真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一

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第4章 "色欲の魔王"編

第45話 運命の交差点

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 陽が傾き始めたルセリアの街は、まさに夏祝祭サマーフェスの熱気の中にあった。


 ホテルへの帰り道、俺とフレキくんは通り沿いの出店をひやかしながら歩いていたわけなんだけど──

 

「いやあ……まさか“お好み焼き”がこっちの世界にもあるとはなぁ……」

「アルドさん、あれは“雷板焼き”って名前で、雷属性の魔石で焼いてるんですよ!」

「えっ、技術力が違いすぎて親しみどころか別物だったわ」

 

 そんな調子で、現代の屋台めいた光景をエンジョイしつつ歩いていたんだけど、

 ふと、俺の目に止まった露店があった。

 

 それは、ちょっと落ち着いた雰囲気のアクセサリー屋台。

 店番のおばあさんが一人、にこやかに座っていて、手前には小さな鏡と、ガラス細工や金属細工の髪飾りがずらり。

 と、その中に。

 

(……ん?)

 

 あったんだよ。

 赤い石をメインにした、銀細工の洋風かんざしみたいな髪飾りが。

 陽の光を反射して、ほのかに朱金色にきらめいてるそれを見た瞬間、なぜか心がピクッと反応した。

 

(……これ、ブリジットちゃんに似合いそう……)

 

 ふわっと風に揺れるポニーテール。

 その毛先に、そっとこの髪飾りがついてたら――想像しただけで、なんか、こう……イイ。

 

 普段は元気いっぱいで、いっつもニコニコしてるけど。

 王都に来てからは、どこか“無理してる”感じもしてた。

 ……地元に戻ってきたのに、家には帰ってない。

 もしかしたら、家族関係で、なんかあるのかもしれない。

 

(──だから、少しでも、笑顔になれるきっかけになれば……)

 

 っていうか、なんで俺こんな真面目に考えてるの!?

 いやでも、いつもお世話になってるし、恩返しって意味でさ!

 うん、それだけ!ただの恩返し! 他意なし!下心ゼロ!ピュア!

 

 ──という名の自己説得を心の中で何周か繰り返したあと、俺はポケットの中の金貨を確認して、そっと手に取った。

 

「あの、この髪飾り……いただけますか?」

 

 店番のおばあさんは、目を細めてニッコリ。

 

「まあ……それはねぇ、“想いを届ける飾り”って言って、若い方に人気なんですよ。ぴったりの方がいるんでしょう?」

「え、いや、その……友達に、ちょっとした、あれです、元気づけ……みたいな……」

「ふふ、わかってますよ。“ちょっとした”ね。うんうん」

「(完全にバレてるぅ!!)」 

 

 耳まで熱くなったけど、おばあさんは何も詮索せず、優しく包んでくれた。しかも可愛いリボン付きで。

 

「ありがとうございますっ!」 

「うふふ、お幸せにね」

「(そういうんじゃないってばぁ!!)」

 

 後ろでフレキが、俺のうろたえた表情を見てクスクス笑ってる。笑う犬。いや、笑うな犬。

 

 で。


 そのまま帰ろうとした瞬間、ふと――店の奥にある、別の飾りが目に入った。

 

 それは、黄色の小さな花飾り。小さく、可憐で、でもどこか……儚げな印象の品。

 

(……あ)

 

 気づけば、俺の口が勝手に動いてた。

 

「あっ……こっちの、これも、ください!」

 
 なんでか分からないけど。

 

 

 俺はふたつの髪飾りを手に、ホテルへと続く通りを歩き出した。

 

 夕日が街を照らし、屋台の明かりと混じって、オレンジと金の光が踊る中――

 俺の心の奥にも、なぜかちょっとだけ、ほんのり暖かい風が吹いた気がした。

 

 そして、胸の中でだけ小さく呟く。

 

(……喜んで、くれるといいな)

 

 ──なんて、ちょっと主人公っぽいこと考えてる自分に、あとでツッコミ入れるのは、また別の話。

 

 さて、そろそろホテルに戻ろう。

 ブリジットちゃんとの約束の時間も、近づいてるからね。



 ◇◆◇



 買い物を終えてホテルに戻ってきた頃には、空はすっかり茜色になっていた。

 ルセリアの祭りの熱気はさらに増していて、ホテルの外は人でごった返していたけど、ロビーの中はやや落ち着いていて、涼しい風が魔導冷却機からそよそよと流れている。

 

「ふう……とりあえず、間に合ったかな」

 

 俺はフレキくんを抱えたまま、ロビーのソファに腰を下ろした。

 クッションふかふか。すごい反発力。座るだけで贅沢って感じ。

 時計台の鐘が、コン、コン、と六つの音を打ち鳴らす。

 

(約束の時間、ちょうどか……)

 

 でも、ブリジットちゃんの姿は見当たらない。

 まあ、たった今鐘が鳴ったばっかだし?

