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第六章 学園編 ──白銀の婚約者──
第240話 大賢者と破邪勇者
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ラグナは三人と別れ、ひとり静かにルセリア中央大学の構内を歩き出した。
昼下がりの風が、彼の金糸の髪を柔らかく撫でる。
太陽の光は王子の姿を照らし、まるで舞台照明のようにその存在を強調していた。
途端、通路脇にいた女学生達が「きゃっ……!」「ラグナ殿下だ……!」と声を震わせ、口元に手を当てて頬を染める。
男子学生達は一歩引き、ある者は尊敬の眼差しを、ある者は嫉妬と敵意を込めた視線を向け、またある者はただ畏れて目を逸らした。
ラグナはそれらすべてを、薄く微笑むだけで受け流す。
どれも彼にとっては、あまりに馴染み深い“反応”だった。
(僕は“主人公”なんだから、この程度の視線、当然だろう?)
表情は完璧な微笑を浮かべたまま。
しかし、その胸に宿るのは満足ではなく、むしろ乾いた確信だった。
(彼らは“キャラ”だ。僕の物語を彩るために存在する、背景……NPC……)
ラグナにとって、この世界の景色はどこまでも“ゲーム画面”の延長だった。
彼の歩く通路はフィールドマップであり、周囲で動く学生達はシナリオの演出に過ぎない。
彼がほほ笑むと、好感度が上がる。
睨めば、畏怖のパラメータが跳ね上がる。
それらはすべて、ラグナの中で「ゲームの仕様」として処理されていた。
(──確かに、セドリックは僕の昔からの“親友”だ。
リゼリアは、十五でスキルを授かったあの日から、ずっと僕に尽くしてくれる“可愛いメイド”だよ。)
そこまでは、まるで思い出を懐かしむかのような、柔らかな感情。
だが。
(でも、それも……『主人公ラグナにとって、そういう役割を与えられたキャラクター』だからだ。)
視線がふと遠くへ向いた。
芝生の広場を駆け回る学生達も、ベンチで楽しげに談笑する友人同士も、ラグナには薄い色彩の背景にしか見えない。
(この世界には、僕以外“人間”は存在しない。
僕以外は、すべて“キャラクター”だ。主人公の物語を構成するための、ピース……)
その確信は、ラグナを強くし、同時に孤独にし続けてきた。
足を運ぶたび、周囲はざわめき、黄色い声や歓声が舞い上がる。
だがそのすべてが"機能"として見えてしまうのだ。
人気というパラメータ。
恐怖というステータス異常。
嫉妬や羨望は対人関係のフラグ。
それらは彼を飾るエフェクトでしかない。
(──誰も、僕と真の意味で分かりあう事なんて、出来ないんだ。)
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ、ラグナの青い瞳の奥に寂しげな光が宿った。
歩みがほんの少しだけ止まる。
だがすぐに、また凛とした微笑みが表情を整えた。
寂しさは、ラグナ自身すら気付かぬほど手早く心の奥へ押し込められた。
(……やはり、僕の心を癒せるのは……ブリジット。キミしかいない。)
ブリジットを思い浮かべたその瞬間、胸に灯る感情は先ほどの弱さではなく、強烈な執念へと姿を変える。
アルド・ラクシズの顔が脳裏に浮かぶ。
美しい色彩を汚す黒点のように。
(あの憎きモブ野郎……いや、バグ野郎。
ヤツを倒し、排除し……消去して、僕はブリジットを取り戻す……!)
拳がじわりと握りしめられる。
指先に力が入り、白くなる。
周囲にいた学生達が、その気迫に当てられたように息を呑んだが、ラグナは気づきもしない。
その胸の奥で燃え上がる執念は、いつしか"恋慕"というより"執着"という名の炎に変わっていた。
だが、ラグナはまだ気付いていなかった。
自分が"ただのキャラクター"のはずのブリジットに、何故ここまで狂気染みた執念を抱いているのか──
その矛盾に目を向けることは、この時のラグナには、まだ出来なかった。
彼の歩みは、まるで運命へ向かうかのように、真っ直ぐに大学構内の奥へと続いていく。
◇◆◇
ラグナは構内を歩きながら、ふと先程のやり取り──特別異世界留学生たちの顔ぶれを思い返していた。
彼らの身体的特徴。
黒髪、茶髪、黒い瞳、やや控えめな佇まい。
そして、どこか"同じ文化圏"を共有する者特有の空気。
(……どう見ても、前世の僕と同じ"日本"の人間だ。)
名前も、顔立ちも、仕草も。
(間違いない。彼らは"このゲーム世界のキャラクター"ではない。僕と同じ……"外側"から来た存在だ。)
だからこそ──
(だからこそ、先程のアイツ……"鬼塚玲司"。
あの凄み、あれだけは……どうしても飲み込めなかったんだ……!)
