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第五章 魔導帝国ベルゼリア編
第165話 ハイエスト・ウェイに落ちる星
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黄龍の身体は、ぐったりと力を失っていた。
アルドはその巨躯を一瞥すると、マジックバッグに手を差し入れる。
中から引き出したのは、淡い光沢を帯びた一本のロープ。普通の縄ではない。
表面には魔力を拒む銀糸の模様が浮かび、手に取るだけで「絶対に切れない」という確信を抱かせる魔導具だった。
「……"竜泡"に閉じ込めてもいいんだけどね。」
小さく呟きながら、アルドは黄龍の手足を無造作に掴む。
「封印術で急に解除されるのは厄介だし……とりあえず物理的に縛っとくか。」
迷いは一切なかった。ぐるぐると、容赦なく、黄龍を縛り上げていく。
魔導具のロープは滑らかに動き、意志を持つかのように自動で締め上げ、最終的には分厚い結界のように彼を拘束した。
気を失った黄龍の顔は苦悶に歪んでいるが、それを気にかける様子もなく、アルドは手を払うようにして立ち上がる。
その足取りはためらいなく仲間たちへと向かっていった。
──石と化した鬼塚が、影山の腕の中で硬直している。
アルドは彼の前で膝を折り、石像の頬にそっと手を添えた。
冷たい感触が掌に伝わる。その重みが、胸を締め付けるように痛い。
「鬼塚くん……」
銀の少年の声は、驚くほど穏やかだった。
「もう少しだけ、待っててね」
緋石のまぶたは閉じられたまま、答えは返らない。
それでもアルドは諦めず、静かに言葉を重ねた。
「他のみんなと一緒に、必ず元に戻してあげるから」
その声音には、根拠のない自信ではなく──確固たる約束の響きがあった。
彼の背後で、気配を殺して見守っていた影山の肩が震える。
「……アルドさん……」
声は掠れ、涙が零れそうに光っていた。
影山はぎゅっと鬼塚を抱きしめ、嗚咽を堪えるように唇を噛むと、次の瞬間、深く腰を折った。
「お願いします……! どうか……!」
震える声で懇願しながら、頭を地面に近づけるほど深々と下げる。
彼の背は細く頼りないが、その祈りは真摯で痛々しいほどだった。
アルドは一瞬、驚いたように目を瞬かせた。
そして小さく苦笑すると、影山の肩に軽く手を置き、静かに頷いた。
「大丈夫だよ。任せておいて!」
その短い言葉が、影山にとっては何よりの救いだった。
押し殺していた涙が頬を伝い、ぽとりと石の床に落ちる。
黄龍を縛り上げたアルドが立ち上がると、すぐさま周囲から声が飛んだ。
「お見事でした、道三郎殿!」
胸に手を当て、深々と一礼しながら、ベルザリオンが破顔する。
「やはり! 道三郎殿こそ至高なる御方……!実に華麗なる勝利……! 嗚呼、我が心まで震えております!」
「ほんっと! 流石はギャタシが見込んだ男子よぉ!」
ジュラ姉は短い手をパチパチと合わせ、黄金の目を輝かせる。
二人の賛辞に、アルドは肩を竦めた。
「2人とも大袈裟だなぁ……そんな、大したことじゃないって。」
頬をかきながら言葉を濁す。
そのとき、ふっと別の声が割り込んだ。
「──派手にブチ切れておったのぉ。道三郎」
マイネだった。
口元にわずかな笑みを浮かべ、その瞳は鋭い光を帯びている。
彼女の眼差しは、先ほどの暴走めいた激昂ぶりを見逃してはいなかった。
「うっ……」
アルドは途端に視線を逸らし、背を小さく丸める。
「お、お見苦しいところをお見せしました……」
その様子に、マイネは小さく息を吐いた。呆れと感心が入り混じった声音で言葉を紡ぐ。
「……あれだけの力を持ちながら、その腰の低さ。まったく、不思議な男じゃな、お主は」
そして、彼女はゆるやかに歩み寄ると、軽く頭を垂れた。
「お主のおかげで助かった。礼を言う」
「──っ」
予想外の礼に、アルドは目を見開いた。
すぐに首を振り、マイネに向かって静かに答える。
「お礼を言われるのはまだ早いよ、マイネさん」
彼はそっと鬼塚の石像に手を伸ばし、その頭を撫でる。
「そういうのは……この街も、鬼塚くん達の魂も、全部取り戻してからにしよう」
石像は冷たいまま、沈黙を続ける。だが、その仕草に込められた優しさは確かに伝わった。
ベルザリオンもジュラ姉も、浮かれていた表情を引き締め、真剣な眼差しでアルドに頷く。
