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第五章 魔導帝国ベルゼリア編
第80話 魔導帝国と強欲の魔王③ ── マイネ・アグリッパ──
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魔都スレヴェルドの中央に聳え螺旋を描く摩天楼『アグリッパ・スパイラル』最上層。
夜風にきらめくガラスの床の上に、その二人は対峙していた。
空を覆う魔導艦隊。
螺旋を囲う数百の魔道機兵。
だがこの一角だけは、まるで戦場の喧騒から切り取られたかのように静まり返っていた。
「……降伏せよ、マイネ・アグリッパ。貴様はすでに包囲されておるぞ」
戦闘装束の装飾が月光を弾く。
燃え盛るような紅の弁髪が波打ち、口元には笑みが浮かんでいた。
ベルゼリア帝国、最強の将──“紅龍”。
その名は、三百の砦を焼き払い、十の国を従わせた生ける災厄。
彼が目を据えるだけで、大地が沈黙し、敵が膝をつくとさえ言われている。
だが。
マイネ・アグリッパは、恐れてはいなかった。
白肌に、ピンクのメッシュ入りの艶やかな紫髪。
愛らしいメイクと、地雷系統のゴシック衣装。
黒のレザーベルトを巻きつけたような異形のガーターハーネスから、財布型の魔神器、"我欲制縄"が淡く光を放っている。
「……なかなか派手にやってくれたのう。
──この代償は高くつくぞ?」
細い指先を顎にあて、まるで挑発するような眼差しを紅龍に向ける。
「スレヴェルドが受けた全損害に併せ、妾が受けた精神的苦痛に対する慰謝料。さらに、傷つけられた我が国の民の逸失利益。一体、総額はいくらになるのか、想像もつかんじゃろ?」
「……貴様、何を言っている?」
紅龍が一歩、床を踏みしめる。
熱を帯びた魔力が足元から浮き上がり、周囲の魔力濃度を塗り替えていく。
「弱き者は踏み潰し、奪う。それだけよ。」
マイネは口元を隠して、ころころと笑った。
「──"強さ"など、このマイネ・アグリッパの前では何の意味も持たぬ。それを、教えてやろう。」
次の瞬間、彼女の足元に展開された円環魔法陣が、ぴたりと停止した。
静止。そして起動。
魔神器、"我欲制縄"が、起動する。
「──"欲望の地雷源"。」
マイネの手元の我欲制縄が開き、そこから帳簿のような請求書が果てしなく伸びる。
それはまるで“神の経理”であり、“執行人の書状”だった。
「ここに、“強制徴収”及び"差し押さえ"を宣告する」
紅龍の眼前に現れた黄金の鎖が、四肢を締めつける。
見えない何かがその膝を砕くように重圧をかけた。
「──何っ!?」
肉体ごと“資産”と見なされ、紅龍の魔力、膂力、肉体、それを取り巻く戦意のすべてに、“担保差押え”の金印が打たれる。
「ぐ……あ……っ……!」
炎が消えた。
体内から溢れ出していた魔力が、呪詛のような薄金色の霧に変じ、消失していく。
「な、にを……した……ッ!?」
剛腕の将の膝が折れる。
全身を鎖が締めつけるような錯覚に襲われ、彼は床に膝をついた。
膂力強化の術式が停止し、筋肉が自重に耐えきれずに軋む。
「妾は何もしておらぬ。ただ……“賠償”を、正当に徴収したまでじゃ」
マイネは指を鳴らす。
直後、上空の飛空艇群が、一斉に爆発するでもなく、静かにコントロールを失い、下降していく。
魔道機兵の動作も止まり、目に宿っていた赤光が、ぽつりと消えた。
戦場全体が、無言の“財政凍結”に沈む。
「ベルゼリアが所有する、魔力も、兵器も、戦術も、命さえも──全て“価値”じゃ。妾の財産を傷つけた貴様らの全ては、妾にその所有権がある」
「──貴様らが、妾への"負債"を全て払い切るまでは、な。」
紅龍は、がくりと肩を落とした。
全身の魔力回路が“差し押さえ”を受けている。
スキルも、発動しようとしても反応が無い。
手足の震えも止まらない。