脳裏に、鬼塚が鋭く睨みつけてきた瞬間の情景がフラッシュバックする。
それは、ただの威圧ではなかった。
"人間"の怒気だった。
スクリプト的な敵意ではなく、予定されたキャラの反応ではなく、あまりにも“現実”で、"生身"の視線。
胸のどこかが、わずかに震えた。
ラグナは眉根を寄せ、ブンッと首を振る。
(違う……!違う、違う……!
僕は……"あんなヤンキーごとき"にビビったりなんてしてない……!)
強く奥歯を噛みしめる。
(僕は“主人公”だ。この“世界”の……! 弱くて、一人ぼっちで、誰にも理解されなくて……自分の部屋に閉じこもるしかなかった“前世”とは違う……!)
一瞬、浮かびかけた前世の映像に、ラグナは胸の奥がざわつくのを感じた。
暗い部屋。
青白い光を放つモニター。
深夜に一人、黙々とゲームのレベル上げをする少年の背中。
だがそれらは、ラグナの意志によって即座に、まるで汚れを払うようにかき消された。
(僕は、ラグナ・ゼタ・エルディナス。
大賢者王子であり、この物語の主人公だ……!)
そう言い聞かせた瞬間──
前方から、特別異世界留学生の三人が歩いてくるのが視界に入った。
男女三人組。
名簿で顔と名前は確認してある。
(あ……佐川颯太、天野唯、そして……もう一人は……なんだっけ、ええと……地味な彼……)
──影山孝太郎である。
ラグナは少しだけ背筋を伸ばし、歩幅を整えた。
王族らしい威厳を保ちつつ、さりげなく距離を測る。
(……佐川颯太と天野唯。二人とも“神器使い”だったはずだ。それに──)
視線が自然と佐川へ向かう。
(──佐川颯太……“破邪勇者”。
『ラグヒス』シリーズ1~5の主人公と同じ、“勇者”か……)
その単語が胸の奥の何かを刺激する。
憧れに似ていて、嫉妬にも似ていて、
そしてどこか、自分の“役割”と重なる不思議な感覚。
(勇者……主人公……)
ラグナは思わず息をのみ、視線を落としそうになった。
すぐに持ち直して、わずかに顎を上げる。
(でも、“この世界の主人公”は……僕だ。)
三人が近づいてくる。
すれ違う、その一瞬。
天野唯と影山は、ラグナを見たとたんビクリと肩を震わせた。
明らかに怯えの色を浮かべている。
だが──
佐川だけは違った。
まっすぐな目。
真正面から人を見る目をしていた。
その視線が触れた瞬間、ラグナは内側からガツンと殴られたような衝撃を受けた。
(な……!?)
次の瞬間、佐川はぱっと笑った。
「あっ、ラグナ王子殿下。こんちは!」
軽く片手を上げる。
まるで、同じクラスの友達に声をかけるように。
天野と影山は「えっ!?」「え、ちょ……!」と目を丸くし、慌ててラグナにペコペコと会釈する。
ラグナは一瞬、完全に固まった。
(な……なんだ!?こ、コイツ……!?
ブリジット達の仲間のはずだろ……!?
この前の編入式で、僕とアルド・ラクシズのやり取りを見ていたはずだ……!?なのに……僕を恐れないのか……!?)
動揺しながらも、外面は保つ。
王族としての絶対的な作法が身体に染みついている。
「……あ、ああ。こんにちは。」
引きつった笑顔。
自分でも分かるほど、頬の筋肉が固い。
すると佐川は
「あ、やっぱ気軽に声かけすぎた?」
と笑いながら頭をかく。
「王子様相手にさ、つい同級生みたいなノリ出しちゃったかも。わりぃ!」
否定せざるを得なかった。
「い、いや! ルセリア中央大学の構内では、立場は関係ない。か、構わないよ。」
返した瞬間、佐川はぱっと笑った。
「ならよかった!」
その笑顔は、底の底まで“善性”でできているようだった。
人と壁を作らず、上下も作らず、素直に他人を受け入れるような光。
ラグナは、ほんの一瞬だけ胸がざわついた。
(……どうして……どうしてだ……?)
