184 / 249
第五章 魔導帝国ベルゼリア編
第182話 銀色の癒し、銀色の怒り
しおりを挟む
崩れたビルの上階。
ガラスが砕け散った窓から、夜風が冷たく吹き抜ける。
その中で、佐川颯太は息を殺し、瓦礫に囲まれた空間で膝をついていた。
腕の中に抱えているのは──緋色の石像。
天野唯の、固まった姿だった。
その顔を見つめながら、颯太は喉の奥で何かがつっかえたように声を失っていた。
指先で頬に触れる。
冷たい。硬い。
けれど──それでも、彼はその身体を抱きしめて離せなかった。
「……唯……」
呼びかけても、返事はない。
ビルの外では、轟音と光が交錯している。
遠くの夜空に、銀白の巨竜の姿が一瞬だけ映り、闇を裂いた。
颯太の目にはそれが、夢の中の光景のように映った。
次の瞬間だった。
──ズバーンッ!!
眩い閃光が、遠くから一直線に飛来した。
反射的に目を細めた颯太の腕の中、唯の石像が淡く光を放つ。
光はゆっくりと彼女の胸元に吸い込まれ──やがて全身へと広がった。
「……え?」
頬をかすめた冷たさが、ほんのりと温かく変わっていく。
石の肌が、生きた人間の柔らかさへと戻っていく。
そして──
唯の睫毛が、微かに震えた。
「……あれ? ……あたし……」
細く息を吐き、唯はゆっくりと目を開けた。
ぼんやりとした視界の中で、最初に見えたのは──
涙で滲んだ佐川颯太の顔だった。
「……颯太くん……?」
その一言で、颯太の張り詰めていた心が音を立てて崩れた。
「ああ……唯……ッ!」
彼は何の迷いもなく、彼女を強く抱きしめた。
震える腕、止まらない涙。
押し寄せる感情を抑えきれず、嗚咽混じりに言葉が漏れる。
「よかった……本当に……よかった……!」
唯はその胸の中で瞬きを繰り返し、頬を寄せる。
その表情はまだ状況を理解しきれていないようだったが、
颯太の温もりだけは、確かに感じ取っていた。
──ふわり。
彼らの周囲に、銀色の粒子が舞い降りていた。
静かに、柔らかく、夜の闇を照らすように。
瓦礫に反射してきらめく光は、まるで天から降る星屑のようだった。
唯はその光を見上げながら、かすかに微笑んだ。
「……綺麗……」
颯太は涙を拭い、彼女の髪を撫でる。
「ああ。……あの人達が……やってくれたんだ」
遠く、夜空を覆う銀の光。
その光が、街を包み込み、傷を癒やし、人々を還していく。
二人は、静かにその光景を見つめた。
もう二度と離れないように──互いの手を、強く握りしめながら。
────────────────────
──耳を打つのは、風の音だけだった。
アグリッパ・スパイラル十階。
高層ビルの上空に浮かぶ空中庭園は、紅龍との戦いの余波で無惨に荒れていた。
折れた樹木、割れたガラス、散乱した魔導灯の残骸。
だがその廃墟の中で、ひとりの「石像」が静かに光を帯び始める。
それは、緋色に染まった一条雷人だった。
時間が止まっていたかのようなその身体に、金色の光球がシュンと飛び込んでいく。
まるで夜空から降る星のように、優しく──けれど確かな力で、石を溶かしていく。
パキ……パキ……。
髪の先から、音を立てて石が剥がれ落ちる。
次の瞬間、雷人の指がぴくりと動いた。
「……っ、は……」
喉に息が戻る。
膝をついたまま、雷人は大きく息を吸い込んだ。
硬直していた身体が熱を取り戻し、色が戻っていく。
彼は、自分の手のひらをゆっくりと見つめた。
血が通っている。温かい。
その感覚を確かめるように、握りしめる。
「……元に……戻った……?」
小さく呟いた声は、夜風に溶けていった。
雷人は立ち上がり、周囲を見渡す。
風が吹き抜け、空中庭園の瓦礫の上に銀の光が散る。
見上げた夜空では、白銀の粒子がゆっくりと、夜空を覆うように漂っていた
圧倒的な存在。
けれど、不思議と恐怖はなかった。
