真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一

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第五章 魔導帝国ベルゼリア編

第145話 紅龍② ──三龍仙、誕生──

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──月日は流れた。

紅牙の暮らしは、荒野を駆ける孤児から一変し、霊龍嶽の洞穴での修行の日々へと姿を変えていた。


まだ東の空に淡い光が差す前、霊峰の冷気が肺を突き刺すような時間。

蝋燭の小さな炎を前に、紅牙は足を組んで座禅を組む。
 
炎は揺らぎ、影が壁を踊る。そのわずかな揺れに心を奪われそうになるたび、黄龍の低い声が飛んだ。
 


「……集中しろ。呼吸を乱すな」
 


紅牙は小さく舌打ちをしながらも、胸の奥にある仙気を静めることに意識を戻した。

 
昼になれば、山の斜面を稽古場にして黄龍との功夫の修練が始まる。
 
腕と腕がぶつかれば、木槌で骨を叩かれるような衝撃。足と足が交われば、地面が震え、砂塵が舞い上 がる。
 


「まだまだだな、紅牙」
 


無口で不器用な黄龍が、わずかに口角を上げて言う。
 


「ふん……なら、次で倒してやるわ!」
 


悔しさに燃える紅牙は、何度倒されても立ち上がった。

 
夕刻には、蒼龍と共に山を駆け下り、薬草や山菜を摘み、妖魔の潜む谷に足を踏み入れる。
 


「ちょっと、また泥まみれになってるじゃない! 紅牙ちゃんって、ほんといつまでもガキっぽいままなのよねぇ」
 


茶化す蒼龍の声に、紅牙は真っ赤になりながら「余計なお世話だ!」と噛みつく。

だが、その後ろ姿を追いかける足取りは、どこか楽しげだった。



──そして夜。



焚火の炎が洞窟の天井を照らし、薬草の香りを含んだ温かな湯気が漂う中、偉龍が三人の弟子を前に座す。
 


「力とは、己がために振るうものではなく……人のために振るうものだ」
 


深い声に、紅牙は鼻を鳴らした。
 


「戯言じゃ。力は喰らうためにある……弱者を守るためなど、無意味よ」



だが、心のどこかで、その言葉が消えない。

寝床に就いても、耳の奥で偉龍の声が反響し、胸をざわつかせた。


──黄龍は、口数少なくとも常に背中を預けてくれる兄のような存在になり。

──蒼龍は、うるさく口出ししながらも、時に笑わせてくれる姉のような存在になり。

──偉龍は、厳しい試練を与えながらも、その眼差しに揺るぎない愛情を込めてくれる父のような存在になった。


孤独に荒野をさまよい、誰一人信じることの出来なかった少年・紅牙。

その胸に初めて、「家族」という言葉が芽生え始めていた。



 ◇◆◇



その夜、霊龍嶽の洞穴には珍しく、そわそわと落ち着かない気配が漂っていた。

蒼龍が焚き火の傍らで足を揺らし、瞳をきらきらと輝かせていたのだ。



「ねぇ、ねぇ! 都で祭りが開かれてるんだって! 夜市の灯り、すっごく綺麗らしいのよ。せっかくだから行きましょうよぉ!」



普段は姉めいて口うるさい彼女のはしゃぐ様子に、紅牙は思わず目を丸くする。黄龍は腕を組み、渋面を作った。



「……無駄だ。雑踏に出れば修行も滞る」

 