三人が通り過ぎる。
天野と影山はそそくさと距離をとっていく。
だが佐川だけが、最後にもう一度ラグナを見た。
その視線は──
『ラグナを“人間”として見ている目』だった。
ラグナの足が、ほんのわずか止まる。
(……なんなんだ、コイツ……
本当に……僕が怖くないのか……?)
胸の奥で、何かがかすかに揺れた。
◇◆◇
三人の特別留学生とすれ違い、ほんの数歩進んだ瞬間だった。
佐川颯太が「あ、そだ」と思い出したように立ち止まり、後ろを振り返って天野と影山へ声をかけた。
「悪ぃ! ちょっと二人で先に学生課行っててくれね?俺、すぐ追いつくから!」
「えっ!?」「で、でも……颯太くん……」
天野と影山は揃って困惑の声をあげ、視線をラグナへ向ける。
王子と二人きりになるという意味が、どれほどの緊張を伴うか。
二人は本能で察しているようだった。
だが佐川は、そんな二人の不安を軽く笑い飛ばすように、
「だーいじょぶだいじょぶ!な?
ちょっと用事思い出しただけだからさ!」
と明るく手を振った。
その軽さは、優しさの形でもある。
天野と影山は顔を見合わせ、ぎこちなく頷くと──
「し、失礼します……!」
「じゃ、じゃあ、颯太くん……あとで……!」
ラグナにペコリと頭を下げてから、足早に学生課へ向かっていった。
残されたのは──
ラグナと佐川颯太、ふたり。
ラグナの笑顔の裏側では、
内心の警戒心が急激に膨れ上がっていた。
(な、何なんだコイツ……!?
どういうつもりだ……!?)
今しがたまで天野と影山の後ろにいたはずの「陽キャ」男子が、気づけば自分の前に真っ直ぐ立っている。
(ま、まさか……この場で、僕と“戦る”つもりなのか……!?)
佐川は勇者のスキルを持つ。
それは確かに強い。
だが、ラグナの中では理屈が先に立つ。
(……いくら“勇者”とはいえ、僕に勝てるはずは……)
しかし、たった“はず”の一言の裏側で、
先ほど鬼塚に向けられた自分の弱い感情が蘇る。
気迫だけで心拍を乱された、あの瞬間。
あれを思い出す度、ラグナはどこか胸の奥がざわつく。
(……いや、違う。僕は……強い。僕は“主人公”だ。)
胸の内側で捻じ伏せるように思考を重ねたとき、
佐川がニッと笑い、気さくに歩み寄ってきた。
「せっかくだしさ。どっかでお茶でもしません?」
その瞬間だった。
佐川の右手が、ごく自然な動きでラグナの肩に触れた。
「……ッ!?」
ラグナの背筋がわずかに跳ねる。
王族として育てられた彼にとって、
“他者に突然触れられる”という体験は、限りなくイレギュラーだった。
そしてそのイレギュラーが、
“ヤンキーでもない”、
“陰キャでもない”、
“恐怖も威圧もない”、
“ただまっすぐな距離感”で行われることに──
ラグナは本能的に戦慄した。
(こ、コイツ……!
真の意味での『陽キャ』だ……!!)
ただのノリの良さでも、
スクールカースト上位という分類でもない。
誰にでも距離を縮められる。
上下関係を自然に無化する。
それが“彼”という人間の本質。
ラグナは、世界の理が狂ったような感覚を覚える。
(こんなの……こんなの、今まで会った誰とも違う……!)
驚愕の内心を押し隠し、
しかし興味は押し隠せなかった。
佐川颯太──“破邪勇者”。
アルドとは別種の「逸脱者」。
まるで、ゲームの過去作の主人公が、最新作にゲスト出演しているかの様な。
ゲームでは決して再現されなかった、予測不能の存在。
その本質を知りたいという欲求が、
ラグナの理性を上回った。
「そ、そうだね。
特別異世界留学生との親睦を深めるのも、生徒会長としての務め。ご一緒させてもらおうかな。」
笑顔で答えているつもりだが、
頬の筋肉がわずかに震えている。
佐川は迷いのない満面の笑顔で返した。
「マジっすか? やりぃ!!」
本当に嬉しそうなその笑顔に──
ラグナは、一瞬だけ自分の胸が軽くなるのを感じた。
(……ん?)