そこにあったのは、畏敬と──静かな感謝。
「そうか……彼が……」
雷人は目を細め、胸の前で手を組むようにして、深く頭を下げた。
誰に見られることもない、ただ一人の礼。
科学と魔法の理を超えた“奇跡”を、確かに感じていた。
「……ありがとうございました」
その一言を夜に託し、雷人は再び顔を上げる。
視線の先には、ビル群の間を漂う銀の残光。
街のあちこちで、銀の粒子が建物の倒壊を防いでいるのが見えた。
「……皆も、元の姿に戻っているかもしれないな」
独り言のように呟き、雷人は片手で帽子のつばを押し上げる。
疲労を隠すように軽く息を吐き、破れた軍服の裾を翻すと──
静かな決意を瞳に宿して、アグリッパ・スパイラルの内部へと駆け出した。
その背中に、夜風が吹き抜ける。
残滓となった銀の粒子が、彼の髪をかすめ、流星のように尾を引いて消えていった。
────────────────────
──重い音を立てて、石が崩れ落ちた。
割れたガラスの破片と瓦礫の散らばる中庭。
かつて黄龍との死闘が繰り広げられたその場所に、ひとつの“石像”があった。
銀の粒子が、夜空から静かに降り注いでいる。
それはまるで、荒れ果てた戦場に舞い降りる雪のように優しく、冷たく──そして、確かに命を運んでいた。
緋色に固まっていた鬼塚玲司の胸に、紫色の光球が飛び込む。
石の表面に細かなひびが走り、そこから温もりが漏れ出すように、色が戻り始めた。
パキ……パキ……ッ。
硬質な音が連鎖し、腕、胸、脚――そして瞳がゆっくりと動き出す。
鬼塚の視界に、夜の光景が戻ってきた。
「……ぅ……あ……?」
掠れた声を漏らしながら、鬼塚は上体を起こした。
息を吸うと、肺が痛い。
でも、その痛みが──生きている証だった。
「……生きてんな。……俺。」
ぼそりと呟く。
その声には驚きも興奮もなかった。ただ、疲労と実感だけが滲んでいた。
肩をぐるぐる回して、ぎしぎしと鳴る関節を確かめる。
全身が鉛のように重い。だが、意識ははっきりしていた。
鬼塚はフーッと長く息を吐き、崩れた床にゴロンと仰向けに転がった。
夜風が頬を撫で、空から銀色の光の粒が降り注ぐ。
──見上げた空には、星よりも眩い銀の粒子が、ゆっくりと漂っていた。
「……すげぇな。」
口元に小さな笑みを浮かべ、ぼんやりと呟く。
あの戦い。あの光。あの“少年”の姿。
「……いるんだな。ほんとに。……本物のヒーローってやつがよ。」
その言葉には、僅かな照れと羨望が混じっていた。
鬼塚は両手を枕代わりに頭の下へ組み、静かに目を細める。
舞い降りる銀の粒子が、まるで星空のように広がっていく。
ふと、三人で並んで見上げた夜の団地の公園を思い出した。
あの時も、天野が言っていた──
“ねぇ玲司くん、星って、地球の外からも見えるのかな”って。
その記憶に、口元が緩む。
「……綺麗だな。星空みてぇだ……」
鬼塚はそのまま、まぶたを閉じた。
痛みも、疲れも、すべて銀の光が包み込むように溶かしていく。
戦いの夜が、ようやく静けさを取り戻していった
────────────────────
──崩れかけた壁の前。
夜の静寂の中に、かすかな呻き声が混じった。
紅龍は、ビルの壁にもたれかかるように座っていた。
焼け焦げた肌はひび割れ、指先には自分の血がこびりついている。
体の芯から抜け落ちるような倦怠感。
それでも、その瞳だけは――まだ死んでいなかった。
ゆっくりと顔を上げた瞬間、目の前に立つ白銀の少年の姿を見て、思わず息を呑む。
真祖竜・アルドラクス。
人の姿へと戻ってなお、あの竜の面影を宿した光を纏っていた。
紅龍の背筋に、反射的な恐怖が走る。
だが次の瞬間には、力の抜けた瞳でかすれ声を漏らした。
「……終わりだ。殺せ。」
その言葉には、もはや戦意も誇りもなかった。
ただ、敗者としての“けじめ”だけが残っていた。
