世界最強の真祖竜に転生しました! 〜でも目指すのは自由気ままな暮らしです〜

難波一

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第六章 学園編 ──白銀の婚約者──

第306話 ルシア・グレモルドの静かな夜

王都ルセリアの夜は、昼とはまるで別の顔をしていた。

高層住宅の最上階に設えられたその部屋は、もはや“宿”というより、小さな宮殿の一室と言った方が近い。
天井は高く、壁には淡い金の装飾が走り、床には足音を吸う分厚い絨毯が敷かれている。
大きな窓の外には、王都の夜景が一望できた。
通りを行き交う馬車の灯り、空中をゆっくり流れる魔導広告、建物の壁面を彩る魔導灯の光。
地上に散りばめられた無数の灯が、まるで夜空を逆さにしたみたいに揺れている。

けれど、その豪華なリビングには、今は誰の姿もなかった。

ソファも、テーブルも、未使用のまま整然としている。高価そうな果物籠も、銀の水差しも、触れられた気配すらない。

その代わりに、部屋の主の気配は、バスルームの方にあった。

大理石張りの広い浴室。
少し大きめのバスタブの中には、本来入るべき湯の代わりに、羽毛布団や毛布、クッション、枕が無造作に投げ込まれていた。
高級宿の優雅さを、一切遠慮なくぶち壊した即席の巣である。

その柔らかな巣の中心で、フード付きのケープをすっぽり被ったまま、小さな影が丸まって眠っていた。

ルシア・グレモルド。

いや、本来の名で呼ぶなら、真祖竜の幼竜──グルーシャ。

人の姿を取っていても、その眠り方にはどこか獣じみた本能が残っている。
膝を抱え、布団の隙間へ身体を埋めるように縮こまり、外界から隔絶された小さな世界の中でじっと息を潜めている姿は、夜の寒さを越すために丸くなる雛竜そのものだった。

やがて、そのまぶたが、ぱちりと開いた。

宝石みたいに澄んだ瞳が、まだ半分だけ眠気を引きずったまま、ぼんやりと天井を映す。

しばらく何も考えていないような顔で瞬きを二、三度繰り返したあと、ルシアはもぞりと身を起こした。
頭にかかったウサ耳付きのケープがずるりと揺れ、無造作な寝床の中から這い出る姿は、ぬくぬくした巣穴からのそりと顔を出す小動物みたいだ。

ルシアはバスタブの縁に片手をついて外へ出ると、そのままぺたぺたと裸足でリビングへ向かった。

大きな窓の前まで歩き、ガラス越しに広がる夜の王都を見下ろす。

眼下には、人の営みがあった。
光があり、音があり、まだ眠らない無数の命がある。

ルシアはしばらく無言でその景色を眺めたあと、心の中で静かに思った。



(……人間が作った街。何度見ても、凄い。)



真祖竜の故郷、悠天環ゆうてんかんには、こういう“雑多さ”は無い。

空に浮かぶ島々。
澄み切った風。
自然と魔力が完璧な均衡を保つ世界。
美しいが、静的で、何の揺らぎも無い場所。

それに比べて、人間の街は騒がしい。
雑で、脆くて、無駄が多くて、けれどその分だけ熱がある。
誰かが作って、誰かが壊して、誰かが直しながら、今この瞬間も変化し続けている。

その不完全さが、何だか妙にルシアの目を引いた。

ルシアは窓に額を寄せるでもなく、ただ立ったまま小さく呟いた。



「何か食べたい」



真祖竜にとって、食事は生存に必須の行為ではない。

真祖竜は、大気に満ちた魔力を取り込むだけで活動できる。
人間のように毎日三食きちんと取らなければ弱る、なんてこともない。
極論を言えば、何も食べなくても問題なく生きていける。

ただし──別に食べてはいけないわけでもない。

味を楽しむこと。
温かさを感じること。
腹に何かが落ちていく感覚を、嗜好品のように受け入れること。
それくらいのことは、ルシアにだってある。
今夜は、そういう気分だった。