影山も涙に濡れた瞳を拭いながら、強く頷いた。
マイネはしばし無言でその光景を眺め、やがて細く息をついた。
「──ああ、そうじゃな」
その声には、先ほどまでの皮肉めいた響きはなかった。
残されたものを必ず取り戻そうという、静かな誓いがそこに宿っていた。
◇◆◇
黄龍をロープでぐるぐる巻きにし終えたアルドは、深く息を吐いた。結び目をもう一度確認してから立ち上がり、マイネへと視線を向ける。
「確か、あと二人いたよね」
落ち着いた口調で問いかけるが、その瞳には油断の色はない。
「コイツと同じようなのが……真ん中の赤いヤツが紅龍っていう本体で、こっちの黄龍と、青い女の子──蒼龍だっけ? 二人は分身体……って事でいいんだよね?」
マイネは静かに頷いた。
「……ああ。そのはずじゃが」
言葉の後、彼女は思わず目の前の黄龍へ視線を落とした。縄に締め上げられ、気を失ったままの姿。しかし、その眉間には微かな皺が寄る。
アルドはその様子を横目に見ながら、内心で呟く。
(やっぱり……マイネさんも、違和感を感じてるんだな)
(コイツ……ただの分身体じゃない。何か、もっと深いものを孕んでる気がする……)
だが今は考えても仕方がない。アルドは周囲に視線を移し、仲間たちへ声をかけた。
「で、今は誰が誰の相手してる感じなの?」
問いに、ベルザリオンが即座に答える。
「蒼龍という女は、ブリジット殿とリュナ殿が相手をしているはずです。」
「……ってことは、本体の相手はヴァレンが一人でしてるって事か」
アルドは顎に手を当て、少しの間だけ考え込む。やがて、決意を込めた声音で言った。
「よし、とりあえずヴァレンの方を手伝いに行こうか」
意外そうにマイネが目を細める。
「ほぅ……? お主なら『ブリジットと咆哮竜を助けに行こう!』と言うと思うておったがの」
アルドは小さく笑った。
「はは……」
その笑みはどこか照れくさそうで、けれど確信を帯びていた。
「ブリジットちゃんとリュナちゃんなら大丈夫だよ。もしあの蒼龍って子が、コイツと同じくらいの強さなら──本気を出せば、リュナちゃん一人でもどうとでもなるはずだ。封印スキルが厄介なのは間違いないけどね」
そこで言葉を区切り、アルドは黄龍から聞いた三龍仙の過去を思い返す。
師を信じ、裏切られ、それでも戦い続けた不憫な姉弟の物語。
彼の心には、そこで生まれた一つの確信があった。
「それに……ブリジットちゃんは、優しいから」
アルドの声は静かだった。
「敵だろうと、簡単に見捨てたりしない。ちゃんと相手を見て、向き合って、……道を探そうとする子だよ。力も、勇気もある。俺達が気付けないような解決を、きっと見せてくれるかもしれない」
その言葉に、マイネの瞳がわずかに揺れる。冷徹さの奥に、ほのかな驚きと感心が浮かんでいた。
「……ま。お主がそう言うのであれば、そうなのじゃろうな」
そう応じる声は、心なしか柔らかかった。
「ヴァレンの方も大丈夫だとは思うけど……」
アルドは石像となった鬼塚へ視線を落とし、低く呟く。
「鬼塚くん達の魂を取り戻すには、ヴァレンの協力が必要不可欠だし……万が一にも負けられると困っちゃうからね。まあ、無いとは思うけど。」
その言葉に、ベルザリオンが感銘を隠せぬ声音で頷いた。
「道三郎殿は、ヴァレン様を信頼されているのですね」
アルドは少し頬を掻き、視線を逸らす。
「信頼……っていうか、何だろ?」
照れ笑いを浮かべながら言葉を続ける。
「まあ、『ヴァレンなら何とかするだろ』っていう……謎の安心感はあるよね」
その口調は軽いが、響く言葉には確かな信念が宿っていた。
そして、彼はふいにマイネへと顔を向ける。
「それにさ──」
鋭さを帯びた瞳が、冗談めかした声色に相反する。
「ヴァレン……俺にも見せてない“奥の手”みたいなの、あるでしょ?」
マイネの肩がわずかに震えた。
「な……何の話じゃ……?」
声が一瞬だけ裏返る。
アルドは「あっ」と軽く声を上げ、すぐににこりと笑う。
「あ、そうか。勝手に他の魔王の秘密を話しちゃマズい、ってやつもあるよね。ごめんごめん」
気安げな態度に戻るその姿は、無邪気そのものだった。
だが──マイネの心臓はひどく早鐘を打っていた。
(こ……こやつ……見てもおらぬのに……! 我ら“大罪魔王”のみが扱える秘術の存在を……どうして察せるのじゃ!?)
