どうぞお引き取りください旦那様。私は私の人生を歩みます。

Ame

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第7話 静かな安息

 翌朝、ノエルは柔らかな光に包まれて目を覚ました。
 窓から差し込む陽光は、侯爵家で感じていた冷たい白さとは違う。
 どこか温かく、肌に触れるような優しさがあった。

 鳥のさえずりが遠くから聞こえ、風がカーテンを揺らすたび、草木の香りがふわりと漂う。
 その自然な音と匂いが、ノエルの胸の奥に静かに沁みていく。

(……こんな朝、いつぶりかしら)

 心の傷はまだ完全には癒えていない。
 けれど、ここにいるだけで、痛みが少しずつ薄れていくのが分かる。

 扉が軽く叩かれた。

「ノエル、起きている?」

 母の声だ。
 ノエルが返事をすると、母はそっと入ってきて、ベッドのそばに腰を下ろした。

「顔色が良くなったわね」

「……ええ。少しだけ」

 母はノエルの手を包み込むように握った。
 その温もりは、ノエルの胸に静かに広がった。

「焦らなくていいのよ。ゆっくりでいいの」

 その優しさに、ノエルは小さく頷いた。

 ◇

 朝食を終えた頃、庭から戻ってきたレオンがノエルを見つけて声をかけた。

「ノエル、少し歩かないか?」

「……ええ」

 庭は朝露が残り、陽光を受けてきらきらと輝いていた。
 レオンはゆっくりと歩きながら、ふと笑った。

「覚えているか? 子供の頃、ここでよく遊んだだろう」

「ええ……レオンは木登りが得意で、私は全然登れなくて」

「お前が落ちたら危ないから、わざと登らせなかったんだ」

「……そうだったの?」

 ノエルは思わず笑った。
 その笑みは、久しぶりに心からのものだった。

 レオンはその表情を見て、安堵したように息を吐いた。
 だが、すぐに眉を寄せる。

「……あの男が、お前をここまで追い詰めたのかと思うと、どうしても腹が立つ」

 その声には、抑えきれない怒りが滲んでいた。
 ノエルは首を振る。

「もういいの。私は……ここで、少しずつ戻っていくわ」

 レオンは黙って頷いた。
 その横顔には、幼なじみとしての優しさと、騎士としての強さが同時に宿っていた。

 ◇

 その日から、ノエルは少しずつ自分の時間を取り戻し始めた。

 読書。
 刺繍。
 庭の散歩。

 どれも結婚前には当たり前だったこと。
 けれど、屋敷ではいつの間にか手放していた。

 本を開くと、文字がすっと心に入ってくる。
 針を動かすと、布に花が咲いていく。
 その小さな積み重ねが、ノエルの心を少しずつ軽くしていった。

(私は……生きている)

 そう思える瞬間が、日に日に増えていく。

(私の人生を……取り戻している)

 その実感が、胸の奥に静かに広がった。

 それでも――時折、エドモンドの姿が脳裏をよぎる。

 庭での密会。
 冷たい言葉。
 嘲るような視線。

 思い出すたび、胸がきゅっと痛む。

(……でも)

 ノエルはそっと目を閉じた。

(もう戻らない)

 その言葉を心の中で繰り返すたび、表情に少しずつ強さが宿っていく。



 数日後、社交界の噂が実家にも届いた。

「ラングフォード侯爵、最近は屋敷に籠もりきりらしいわよ」

「奥方様がいなくなってから、すっかり評判が落ちたとか」

 使用人たちの会話が耳に入る。

 ノエルは静かに聞くだけだった。
 同情はしない。
 しかし、哀れみはあった。

(あの人は……自分で選んだ道)

 そう思うと、胸の痛みは少しだけ和らいだ。



 夕暮れ時、ノエルは窓辺に立った。
 空は茜色に染まり、雲が金色に輝いている。
 その光景は、どこか新しい始まりを予感させた。

(私は……私のままでいい)

 ノエルはそっと微笑んだ。

 その少し離れた場所で、レオンが静かにノエルを見守っていた。
 その視線には、幼なじみ以上の想いが、まだ言葉にならないまま宿っていた。

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