だが彼は、それでも顔を上げた。
敗北を拒む意志の光が、その目には確かに残っていた。
「儂の……力が……この程度で……ッ!」
「ふふ……相性が悪かったのう。」
「お主は確かに強い……妾よりも、な。
じゃが、貴様の“力”は……もはや妾の懐に入っておるのじゃよ。」
マイネが紅龍に向かって、指先をくい、と差し出す。
「さあ、耳を揃えて返してもらおうかの。文字通り、妾に逆らった“代償”じゃ」
その瞬間、紅龍の背後に展開されていた魔導砲群が、一斉に彼へと向き直った。
彼の軍の装備、魔力、立場までもが、“債務対象”としてマイネに認定されたのだ。
そして塔の主は、薄く笑みを浮かべながら、静かに宣告する。
「──なに、利息はマケてやるから、安心するとよいぞ。」
◇◆◇
──戦は、終わっていた。
《アグリッパ・スパイラル》の上空を漂っていた飛空艇は全て魔力供給を断たれ、静かに地へ下り、沈黙していた。
魔道機兵は沈黙し、地に伏す紅龍の部隊からも、もはや戦意の光は失われていた。
それでも、“ベルゼリアの紅き応龍”は、立っていた。
紅龍は、よろめく足取りでマイネの前に進み出る。
戦場を焼いた男の目に、燃え立つ怒りはなく。
あるのは、ただ一つの問いだった。
「……なぜ……滅ぼさない」
声は、掠れていた。
だが、そのひとことは、戦士として、将軍としての魂の叫びだった。
あれほどの力を誇示しておきながら、マイネは《アグリッパ・スパイラル》から一歩も動かず、ただ“価値の差し押さえ”だけでこの戦を終わらせた。
ならば、なぜ。
なぜ、とどめを刺さない?
マイネ・アグリッパは、ふんわりとスカートを揺らして振り返った。
「……ふふ。妾が欲するのは、“滅び”などではないぞ?」
月明かりの中、彼女の輪郭はまるで古の宝石のように艶やかで、妖しく輝いて見えた。
「妾が欲しいのは……“繁栄した世界”じゃ。価値が満ち、華やぎ、命が循環する……その輝きこそが、妾にとっての“宝”となる」
紅龍の息が止まった。
戦場で、簒奪こそが勝利であり、敵の滅亡こそが正義であると信じてきた彼には、到底理解できない理屈だった。
「……収奪するために……生かす、というのか」
マイネは笑った。だが、その笑みには悪意も侮蔑もなかった。
あるのはただ、明確な“価値の指針”としての、確信だった。
「繁栄した世こそ、最も美しき収集品。……壊してどうする。死して動かぬ金貨より、生きて流れを生む通貨の方がずっと麗しかろう?」
紅龍は沈黙する。
その背後では、すでにベルゼリアの魔導士団が動きを止め、無抵抗の姿勢で各塔の前に整列していた。
降伏ではない。
これは、経済による“譲渡”だ。軍も国も、静かに、"財"としての価値へと再定義されていた。
「そなたの国、ベルゼリア──。よき資産になろうて。妾は干渉せぬ。だが……他の魔王どもが欲を出した時は……」
マイネは、手首に揺れる金鎖を指先で軽く弄びながら、口角を上げた。
「……妾の投資先を守るため、必要な“補填”はしてやろう」
その宣言に、紅龍はようやく、わずかに目を見開いた。
「……なぜ……そこまで……?」
「ふふ……妾は、“損”を嫌うのじゃ」
マイネは踵を返し、ゆっくりと螺旋階段の奥へと姿を消していく。
「世界はの、儲けにも損にもなる。されど、“滅び”は妾に何の価値も生まぬ。妾は、ただの"強欲"な収集家……それだけのことじゃ」
夜が深まっていく。
こうしてスレヴェルドは、魔王の都としてではなく、魔王の“資産国家”として存続することを許された。
ベルゼリア帝国は敗北を認めつつも、その後、マイネからの干渉を受けることはなかった。
むしろ、他の魔王が勢力を拡大し始めた時──
“マイネ・アグリッパが援軍を送った”という不可解な報せが、いくつも記録されていくことになる。
それは支配ではなく、干渉でもなく──“投資”という名の保護だった。
そして人々は、皮肉と畏怖とともに、彼女をこう呼ぶ。