つれない返事に、蒼龍がむくれかけたところで、紅牙がにやりと笑った。



「いいではないか。姉者の願いなら、聞いてやろう」



その一言に、蒼龍の顔がぱっと花開くように明るくなる。



「ほんと!? やったぁ!」



黄龍は小さくため息をつき、肩をすくめる。
 


「……蒼龍に甘いのは相変わらずだな」



夜市の通りは、人々の熱気と灯籠の明かりに包まれていた。

色鮮やかな布で飾られた露店、香ばしい肉の焼ける匂い、甘い蜜菓子を頬張る子供の笑い声。

紅牙は思わず胸を高鳴らせ、目を奪われていた。

これまで荒野で血と汗にまみれて生きてきた彼にとって、この光景は別世界のようだった。



「ふふっ、ね? 言ったでしょ、すごいでしょぉ!」
 


蒼龍が満面の笑みで振り返り、紅牙は不覚にも言葉を失った。

そのとき、蒼龍の足がふと止まる。

彼女の視線の先、露店の棚に並んでいたのは、銀細工の小さなブレスレットだった。



「……これ」
 


呟いた声は、普段の明るさではなく、どこか少女らしい恥じらいを帯びていた。頬にうっすら紅が差す。

黄龍と紅牙は一瞬だけ視線を交わし、無言でうなずき合う。



「師父に渡せば……姉者の想いも届こうて」
 


紅牙が小声で囁くと、蒼龍は慌てて手を振った。
 


「ちょっ……ちょっと、紅牙ちゃん!? アタシは、そんなつもりじゃ……!」



だが、耳まで赤くなっているのは否定の言葉と裏腹だった。

黄龍は無口なまま口角をわずかに緩め、紅牙は内心で喜びを抑えきれなかった。



(……もし姉者がお師匠と結ばれれば、我らは本当の意味で家族になれる……!)

 

後日。洞穴に戻った蒼龍は、焚き火の傍に立ち尽くしていた。

胸の前で小箱を握りしめ、何度も深呼吸をしている。

紅牙と黄龍は少し離れた場所から、その様子を見守っていた。



「……お師匠様」



勇気を振り絞るように声を出し、蒼龍は震える手で箱を差し出した。



「これ……受け取ってください」



偉龍は一瞬目を細め、それから静かに笑んだ。



「……美しい品だな」
 


掌に収めたブレスレットを指でなぞる。火明かりを受けて銀細工が柔らかに輝いた。

蒼龍の頬が熱を帯び、嬉しそうに笑みを浮かべる。

黄龍は腕を組んだまま、無言で頷いた。

紅牙はその光景を見ながら、胸の奥に温かな炎が広がるのを感じていた。

──孤児として荒野をさまよった少年が、いま初めて、心から「家族」という未来を夢見ていた。



 ◇◆◇



──霊龍嶽の山頂。

濃い雲海を切り裂くようにそびえ立つ岩場に、四人の影が並んでいた。

夕陽は燃えるような朱を空に散らし、風は烈しく吹きつけ、三人の弟子たちの衣を翻す。

その風音すら、これからの瞬間を祝福する太鼓の音のように聞こえた。


偉龍は背筋を伸ばし、ゆるやかに掌を合わせる。その眼差しは、まっすぐに紅牙へと注がれた。



「……紅牙。お主の仙気、もはや未熟を脱した」



短く、しかし決定的な言葉。

紅牙の喉が、ごくりと鳴った。

胸の奥で熱が一気に燃え上がり、全身がその炎に包まれていくようだった。

黄龍と蒼龍は互いに視線を交わし、弟弟子を見守るように頷いた。

 
偉龍は一歩、二歩と歩み寄る。そのたびに衣が夕風にひるがえり、影が紅牙の上に落ちる。

大きな掌が、紅牙の肩にそっと置かれた。
 


「仙人は、一人前と認められた時、師より一字を授かるもの。……今日よりお主は、『紅龍コァンロン』と名乗るがよい」



その響きが、紅牙の胸を打ち抜いた。



「……紅龍……儂が……」
 


幼い頃、ただ飢えを凌ぐために獣のように生きた自分が、いまは“名”を授かっている。
 
それは力を示すだけではなく、自分という存在をこの世に刻む証。その重みが紅牙を震わせた。

 
蒼龍はぱぁっと笑顔を輝かせ、両手を合わせて小さく跳ねた。
 


「やったじゃない! 紅牙ちゃん……いえ、紅龍ちゃん!」
 


黄龍は腕を組んだまま、だが口元には僅かな微笑を浮かべる。



「……これで我ら三人、肩を並べられる」

 