その焦燥を悟らせまいと、彼女は口を固く結び、ただ静かにアルドを見返す。
アルドは気づかぬ風で両手をパンと打ち合わせ、明るく言った。
「ま、そんな訳で──ヴァレンに関しても、あんま心配はしてないよ。でも、とりあえず手伝いに行こうか」
その無邪気な提案に、マイネは誰にも聞かれぬ内心で深く息を吐く。
(確かに……ヴァレン・グランツは戦闘力で言えば“大罪魔王”の中でも上位の存在。おそらく、七柱の中でも上から二番目……なりふり構わぬ戦いを選べば、封印呪法を操る紅龍相手でも負けはすまい)
だが、思考の奥に黒い影が一つだけ残る。
(……ただし。ひとつだけ……たったひとつだけ、不安要素があるのじゃ)
マイネの瞳はかすかに揺れた。
(杞憂に終わればよいのじゃが……)
──────────────────
──高架道路"ハイエスト・ウェイ"。
夜風が唸り、崩れかけたガードレールが鳴る。地上の街灯が遠く霞み、二人の巨影を赤く照らし出していた。
「どうしたッ、ヴァレン・グランツ!!」
紅龍の咆哮が夜気を裂く。
鎖で繋がれた双刀 "緋蛟剪"が火花を撒き散らし、炎の尾を引いて唸りを上げる。
「貴様の力は──そんなものかァッ!!」
ヴァレンは無言で踏み込み、細身の魔剣 "最愛の花束"を鋭く振り抜いた。
ガキィン──!
刃と刃が噛み合い、紅の衝撃波が周囲の舗装を砕き、破片が宙に舞う。
「……お前が“封印呪法”でスキル封じなんて姑息な真似してなきゃ……」
ヴァレンの唇が歪む。
「もっとスマートに戦えたんだけどなッ!!」
次の瞬間、魔剣から奔流する魔力が爆ぜ、紅龍を強烈に弾き飛ばした。
「グゥッ……!……強力ッ!」
吹き飛びながらも、紅龍は獰猛な笑みを浮かべる。
爪先で舗装を削り止まり、獣のように舌で唇を湿らせた。
ヴァレンは剣を軽やかに翻し、鋭く突きつける。
「ククク……どうしたんだい、紅龍将軍。お前こそ……前に戦った時より腕が落ちたんじゃないか?」
挑発めいた笑み。
紅龍の目が燃える。
「舐めるなよ、ヴァレン・グランツ……ッ!」
彼の双刀が舞い始めた。まるで剣舞のように、流麗でありながら猛々しい動き。
鎖が唸りを上げ、紅き魔力が渦を巻く。
そして──双刀から迸った炎が形を変え、二匹の龍となって紅龍の周囲を舞い踊る。
夜空に描かれる炎の軌跡は、まるで天を焦がす幻獣そのものだった。
ヴァレンの眉間に深い皺が刻まれる。
「……そのスキル……まさか……」
低く呟いた瞬間──
空が煌めいた。
無数の星が、夜の闇に突然生まれたように現れる。
星々を繋ぐ光の線が奔り、天空に巨大な星座の陣を描いた。
「……ッ!」
ヴァレンの瞳が大きく見開かれる。
紅龍の背後──ひときわ強く輝いた星の中から、剣を振りかざす影が飛び出した。
「紅龍────ッッッ!!!!」
怒号。
現れたのは、"破邪勇者" 佐川颯太だった。
憎悪に燃える瞳が紅龍を射抜き、右腕の破邪七星剣が煌めきを裂く。
ガギィン──!