『経済の魔王』マイネ・アグリッパ。
──世界最大のコレクターにして、欲望を愛する支配者。
夜風にきらめくガラスの床の上に、その二人は対峙していた。
空を覆う魔導艦隊。
螺旋を囲う数百の魔道機兵。
だがこの一角だけは、まるで戦場の喧騒から切り取られたかのように静まり返っていた。
「……降伏せよ、マイネ・アグリッパ。貴様はすでに包囲されておるぞ」
戦闘装束の装飾が月光を弾く。
燃え盛るような紅の弁髪が波打ち、口元には笑みが浮かんでいた。
ベルゼリア帝国、最強の将──“紅龍”。
その名は、三百の砦を焼き払い、十の国を従わせた生ける災厄。
彼が目を据えるだけで、大地が沈黙し、敵が膝をつくとさえ言われている。
だが。
マイネ・アグリッパは、恐れてはいなかった。
白肌に、ピンクのメッシュ入りの艶やかな紫髪。
愛らしいメイクと、地雷系統のゴシック衣装。
黒のレザーベルトを巻きつけたような異形のガーターハーネスから、財布型の魔神器、"我欲制縄"が淡く光を放っている。
「……なかなか派手にやってくれたのう。
──この代償は高くつくぞ?」
細い指先を顎にあて、まるで挑発するような眼差しを紅龍に向ける。
「スレヴェルドが受けた全損害に併せ、妾が受けた精神的苦痛に対する慰謝料。さらに、傷つけられた我が国の民の逸失利益。一体、総額はいくらになるのか、想像もつかんじゃろ?」
「……貴様、何を言っている?」
紅龍が一歩、床を踏みしめる。
熱を帯びた魔力が足元から浮き上がり、周囲の魔力濃度を塗り替えていく。
「弱き者は踏み潰し、奪う。それだけよ。」
マイネは口元を隠して、ころころと笑った。
「──"強さ"など、このマイネ・アグリッパの前では何の意味も持たぬ。それを、教えてやろう。」
次の瞬間、彼女の足元に展開された円環魔法陣が、ぴたりと停止した。
静止。そして起動。
魔神器、"我欲制縄"が、起動する。
「──"欲望の地雷源"。」
マイネの手元の我欲制縄が開き、そこから帳簿のような請求書が果てしなく伸びる。
それはまるで“神の経理”であり、“執行人の書状”だった。
「ここに、“強制徴収”及び"差し押さえ"を宣告する」
紅龍の眼前に現れた黄金の鎖が、四肢を締めつける。
見えない何かがその膝を砕くように重圧をかけた。
「──何っ!?」
肉体ごと“資産”と見なされ、紅龍の魔力、膂力、肉体、それを取り巻く戦意のすべてに、“担保差押え”の金印が打たれる。
「ぐ……あ……っ……!」
炎が消えた。
体内から溢れ出していた魔力が、呪詛のような薄金色の霧に変じ、消失していく。
「な、にを……した……ッ!?」
剛腕の将の膝が折れる。
全身を鎖が締めつけるような錯覚に襲われ、彼は床に膝をついた。
膂力強化の術式が停止し、筋肉が自重に耐えきれずに軋む。
「妾は何もしておらぬ。ただ……“賠償”を、正当に徴収したまでじゃ」
マイネは指を鳴らす。
直後、上空の飛空艇群が、一斉に爆発するでもなく、静かにコントロールを失い、下降していく。
魔道機兵の動作も止まり、目に宿っていた赤光が、ぽつりと消えた。
戦場全体が、無言の“財政凍結”に沈む。
「ベルゼリアが所有する、魔力も、兵器も、戦術も、命さえも──全て“価値”じゃ。妾の財産を傷つけた貴様らの全ては、妾にその所有権がある」
「──貴様らが、妾への"負債"を全て払い切るまでは、な。」
紅龍は、がくりと肩を落とした。
全身の魔力回路が“差し押さえ”を受けている。
スキルも、発動しようとしても反応が無い。
手足の震えも止まらない。
だが彼は、それでも顔を上げた。
敗北を拒む意志の光が、その目には確かに残っていた。
「儂の……力が……この程度で……ッ!」
「ふふ……相性が悪かったのう。」
「お主は確かに強い……妾よりも、な。
じゃが、貴様の“力”は……もはや妾の懐に入っておるのじゃよ。」
マイネが紅龍に向かって、指先をくい、と差し出す。