それが何故なのか。
自分のどの感情が反応したのか。
ラグナには、まだ判別できなかった。
すぐに王子としての仮面をかぶり直し、
「……ああ。それじゃ、どこで休もうか?」
と、穏やかな口調を作る。
佐川は「あー……」と少し困ったように頬を掻き、
「俺、まだこの大学の構内あんま分かってないんすよね。どこに何あるとか、全然覚えてなくて。」
そして、ふと顔を上げ、真正面からラグナへ言った。
「ラグナ殿下。構内に良いカフェとかありません?
知ってたら教えてもらいたいな、って!」
にこっ。
屈託のない笑顔。
その自然さに、ラグナは思わず──
「フッ……」
と、“素の笑み”を零してしまった。
自分でも驚くほど、自然に。
(……え……?)
王族である、主人公である自分が、
“素で笑う”ということは滅多にない。
それだけ、この少年の距離感は異質だった。
軽い戸惑いを胸に抱えながらも、
ラグナは指で奥の建物を示す。
「──ああ。この先の13号館の下に、
オープンテラスのカフェがあるんだ。
そこで話をしようじゃないか。」
佐川は即座に目を輝かせた。
「いっすね!そこ行きましょ!」
そして「あ!」と指を立てる。
「自己紹介まだだったっすね!
俺、佐川颯太。よろしくお願いしまっす!」
右手を上げ、軽く敬礼するその姿は、
勇者でありながら、どこまでも普通の少年だった。
ラグナも胸に手を当て、王族式の挨拶を返す。
「ラグナ・ゼタ・エルディナスだ。
よろしく頼むよ、佐川君。」
──そうして。
“破邪勇者”と“自称・物語の主人公”は、
並んで13号館へと歩き出した。
その距離感は、わずかにぎこちなく。
しかし確かに“並んで”いた。
昼下がりの風が、彼の金糸の髪を柔らかく撫でる。
太陽の光は王子の姿を照らし、まるで舞台照明のようにその存在を強調していた。
途端、通路脇にいた女学生達が「きゃっ……!」「ラグナ殿下だ……!」と声を震わせ、口元に手を当てて頬を染める。
男子学生達は一歩引き、ある者は尊敬の眼差しを、ある者は嫉妬と敵意を込めた視線を向け、またある者はただ畏れて目を逸らした。
ラグナはそれらすべてを、薄く微笑むだけで受け流す。
どれも彼にとっては、あまりに馴染み深い“反応”だった。
(僕は“主人公”なんだから、この程度の視線、当然だろう?)
表情は完璧な微笑を浮かべたまま。
しかし、その胸に宿るのは満足ではなく、むしろ乾いた確信だった。
(彼らは“キャラ”だ。僕の物語を彩るために存在する、背景……NPC……)
ラグナにとって、この世界の景色はどこまでも“ゲーム画面”の延長だった。
彼の歩く通路はフィールドマップであり、周囲で動く学生達はシナリオの演出に過ぎない。
彼がほほ笑むと、好感度が上がる。
睨めば、畏怖のパラメータが跳ね上がる。
それらはすべて、ラグナの中で「ゲームの仕様」として処理されていた。
(──確かに、セドリックは僕の昔からの“親友”だ。
リゼリアは、十五でスキルを授かったあの日から、ずっと僕に尽くしてくれる“可愛いメイド”だよ。)
そこまでは、まるで思い出を懐かしむかのような、柔らかな感情。
だが。
(でも、それも……『主人公ラグナにとって、そういう役割を与えられたキャラクター』だからだ。)
視線がふと遠くへ向いた。
芝生の広場を駆け回る学生達も、ベンチで楽しげに談笑する友人同士も、ラグナには薄い色彩の背景にしか見えない。
(この世界には、僕以外“人間”は存在しない。
僕以外は、すべて“キャラクター”だ。主人公の物語を構成するための、ピース……)
その確信は、ラグナを強くし、同時に孤独にし続けてきた。
足を運ぶたび、周囲はざわめき、黄色い声や歓声が舞い上がる。
だがそのすべてが"機能"として見えてしまうのだ。
人気というパラメータ。
恐怖というステータス異常。
嫉妬や羨望は対人関係のフラグ。
それらは彼を飾るエフェクトでしかない。
(──誰も、僕と真の意味で分かりあう事なんて、出来ないんだ。)
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ、ラグナの青い瞳の奥に寂しげな光が宿った。
歩みがほんの少しだけ止まる。
だがすぐに、また凛とした微笑みが表情を整えた。
寂しさは、ラグナ自身すら気付かぬほど手早く心の奥へ押し込められた。
(……やはり、僕の心を癒せるのは……ブリジット。キミしかいない。)
ブリジットを思い浮かべたその瞬間、胸に灯る感情は先ほどの弱さではなく、強烈な執念へと姿を変える。
アルド・ラクシズの顔が脳裏に浮かぶ。
美しい色彩を汚す黒点のように。
(あの憎きモブ野郎……いや、バグ野郎。
ヤツを倒し、排除し……消去して、僕はブリジットを取り戻す……!)