偉龍は三人の姿を見渡し、声に威厳を込めて告げる。
 


「黄龍。蒼龍。そして紅龍。──今日より、お主ら三名は“三龍仙”と名乗るがよい」



三人は胸を張り、背筋が自然と伸びる。

黄龍は堂々とした姿で。

蒼龍は期待と誇らしさを宿した瞳で。

そして紅龍は、全身を熱で満たされながら、兄者と姉者の姿を確かめる。そこにあったのは、血よりも濃い絆だった。


紅龍の胸の奥で、かつての孤児の少年は小さく泣き笑った。

──自分はもう、ひとりではない。


その光景を見届けながら、偉龍はふと朱に染まる空を仰ぎ、低く呟いた。



「……そろそろ、時期が来たのかもしれんな」



黄龍も蒼龍も、そして紅龍も、その意味を測りかねて目を見合わせた。

だが紅龍にはまだ理解できない。

ただ、胸奥で燃え立つ炎だけが、確かに告げていた。


──これからが、本当の始まりだと。



 ◇◆◇



──夜更けの霊龍嶽。

洞穴の奥では焚火がぱちぱちと弾け、炎が岩壁に赤い影を踊らせていた。

三人の弟子は焚火を囲み、いつもなら和やかに修行の疲れを癒す時間だった。

だが今宵は違う。蒼龍の横顔は珍しく硬く、指先で器の縁を弄り続けている。


やがて彼女は、決意を押し出すように大きく息を吸い込み、真っ直ぐに偉龍へ視線を向けた。



「……お師匠様。アタシ……アタシは──」



焚火の光に照らされた蒼龍の頬はほんのり赤く染まり、戦士としての顔ではなく、ひとりの女性の表情を晒していた。



「……アタシを、お嫁さんにしてください」

 

その言葉は炎に包まれた空間を凍らせた。
 
紅牙は反射的に息を呑み、黄龍は驚愕のあまり目を見開く。だがすぐに眉間に皺を寄せ、唇を引き結んだ。

 
偉龍は瞑目し、焚火の音だけが響く静寂が流れた。

しばし沈黙の後、彼は重々しく首を振った。



「……蒼龍。お主の心は確かに受け取った。だが我は“討竜仙”。竜を狩る宿命を背負う仙人。格を異にする者と婚を結ぶことは……容易ならぬ」



その拒絶に、蒼龍は俯き、指先が小刻みに震えた。

黄龍が低く呟く。



「……仕方のないことだ。お師匠様は、過去に人に害なす竜を討ち“討竜仙”の称号を得たお方。俺たちとは仙道としての格が違う」



努めて冷静な声音だったが、その瞳には妹を思う苦悩が滲んでいた。


一方で紅牙の胸は煮え立つように熱く、鼓動が耳の奥で鳴り響いた。

涙を堪える蒼龍の姿が、胸を強く締め付ける。

──なぜ、姉者が涙を呑まねばならぬのだ。



「……ならば」



紅牙は立ち上がり、炎を背に堂々と声を張り上げた。



「我ら三人で竜を討滅し、姉者を“討竜仙”へと導こうぞ! そうすれば師父も、姉者の求婚を受け入れざるを得まい!」



蒼龍の大きな瞳が見開かれる。驚きと戸惑い、そして小さな希望の光。

黄龍は即座に叱りつけた。



「馬鹿を言うな! まだ“宝貝パオペエ”すら扱い切れていない俺たちが竜に挑む? 命を捨てるようなものだ!」



しかし紅牙は怯まず、一歩踏み出す。



「ならば尚更だ! 命を賭して竜を討ち、姉者の願いを叶える! それこそが“家族”のすることではないか!」



その真っ直ぐな叫びに、蒼龍の頬は赤く染まり、黄龍は言葉を失う。

偉龍はしばらく弟子たちを見つめていたが、やがて低く、重い声を落とした。



「……ならぬ。お主ら三人、ようやく一人前に至ったばかり。宝貝を真に使いこなせぬうちは、竜討伐など許さぬ」



岩壁に反響するその声音は揺るぎなく、弟子たちの胸に鉛のように沈んだ。


──その夜。
 

三人は各々寝床に横たわりながらも、誰一人眠れなかった。洞窟の天井を見上げ、心は嵐のように揺れ続ける。
 
蒼龍の胸を占めるのは葛藤と恋心。黄龍の胸を締め付けるのは責任と迷い。そして紅牙の胸に燃えるのは、ただ純粋な衝動。

 
やがて紅牙が口を開いた。闇に溶けるような声。
 


「……黙って竜を討ちに行こう。結果を示せば、師父も認めざるを得まい」



黄龍は目を閉じたまま長く息を吐く。



「……愚かだ。だが、妹のためなら」

 

蒼龍は布を握りしめ、震える声で呟いた。
 


「アタシ……やる。お師匠様に認めてもらうために」



──こうして、三人は。

禁じられた竜討伐へと、密かに足を踏み出す決意を固めたのだった。



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