後方に立つ仲間たちは、沈痛な面持ちで見つめている。
ブリジットは唇を噛み、リュナは腕を組んだまま無言。
ヴァレンは眉をひそめ、呆れたようにため息をつく。
「お前な……もうちょい、反省ってもんを覚えろよ。」
マイネは一歩前へ出て、冷ややかな声で吐き捨てた。
「貴様……他に言うことは無いのか?」
紅龍はゆっくりと顔を上げた。
その瞳の奥に宿るのは、もはや理性ではなく──狂気。
「儂は……敗北した。」
乾いた唇が開き、呟きが漏れる。
「そこの小僧の力の前にな。……だが、それでいい。」
紅龍は嗤う。
血を吐きながら、声を震わせ、狂気を振りまくように。
「弱者は強者の食い物になるのが、必然……ッ!!」
「生あるもの、皆そうだ!! 食らい、奪い、生き残る者こそが正義!! それが、理!!」
アルドはその言葉を黙って聞いていた。
眉をわずかに下げ、何かを考えているような顔。
「……いや、あのさ――」
アルドが静かに口を開く。
紅龍の熱に対して、まるで氷のような声色だった。
だが、その言葉を最後まで言わせまいと、紅龍が吠える。
「どうした!? 何故殺さない!? 貴様には……足りぬのだ!!」
紅龍の叫びが、瓦礫の街に反響する。
その顔は汗と血でぐちゃぐちゃになり、目だけが爛々と光っていた。
「強者としての自覚がなッ!!」
「弱者を喰らい、踏み躙り、勝ち残る覚悟が足りぬのだッ!!」
「その甘さが……その迷いが……いつか、貴様の命を奪うぞッ!!!」
紅龍は唾を飛ばしながら、喉が裂けるほどに叫んだ。
彼の叫びには怒りではなく──恐れがあった。
“弱さを受け入れる”という考え方を理解できない、恐怖の叫びだった。
アルドはその場に立ったまま、静かに息を吐く。
夜風が彼の銀髪を揺らし、淡い粒子がその頬を撫でる。
紅龍の狂気じみた叫びが止むころ、
その正面に立つアルドは──笑みを浮かべていた。
だが、その笑みは決して穏やかではなかった。
頬の筋肉がピクピクと痙攣し、こめかみにはビキビキと青筋が走っていく。
笑っているのに、空気がひどく冷たい。
夜風すら息を潜め、周囲の誰もが無意識に距離を取った。
「……あ……あれ?」
最初に異変に気づいたのはヴァレンだった。
彼の目がギョッと見開かれ、額から一筋の汗が伝う。
(やべぇ……この顔は……ガチで怒ってるやつ……)
ヴァレンはそろりとブリジットとリュナの肩を叩き、引きつった笑顔を浮かべる。
「ぶ、ブリジットさん? リュナ? ちょ、ちょっとさぁ……あっちの方、行ってよっか?」
ブリジットとリュナが怪訝な顔で首を傾げる。
「えっと……ヴァレンさん?」
「へ? 何すかヴァレン、急に……」
「いいからいいから!! あっち! ほら! あっち行こ!!」
有無を言わさず、二人の背を押しながら遠ざけていく。
フレキも事情が分からないまま、尻尾を揺らしながらトコトコとついていった。
残されたマイネたちも、アルドの雰囲気に気づき、息を呑む。
ベルザリオンが「こ……これは……」と汗をかいて目を細め、ジュラ姉がそっと距離を取る。
影山に至っては、既にさりげなく物陰に隠れていた。
そんな中、アルドは静かに口を開く。
「マイネさーん。」
その声には感情がなく、無機質な響きがあった。
「ちょっとだけ建物壊しちゃうかもだけど、いい? 後で直すからー。」
マイネは青ざめた顔で一歩引きながら、引きつった笑みを浮かべる。
「あ、ああ……す、好きにしてくれて良いぞ……」
紅龍はその異様な空気を理解できず、まだ吠えていた。
「さあ! 殺せ!! どうした!? 早く儂を殺してみろ!! ははははははは!!!」
──次の瞬間。
アルドは、静かに右足を上げた。
紅龍の笑いが途中で途切れる。
「ははは……は?」
何が起こるのか理解できないまま、彼はその動作を凝視した。
ドガァァァンッ!!