 異世界の人間ってやつは、ちょっとだけ時間にルーズだったりするのかもね。

 ──と、のんきに考えてたのも最初の五分。

 

 十分経過。来ない。

 十五分経過。まだ来ない。

 二十分。三十分。

 ──……来ない!!

 

「……なあフレキくん」

「はい?」

「ブリジットちゃん、遅いね」

「そうですね。珍しいです」

 

 俺の膝の上で寝そべってるフレキが、ハッハッハッと口を開けながら、まるでリゾート気分の犬みたいに返す。

 いや、心配してるのは俺だけ?

 

「ブリジットちゃんが時間に遅れるなんて、今まであったっけ?」

「記憶にはありませんね!ボクは忠犬ですので、こういうデータには自信があります!」

「なんかすごいデータキャラっぽい言い方するね……」


 っていうか、自分で"忠犬"って言っちゃってるけど、もう完全に犬という認識でいいのかな?

 

 でも、事実として、彼女は時間をきっちり守るタイプだった。

 むしろ数分前には現れて、控えめに手を振ってくれるような子だ。

 

「……もしかして、事件に巻き込まれたとか?」

「ブリジットさんが?それはあり得ません!」

「なんでそんな自信満々なの?」

 

 フレキは胸を張る。

 

「だって、ブリジットさんは“真祖竜の加護”を持つ人ですよ! フェンリルの里の"懲罰の天蓋"で、ボクの為に父上を圧倒した姿……感動を通り越して若干引く程のパワーでした!」


……らしいね。


俺、その現場見てないんだけど。


後からフレキくんから聞いた話では、

マナガルムさんのフレキくんへの仕打ちにちょっと怒ったブリジットちゃんは、

スキル"真祖竜の加護"を発動して、大立ち回りしたらしい。


あのスキル、やっぱ相当ヤバいやつだったのね。

与えてしまった俺が言うなって話だけどさ。

確かに、あのスキルでブリジットちゃんは強くなったのかもしれない。


でも───


「強いのは知ってるよ。でも、“強いこと”と
“心配いらないこと”は別問題だからね。」


強くさえあれば何も心配いらないのか?と言えば、
絶対にそんな事はない、と俺は思う。

真祖竜である俺が、こんなにも1人じゃ何もできない存在なんだからね。


「……それは確かにっ!」

 

 素直にうなずいたフレキくんを抱きかかえ、俺はソファから立ち上がる。

 

「……探しに行こう。もし何かあったら、その時は俺たちが力になる番だ」

「はい!!アルドさん!」

 

 よし、頼むぞ俺たち!

 祭りで浮かれてる暇はない!

 

 ……いや、ちょっとだけ浮かれてたけど、今は切り替える!

 

 ロビーを出て、人混みに足を踏み入れる。

 喧騒と光の波が、俺たちを飲み込んでいく。


 
──そして、その時だった。

 

「おい、キミ」

 

 不意に、背中にぬるりと冷たい声が這い寄ってきた。

 

(……ん?)

 

 振り返った俺の目に飛び込んできたのは──

 

 サングラス。

 ウェーブのかかったツーブロック。

 シャツの胸元ぱっかーん開いてて、ロングコートを袖を通さず肩に掛けてる。


 え、なに?異世界にホストっているの?

 とんでもねぇチャラ男が、そこに立っていた。

 こ、これは……!こいつはヤベェぞ!


(人の彼女を寝取って「悪ぃな、運命なんだわ」って言うタイプの奴だコレ!!)


 いや、人を見た目で判断するのは良くないよ!?


 それは重々承知なんだけども!!


 心の中で三回くらい警報が鳴った。

 
「え、あの……なんでしょうか?」

「キミがアルドくん、で合ってるよね?」

「……は、はい?」

「俺、ブリジットさんの……まあ、友達の友達?みたいな」

「(うわぁぁ……地元の交友関係、まさかこんなタイプまでいるなんて!?)」

 

 見た目は超チャラい。というか、もはや“陽キャの化身”って感じ。クラブでZ◯MA飲みながら踊ってそう。

 前世では間違いなく"陰の者"にカテゴライズされる存在だった俺からすると、関わった事の無いタイプ!