拳がじわりと握りしめられる。
指先に力が入り、白くなる。
周囲にいた学生達が、その気迫に当てられたように息を呑んだが、ラグナは気づきもしない。
その胸の奥で燃え上がる執念は、いつしか"恋慕"というより"執着"という名の炎に変わっていた。
だが、ラグナはまだ気付いていなかった。
自分が"ただのキャラクター"のはずのブリジットに、何故ここまで狂気染みた執念を抱いているのか──
その矛盾に目を向けることは、この時のラグナには、まだ出来なかった。
彼の歩みは、まるで運命へ向かうかのように、真っ直ぐに大学構内の奥へと続いていく。
◇◆◇
ラグナは構内を歩きながら、ふと先程のやり取り──特別異世界留学生たちの顔ぶれを思い返していた。
彼らの身体的特徴。
黒髪、茶髪、黒い瞳、やや控えめな佇まい。
そして、どこか"同じ文化圏"を共有する者特有の空気。
(……どう見ても、前世の僕と同じ"日本"の人間だ。)
名前も、顔立ちも、仕草も。
(間違いない。彼らは"このゲーム世界のキャラクター"ではない。僕と同じ……"外側"から来た存在だ。)
だからこそ──
(だからこそ、先程のアイツ……"鬼塚玲司"。
あの凄み、あれだけは……どうしても飲み込めなかったんだ……!)
脳裏に、鬼塚が鋭く睨みつけてきた瞬間の情景がフラッシュバックする。
それは、ただの威圧ではなかった。
"人間"の怒気だった。
スクリプト的な敵意ではなく、予定されたキャラの反応ではなく、あまりにも“現実”で、"生身"の視線。
胸のどこかが、わずかに震えた。
ラグナは眉根を寄せ、ブンッと首を振る。
(違う……!違う、違う……!
僕は……"あんなヤンキーごとき"にビビったりなんてしてない……!)
強く奥歯を噛みしめる。
(僕は“主人公”だ。この“世界”の……! 弱くて、一人ぼっちで、誰にも理解されなくて……自分の部屋に閉じこもるしかなかった“前世”とは違う……!)
一瞬、浮かびかけた前世の映像に、ラグナは胸の奥がざわつくのを感じた。
暗い部屋。
青白い光を放つモニター。
深夜に一人、黙々とゲームのレベル上げをする少年の背中。
だがそれらは、ラグナの意志によって即座に、まるで汚れを払うようにかき消された。
(僕は、ラグナ・ゼタ・エルディナス。
大賢者王子であり、この物語の主人公だ……!)
そう言い聞かせた瞬間──
前方から、特別異世界留学生の三人が歩いてくるのが視界に入った。
男女三人組。
名簿で顔と名前は確認してある。
(あ……佐川颯太、天野唯、そして……もう一人は……なんだっけ、ええと……地味な彼……)
──影山孝太郎である。
ラグナは少しだけ背筋を伸ばし、歩幅を整えた。
王族らしい威厳を保ちつつ、さりげなく距離を測る。
(……佐川颯太と天野唯。二人とも“神器使い”だったはずだ。それに──)
視線が自然と佐川へ向かう。
(──佐川颯太……“破邪勇者”。
『ラグヒス』シリーズ1~5の主人公と同じ、“勇者”か……)
その単語が胸の奥の何かを刺激する。
憧れに似ていて、嫉妬にも似ていて、
そしてどこか、自分の“役割”と重なる不思議な感覚。
(勇者……主人公……)
ラグナは思わず息をのみ、視線を落としそうになった。
すぐに持ち直して、わずかに顎を上げる。
(でも、“この世界の主人公”は……僕だ。)
三人が近づいてくる。
すれ違う、その一瞬。
天野唯と影山は、ラグナを見たとたんビクリと肩を震わせた。
明らかに怯えの色を浮かべている。
だが──
佐川だけは違った。
まっすぐな目。
真正面から人を見る目をしていた。
その視線が触れた瞬間、ラグナは内側からガツンと殴られたような衝撃を受けた。
(な……!?)
