気のこと。
領地の様子。
最近読んだ本の話。
そんなささやかな会話を、ノエルは夢見ていた。
だが現実には、エドモンドと食卓を共にした回数は数えるほどしかない。
彼はいつも「忙しい」と言って席を立ち、ノエルの向かいの椅子はほとんど空席のままだった。
(忙しいのは本当なのでしょう。でも……)
ノエルはパンを口に運びながら、心の中で続ける。
(忙しいからといって、妻を『存在しないもの』のように扱う理由にはならないわ)
そう思っても、口に出すことはない。
ノエルは、感情をぶつけることを選ばなかった。
それは諦めではなく――自分の尊厳を守るための、静かな距離だった。
ラングフォード侯爵家の寝室は、どこを見ても完璧に整えられている。
磨き上げられた床、繊細な刺繍が施された天蓋、壁に掛けられた絵画の額縁に至るまで、すべてが高価ですべてが美しい。
けれど、その美しさはどこか冷たかった。
ノエルはゆっくりと目を開け、天蓋の布を見つめた。
朝の光が揺らめき、布の影が床に淡く落ちている。
その光景は昨日と変わらない。
そして、今日もまた――変わらないものがあった。
隣の寝台は、昨夜のまま乱れていない。
夫エドモンドは、帰ってこなかった。
(……今日も、なのね)
胸の奥に広がるのは、怒りでも悲しみでもない。
ただ、静かに沈んでいくような空洞だけだった。
ノエルは上体を起こし、隣の枕に視線を落とす。
そこには、夫の気配は何ひとつ残っていない。
香りも、体温も、重みも。
結婚して一年。
夫婦として同じ寝台に横たわった夜は、片手で数えられるほどしかない。
初夜のことを思い出す。
緊張と不安と、ほんの少しの期待を抱いて臨んだあの夜。
エドモンドは最低限の言葉を交わしただけで、淡々と義務を果たし、そのまま背を向けて眠ってしまった。
翌朝、彼は何事もなかったかのように起き上がり、「出かけてくる」とだけ言って部屋を出ていった。
その瞬間、ノエルの中で何かが静かに折れた。
(私は……妻ではなく、ただの『条件』だったのでしょうね)
ノエルは自嘲のように微笑んだ。
その笑みは、ひどく冷たかった。
◇
身支度を整え、寝室を出る。
廊下には朝の空気が満ちていた。
使用人たちが静かに行き交い、ノエルを見ると一斉に頭を下げる。
「おはようございます、ノエル様」
「おはよう。今日もよろしくね」
彼らはノエルに敬意を払っている。
それは、ノエルがこの一年で屋敷を整え、家政を立て直し、使用人たちの信頼を得たからだ。
だが、その立場を与えたはずの夫だけが、ノエルの努力を一度も見ようとしなかった。
朝食の席に着くと、銀の蓋が静かに開けられた。
焼きたてのパン、香り高いスープ、新鮮な野菜。
侯爵家にふさわしい朝食が並ぶ。
しかし、向かいの席は空のまま。
「旦那様は……?」
ノエルが問うと、侍女が小さく首を振った。
「本日も、まだお戻りではございません」
「そう……ありがとう」
ノエルは短く答え、ナイフとフォークを手に取る。
料理の味は申し分ない。
けれど、ひとりで食べる食卓はどうしても味気なかった。
(結婚したら、朝食の席で他愛もない会話をするものだと思っていたのだけれど)
今日の天気のこと。
領地の様子。
最近読んだ本の話。
そんなささやかな会話を、ノエルは夢見ていた。
だが現実には、エドモンドと食卓を共にした回数は数えるほどしかない。
彼はいつも「忙しい」と言って席を立ち、ノエルの向かいの椅子はほとんど空席のままだった。
(忙しいのは本当なのでしょう。でも……)
ノエルはパンを口に運びながら、心の中で続ける。
(忙しいからといって、妻を『存在しないもの』のように扱う理由にはならないわ)
そう思っても、口に出すことはない。
ノエルは、感情をぶつけることを選ばなかった。
それは諦めではなく――自分の尊厳を守るための、静かな距離だった。
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