 そして、(黒ギャルと違って)あまり関わり合いになりたいと思わないタイプ!


 だけど、彼はどこか掴みどころがなくて……その目元、サングラス越しでも妙に冷静な気配を感じる。

 この人、見た目と中身が一致してないタイプかもしれない。

 

「ブリジットさんから言伝を預かっててさ」

 

 そう言って、男は笑った。

 

「“夏祝祭の花火の時間、丘の上の展望塔まで来てほしい”ってさ。キミに、直接伝えてほしいって頼まれてね」

 

 その瞬間、俺の中に違和感が走った。

 

(……展望塔? なんで、そんなとこに……)

 

 疑問はすぐに言葉になった。

 

「えっと、それで……ブリジットちゃんは今、どこに?」

「さーあ? 俺は伝言頼まれただけなんで。詳しいことは知らないよ」

 

 ふわりと肩をすくめるチャラ男。

 その態度も、言葉も、やたら軽い。

 

 と、その時だった。

 

「ハッハッハッハッ」

 

 フレキくんが突然、俺の足元からぴょんと跳ねた。

 え?え?なんでそんなテンション上がってるの?しかも挙動が完全に犬なんだけど。

 

 そのまま、チャラ男の足元をうろちょろし始め、やたらと嬉しそうに尻尾を振ってる。

 

「おっと、どうしたのかな、小さなわんこクン」

 

 チャラ男くんがしゃがみ込み、フレキくんの頭を撫でようと手を伸ばす。

 フレキくんは嬉しそうに尻尾を振りながら、チャラ男くんの手をペロペロと舐めている。

次の瞬間──

 

 ガブッ!!

 

「おおっ!?」

 

 フレキが突然、男の腰ポーチに噛みついた!

 チャラ男は身体をひねって、ギリギリでかわす。

 

「こ、こら!フレキくん!!」

 

 俺は慌ててフレキを抱き上げ、何度もぺこぺこ謝る。

 

「す、すみません!この子、普段はお利口なんですけど……!人に噛みつくなんて初めてで!」

 

 けれど、俺の腕の中のフレキは、じっとチャラ男を睨んだまま、低く唸り声をあげた。

 

「……アルドさん。ボクには、一つ特技があるんです」
 

「……えっ、き、急にどうしたの?」
 

「相手をペロペロすると、その人が“嘘をついてるかどうか”分かっちゃうんです」


真剣な声色で告げてくるフレキくん。

知らなかった!フレキくんに、そんなブチャ◯ティみたいな特技があったなんて!

 

 でも、冗談みたいな話の中に、真剣な光が宿っていた。

 

「……この人、嘘をついてます!」

 

 フレキが、びしっと前足でチャラ男を指差した。

 

 チャラ男は、ほんのわずかに口角を上げると、ふっと肩をすくめた。

 

「……ククク」

「ただの可愛いワンちゃんじゃあなかった訳か。
──油断したぜ」

 

 その笑みは、さっきまでの軽さとは違う“色”を持っていた。

 

(なんだコイツ……!)

 

 緊張感が一気に高まる。

 この男、明らかに……何かを隠してる。

 そしてその何かは、“ただ事じゃない”。



「……それに、この人の腰のポーチ……」
 


フレキが俺の腕の中から、鋭い声でそう言った。

鼻先をぴくぴくと動かしながら、まるで“真犯人の匂い”を嗅ぎ当てた名探偵の犬のように、チャラ男の腰に視線を向ける。

 

「甘い匂いに混じって……かすかに、ブリジットさんの匂いがしますっ!」

 

「……!」

 

俺は思わず目を見開いて、チャラ男の顔を見た。

サングラスの奥にあるはずの瞳は見えないけど──その口元は、笑っていた。

 

「…………」

 

返答はない。ただ、薄く口角を上げて、静かに黙っているだけ。

でも、その無言の微笑みが何よりも不気味だった。

 

「……悪いんだけどさ。ちょっと腰のポーチの中、あらためさせてもらってもいいかな?」

 

できるだけ冷静に言葉を選びながら、俺はゆっくりと手を伸ばす。


けれど──

 

「……そいつはできない相談だな」

 

ふわり。

風に乗るような軽やかな動きで、チャラ男くんはその場から半歩身を翻す。

まるで舞踏会のダンスステップみたいに、しなやかで、優雅で──そして、完璧に避けられた。

 

「アルドさん、下がってッ!」

 

ビクッとする間もなく、腕の中のフレキくんが叫んだ。

見れば、彼の小さな体の周囲に、黄金の魔力の渦が巻き起こっていた。


風も、地面も、周囲の空気すらピリピリと震えている。


こ、これは──完全に“本気モード”じゃん!?