次の瞬間、佐川はぱっと笑った。
「あっ、ラグナ王子殿下。こんちは!」
軽く片手を上げる。
まるで、同じクラスの友達に声をかけるように。
天野と影山は「えっ!?」「え、ちょ……!」と目を丸くし、慌ててラグナにペコペコと会釈する。
ラグナは一瞬、完全に固まった。
(な……なんだ!?こ、コイツ……!?
ブリジット達の仲間のはずだろ……!?
この前の編入式で、僕とアルド・ラクシズのやり取りを見ていたはずだ……!?なのに……僕を恐れないのか……!?)
動揺しながらも、外面は保つ。
王族としての絶対的な作法が身体に染みついている。
「……あ、ああ。こんにちは。」
引きつった笑顔。
自分でも分かるほど、頬の筋肉が固い。
すると佐川は
「あ、やっぱ気軽に声かけすぎた?」
と笑いながら頭をかく。
「王子様相手にさ、つい同級生みたいなノリ出しちゃったかも。わりぃ!」
否定せざるを得なかった。
「い、いや! ルセリア中央大学の構内では、立場は関係ない。か、構わないよ。」
返した瞬間、佐川はぱっと笑った。
「ならよかった!」
その笑顔は、底の底まで“善性”でできているようだった。
人と壁を作らず、上下も作らず、素直に他人を受け入れるような光。
ラグナは、ほんの一瞬だけ胸がざわついた。
(……どうして……どうしてだ……?)
三人が通り過ぎる。
天野と影山はそそくさと距離をとっていく。
だが佐川だけが、最後にもう一度ラグナを見た。
その視線は──
『ラグナを“人間”として見ている目』だった。
ラグナの足が、ほんのわずか止まる。
(……なんなんだ、コイツ……
本当に……僕が怖くないのか……?)
胸の奥で、何かがかすかに揺れた。
◇◆◇
三人の特別留学生とすれ違い、ほんの数歩進んだ瞬間だった。
佐川颯太が「あ、そだ」と思い出したように立ち止まり、後ろを振り返って天野と影山へ声をかけた。
「悪ぃ! ちょっと二人で先に学生課行っててくれね?俺、すぐ追いつくから!」
「えっ!?」「で、でも……颯太くん……」
天野と影山は揃って困惑の声をあげ、視線をラグナへ向ける。
王子と二人きりになるという意味が、どれほどの緊張を伴うか。
二人は本能で察しているようだった。
だが佐川は、そんな二人の不安を軽く笑い飛ばすように、
「だーいじょぶだいじょぶ!な?
ちょっと用事思い出しただけだからさ!」
と明るく手を振った。
その軽さは、優しさの形でもある。
天野と影山は顔を見合わせ、ぎこちなく頷くと──
「し、失礼します……!」
「じゃ、じゃあ、颯太くん……あとで……!」
ラグナにペコリと頭を下げてから、足早に学生課へ向かっていった。
残されたのは──
ラグナと佐川颯太、ふたり。
ラグナの笑顔の裏側では、
内心の警戒心が急激に膨れ上がっていた。
(な、何なんだコイツ……!?
どういうつもりだ……!?)
今しがたまで天野と影山の後ろにいたはずの「陽キャ」男子が、気づけば自分の前に真っ直ぐ立っている。
(ま、まさか……この場で、僕と“戦る”つもりなのか……!?)
佐川は勇者のスキルを持つ。
それは確かに強い。
だが、ラグナの中では理屈が先に立つ。
(……いくら“勇者”とはいえ、僕に勝てるはずは……)
しかし、たった“はず”の一言の裏側で、
先ほど鬼塚に向けられた自分の弱い感情が蘇る。
気迫だけで心拍を乱された、あの瞬間。
あれを思い出す度、ラグナはどこか胸の奥がざわつく。
(……いや、違う。僕は……強い。僕は“主人公”だ。)
胸の内側で捻じ伏せるように思考を重ねたとき、
佐川がニッと笑い、気さくに歩み寄ってきた。
「せっかくだしさ。どっかでお茶でもしません?」
その瞬間だった。
佐川の右手が、ごく自然な動きでラグナの肩に触れた。
「……ッ!?」
ラグナの背筋がわずかに跳ねる。
王族として育てられた彼にとって、
“他者に突然触れられる”という体験は、限りなくイレギュラーだった。
そしてそのイレギュラーが、
“ヤンキーでもない”、
“陰キャでもない”、
“恐怖も威圧もない”、
“ただまっすぐな距離感”で行われることに──
ラグナは本能的に戦慄した。
(こ、コイツ……!