ルシアは部屋を出た。

最上階の通路は静まり返っている。
厚い絨毯が足音を消し、壁の魔導灯だけが一定間隔で光っていた。
夜更けの宿は、人の気配が薄い。
だが、ルシアは念のため、手すり越しに下の裏路地をきょろきょろと見渡した。

誰もいない。
通行人も、酔っ払いも、衛兵も、今は見当たらない。

確認すると、ルシアはそのまま手すりをひょいと乗り越えた。

普通の人間なら悲鳴を上げる高さ。
ビルの十階分ほどはあるだろうか。

だがルシアは何の躊躇もなく、ふわりと身を投げる。

夜風がケープを大きくはためかせる。
落下というより、夜の中をすうっと滑り降りるような感覚だった。
重力は確かにあるのに、彼女の身体はそれに従いきらない。
真祖竜という種が持つ理不尽さが、こういう何でもない動作の中にさりげなく混じっている。

とん、と軽い音を立てて、ルシアは裏路地へ着地した。

そのまま何事もなかったように、てってってっと夜のルセリアの繁華街へ歩き出す。

ネオンのような魔導灯が通りを彩り、夜店の匂いが流れてくる。
肉を焼く匂い、香辛料の匂い、甘い菓子の匂い。
人の喧騒は昼ほどではないが、それでも街はまだ生きていた。

ルシアはその中を、あくまで眠たげな顔のまま、目的も無さそうに歩く。

やがて、一軒の店の前で足を止めた。

汁そば屋。

異世界から流入した文化を、この世界風にアレンジした料理らしい。
見た目は前世日本でいうところのうどんやラーメンに近いが、麺は少し太く、出汁も香草と獣骨の香りが混ざって独特だ。

ルシアは暖簾のれんのような布をくぐり、ふらりと店に入った。

店内は程よく賑わっている。
仕事帰りらしい亜人の男たちが湯気の立つ丼を囲み、カウンターでは若い冒険者風の二人組が大盛りを奪い合っていた。
厨房からは、麺を茹でる湯の音と、器が重なる軽快な音が響いている。

ルシアは隅の席にちょこんと腰掛けた。
ケープのフードはそのまま。
目立たないようでいて、逆に少しだけ目立つ格好だが、本人は特に気にしていない。

注文を済ませると、ルシアはぼんやりと湯気の上がる厨房を眺めながら、一人で考え始めた。



(……もうすぐ、“統覇戦ドミナンス・カップ”の本戦)



スープの匂いの向こうで、思考が静かに形になる。



(わたしは、ラグナチームの一員として参加せざるを得ない)



ラグナ。セドリック。リゼリア。ルシア。
表向きには、優勝候補第一位の強力なチームだ。
実際、戦力だけ見ればそうなのだろう。
少なくとも、外から見れば。

だがルシア自身は、その評価を少しだけ冷めた目で見ていた。



(だけど、本気を出す訳にはいかない)



そこだけは絶対だった。
仮に、ほんの少しでも彼女が真祖竜として本気に近い力を見せれば、どうなるか。

アルドが動く。

それも、多分、すぐに分かる。
あの幼馴染は、表面上はのんびりしていても、危険に対する嗅覚は鋭い。
ルシアが大会の枠を踏み越えるような真似をしたら、彼は間違いなく全力で対処しに来る。



(そしたら、大会そのものがめちゃくちゃになる)



それは面倒だ。とても面倒だ。
そもそも、アルドの力は真祖竜としても・・・・・・・異常。
本気で戦えば、間違いなく、勝てない。
そして、心情的にも──それは避けたいとも思った。

ルシアは腕を組み、こくりと一度頷く。



(──つまり、わたしがすべきは)



頭の中で、最適解を組み立てていく。



(ラグナチームに対して、過不足無く恩恵をもたらす程度に活躍し、途中でうまく敗北を装って脱落)



そこまで考えて、少しだけ表情が和らぐ。



(あとは、どこかで昼寝でもして、試合終了を待つ)