紅龍は振り返りもせず、片方の双刀でその剣を受け止める。火花が夜空を乱舞させた。
「──勇者クン!?」
ヴァレンが驚愕の声を上げる。
次の瞬間、彼の視線は佐川の左腕に釘付けになった。
佐川の胸に抱かれていたのは──緋色の石像。
その顔は、安らかに眠るように瞼を閉じた少女の姿を形作っていた。
「……ッ!」
ヴァレンの顔が険しく歪む。怒りと驚愕、そして抑えきれぬ痛みが混じり合った表情。
(あれは──聖女ちゃん……!!)
佐川は紅龍とヴァレンから距離を取り、瞬間移動で舗装の中央へと立った。
右手に七星剣、左腕に唯の石像。
その姿は、絶望の中で立ち上がった戦士そのものだった。
「何故……」
声が震える。
「何故……皆を……唯を……こんな姿にしやがったッッ!!!」
憎悪に満ちた叫びが夜を揺らす。
紅龍は舌なめずりをして、にやりと笑った。
「儂の闘争の邪魔をするとは……いい度胸だな、童よ」
その背を睨みつけながら、ヴァレンは奥歯を噛み締めた。
(紅龍……貴様……どこまで堕ちれば気が済むんだ……!)
剣を構える二人の男。
そして、炎の龍を従える紅龍。
──高架道路の上で、宿命が交わろうとしていた。
アルドはその巨躯を一瞥すると、マジックバッグに手を差し入れる。
中から引き出したのは、淡い光沢を帯びた一本のロープ。普通の縄ではない。
表面には魔力を拒む銀糸の模様が浮かび、手に取るだけで「絶対に切れない」という確信を抱かせる魔導具だった。
「……"竜泡"に閉じ込めてもいいんだけどね。」
小さく呟きながら、アルドは黄龍の手足を無造作に掴む。
「封印術で急に解除されるのは厄介だし……とりあえず物理的に縛っとくか。」
迷いは一切なかった。ぐるぐると、容赦なく、黄龍を縛り上げていく。
魔導具のロープは滑らかに動き、意志を持つかのように自動で締め上げ、最終的には分厚い結界のように彼を拘束した。
気を失った黄龍の顔は苦悶に歪んでいるが、それを気にかける様子もなく、アルドは手を払うようにして立ち上がる。
その足取りはためらいなく仲間たちへと向かっていった。
──石と化した鬼塚が、影山の腕の中で硬直している。
アルドは彼の前で膝を折り、石像の頬にそっと手を添えた。
冷たい感触が掌に伝わる。その重みが、胸を締め付けるように痛い。
「鬼塚くん……」
銀の少年の声は、驚くほど穏やかだった。
「もう少しだけ、待っててね」
緋石のまぶたは閉じられたまま、答えは返らない。
それでもアルドは諦めず、静かに言葉を重ねた。
「他のみんなと一緒に、必ず元に戻してあげるから」
その声音には、根拠のない自信ではなく──確固たる約束の響きがあった。
彼の背後で、気配を殺して見守っていた影山の肩が震える。
「……アルドさん……」
声は掠れ、涙が零れそうに光っていた。
影山はぎゅっと鬼塚を抱きしめ、嗚咽を堪えるように唇を噛むと、次の瞬間、深く腰を折った。
「お願いします……! どうか……!」
震える声で懇願しながら、頭を地面に近づけるほど深々と下げる。
彼の背は細く頼りないが、その祈りは真摯で痛々しいほどだった。
アルドは一瞬、驚いたように目を瞬かせた。
そして小さく苦笑すると、影山の肩に軽く手を置き、静かに頷いた。
「大丈夫だよ。任せておいて!」
その短い言葉が、影山にとっては何よりの救いだった。
押し殺していた涙が頬を伝い、ぽとりと石の床に落ちる。
黄龍を縛り上げたアルドが立ち上がると、すぐさま周囲から声が飛んだ。
「お見事でした、道三郎殿!」
胸に手を当て、深々と一礼しながら、ベルザリオンが破顔する。
「やはり! 道三郎殿こそ至高なる御方……!実に華麗なる勝利……! 嗚呼、我が心まで震えております!」
