どうぞお引き取りください旦那様。私は私の人生を歩みます。

Ame

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第5話 離縁状と静かな反撃

 ノエルは書斎の扉を静かに閉めた。
 部屋の中には、夜の気配がまだ残っている。
 窓辺のランプだけが柔らかく灯り、机の上に置かれた書類の影を揺らしていた。

 机の中央には、白い紙が一枚。
 その上に置かれたペンは、ノエルが手に取るのを待っているようだった。

(……終わらせるのよ)

 ノエルは深く息を吸い、椅子に腰を下ろした。
 指先が紙の端に触れる。
 その感触は冷たく、しかし迷いを払うように心を引き締めた。

 離縁状――それは、妻としての立場を自ら手放すという宣言。
 だが、ノエルにとっては解放の書でもあった。

 必要な文言を一つひとつ確認しながら、ノエルは丁寧に書き進める。
 筆跡は乱れず、手は震えない。
 心が決まっているからだ。

 書き終えた紙をそっと持ち上げ、光に透かす。
 そこに記された文字は、ノエルの決意そのものだった。

(これで……いい)

 ノエルは書類を整え、必要な証人の署名欄を確認し、提出先の封筒を用意した。
 すべての手順を、淡々と、正確にこなす。

 その姿は、まるで長い間準備してきた儀式を遂行するかのようだった。



 その日の深夜。
 屋敷の玄関が乱暴に開く音がした。

 ノエルは書斎の扉を開け、廊下に出た。
 足音が近づいてくる。
 香水の匂い――甘く、濃い。
 ノエルのものではない。

 エドモンドが姿を現した。
 外套を乱し、疲れたような顔をしている。
 だが、その目はノエルを見ると不機嫌に細められた。

「……こんな時間に起きているとは珍しいな」

「お帰りなさいませ、エドモンド様。お話があります」

 ノエルは静かに言った。
 声は落ち着いていて、揺れはない。

 エドモンドは眉をひそめた。

「明日にしろ。疲れている」

「今でなければなりません」

 ノエルは一歩前に出て、手に持っていた封筒を差し出した。

「これは……?」

「離縁状です」

 エドモンドの表情が固まった。
 次の瞬間、怒りが爆発する。

「勝手な真似をするな!」

 声が廊下に響く。
 だが、ノエルは一歩も引かない。

「勝手ではありません。あなたが望んだことでしょう」

「誰がそんなことを――!」

「あなたです」

 ノエルの声は静かだった。
 しかし、その静けさがエドモンドをさらに苛立たせる。

「お前は……妻としての役目を果たしていない!」

 ノエルは目を伏せた。
 その言葉は、かつてなら胸を刺しただろう。
 だが今は、ただ冷たく響くだけだった。

「私は、あなたの妻ではなかったのでしょう」

 エドモンドが言葉を失う。
 ノエルはその隙に、封筒を彼の手に押し付けた。

「手続きは進めます。必要な署名をお願いします」

「ふざけるな……!」

 エドモンドが腕を掴もうとした瞬間、ノエルは一歩下がった。
 その動きは自然で、恐れはなかった。

(――カトリーナ。旦那だったらあげますよ。どうぞ、引き取ってください)

 心の中で、静かに言葉が生まれる。口には出さない。
 だが、その言葉はノエルの中で確かな形を持ち始めていた。

「もう……終わりにしましょう」

 ノエルは背を向けた。
 エドモンドの怒号が背中に降りかかるが、振り返らない。

 廊下の先にある灯りが、ノエルの影を長く伸ばしていた。
 その影は揺らがず、まっすぐに伸びている。

 静かな反撃は、すでに始まっていた。

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