真の意味での『陽キャ』だ……!!)
ただのノリの良さでも、
スクールカースト上位という分類でもない。
誰にでも距離を縮められる。
上下関係を自然に無化する。
それが“彼”という人間の本質。
ラグナは、世界の理が狂ったような感覚を覚える。
(こんなの……こんなの、今まで会った誰とも違う……!)
驚愕の内心を押し隠し、
しかし興味は押し隠せなかった。
佐川颯太──“破邪勇者”。
アルドとは別種の「逸脱者」。
まるで、ゲームの過去作の主人公が、最新作にゲスト出演しているかの様な。
ゲームでは決して再現されなかった、予測不能の存在。
その本質を知りたいという欲求が、
ラグナの理性を上回った。
「そ、そうだね。
特別異世界留学生との親睦を深めるのも、生徒会長としての務め。ご一緒させてもらおうかな。」
笑顔で答えているつもりだが、
頬の筋肉がわずかに震えている。
佐川は迷いのない満面の笑顔で返した。
「マジっすか? やりぃ!!」
本当に嬉しそうなその笑顔に──
ラグナは、一瞬だけ自分の胸が軽くなるのを感じた。
(……ん?)
それが何故なのか。
自分のどの感情が反応したのか。
ラグナには、まだ判別できなかった。
すぐに王子としての仮面をかぶり直し、
「……ああ。それじゃ、どこで休もうか?」
と、穏やかな口調を作る。
佐川は「あー……」と少し困ったように頬を掻き、
「俺、まだこの大学の構内あんま分かってないんすよね。どこに何あるとか、全然覚えてなくて。」
そして、ふと顔を上げ、真正面からラグナへ言った。
「ラグナ殿下。構内に良いカフェとかありません?
知ってたら教えてもらいたいな、って!」
にこっ。
屈託のない笑顔。
その自然さに、ラグナは思わず──
「フッ……」
と、“素の笑み”を零してしまった。
自分でも驚くほど、自然に。
(……え……?)
王族である、主人公である自分が、
“素で笑う”ということは滅多にない。
それだけ、この少年の距離感は異質だった。
軽い戸惑いを胸に抱えながらも、
ラグナは指で奥の建物を示す。
「──ああ。この先の13号館の下に、
オープンテラスのカフェがあるんだ。
そこで話をしようじゃないか。」
佐川は即座に目を輝かせた。
「いっすね!そこ行きましょ!」
そして「あ!」と指を立てる。
「自己紹介まだだったっすね!
俺、佐川颯太。よろしくお願いしまっす!」
右手を上げ、軽く敬礼するその姿は、
勇者でありながら、どこまでも普通の少年だった。
ラグナも胸に手を当て、王族式の挨拶を返す。
「ラグナ・ゼタ・エルディナスだ。
よろしく頼むよ、佐川君。」
──そうして。
“破邪勇者”と“自称・物語の主人公”は、
並んで13号館へと歩き出した。
その距離感は、わずかにぎこちなく。
しかし確かに“並んで”いた。
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孵化したのは、可愛らしいトカゲ……ではなく、神話の時代に世界を滅亡させた『始祖竜』の幼体だった!
しかし、カイトはスキル【絶対飼育】のおかげで、その破壊神を「ポチ」と名付けたペットとして完璧に飼い慣らしてしまう。
ポチのくしゃみ一発で、敵の軍勢は老衰で塵に!?
ポチの抜け殻は、魔王が喉から手が出るほど欲しがる究極の美容成分に!?
世界を滅ぼすほどの力を持つポチと、その魔素を浴びて育った規格外の農作物を求め、理知的で美人の魔王、疲労困憊の竜王、いい加減な女神が次々にカイトの家に押しかけてくる!
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パワハラで会社を辞めた俺、スキル【万能造船】で自由な船旅に出る~現代知識とチート船で水上交易してたら、いつの間にか国家予算レベルの大金を稼い
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元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
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