アルドの足が、紅龍の顔スレスレを通過し、背後のビルの壁を粉砕した。
コンクリートが音を立てて弾け飛び、壁面に蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
紅龍の頬に、一筋の浅い切り傷が走った。
血の雫が頬を伝い、床にポタリと落ちる。
紅龍は、引き攣った顔でゆっくりと目を動かした。
すぐ隣には、まだ壁にめり込んだアルドの足。
空気が震えるほどの威圧感。
「……」
アルドは無言のまま、ゆっくりと足を引き抜いた。
壁の破片がパラパラと音を立てて崩れ落ちる。
そのまま無表情のまま、紅龍の目前に立ち再び脚を振り下ろす。
ダァァァーーンッ!!
今度は、紅龍の脚と脚の間。
アスファルトが爆ぜ、亀裂が地面を走り抜ける。
紅龍は条件反射で体をすくませ、だくだくと汗を流す。
アルドはゆっくりと息を吐き、低い声で呟いた。
「──俺さ。」
顔面に青筋を浮かべながら、静かに続ける。
「前々から思ってたことがあるんだよね。」
紅龍は息を飲み、動けない。
「アンタみたいな“武人系”のキャラがさぁ……負けた時に、『殺せ!!』とか、『貴様は武人としての誇りまで奪うつもりか!?』とか……トドメ刺さない主人公に文句言ったりするじゃん?」
低い声が、夜気を震わせた。
紅龍の喉がごくりと鳴る。
アルドは、更にジリジリと紅龍に近づく。
「そういうシーン見るたび、思うんだよね。」
アルドは、紅龍の目前で立ち止まった。
その双眸は、怒りと冷静の境界で燃えていた。
「『何、負けた方が偉そうに命令してくれてんの?』ってね。」
紅龍の背中を冷や汗が伝う。
アルドは静かに、しかし確実に圧を高めながら、最後の一言を吐き捨てた。
「なあ……アンタも、そう思わない……?」
その声は、囁きに近い。
しかし、地鳴りのように響いた。
紅龍の口がパクパクと動く。
理屈も誇りも吹き飛び、ただ本能だけが答えを導き出す。
「は……はい……そ……そう、思います……」
思わず、敬語だった。
その瞬間、静寂が戻った。
だがその場にいた全員──誰一人として、息をすることすらできなかった。
ガラスが砕け散った窓から、夜風が冷たく吹き抜ける。
その中で、佐川颯太は息を殺し、瓦礫に囲まれた空間で膝をついていた。
腕の中に抱えているのは──緋色の石像。
天野唯の、固まった姿だった。
その顔を見つめながら、颯太は喉の奥で何かがつっかえたように声を失っていた。
指先で頬に触れる。
冷たい。硬い。
けれど──それでも、彼はその身体を抱きしめて離せなかった。
「……唯……」
呼びかけても、返事はない。
ビルの外では、轟音と光が交錯している。
遠くの夜空に、銀白の巨竜の姿が一瞬だけ映り、闇を裂いた。
颯太の目にはそれが、夢の中の光景のように映った。
次の瞬間だった。
──ズバーンッ!!