「ほんっと! 流石はギャタシが見込んだ男子よぉ!」
ジュラ姉は短い手をパチパチと合わせ、黄金の目を輝かせる。
二人の賛辞に、アルドは肩を竦めた。
「2人とも大袈裟だなぁ……そんな、大したことじゃないって。」
頬をかきながら言葉を濁す。
そのとき、ふっと別の声が割り込んだ。
「──派手にブチ切れておったのぉ。道三郎」
マイネだった。
口元にわずかな笑みを浮かべ、その瞳は鋭い光を帯びている。
彼女の眼差しは、先ほどの暴走めいた激昂ぶりを見逃してはいなかった。
「うっ……」
アルドは途端に視線を逸らし、背を小さく丸める。
「お、お見苦しいところをお見せしました……」
その様子に、マイネは小さく息を吐いた。呆れと感心が入り混じった声音で言葉を紡ぐ。
「……あれだけの力を持ちながら、その腰の低さ。まったく、不思議な男じゃな、お主は」
そして、彼女はゆるやかに歩み寄ると、軽く頭を垂れた。
「お主のおかげで助かった。礼を言う」
「──っ」
予想外の礼に、アルドは目を見開いた。
すぐに首を振り、マイネに向かって静かに答える。
「お礼を言われるのはまだ早いよ、マイネさん」
彼はそっと鬼塚の石像に手を伸ばし、その頭を撫でる。
「そういうのは……この街も、鬼塚くん達の魂も、全部取り戻してからにしよう」
石像は冷たいまま、沈黙を続ける。だが、その仕草に込められた優しさは確かに伝わった。
ベルザリオンもジュラ姉も、浮かれていた表情を引き締め、真剣な眼差しでアルドに頷く。
影山も涙に濡れた瞳を拭いながら、強く頷いた。
マイネはしばし無言でその光景を眺め、やがて細く息をついた。
「──ああ、そうじゃな」
その声には、先ほどまでの皮肉めいた響きはなかった。
残されたものを必ず取り戻そうという、静かな誓いがそこに宿っていた。
◇◆◇
黄龍をロープでぐるぐる巻きにし終えたアルドは、深く息を吐いた。結び目をもう一度確認してから立ち上がり、マイネへと視線を向ける。
「確か、あと二人いたよね」
落ち着いた口調で問いかけるが、その瞳には油断の色はない。
「コイツと同じようなのが……真ん中の赤いヤツが紅龍っていう本体で、こっちの黄龍と、青い女の子──蒼龍だっけ? 二人は分身体……って事でいいんだよね?」
マイネは静かに頷いた。
「……ああ。そのはずじゃが」
言葉の後、彼女は思わず目の前の黄龍へ視線を落とした。縄に締め上げられ、気を失ったままの姿。しかし、その眉間には微かな皺が寄る。
アルドはその様子を横目に見ながら、内心で呟く。
(やっぱり……マイネさんも、違和感を感じてるんだな)
(コイツ……ただの分身体じゃない。何か、もっと深いものを孕んでる気がする……)
だが今は考えても仕方がない。アルドは周囲に視線を移し、仲間たちへ声をかけた。
「で、今は誰が誰の相手してる感じなの?」
問いに、ベルザリオンが即座に答える。
「蒼龍という女は、ブリジット殿とリュナ殿が相手をしているはずです。」
「……ってことは、本体の相手はヴァレンが一人でしてるって事か」
アルドは顎に手を当て、少しの間だけ考え込む。やがて、決意を込めた声音で言った。
「よし、とりあえずヴァレンの方を手伝いに行こうか」
意外そうにマイネが目を細める。
「ほぅ……? お主なら『ブリジットと咆哮竜を助けに行こう!』と言うと思うておったがの」
アルドは小さく笑った。
「はは……」
その笑みはどこか照れくさそうで、けれど確信を帯びていた。
「ブリジットちゃんとリュナちゃんなら大丈夫だよ。もしあの蒼龍って子が、コイツと同じくらいの強さなら──本気を出せば、リュナちゃん一人でもどうとでもなるはずだ。封印スキルが厄介なのは間違いないけどね」