完璧。
うん、我ながら無駄の無い作戦だ。



(これで完璧)



本人は本気でそう思っていた。

その時、店員のウェイトレスが、湯気の立つ丼を両手で抱えてやってきた。
羊のような巻き角が頭の両側から生えている、ふわふわした雰囲気の女性だ。



「お待たせしました~! こちら、月香ゲッコー汁そばになりまぁ~す!」



ことん、と目の前に丼が置かれる。

透明感のある黄金色のスープ。
そこに太めの麺、青い葉物、刻んだ焼き肉のような具、そして半熟の卵に似たものが乗っている。
ふわりと立ち上る湯気は、獣骨出汁の旨みと、どこか懐かしい小麦の匂いを含んでいた。

ルシアは静かに口元のマフラーを下げる。

白い指で箸を持ち上げ、麺をすくう。少しだけ湯気を眺めてから、ずるるっと啜った。



「……おいしい」



短く、素直に呟く。
温かい。塩気がある。
出汁がちゃんと効いている。
麺のもちっとした歯応えも悪くない。

その瞬間、不意に別の味が記憶の奥から浮かび上がった。

竜渦ドラグ・ボルテックス“の亜空間。
アルドを引き込んだ、悠天環を模した空間。
鍋から立ち上る湯気。
器を差し出してきた銀髪の幼馴染。

『ヘイお待ち!』

そんな、よく分からない軽い掛け声と一緒に、アルドがラーメン丼を差し出してきた時の顔が、妙にはっきりと思い出される。

ルシアは麺をもう一口啜ってから、小さく呟いた。



「……でも、アルドが作ってくれた”ラーメン”の方が美味しかった」



その言葉は、誰に聞かせるでもなく、湯気の中へ落ちて消える。

けれど、その時だけは。

眠たげで、いつも何事にも面倒そうな彼女の口元に、ほんの少しだけ柔らかな笑みが浮かんでいた。



 ◇◆◇



汁そばを食べ終えたあとも、ルシアはすぐには宿へ戻らなかった。

空になった丼の底をしばらく無言で見つめ、やがて店員へ小さく代金を置くと、何事もなかったみたいに椅子から降りる。
マフラーを元の位置まで引き上げ、フード付きケープの裾を揺らしながら店を出た。

夜の王都ルセリアは、まだ眠っていなかった。

大通りから一本外れた場所にも灯りが溢れている。
魔導灯の淡い光に加えて、店先ごとに色の違う魔導看板が明滅し、夜の街を派手に彩っていた。
赤、青、金、紫。現代世界でいうネオンに近いが、もっと柔らかく、もっと幻想的だ。
光そのものが、少しだけ魔力を帯びて揺れている。

石畳の上を、人々が絶え間なく行き交う。

酒場へ入っていく冒険者たち。
露店の串焼きを頬張る学生たち。
笑いながら肩を並べる男女。
どこかの劇場帰りらしい着飾った貴族風の男女。
ドワーフの親子連れが、大きな袋を抱えながら屋台の前で何を買うか揉めている。
耳の長い亜人の恋人たちが、寄り添うようにゆっくり歩いている。

ルシアは、そんな人の流れの脇を、いつもの眠たげな目のまま、あてもなく歩いた。

面倒くさがりの彼女が、何の目的もなく街を歩く。
それ自体が、少し珍しいことだった。

いつもなら、食べたい物を食べたらすぐ戻って寝る。
誰かと話したいわけでもないし、夜景や賑わいを楽しみたいとも思わない。
人の多い場所は面倒でしかない。
騒がしく、無駄が多く、つまり、面倒くさい。

──少なくとも、前まではそうだった。

けれど今夜は、不思議と足が止まらなかった。

通り過ぎる人々を、ルシアは何となく目で追ってしまう。
笑っている顔。並んで歩く距離。
何でもない言葉を交わし合う、その間の取り方。

その光景を見ているうちに、ルシアの脳裏には、自然と別の景色が浮かび上がってきた。

浮遊島──"悠天環"。

真祖竜の故郷。
空のさらに上に浮かぶ、神々しいほど静謐せいひつな島々。
風も、雲も、魔力も、すべてが整いすぎていて、まるで世界そのものが呼吸を止めているみたいな場所。