「さあ、耳を揃えて返してもらおうかの。文字通り、妾に逆らった“代償”じゃ」
その瞬間、紅龍の背後に展開されていた魔導砲群が、一斉に彼へと向き直った。
彼の軍の装備、魔力、立場までもが、“債務対象”としてマイネに認定されたのだ。
そして塔の主は、薄く笑みを浮かべながら、静かに宣告する。
「──なに、利息はマケてやるから、安心するとよいぞ。」
◇◆◇
──戦は、終わっていた。
《アグリッパ・スパイラル》の上空を漂っていた飛空艇は全て魔力供給を断たれ、静かに地へ下り、沈黙していた。
魔道機兵は沈黙し、地に伏す紅龍の部隊からも、もはや戦意の光は失われていた。
それでも、“ベルゼリアの紅き応龍”は、立っていた。
紅龍は、よろめく足取りでマイネの前に進み出る。
戦場を焼いた男の目に、燃え立つ怒りはなく。
あるのは、ただ一つの問いだった。
「……なぜ……滅ぼさない」
声は、掠れていた。
だが、そのひとことは、戦士として、将軍としての魂の叫びだった。
あれほどの力を誇示しておきながら、マイネは《アグリッパ・スパイラル》から一歩も動かず、ただ“価値の差し押さえ”だけでこの戦を終わらせた。
ならば、なぜ。
なぜ、とどめを刺さない?
マイネ・アグリッパは、ふんわりとスカートを揺らして振り返った。
「……ふふ。妾が欲するのは、“滅び”などではないぞ?」
月明かりの中、彼女の輪郭はまるで古の宝石のように艶やかで、妖しく輝いて見えた。
「妾が欲しいのは……“繁栄した世界”じゃ。価値が満ち、華やぎ、命が循環する……その輝きこそが、妾にとっての“宝”となる」
紅龍の息が止まった。
戦場で、簒奪こそが勝利であり、敵の滅亡こそが正義であると信じてきた彼には、到底理解できない理屈だった。
「……収奪するために……生かす、というのか」
マイネは笑った。だが、その笑みには悪意も侮蔑もなかった。
あるのはただ、明確な“価値の指針”としての、確信だった。
「繁栄した世こそ、最も美しき収集品。……壊してどうする。死して動かぬ金貨より、生きて流れを生む通貨の方がずっと麗しかろう?」
紅龍は沈黙する。
その背後では、すでにベルゼリアの魔導士団が動きを止め、無抵抗の姿勢で各塔の前に整列していた。
降伏ではない。
これは、経済による“譲渡”だ。軍も国も、静かに、"財"としての価値へと再定義されていた。
「そなたの国、ベルゼリア──。よき資産になろうて。妾は干渉せぬ。だが……他の魔王どもが欲を出した時は……」
マイネは、手首に揺れる金鎖を指先で軽く弄びながら、口角を上げた。
「……妾の投資先を守るため、必要な“補填”はしてやろう」
その宣言に、紅龍はようやく、わずかに目を見開いた。
「……なぜ……そこまで……?」
「ふふ……妾は、“損”を嫌うのじゃ」
マイネは踵を返し、ゆっくりと螺旋階段の奥へと姿を消していく。
「世界はの、儲けにも損にもなる。されど、“滅び”は妾に何の価値も生まぬ。妾は、ただの"強欲"な収集家……それだけのことじゃ」
夜が深まっていく。
こうしてスレヴェルドは、魔王の都としてではなく、魔王の“資産国家”として存続することを許された。
ベルゼリア帝国は敗北を認めつつも、その後、マイネからの干渉を受けることはなかった。
むしろ、他の魔王が勢力を拡大し始めた時──
“マイネ・アグリッパが援軍を送った”という不可解な報せが、いくつも記録されていくことになる。
それは支配ではなく、干渉でもなく──“投資”という名の保護だった。
そして人々は、皮肉と畏怖とともに、彼女をこう呼ぶ。
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──世界最大のコレクターにして、欲望を愛する支配者。
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