そこで言葉を区切り、アルドは黄龍から聞いた三龍仙の過去を思い返す。
師を信じ、裏切られ、それでも戦い続けた不憫な姉弟の物語。
彼の心には、そこで生まれた一つの確信があった。
「それに……ブリジットちゃんは、優しいから」
アルドの声は静かだった。
「敵だろうと、簡単に見捨てたりしない。ちゃんと相手を見て、向き合って、……道を探そうとする子だよ。力も、勇気もある。俺達が気付けないような解決を、きっと見せてくれるかもしれない」
その言葉に、マイネの瞳がわずかに揺れる。冷徹さの奥に、ほのかな驚きと感心が浮かんでいた。
「……ま。お主がそう言うのであれば、そうなのじゃろうな」
そう応じる声は、心なしか柔らかかった。
「ヴァレンの方も大丈夫だとは思うけど……」
アルドは石像となった鬼塚へ視線を落とし、低く呟く。
「鬼塚くん達の魂を取り戻すには、ヴァレンの協力が必要不可欠だし……万が一にも負けられると困っちゃうからね。まあ、無いとは思うけど。」
その言葉に、ベルザリオンが感銘を隠せぬ声音で頷いた。
「道三郎殿は、ヴァレン様を信頼されているのですね」
アルドは少し頬を掻き、視線を逸らす。
「信頼……っていうか、何だろ?」
照れ笑いを浮かべながら言葉を続ける。
「まあ、『ヴァレンなら何とかするだろ』っていう……謎の安心感はあるよね」
その口調は軽いが、響く言葉には確かな信念が宿っていた。
そして、彼はふいにマイネへと顔を向ける。
「それにさ──」
鋭さを帯びた瞳が、冗談めかした声色に相反する。
「ヴァレン……俺にも見せてない“奥の手”みたいなの、あるでしょ?」
マイネの肩がわずかに震えた。
「な……何の話じゃ……?」
声が一瞬だけ裏返る。
アルドは「あっ」と軽く声を上げ、すぐににこりと笑う。
「あ、そうか。勝手に他の魔王の秘密を話しちゃマズい、ってやつもあるよね。ごめんごめん」
気安げな態度に戻るその姿は、無邪気そのものだった。
だが──マイネの心臓はひどく早鐘を打っていた。
(こ……こやつ……見てもおらぬのに……! 我ら“大罪魔王”のみが扱える秘術の存在を……どうして察せるのじゃ!?)
その焦燥を悟らせまいと、彼女は口を固く結び、ただ静かにアルドを見返す。
アルドは気づかぬ風で両手をパンと打ち合わせ、明るく言った。
「ま、そんな訳で──ヴァレンに関しても、あんま心配はしてないよ。でも、とりあえず手伝いに行こうか」
その無邪気な提案に、マイネは誰にも聞かれぬ内心で深く息を吐く。
(確かに……ヴァレン・グランツは戦闘力で言えば“大罪魔王”の中でも上位の存在。おそらく、七柱の中でも上から二番目……なりふり構わぬ戦いを選べば、封印呪法を操る紅龍相手でも負けはすまい)
だが、思考の奥に黒い影が一つだけ残る。
(……ただし。ひとつだけ……たったひとつだけ、不安要素があるのじゃ)
マイネの瞳はかすかに揺れた。
(杞憂に終わればよいのじゃが……)
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──高架道路"ハイエスト・ウェイ"。
夜風が唸り、崩れかけたガードレールが鳴る。地上の街灯が遠く霞み、二人の巨影を赤く照らし出していた。
「どうしたッ、ヴァレン・グランツ!!」
紅龍の咆哮が夜気を裂く。
鎖で繋がれた双刀 "緋蛟剪"が火花を撒き散らし、炎の尾を引いて唸りを上げる。
「貴様の力は──そんなものかァッ!!」
ヴァレンは無言で踏み込み、細身の魔剣 "最愛の花束"を鋭く振り抜いた。
ガキィン──!