眩い閃光が、遠くから一直線に飛来した。
反射的に目を細めた颯太の腕の中、唯の石像が淡く光を放つ。
光はゆっくりと彼女の胸元に吸い込まれ──やがて全身へと広がった。
「……え?」
頬をかすめた冷たさが、ほんのりと温かく変わっていく。
石の肌が、生きた人間の柔らかさへと戻っていく。
そして──
唯の睫毛が、微かに震えた。
「……あれ? ……あたし……」
細く息を吐き、唯はゆっくりと目を開けた。
ぼんやりとした視界の中で、最初に見えたのは──
涙で滲んだ佐川颯太の顔だった。
「……颯太くん……?」
その一言で、颯太の張り詰めていた心が音を立てて崩れた。
「ああ……唯……ッ!」
彼は何の迷いもなく、彼女を強く抱きしめた。
震える腕、止まらない涙。
押し寄せる感情を抑えきれず、嗚咽混じりに言葉が漏れる。
「よかった……本当に……よかった……!」
唯はその胸の中で瞬きを繰り返し、頬を寄せる。
その表情はまだ状況を理解しきれていないようだったが、
颯太の温もりだけは、確かに感じ取っていた。
──ふわり。
彼らの周囲に、銀色の粒子が舞い降りていた。
静かに、柔らかく、夜の闇を照らすように。
瓦礫に反射してきらめく光は、まるで天から降る星屑のようだった。
唯はその光を見上げながら、かすかに微笑んだ。
「……綺麗……」
颯太は涙を拭い、彼女の髪を撫でる。
「ああ。……あの人達が……やってくれたんだ」
遠く、夜空を覆う銀の光。
その光が、街を包み込み、傷を癒やし、人々を還していく。
二人は、静かにその光景を見つめた。
もう二度と離れないように──互いの手を、強く握りしめながら。
────────────────────
──耳を打つのは、風の音だけだった。
アグリッパ・スパイラル十階。
高層ビルの上空に浮かぶ空中庭園は、紅龍との戦いの余波で無惨に荒れていた。
折れた樹木、割れたガラス、散乱した魔導灯の残骸。
だがその廃墟の中で、ひとりの「石像」が静かに光を帯び始める。
それは、緋色に染まった一条雷人だった。
時間が止まっていたかのようなその身体に、金色の光球がシュンと飛び込んでいく。
まるで夜空から降る星のように、優しく──けれど確かな力で、石を溶かしていく。
パキ……パキ……。
髪の先から、音を立てて石が剥がれ落ちる。
次の瞬間、雷人の指がぴくりと動いた。
「……っ、は……」
喉に息が戻る。
膝をついたまま、雷人は大きく息を吸い込んだ。
硬直していた身体が熱を取り戻し、色が戻っていく。
彼は、自分の手のひらをゆっくりと見つめた。
血が通っている。温かい。
その感覚を確かめるように、握りしめる。
「……元に……戻った……?」
小さく呟いた声は、夜風に溶けていった。
雷人は立ち上がり、周囲を見渡す。
風が吹き抜け、空中庭園の瓦礫の上に銀の光が散る。
見上げた夜空では、白銀の粒子がゆっくりと、夜空を覆うように漂っていた
圧倒的な存在。
けれど、不思議と恐怖はなかった。
そこにあったのは、畏敬と──静かな感謝。
「そうか……彼が……」
雷人は目を細め、胸の前で手を組むようにして、深く頭を下げた。
誰に見られることもない、ただ一人の礼。
科学と魔法の理を超えた“奇跡”を、確かに感じていた。
「……ありがとうございました」
その一言を夜に託し、雷人は再び顔を上げる。
視線の先には、ビル群の間を漂う銀の残光。
街のあちこちで、銀の粒子が建物の倒壊を防いでいるのが見えた。
「……皆も、元の姿に戻っているかもしれないな」
独り言のように呟き、雷人は片手で帽子のつばを押し上げる。
疲労を隠すように軽く息を吐き、破れた軍服の裾を翻すと──
静かな決意を瞳に宿して、アグリッパ・スパイラルの内部へと駆け出した。
その背中に、夜風が吹き抜ける。
残滓となった銀の粒子が、彼の髪をかすめ、流星のように尾を引いて消えていった。
────────────────────
──重い音を立てて、石が崩れ落ちた。
割れたガラスの破片と瓦礫の散らばる中庭。
かつて黄龍との死闘が繰り広げられたその場所に、ひとつの“石像”があった。
銀の粒子が、夜空から静かに降り注いでいる。
それはまるで、荒れ果てた戦場に舞い降りる雪のように優しく、冷たく──そして、確かに命を運んでいた。
緋色に固まっていた鬼塚玲司の胸に、紫色の光球が飛び込む。
