どうぞお引き取りください旦那様。私は私の人生を歩みます。

Ame

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第6話 怒号の訪問者

 ノエルが実家へ戻ったのは、離縁状をエドモンドに渡した翌朝のことだった。
 持ち帰った荷物は驚くほど少ない。
 衣服を数着と、必要最低限の書類、そして読みかけの本が数冊。
 それだけで、ノエルの結婚生活がどれほど空虚だったかが分かる。

 馬車が実家の門をくぐると、懐かしい庭の香りが風に乗って届いた。
 幼い頃から慣れ親しんだ景色。
 今は、その穏やかさが胸に沁みた。

 玄関の扉が開き、両親が姿を見せる。

「ノエル……?」

 母の声には驚きと心配が入り混じっていた。
 ノエルは静かに頭を下げる。

「ただいま戻りました」

 その表情を見た瞬間、両親は多くを察したのだろう。
 父は眉を寄せ、母はそっとノエルの手を握った。

「……よく頑張ったわ」

 その一言に、ノエルの胸がじんと熱くなる。
 誰かに「頑張った」と言われたのは、いつ以来だろう。

 実家で迎える朝は、驚くほど静かだった。
 鳥のさえずり、柔らかな光、温かい朝食。
 侯爵家の豪奢な食卓とは違う、家庭の温もりがあった。

 スープを口に運びながら、ノエルはふと気づく。

(……呼吸が、楽)

 屋敷にいた頃は、胸の奥に重い石が乗っているようだった。
 今は、その重さが少しずつ溶けていく。

 父は新聞を読みながら、ちらりとノエルを見た。
 何も聞かず、ただ見守るだけ。
 その沈黙が、ノエルにはありがたかった。



 数日後。
 その静けさは、突然破られた。

 玄関の扉が激しく叩かれ、怒号が響く。

「ノエルを返せ!!」

 ノエルは思わず立ち上がった。
 その声は、聞き慣れたもの――エドモンドだ。

 使用人たちが慌てて玄関へ向かう。
 ノエルも後を追った。

 玄関ホールに着くと、エドモンドが怒鳴り散らしていた。怒りで顔を赤く染め、目は血走っている。

「どけ! ノエルを出せ!」

「お、おやめ下さい……! まずは旦那様にお取り次ぎいたしますので……!」

「黙れ!!」

 使用人が押し返され、よろめく。
 
 そのとき――低く鋭い声が玄関に響いた。

「……ノエルになんの用ですか」

 階段の上から、レオンが姿を現した。

 レオンは、ノエルの幼なじみであり、今はノエルの実家である伯爵家に仕える騎士だ。
 長身で、鍛えられた体躯。軍務で鍛えた男特有の、無駄のない動き。
 鋭い眼光は、エドモンドを一瞥しただけで射抜くような迫力があった。

「……貴様、何のつもりだ」

「つもりも何もありません。どのような身分であろうとも、ここで暴れるなら容赦はしませんが」

 その声は静かだが、底に怒りが潜んでいた。
 エドモンドはその気迫に怯み、後ずさる。

「エドモンド様」

 ノエルは二人の間に慌てて割り込んだ。

 エドモンドはノエルを見るなり、怒りを再燃させる。

「ノエル! どういうつもりだ! 勝手に家を出て……俺を侮辱する気か!」

「お帰りください」

 ノエルの声は静かだった。
 その静けさが、エドモンドの怒りを逆撫でする。

「ふざけるな! お前は俺がいないと生きていけないくせに!」

 ノエルは表情を変えない。
 その無表情が、エドモンドには耐え難いものだった。

 ノエルははっきりと言った。

「私は……あなたの妻ではありません」

 エドモンドの顔から血の気が引く。

 レオンが一歩前に出て、冷たく告げた。

「聞こえただろう。出ていきなさい」

「ノ、ノエル……!」

「帰れと言っている」

 レオンの声は低く、静かで、絶対だった。

 エドモンドは振り払う力もなく、よろめきながら屋敷を出ていった。

 扉が閉まると、ノエルは深く息を吐いた。
 胸の奥に残っていた痛みが、少しだけ軽くなる。

(まだ……痛むけれど)

 それでも、決意は揺らがない。

 その横で、レオンがそっとノエルを見つめていた。
 その視線は、幼なじみとしての心配だけではなく――もっと深い、静かな想いを含んでいた。

 だが、ノエルはまだ気づかない。

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