 

「フレキくん!? た、確かにこの人怪しいけども、それはやり過ぎなんじゃ……!? ここ、街中だし、人通りも──」

 

「違うんです、アルドさん!」

 

鋭い声が俺の言葉を遮った。

その声は、いつものフレキの“ふわふわマスコット感”からは想像できないほど真剣で、凛としていた。

 

「この人……とてつもなく“強い”ですっ!!」

 

それは、新たなフェンリルの王の"野生"が感じ取った"危機"。

空気が、凍る。

通りを歩く人々も、俺も、言葉を失ってその場に固まった。

 

「ブリジットさんに……何をしたんですかっ!!」

 

そしてフレキは、ぴょんと飛び上がる。

小さな体が宙に浮き──

 

「"王狼連爪撃フェンリル・ラッシュ"!!」

 

シャカシャカシャカシャカシャカッ!

 

ものすごい勢いで前足を回転させ始めた!

"素材王"で見せた、オモチャ感満載の超回転。

だが、その足先には確かに、金色の、幾重にも折り重なる斬撃の格子線が疾る。

 

「ククク……怖い怖い」

 

チャラ男は、サングラスの奥で笑った。

そして、軽く右手を持ち上げ、中指を……

──“デコピン”の構えで弾く。

 

ピッ──ン!

 

その瞬間、金色の斬撃が一直線に宙を舞い──まるで紙吹雪みたいに霧散した。

いや、正確には──“打ち上げられた”んだ。真上に。

 

パァァァァン!

 

空に広がる、花火のような残光。

だが音はしない。火薬の匂いも、爆発の衝撃もない。

あるのはただ、不気味なくらい綺麗に広がる、金の光。

 

「な、なんだ今の……」

「花火? まだ時間じゃないよな……?」

 

周囲の祭り客たちがざわめき始める中、俺は何も言えなかった。

 

「そ、そんな……ボクの技が……!?」

 

宙にいたフレキくんが、驚愕の声をあげる。

けれど、怯まない。

いや、怯んではいけないと、彼は自分に言い聞かせているようだった。

 

「ブリジットさんは……どこですかっ!!」

 

フレキくんは、もう一度跳躍した。

今度は真っ直ぐに、チャラ男の胸を目掛けて。

その牙は、“獣”としての本能と、“従者”としての誇りを込めた一撃だった。



──だが。

 

ひらり、と。

 

「……いい"漢気おとこぎ"だ、小さな王子様」

 

チャラ男は身体を傾けるだけで、その突進を回避した。

そして──右手の人差し指と中指で、フレキの額を、トン、と。

まるで、親が子どもを叱る時のような、軽く、しかし意味深な動き。

 

「“運命交叉デスティニー・コリジョン”。」

 

呟いたその瞬間だった。

 

視界が──歪んだ。

 

風が変わった。
空気がねじれた。
音が、色を持ったように感じた。

 

意味が分からない。
何が起こったのか、脳が追いつかない。

だけど──

 

「……わ、わんわんわんっ!?」

 

どこからともなく、リードを付けたままの犬たちが、フレキの周囲に一斉に駆け寄ってきた。


雑種、ブルドッグ、ポメラニアン、プードル、柴犬……っぽい、異世界のワンちゃん達。

犬種の祭りかってくらい、あらゆる“犬”たちが、次々と。

 

「これは……っ!? な、なんで、こんなに……!?」

 

フレキくんが目を白黒させる。

 

「……おいおい、祭りはもう始まってるんだぜ?」

 

チャラ男は肩をすくめるように言った。


「俺は、ちょいと“出会い”を提供しただけさ。」

 
……意味が分からない。

でも、とてつもなく“気味が悪い”。

 

「アルドさん! ボクは、大丈夫です! ボクに構わず……この人を──」

 

フレキが何かを言いかけながら、犬たちに囲まれ、そのまま……どこかの路地裏へと引きずられていった。


「……」

「…………」

 
……え、なに今の?