石の表面に細かなひびが走り、そこから温もりが漏れ出すように、色が戻り始めた。
パキ……パキ……ッ。
硬質な音が連鎖し、腕、胸、脚――そして瞳がゆっくりと動き出す。
鬼塚の視界に、夜の光景が戻ってきた。
「……ぅ……あ……?」
掠れた声を漏らしながら、鬼塚は上体を起こした。
息を吸うと、肺が痛い。
でも、その痛みが──生きている証だった。
「……生きてんな。……俺。」
ぼそりと呟く。
その声には驚きも興奮もなかった。ただ、疲労と実感だけが滲んでいた。
肩をぐるぐる回して、ぎしぎしと鳴る関節を確かめる。
全身が鉛のように重い。だが、意識ははっきりしていた。
鬼塚はフーッと長く息を吐き、崩れた床にゴロンと仰向けに転がった。
夜風が頬を撫で、空から銀色の光の粒が降り注ぐ。
──見上げた空には、星よりも眩い銀の粒子が、ゆっくりと漂っていた。
「……すげぇな。」
口元に小さな笑みを浮かべ、ぼんやりと呟く。
あの戦い。あの光。あの“少年”の姿。
「……いるんだな。ほんとに。……本物のヒーローってやつがよ。」
その言葉には、僅かな照れと羨望が混じっていた。
鬼塚は両手を枕代わりに頭の下へ組み、静かに目を細める。
舞い降りる銀の粒子が、まるで星空のように広がっていく。
ふと、三人で並んで見上げた夜の団地の公園を思い出した。
あの時も、天野が言っていた──
“ねぇ玲司くん、星って、地球の外からも見えるのかな”って。
その記憶に、口元が緩む。
「……綺麗だな。星空みてぇだ……」
鬼塚はそのまま、まぶたを閉じた。
痛みも、疲れも、すべて銀の光が包み込むように溶かしていく。
戦いの夜が、ようやく静けさを取り戻していった
────────────────────
──崩れかけた壁の前。
夜の静寂の中に、かすかな呻き声が混じった。
紅龍は、ビルの壁にもたれかかるように座っていた。
焼け焦げた肌はひび割れ、指先には自分の血がこびりついている。
体の芯から抜け落ちるような倦怠感。
それでも、その瞳だけは――まだ死んでいなかった。
ゆっくりと顔を上げた瞬間、目の前に立つ白銀の少年の姿を見て、思わず息を呑む。
真祖竜・アルドラクス。
人の姿へと戻ってなお、あの竜の面影を宿した光を纏っていた。
紅龍の背筋に、反射的な恐怖が走る。
だが次の瞬間には、力の抜けた瞳でかすれ声を漏らした。
「……終わりだ。殺せ。」
その言葉には、もはや戦意も誇りもなかった。
ただ、敗者としての“けじめ”だけが残っていた。
後方に立つ仲間たちは、沈痛な面持ちで見つめている。
ブリジットは唇を噛み、リュナは腕を組んだまま無言。
ヴァレンは眉をひそめ、呆れたようにため息をつく。
「お前な……もうちょい、反省ってもんを覚えろよ。」
マイネは一歩前へ出て、冷ややかな声で吐き捨てた。
「貴様……他に言うことは無いのか?」
紅龍はゆっくりと顔を上げた。
その瞳の奥に宿るのは、もはや理性ではなく──狂気。
「儂は……敗北した。」
乾いた唇が開き、呟きが漏れる。
「そこの小僧の力の前にな。……だが、それでいい。」
紅龍は嗤う。
血を吐きながら、声を震わせ、狂気を振りまくように。
「弱者は強者の食い物になるのが、必然……ッ!!」
「生あるもの、皆そうだ!! 食らい、奪い、生き残る者こそが正義!! それが、理!!」
アルドはその言葉を黙って聞いていた。
眉をわずかに下げ、何かを考えているような顔。
「……いや、あのさ――」
アルドが静かに口を開く。
紅龍の熱に対して、まるで氷のような声色だった。
だが、その言葉を最後まで言わせまいと、紅龍が吠える。
「どうした!? 何故殺さない!? 貴様には……足りぬのだ!!」
紅龍の叫びが、瓦礫の街に反響する。
その顔は汗と血でぐちゃぐちゃになり、目だけが爛々と光っていた。
「強者としての自覚がなッ!!」
「弱者を喰らい、踏み躙り、勝ち残る覚悟が足りぬのだッ!!」
「その甘さが……その迷いが……いつか、貴様の命を奪うぞッ!!!」
紅龍は唾を飛ばしながら、喉が裂けるほどに叫んだ。
彼の叫びには怒りではなく──恐れがあった。
“弱さを受け入れる”という考え方を理解できない、恐怖の叫びだった。
アルドはその場に立ったまま、静かに息を吐く。
夜風が彼の銀髪を揺らし、淡い粒子がその頬を撫でる。
紅龍の狂気じみた叫びが止むころ、