そこには、人間の街みたいな喧騒は無い。

当然だ。真祖竜には、そもそも“そういう文化”がない。

親子の情は無い。
家族という概念は、ほとんど機能していない。
友人という感覚も薄い。
恋人という関係性など、最初から存在しないも同然だった。

親は子を産む。
だが、育てるとは限らない。

いや、正確には、ほとんど育てない。

生まれた子は、勝手に育つものとして放置される。
それだけだ。
真祖竜という最強種であるからこそ、子は親による庇護を受ける事は無い。
そこに、人間の言うところの「可愛い」だの「守りたい」だのといった情緒は入り込まない。

つがいになる相手ですらそうだ。
生まれや力関係、格、性質。
そういった要素が何となく釣り合う相手同士で決まっていくものであって、そこに恋や憧れが差し挟まれる余地はない。

上位存在であるが故の、乾いた合理。
それが真祖竜の価値観だ。

ルシアも、ずっとそれを当然だと思っていた。

他者との関わりなど、面倒でしかない。
誰かの気持ちを慮るのも、歩幅を合わせるのも、何かを分け合うのも、全部ひどく非効率だ。
興味も無かった。

だから、今の自分は少し変だった。

寄り添い歩く人々に、目がいく。
笑い合う親子連れに、視線が止まる。
恋人同士らしい二人組が、互いの肩に触れそうな距離で歩いているだけで、何故かそこから目を離しづらくなる。

ルシアはふと立ち止まり、通りの向こうを見つめたまま考える。



(──"特異点シンギュラリティ"を放置すれば、この人間達の平和も崩される)



胸の奥に浮かんだその思考に、自分で少し驚く。

人間達の平和。
そんなもの、昔の自分なら、どうでもよかったはずだ。
世界の調律者たる真祖竜にとって、人間の世界がどうなろうが、なるべくしてなった結果に過ぎない。

だが今は違う。



(それは、わたしにとっても……本意ではない)