あまりの唐突な展開に、呆然としてしまっていた。

俺の目の前には、サングラス越しに笑みを浮かべるチャラ男だけが残っていた。

妙な余韻と、奇妙な静けさを残して。

 

フレキくんが──連れていかれた。


俺の腕の中から飛び出して、金色の斬撃を振るって、咆哮して、力尽くで止めようとしたのに。


……気づけば、何もできずに、俺はその背中を見送っていた。


いや、違う。

見送らされていた。

 

「……さて」

 

目の前の男が、ゆるりと首を回す。

片手には黒革の本。

サングラスの奥の視線がどこを向いているのかは分からないけれど、全身から放たれる“余裕”が肌に突き刺さる。

 

だよ、アルドラクスくん」

 

名前を、呼ばれた。

それだけで、心臓がドクンと跳ねる。

こいつ……俺の本当の名前を知ってる……?

 

(……どうも、ただ者じゃないな)

(いや、“ただ者”じゃないのは分かってる。あの斬撃を一瞬で霧散させた時点で、俺でも分かる……)

 

問題は──

こいつがだ。

 

「……質問に答えてくれる?お兄さん」

 

俺は口を開いた。できるだけ冷静に、抑えた声で。



「……あんた、ブリジットちゃんに──何をした?」

 

街の喧騒が、遠のいていく。

さっきまでの明るい出店の声、焼き菓子の匂い、笑い声、祭囃子。

それらすべてが、音のない背景のようにフェードアウトしていく。

 

チャラ男は、ゆっくりと肩をすくめた。

 

「やれやれ。“なにをした”って……人聞きが悪いなぁ。俺は、ちょっと“背中を押した”だけさ」

 

「それがどういう意味か、俺にも分かるように説明してくれるかな。」

 
俺の問いかけに、チャラ男は軽く肩をすくめる。


「言葉ってさ、便利なようで不便なんだよ。解釈の余地ってやつが、どうしても残っちまう。……でもまあ、ひとつだけ確かなのは──」

 

チャラ男の指が、軽やかにページをめくる。

黒革の本の中には、文字の代わりに“走る光”が記されていた。何かを映し出すように蠢く魔力の波形


──それは俺には、理解できない。


「彼女は、今──とても“大切な用事”の最中でね。それを邪魔するのは、紳士としてちょっと興ざめかなって思ってる次第さ。」

 

「……そうか」

 

俺は、もう一歩だけ前に出た。

心のどこかが、ぴりぴりと焼けるような感覚を覚える。

まるで“怒り”みたいだった。

でも、ただの怒りじゃない。

それは、きっと──


“責任感”だ。

 

「ブリジットちゃんは、俺の""なんだ」

 

「──へえ」


チャラ男が、僅かに眉を顰めた気がした。
 

「無断で彼女を連れ回したり、変なことを吹き込んだり……それを“紳士”のやることだって言い張るんなら──」
 

俺は、腰のポーチに手を伸ばした。

中には、さっき買った髪飾りが入っている。

あれを渡す相手が、今どこで何をしているのか、俺は知らない。

でも──

 

「……その“紳士”の胸ぐら掴んで、色々聞き出すくらいは、してもいいよね?」

 

ぎゅ、と右手を握る。

内心は、焦ってる。緊張してる。

この男のポーチからするという"甘い匂いに紛れたブリジットちゃんの匂い"ってのも、気になる。


──情報が、圧倒的に足りない。
 

チャラ男は一度だけ口角を上げた。

そして、低く、囁くように言った。

 

「やっと、いい顔になったじゃないか」

 

そして──

 

「だったら名乗っておこうか」

 

彼の右手が、ゆっくりとサングラスのフレームにかかる。

そのまま、ずらすようにサングラスを下げると、現れたのは──


緋色に煌めく瞳。


夜の火花のように妖しく、深く、底知れない光を宿した、

 

「俺は──“大罪魔王・第五の座”」

「“色欲の魔王”──ヴァレン・グランツ。」

 

口元には、相変わらず飄々とした笑み。

けれど、今のその笑みは……まるで“冥府の門番”のように、背筋を凍らせる冷たさを帯びていた。

 

「さて……どうする?」

 

「…………」

 

“色欲の魔王”。

七つの大罪を冠した、世界でも最上位に位置する災厄の名。

……こいつが、その“本物”だっていうのか?

いつかは出会う事もあるかも、とは思ってたけど、

まさか、こんな街中の人混みの中で……!?

でも、そんな事はどうでもよかった。

 

「……力尽くでも、話してもらおうかな。」

 

俺の声は、いつになく静かだった。

握った拳に僅かに力が入る。

風がざわめき、指先が熱を帯びていく。

たとえ何者であろうと、

“ブリジットちゃんに、何かをした”相手だというなら──


この男は──敵だ。



なら──

 

絶対に、逃がさない。
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