その正面に立つアルドは──笑みを浮かべていた。
だが、その笑みは決して穏やかではなかった。
頬の筋肉がピクピクと痙攣し、こめかみにはビキビキと青筋が走っていく。
笑っているのに、空気がひどく冷たい。
夜風すら息を潜め、周囲の誰もが無意識に距離を取った。
「……あ……あれ?」
最初に異変に気づいたのはヴァレンだった。
彼の目がギョッと見開かれ、額から一筋の汗が伝う。
(やべぇ……この顔は……ガチで怒ってるやつ……)
ヴァレンはそろりとブリジットとリュナの肩を叩き、引きつった笑顔を浮かべる。
「ぶ、ブリジットさん? リュナ? ちょ、ちょっとさぁ……あっちの方、行ってよっか?」
ブリジットとリュナが怪訝な顔で首を傾げる。
「えっと……ヴァレンさん?」
「へ? 何すかヴァレン、急に……」
「いいからいいから!! あっち! ほら! あっち行こ!!」
有無を言わさず、二人の背を押しながら遠ざけていく。
フレキも事情が分からないまま、尻尾を揺らしながらトコトコとついていった。
残されたマイネたちも、アルドの雰囲気に気づき、息を呑む。
ベルザリオンが「こ……これは……」と汗をかいて目を細め、ジュラ姉がそっと距離を取る。
影山に至っては、既にさりげなく物陰に隠れていた。
そんな中、アルドは静かに口を開く。
「マイネさーん。」
その声には感情がなく、無機質な響きがあった。
「ちょっとだけ建物壊しちゃうかもだけど、いい? 後で直すからー。」
マイネは青ざめた顔で一歩引きながら、引きつった笑みを浮かべる。
「あ、ああ……す、好きにしてくれて良いぞ……」
紅龍はその異様な空気を理解できず、まだ吠えていた。
「さあ! 殺せ!! どうした!? 早く儂を殺してみろ!! ははははははは!!!」
──次の瞬間。
アルドは、静かに右足を上げた。
紅龍の笑いが途中で途切れる。
「ははは……は?」
何が起こるのか理解できないまま、彼はその動作を凝視した。
ドガァァァンッ!!
アルドの足が、紅龍の顔スレスレを通過し、背後のビルの壁を粉砕した。
コンクリートが音を立てて弾け飛び、壁面に蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
紅龍の頬に、一筋の浅い切り傷が走った。
血の雫が頬を伝い、床にポタリと落ちる。
紅龍は、引き攣った顔でゆっくりと目を動かした。
すぐ隣には、まだ壁にめり込んだアルドの足。
空気が震えるほどの威圧感。
「……」
アルドは無言のまま、ゆっくりと足を引き抜いた。
壁の破片がパラパラと音を立てて崩れ落ちる。
そのまま無表情のまま、紅龍の目前に立ち再び脚を振り下ろす。
ダァァァーーンッ!!
今度は、紅龍の脚と脚の間。
アスファルトが爆ぜ、亀裂が地面を走り抜ける。
紅龍は条件反射で体をすくませ、だくだくと汗を流す。
アルドはゆっくりと息を吐き、低い声で呟いた。
「──俺さ。」
顔面に青筋を浮かべながら、静かに続ける。
「前々から思ってたことがあるんだよね。」
紅龍は息を飲み、動けない。
「アンタみたいな“武人系”のキャラがさぁ……負けた時に、『殺せ!!』とか、『貴様は武人としての誇りまで奪うつもりか!?』とか……トドメ刺さない主人公に文句言ったりするじゃん?」
低い声が、夜気を震わせた。
紅龍の喉がごくりと鳴る。
アルドは、更にジリジリと紅龍に近づく。
「そういうシーン見るたび、思うんだよね。」
アルドは、紅龍の目前で立ち止まった。
その双眸は、怒りと冷静の境界で燃えていた。
「『何、負けた方が偉そうに命令してくれてんの?』ってね。」
紅龍の背中を冷や汗が伝う。
アルドは静かに、しかし確実に圧を高めながら、最後の一言を吐き捨てた。
「なあ……アンタも、そう思わない……?」
その声は、囁きに近い。
しかし、地鳴りのように響いた。
紅龍の口がパクパクと動く。
理屈も誇りも吹き飛び、ただ本能だけが答えを導き出す。
「は……はい……そ……そう、思います……」
思わず、敬語だった。
その瞬間、静寂が戻った。
だがその場にいた全員──誰一人として、息をすることすらできなかった。
95
あなたにおすすめの小説
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
白いもふもふ好きの僕が転生したらフェンリルになっていた!!