誰に聞かせるでもなく、心の中でそう言い切った瞬間、ルシアは自分の中の変化を、はっきりと自覚した。

わたしは、いつからこんなふうに、人間達のことを気にするようになったんだろう。

眠たげな目を少しだけ細め、ルシアは再び歩き出す。

ちょうどその時、少し前を歩いていた亜人のカップルが、立ち止まって何かを話していた。
獣耳の青年が、隣にいる恋人らしい少女の髪を見て笑う。



「やっぱ似合うな、それ」



照れたように肩をすくめる少女に、青年は続けた。



「今日、お前に会いに来て正解だった。だって、俺……」



そこで少しだけ言い淀み、それから真っ直ぐに相手を見た。



「お前といる時間が、一番大事だから」



ごくありふれた、夜の街の、よくあるやり取り。
きっと、周りの誰も気に留めないような会話。

けれど、その笑い方を見た瞬間、ルシアの頭の中に、別の顔が重なった。

銀の髪。
ふにゃっとした、気の抜けるような笑顔。
どこか間の抜けた声で、でも妙にまっすぐにこちらへ向けられる視線。

アルド。

久しぶりに再会した、幼馴染。
真祖竜アルドラクス。

その顔が脳裏に浮かんだ瞬間、ルシアはほんの僅かに目を見開いた。



「……」



歩みが止まる。

何で今、アルドの顔を思い出したのか。
自分でも分からない。
ただ、分からないままに、心の奥で小さな違和感が揺れた。

ルシアは、夜風の中で小さく呟く。



「わたしは、真祖竜として……少し、おかしくなったのかもしれない」



その声は、人のざわめきに紛れて誰にも届かなかった。



 ◇◆◇



ちょうどその時だった。

通り沿いの建物の壁に埋め込まれた大型の魔導掲示板が、ぱっと明るさを増した。
流れていた広告映像が切り替わり、聞き覚えのあるファンファーレが夜の街に響き渡る。



『ルセリア中央大学主催! 国民的大注目イベント──”統覇戦ドミナンス・カップ“本戦、開幕迫る!』



大げさな煽り文句と共に、華やかな映像が流れ始める。通行人の何人かが足を止め、見上げた。

まず映し出されたのは、優勝候補第一位として紹介されるチーム。

ラグナ・ゼタ・エルディナス。
セドリック・ノエリア。
リゼリア・ノワール。
そして、ルシア・グレモルド。

チーム紹介用に撮られた映像の中で、自分が無表情のまま立っている。

ルシアはその映像を見上げながら、ぼんやりと考えた。



(……わたしも紹介されてる)



実感があるような、ないような。
自分がこうして街中の掲示板に映っていることを、ルシアはどこか他人事みたいに眺めていた。

やがて映像が切り替わる。



『続いて優勝候補第二位! ブリジット・ノエリア率いる注目チーム!』



次に映し出されたのは、ブリジット・チームだった。

ブリジット・ノエリア。
アルド・ラクシズ。
ジュラシエル・バーキン。
鬼塚玲司。

ルシアの視線が、自然と一人の少年の顔に吸い寄せられる。



(アルドも、紹介されてる)



銀髪を揺らし、いつもの人懐っこい笑みを浮かべるアルド。
映像の中の彼は、やっぱりどこか能天気そうで、でも妙に人を惹きつける明るさがある。

そのすぐ隣に、ブリジットが映る。

ルシアはその名を、無意識に口の中で転がした。



「ブリジット・ノエリア……真祖竜に選ばれた・・・・・・・・人間……」



視線が、掲示板の中の少女を見つめる。



「真祖竜アルドラクスの……”白銀の婚約者アルゲンティア”……」



意味深なその言葉は、夜気の中に静かに溶けた。
通りすがりの誰にも意味は分からない。
ルシア自身、その言葉を口にした後で少しだけ黙り込む。

魔導掲示板の映像が、さらに切り替わる。

予選会終了直後の記録映像らしい。
ブリジットとアルドが、勝利の余韻の中で顔を見合わせて笑い、軽くハイタッチを交わしている。

何気ない仕草。
自然な距離。
互いの存在を喜んでいることが、説明なしに伝わる映像だった。

その瞬間だった。

ルシアの胸の奥で、何かが鋭く疼いた。

ズキン。

まるで、見えない棘が心臓のすぐ近くに刺さったみたいに。

同時に、記憶が一気に溢れ出す。

悠天環でのアルド。
幼い頃、まだ人間に変身など出来なかった頃の顔。
再会した時の、あの呑気な声。
最近、竜渦の亜空間で、二人きりで過ごしたほんの短い時間。
鍋の湯気。
差し出されたラーメン。
どうでもいい会話。
それなのに、妙に温かかった空気。

全部が一斉に胸を駆け巡り、その中心で、ルシアはほんの一瞬だけ思ってしまった。



(──いいな)



その感情が何なのか、自分で理解するより先に。



羨ましい・・・・



ブリジットのことを。
本当に、ほんの一瞬だけ。
でも確かに、そう思ってしまった。



その瞬間だった。



『──遂に、心の隙を見せてくださいましたね。』



不気味なほど静かな声が、ルシアの頭の中に直接響いた。



「!?」



ルシアの全身が強張る。

誰だ。
どこから──

反射的に周囲を見渡そうとした、その瞬間。

足元の感覚が、突然消えた。

ドプン。

街路の石畳も、ネオンの灯りも、すれ違う人々のざわめきも、全部が水面の下へ沈むように遠ざかっていく。

ルシアの身体そのものが、現実から引き剥がされるように沈み込んだ。

通りを行く人々は誰も気づかない。
そこに一人、少女が立っていたことすら、初めから無かったみたいに。

次の瞬間。

ルシアの姿は、夜のルセリアの街から、跡形もなく消えていた。
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