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プロローグ
結婚して一年。
私はまだ、一度も夫に触れられたことがない。
エルフォード家の屋敷は、夜になると息を潜めたように静まり返る。
広すぎる寝室の天蓋は、まるで私を閉じ込める檻のようだった。
壁にかけられた大きな時計の針が、規則正しく時を刻む音だけが響く。
夫アランは、今日も帰ってこない。
宰相としての仕事が忙しいのは理解している。
けれど、たとえ帰ってきたとしても、彼は私の寝室には入らない。
――白い結婚。
世間がそう噂していることを、私は知っていた。
形式だけの夫婦。
家と家を繋ぐための契約。
そこに愛情など存在しない。
私は、家のために結婚した。
父の期待に応え、母の願いを叶え、バークス家の名誉を守るために。
幼い頃から「家のために生きるのが貴族の務め」と教えられてきた。
だから、アランとの結婚話が持ち上がった時も、私は迷わなかった。
――迷わないふりをした。
アランは冷たい人ではない。
ただ、私を見ようとしないだけだ。
私を『妻』ではなく、『契約の象徴』として扱っているだけ。
結婚式の日、彼は私にこう言った。
『互いに干渉しない。それが最善だ』
その言葉は、まるで宣告のようだった。
私は微笑んで頷いたが、胸の奥はひどく冷えていた。
それでも、私は努力した。
妻として恥じないように、礼儀作法を磨き、家の行事を完璧にこなし、
アランの負担にならないように、静かに、慎ましく振る舞った。
けれど、彼の心は一度もこちらを向かなかった。
――それでもいい。
そう思い込もうとしてきた。
けれど、心はもう限界だった。
私は、誰かの役に立つためだけに生きているのだろうか。
私の人生は、いつまで『義務』に縛られ続けるのだろう。
アランの屋敷で過ごす日々は、まるで薄い氷の上を歩くようだった。
割れないように、音を立てないように、息を潜めて生きる。
そんな生活を続けるうちに、私は自分が何者なのか、わからなくなっていた。
胸の奥に、ずっと押し込めてきた言葉がある。
――自由になりたい。
その願いを口にした瞬間、すべてが壊れてしまう気がして、言えなかった。
家族も、夫も、社会も、私に『役割』を求めている。
その期待を裏切ることが、怖かった。
けれど。
このままでは、私は私を失ってしまう。
静まり返った寝室で、私はゆっくりと身を起こした。
窓の外には、月が淡く光っている。
その光は、まるで私に問いかけているようだった。
――あなたは、どう生きたいの?
私は、震える指先をぎゅっと握りしめた。
胸の奥に沈んでいた言葉が、ようやく形を持つ。
「……離縁を、申し出よう」
声に出した瞬間、胸の奥に重く沈んでいた鎖が、ひとつ外れた気がした。
怖い。
でも、進まなければ。
私は、私の人生を取り戻すために。
さようなら、白い結婚。
私は――自由になります。
私はまだ、一度も夫に触れられたことがない。
エルフォード家の屋敷は、夜になると息を潜めたように静まり返る。
広すぎる寝室の天蓋は、まるで私を閉じ込める檻のようだった。
壁にかけられた大きな時計の針が、規則正しく時を刻む音だけが響く。
夫アランは、今日も帰ってこない。
宰相としての仕事が忙しいのは理解している。
けれど、たとえ帰ってきたとしても、彼は私の寝室には入らない。
――白い結婚。
世間がそう噂していることを、私は知っていた。
形式だけの夫婦。
家と家を繋ぐための契約。
そこに愛情など存在しない。
私は、家のために結婚した。
父の期待に応え、母の願いを叶え、バークス家の名誉を守るために。
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だから、アランとの結婚話が持ち上がった時も、私は迷わなかった。
――迷わないふりをした。
アランは冷たい人ではない。
ただ、私を見ようとしないだけだ。
私を『妻』ではなく、『契約の象徴』として扱っているだけ。
結婚式の日、彼は私にこう言った。
『互いに干渉しない。それが最善だ』
その言葉は、まるで宣告のようだった。
私は微笑んで頷いたが、胸の奥はひどく冷えていた。
それでも、私は努力した。
妻として恥じないように、礼儀作法を磨き、家の行事を完璧にこなし、
アランの負担にならないように、静かに、慎ましく振る舞った。
けれど、彼の心は一度もこちらを向かなかった。
――それでもいい。
そう思い込もうとしてきた。
けれど、心はもう限界だった。
私は、誰かの役に立つためだけに生きているのだろうか。
私の人生は、いつまで『義務』に縛られ続けるのだろう。
アランの屋敷で過ごす日々は、まるで薄い氷の上を歩くようだった。
割れないように、音を立てないように、息を潜めて生きる。
そんな生活を続けるうちに、私は自分が何者なのか、わからなくなっていた。
胸の奥に、ずっと押し込めてきた言葉がある。
――自由になりたい。
その願いを口にした瞬間、すべてが壊れてしまう気がして、言えなかった。
家族も、夫も、社会も、私に『役割』を求めている。
その期待を裏切ることが、怖かった。
けれど。
このままでは、私は私を失ってしまう。
静まり返った寝室で、私はゆっくりと身を起こした。
窓の外には、月が淡く光っている。
その光は、まるで私に問いかけているようだった。
――あなたは、どう生きたいの?
私は、震える指先をぎゅっと握りしめた。
胸の奥に沈んでいた言葉が、ようやく形を持つ。
「……離縁を、申し出よう」
声に出した瞬間、胸の奥に重く沈んでいた鎖が、ひとつ外れた気がした。
怖い。
でも、進まなければ。
私は、私の人生を取り戻すために。
さようなら、白い結婚。
私は――自由になります。
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