ろき
ファンタジー
ブラック企業で消耗する社畜・白瀬陸空(しらせりくう)の唯一の癒し。それは「白いもふもふ」だった。 ある日、白い子犬を助けて命を落とした彼は、異世界で目を覚ます。
ふと水面を覗き込むと、そこに映っていたのは―― 伝説の神獣【フェンリル】になった自分自身!?
「どうせ転生するなら、テイマーになって、もふもふパラダイスを作りたかった!」 「なんで俺自身がもふもふの神獣になってるんだよ!」
理想と真逆の姿に絶望する陸空。 だが、彼には規格外の魔力と、前世の異常なまでの「もふもふへの執着」が変化した、とある謎のスキルが備わっていた。
これは、最強の神獣になってしまった男が、ただひたすらに「もふもふ」を愛でようとした結果、周囲の人間(とくにエルフ)に崇拝され、勘違いが勘違いを呼んで国を動かしてしまう、予測不能な異世界もふもふライフ!
田舎農家の俺、拾ったトカゲが『始祖竜』だった件〜女神がくれたスキル【絶対飼育】で育てたら、魔王がコスメ欲しさに竜王が胃薬借りに通い詰めだした
月神世一
ファンタジー
「くそっ、魔王はまたトカゲの抜け殻を美容液にしようとしてるし、女神は酒のつまみばかり要求してくる! 俺はただ静かに農業がしたいだけなのに!」
ブラック企業で過労死した日本人、カイト。
彼の願いはただ一つ、「誰にも邪魔されない静かな場所で農業をすること」。
女神ルチアナからチートスキル【絶対飼育】を貰い、異世界マンルシア大陸の辺境で念願の農場を開いたカイトだったが、ある日、庭から虹色の卵を発掘してしまう。
孵化したのは、可愛らしいトカゲ……ではなく、神話の時代に世界を滅亡させた『始祖竜』の幼体だった!
しかし、カイトはスキル【絶対飼育】のおかげで、その破壊神を「ポチ」と名付けたペットとして完璧に飼い慣らしてしまう。
ポチのくしゃみ一発で、敵の軍勢は老衰で塵に!?
ポチの抜け殻は、魔王が喉から手が出るほど欲しがる究極の美容成分に!?
世界を滅ぼすほどの力を持つポチと、その魔素を浴びて育った規格外の農作物を求め、理知的で美人の魔王、疲労困憊の竜王、いい加減な女神が次々にカイトの家に押しかけてくる!
「世界の管理者」すら手が出せない最強の農場主、カイト。
これは、世界の運命と、美味しい野菜と、ペットの散歩に追われる、史上最も騒がしいスローライフ物語である!
三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る
マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息
三歳で婚約破棄され
そのショックで前世の記憶が蘇る
前世でも貧乏だったのなんの問題なし
なによりも魔法の世界
ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
転生特典〈無限スキルポイント〉で無制限にスキルを取得して異世界無双!?
スピカ・メロディアス
ファンタジー
目が覚めたら展開にいた主人公・凸守優斗。
女神様に死後の案内をしてもらえるということで思春期男子高生夢のチートを貰って異世界転生!と思ったものの強すぎるチートはもらえない!?
ならば程々のチートをうまく使って夢にまで見た異世界ライフを楽しもうではないか!
これは、只人の少年が繰り広げる異世界物語である。
この度異世界に転生して貴族に生まれ変わりました
okiraku
ファンタジー
地球世界の日本の一般国民の息子に生まれた藤堂晴馬は、生まれつきのエスパーで透視能力者だった。彼は親から独立してアパートを借りて住みながら某有名国立大学にかよっていた。4年生の時、酔っ払いの無免許運転の車にはねられこの世を去り、異世界アールディアのバリアス王国貴族の子として転生した。幸せで平和な人生を今世で歩むかに見えたが、国内は王族派と貴族派、中立派に分かれそれに国王が王位継承者を定めぬまま重い病に倒れ王子たちによる王位継承争いが起こり国内は不安定な状態となった。そのため貴族間で領地争いが起こり転生した晴馬の家もまきこまれ領地を失うこととなるが、もともと転生者である晴馬は逞しく生き家族を支えて生き抜くのであった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる