真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一

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第3章 巨大な犬編

第20話 王狼の断罪と地下の戦場

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──谷が、吠えていた。

 

 山と山に挟まれた狭間。

 切り立った崖の間に伸びる一本の道。

 そこが、フェンリルの里へと続く唯一の関門だった。

 

 谷の奥から吹き抜ける風は、どこか生ぬるく、湿った血と獣の匂いを孕んでいた。

 ごくりと、喉が鳴る。

 

「——はぁ、はぁ……ぜ、ぜぇ……」

 

 フレキが、荒い息をつきながら地面に伏せた。

 五メートルの巨体。毛は乱れ、舌が垂れ下がっている。

 

「ご、ご無礼を……リュナさん、ブリジットさん……ボク、あまり……持久力が……」

 

「ううん、ありがとねフレキくん!すごく頑張ってくれたよ!」

 

 背から飛び降りたブリジットがにこりと笑い、フレキの背中を優しく撫でる。

 

「りゅ、リュナさんも……健脚、ですね……」

 

 ちら、と横を見れば、リュナは一人だけ涼しい顔で立っていた。息ひとつ乱していない。

 長い金茶の髪を風に流し、黒マスク越しに「ふう」と息を吐く。

 

「ま、兄さんの食事のあとにこれくらいの運動ってのは……ちょうどいいっすね」

 

 手で顔をパタパタと仰ぎながら、肩を回しているその姿は、完全にピクニック帰り。

 

「リュナちゃんはすごいんだよ~!」とブリジットが得意げに言うのも無理はない。

 

 だが、その時だった。

 

 リュナの目が、細く細く細められた。

 口元の笑みを崩さぬまま、瞳だけが鋭く動いて、崖の上へと向けられる。

 

「……お出迎え、来てるみたいっすよ」

 

 その呟きの直後、岩の影から、木々の陰から。

 ざわっ、と気配が広がった。

 

 崖の上。左右の岩壁。

 無数の瞳が、こちらを見下ろしていた。

 

 黒、茶、白、灰。

 色も大きさも、全て異なる“フェンリル族”たち。

 

 アルドが前世暮らした世界で言う、チワワ、ボストンテリア、セントバーナード、ブルドッグ。

 どこか既視感のある容姿だが、すべてが人の背丈を遥かに超えるサイズ。

 どいつもこいつも、牙を光らせてこちらを睨んでいた。

 

 その数、およそ——百。

 百の牙を携えた、王国の守りの軍勢。

 

 そして。

 

「……来たか。我が“出来損ない”の息子よ」

 

 最も高い崖の上に、そびえるように立つ一頭の狼。

 八メートルを超える巨体。

 銀に輝く毛並み、蒼の瞳。

 威厳と狂気を併せ持つ、その存在感。

 

 それこそが、フェンリル族の王——
 "王狼・マナガルム"。

 

 その目は、冷たく、どこまでも深い蒼。

 見下ろす先に、フレキが居る。

 

「父上……!」

 

 フレキが体を起こし、叫ぶように言う。

 

「どうか……話を聞いてほしいんです! フェンリル族は、この荒野の他の種族と争うべきではない!」

「……愚か者が」

 

 低く、唸るような声。

 王の言葉は、断罪のように鋭かった。

 

「そのような甘言に惑わされ、秘宝を持ち出し……さらには、か弱き人間に縋るか」

 

 マナガルムの目が、フレキの背後のブリジットに向く。

 彼女は少し緊張した面持ちで、まっすぐに王狼の瞳を見返していた。

 

「人間よ。名を名乗れ」

 

「……あたしは、ブリジット・ノエリア。このフォルティア荒野の、新しい領主です!」

 

 ブリジットが凛と声を張った瞬間——

 谷に、笑い声が響いた。

 

 それは、獣たちの笑い。

 マナガルムの嗤い。

 

「人間が、この地の主を自称するとは……笑止千万」

 

 その言葉と同時に。

 王狼が姿を消した。

 

 ……いや、正確には“消えたように見えた”。

 一瞬のうちに、その巨体が谷底へと跳躍していたのだ。

 

「フレキくん!!」

 

 ブリジットの叫びが響くより早く。

 フレキの首元を、マナガルムの牙が捕らえていた。

 

 驚愕。硬直。反応できなかった。

 

 マナガルムは、抵抗を許さぬ速さでフレキを咥え、そのまま谷の奥へと姿を消す。

 

 まるで、それが予定された運命の一幕だったかのように——。

 

「フレキくん……!?」

 

 声が、風に飲まれていった。

 

 そして、静かに。

 獣たちの足音が、ブリジットとリュナを包囲し始める。

 

 咆哮は、まだ始まっていない。

 だが、嵐の兆しはすでに足元に広がっていた。


 ◇◆◇


「フレキくん……!!」

 

 ブリジットの声が、谷に響いた。

 

 その叫びは、怒りでも悲しみでもない。

 ただ、まっすぐで、切実な——“想い”だった。

 

 視線の先には、すでに姿を消した銀狼の背中。

 その顎にぶら下げられた、ぐったりとしたフレキの姿が脳裏から離れない。

 

(……一瞬だった。あたし、反応できなかった……!)

 

 ぎゅっと、拳を握りしめる。

 

 その隣で、フェンリルたちが一斉に姿勢を低くし、喉を唸らせ始めた。

 まるで王の意志を受けた牙たちが、今まさに動き出そうとしている。

 

 それでも、ブリジットは一歩、踏み出した。

 

「ごめん、リュナちゃん!」

 

 突然の言葉に、リュナが振り返る。

 

 その黒マスクの奥で、金茶の瞳が緩やかに揺れていた。

 

「あたし、フレキくんを助けなきゃ……!」

 

 声は震えていた。だが、瞳は揺るがなかった。

 

「だって……フレキくん、あたしに“命にかえても守る”って言ってくれたんだよ? だったら、あたしも……“自分の命をかけてでも”応えなきゃ、いけない!」

 

 まるで何かを振り切るように、ブリジットは後ろを見ないまま走り出そうとする——

 

 その背中に、ぽん、と軽く叩くような音がした。

 

 リュナが、拳でブリジットの背をやさしく叩いたのだった。

 

「りょっす」

 

 その一言だけで、すべてを察しているような笑顔だった。

 

「ここはあーしが引き受けるっす。姉さんは、姉さんのやりたいように、やっちゃってくださいっす」

 

「リュナちゃん……」

 

 振り返ったブリジットに、リュナが指を一本立てる。

 

「つーか、こっちも結構楽しめそうっすよ?」

 

 そう言って、リュナが前を向いた瞬間だった。

 

 フェンリルの一頭(セントバーナード型)が、地を蹴ってブリジット目掛けて飛びかかってきた。

 巨体。咆哮。土煙を巻き上げながらの猛突進。

 

「ブリジットさん!」

 

 フレキの叫びが、遠く聞こえた気がした。

 

 だが——

 

「ほいっと」

 

 リュナの軽い足音が、空を裂いた。

 

 ひと蹴りで跳躍し、空中から伸びた足が、フェンリルの鼻先に的確にヒット。

 

 ドゴォッ!!

 

 音が遅れて谷に反響し、フェンリルがその場で派手に横転した。

 

「キャインッッ!!」

 

 転がったフェンリルが、地面に爪を突き立てながら呻く。

 

 鼻を押さえてごろごろ転がり、他のフェンリルたちが一瞬だけ息を呑んだ。

 

「へーきへーき。兄さんの言いつけ通り、から、安心しな~?」

 

 リュナが、ひらりと髪を翻しながら地面に着地する。

 その動きは、美しく、そして異様に軽やかだった。

 

 その様子を見ていたブリジットが、もう一度拳を握った。

 

「……ありがとう。あたし、行ってくる!」

 

「行ってらっす、姉さん」

 

 リュナの声に背中を押されるように、ブリジットは岩場を駆け上がっていく。

 王狼の背を追って。

 断罪の広場へと続く、谷の奥へ——。

 

 

 そして、リュナがひとり残る。

 黒マスクの下で、にぃ、と笑った。

 

「さて。こっから先は……あーしのターンっすね」

 

 その言葉を合図に。

 獣たちが、一斉に牙を剥いた。

 

 咆哮はまだ始まっていない。

 だが、嵐は、今にも吹き荒れようとしていた——。



 ◇◆◇



 地を踏みしめる足音が、ひとつ。

 それだけで、周囲のフェンリルたちの緊張が一段階、強まった。

 

 ――音の主は、群れの中央からゆっくりと前へ出てきた。

 

 他のどのフェンリルとも異なる風格をまとったその一匹は、全身を漆黒の毛並みで包まれながらも、体躯はひときわ小さい。

 その顔立ちは、どこか愛嬌のある“パグ”そのものだったのだが。

 

 だが——

 

 その小さな口元から吐き出される空気には、全てのフェンリルを従えるような冷たさがあった。

 

「……やるな、人間の女」

 

 低く、ねっとりとした声。

 だが、響くものは確かにあった。

 

「おぉっと……しゃべった」

 

 リュナが片眉を上げて言う。

 倒したフェンリルを踏み越えて、ゆるりと立つその姿の前で、パグ型フェンリル――グェルは目を細めた。

 

「ボクの兄、フレキをここまで心配して動いてくれるとは……良識ある人間も、いるものだな」

 

「んー、なんか思ってたより話せそうな感じ?」

 

 リュナが気を抜いたように言いながら、マスクを少し上げ直す。

 

 だが——

 

 その直後。

 

 グェルの前足が地を叩くと同時に、リュナの足元が突然、崩れた。

 

 ズドン!

 

「……っとぉ!?」

 

 地面に空いた巨大な穴。

 足場がすとんと抜け、リュナの身体が重力に従って落ちていく。

 

 すぐに土の壁が上から塞がり、光が遮断された。

 

 落ちていく最中、リュナは一瞬だけ目を見開いたが——

 

「まーた雑なやり方っすね、ほんと……!」

 

 ぼやくように、空気中で体をくるりと回転させ、膝を抱えた姿勢で暗闇に消えていった。

 

 

 その数瞬後。

 

 谷の崖沿いにいたフェンリルたちが、次々とその大穴に飛び込んでいく。

 跳躍、跳躍、跳躍——

 百の牙が、次々に地下へと消えていった。

 

 その様子を、地上に残ったグェルは静かに見下ろしていた。

 

「さあ、我が“試練の闘技場”へようこそ……勇気ある人間よ」

 

 そして、彼は最後に一言、リュナの消えた穴に向かって囁いた。

 

「“この地に牙を剥く者”が、どれほどの覚悟を持っているのか……見せてもらおうか」

 

 漆黒の毛をなびかせて、グェルもまた、穴の中へと飛び込んだ。
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