どうぞお引き取りください旦那様。私は私の人生を歩みます。

Ame

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第9話 歪んだ執着

 その日、ノエルは刺繍をしていた。
 窓から差し込む午後の光が布を照らし、針先が小さくきらめく。
 心はまだ完全には癒えていないが、こうして手を動かしていると、少しだけ落ち着く。

 そんな静けさを破るように、玄関の方から慌ただしい声が聞こえた。

「ノエル様はあなたにはお会いになられません!」

 使用人の緊迫した声。
 ノエルは胸がざわつき、立ち上がった。

(まさか……)

 廊下を進むと、玄関ホールで使用人たちが誰かを押しとどめていた。
 その中心にいるのは――憔悴しきったエドモンドだった。

 髪は乱れ、目の下には深い隈。
 以前の威厳は影も形もない。

「ノエル……ノエル……!」

 その声は、かつての冷たさとはまるで違う。
 弱々しく、縋るような響きだった。

「ノエル様、危険です。お下がりを――」

「大丈夫です」

 ノエルは静かに前へ出た。
 エドモンドの視線が、必死に彼女を捉える。

「ノエル……戻ってきてくれ……頼む……」

 その言葉に、ノエルの胸がわずかに痛んだ。
 だが、表情は変えない。

「戻りません」

 エドモンドの顔が歪む。

「なぜだ! 俺は……俺はお前がいないと生きられない!」

 その叫びは、愛ではなく執着だった。
 ノエルは静かに首を振る。

「それは……あなたの問題です」

 そのとき、背後から足音が近づいた。

「ノエル」

 レオンだった。
 騎士服のまま、鋭い視線でエドモンドを見据えている。
 その存在だけで、空気が引き締まった。

「この間の騎士か……! 邪魔をするな……これは夫婦の問題だ……!」

「もう夫婦ではないでしょう」

 レオンの声は低く、冷たかった。
 エドモンドは言葉を失う。

 ノエルは一歩前に出て、静かに言った。

「エドモンド様。お帰りください」

「嫌だ……嫌だ……ノエル……俺を捨てるのか……!」

 エドモンドの声は震えていた。
 その姿に、かつての威圧感は微塵もない。

「……他に引き取り手があるようだったので、私は身を引いたまでです」

 ノエルの言葉は静かで、淡々としていた。
 しかし、その一言はエドモンドの心を完全に凍らせた。

「な……に……?」

 エドモンドの唇が震える。

「あなたを必要とする人がいるんでしょう。どうぞご勝手になさってください。私は……もう、あなたの妻ではありません」

 その言葉は、ノエル自身の決別でもあった。

「これ以上、ノエルに近づかないでいただけますか」

 レオンが一歩前に出た。
 その動きは自然で、しかし圧倒的な威圧感を伴っていた。

 エドモンドは後ずさり、足元がふらつく。

「ノエル……ノエル……!」

「帰りなさい」

 レオンの声は低く、静かで、絶対だった。

 エドモンドは抵抗する力もなく、よろめきながら屋敷を出ていった。

 扉が閉まると、ノエルは深く息を吐いた。
 胸の奥に残っていた痛みが、少しだけ軽くなる。

(もう……終わったのよ)

 そう思うと、心が静かに落ち着いていく。

「ノエル、大丈夫か?」

 レオンがそっと声をかけた。
 その声音は、幼なじみとしての優しさと、騎士としての強さが混ざり合っていた。

「ええ……大丈夫よ」

 ノエルは微笑んだ。
 その微笑みは、ほんの少しだけレオンの胸を温かくした。

 夕日が差し込む玄関ホールで、
 ノエルの過去は静かに幕を閉じた。

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