刃と刃が噛み合い、紅の衝撃波が周囲の舗装を砕き、破片が宙に舞う。
「……お前が“封印呪法”でスキル封じなんて姑息な真似してなきゃ……」
ヴァレンの唇が歪む。
「もっとスマートに戦えたんだけどなッ!!」
次の瞬間、魔剣から奔流する魔力が爆ぜ、紅龍を強烈に弾き飛ばした。
「グゥッ……!……強力ッ!」
吹き飛びながらも、紅龍は獰猛な笑みを浮かべる。
爪先で舗装を削り止まり、獣のように舌で唇を湿らせた。
ヴァレンは剣を軽やかに翻し、鋭く突きつける。
「ククク……どうしたんだい、紅龍将軍。お前こそ……前に戦った時より腕が落ちたんじゃないか?」
挑発めいた笑み。
紅龍の目が燃える。
「舐めるなよ、ヴァレン・グランツ……ッ!」
彼の双刀が舞い始めた。まるで剣舞のように、流麗でありながら猛々しい動き。
鎖が唸りを上げ、紅き魔力が渦を巻く。
そして──双刀から迸った炎が形を変え、二匹の龍となって紅龍の周囲を舞い踊る。
夜空に描かれる炎の軌跡は、まるで天を焦がす幻獣そのものだった。
ヴァレンの眉間に深い皺が刻まれる。
「……そのスキル……まさか……」
低く呟いた瞬間──
空が煌めいた。
無数の星が、夜の闇に突然生まれたように現れる。
星々を繋ぐ光の線が奔り、天空に巨大な星座の陣を描いた。
「……ッ!」
ヴァレンの瞳が大きく見開かれる。
紅龍の背後──ひときわ強く輝いた星の中から、剣を振りかざす影が飛び出した。
「紅龍────ッッッ!!!!」
怒号。
現れたのは、"破邪勇者" 佐川颯太だった。
憎悪に燃える瞳が紅龍を射抜き、右腕の破邪七星剣が煌めきを裂く。
ガギィン──!
紅龍は振り返りもせず、片方の双刀でその剣を受け止める。火花が夜空を乱舞させた。
「──勇者クン!?」
ヴァレンが驚愕の声を上げる。
次の瞬間、彼の視線は佐川の左腕に釘付けになった。
佐川の胸に抱かれていたのは──緋色の石像。
その顔は、安らかに眠るように瞼を閉じた少女の姿を形作っていた。
「……ッ!」
ヴァレンの顔が険しく歪む。怒りと驚愕、そして抑えきれぬ痛みが混じり合った表情。
(あれは──聖女ちゃん……!!)
佐川は紅龍とヴァレンから距離を取り、瞬間移動で舗装の中央へと立った。
右手に七星剣、左腕に唯の石像。
その姿は、絶望の中で立ち上がった戦士そのものだった。
「何故……」
声が震える。
「何故……皆を……唯を……こんな姿にしやがったッッ!!!」
憎悪に満ちた叫びが夜を揺らす。
紅龍は舌なめずりをして、にやりと笑った。
「儂の闘争の邪魔をするとは……いい度胸だな、童よ」
その背を睨みつけながら、ヴァレンは奥歯を噛み締めた。
(紅龍……貴様……どこまで堕ちれば気が済むんだ……!)
剣を構える二人の男。
そして、炎の龍を従える紅龍。
──高架道路の上で、宿命が交わろうとしていた。
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パワハラで会社を辞めた俺、スキル【万能造船】で自由な船旅に出る~現代知識とチート船で水上交易してたら、いつの間にか国家予算レベルの大金を稼い
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過労とパワハラで心身ともに限界だった俺、佐伯湊(さえきみなと)は、ある日異世界に転移してしまった。神様から与えられたのは【万能造船】というユニークスキル。それは、設計図さえあれば、どんな船でも素材を消費して作り出せるという能力だった。
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スキルで船をどんどん豪華客船並みに拡張し、快適な船上生活を送りながら、行く先々の港町で特産品を仕入れては別の町で売る。そんな気ままな水上交易を続けているうちに、俺の資産はいつの間にか小国の国家予算を軽く超えていた。
これは、社畜だった俺が、チートな船でのんびりスローライフを送りながら、世界一の商人になるまでの物語。
白いもふもふ好きの僕が転生したらフェンリルになっていた!!
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ブラック企業で消耗する社畜・白瀬陸空(しらせりくう)の唯一の癒し。それは「白いもふもふ」だった。 ある日、白い子犬を助けて命を落とした彼は、異世界で目を覚ます。
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「どうせ転生するなら、テイマーになって、もふもふパラダイスを作りたかった!」 「なんで俺自身がもふもふの神獣になってるんだよ!」
理想と真逆の姿に絶望する陸空。 だが、彼には規格外の魔力と、前世の異常なまでの「もふもふへの執着」が変化した、とある謎のスキルが備わっていた。
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元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
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アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
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「目的?チートスキル?…なんだっけ。」
主人公は、転生の儀に見事に失敗し、爆散した。
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