真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一

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第五章 魔導帝国ベルゼリア編

第99話 強さと優しさの狭間で

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 その時、一条雷人は、自分の膝が震えていることに気づいた。

 

 力が入らない。

 頭は冷静であろうとするのに、身体はそれを拒むように、硬直し、喉はひとりでに乾いていた。

 

(落ち着け……何を怯えている……僕は……)

 

 無理やり視線を下げないように、目の前の“銀の刃”を見据えたまま、雷人の意識は自然と遠くへ、かつての日常へと還っていった。

 

 ──日本。

 

 両親は大学教授。
 文系と理系、それぞれ別の分野で高い評価を得ていた二人のもとに生まれた彼は、いわゆる“良家の子息”と呼ばれる立場にあった。

 

 幼少期から周囲に一歩抜きん出た頭脳を示し、記憶力も、論理性も、同年代の子供より遥かに優れていた。

 身体能力も、体育で困ることはほとんどなかった。
 中学時代には陸上部に所属し、400m走で市大会に出場したこともある。

 

 容姿だって、鏡を見るたびに“人並み以上”であることは理解していた。
 実際、高校に上がってからは他校の女子からSNSを通して連絡が来ることもあった。

 

 不自由など、何一つなかった。
 恵まれていた。自覚していた。

 

 ──けれど、どこか物足りなさを感じていたのも、また事実だった。

 

 評価されることに慣れていた。
 期待に応えることにも。
 “優等生”の役割は、もう何年も前に体に染みついていた。

 だが、満たされない。
 何かが足りない。
 このまま人生を終えるのだろうかと、そんな漠然とした虚無が、心の奥に巣食っていた。

 

 そんな矢先だった。

 

 ──異世界への召喚。

 

 教室が白く染まり、視界が捻じ曲がり、次の瞬間には見知らぬ近未来的な施設の中。
 魔導機兵たちに囲まれ、フラム・クレイドルという指揮官らしき女性に「選ばれし者たち」と告げられた。

 

 驚きはあった。けれど、何故か“理不尽”という感情は湧かなかった。

 

 (ああ、自分が……こういう物語の登場人物になったんだな)

 

 そんなふうに、まるでページを捲るような心持ちで状況を受け入れていた。

 

 ライトノベルは読んだことがある。

 クラス転移もの。異世界召喚。剣と魔法のファンタジー。

 

 “選ばれた高校生”の一人として、その中に自分が組み込まれた。
 そして思ったのだ。

 

 (自分なら、物語の主人公たちのように苦労せず、異世界にも適応できるだろう)

 

 それは傲慢だったのかもしれない。

 けれど、そう思えるほどには、自分に自信があった。

 

 その後、与えられたS級スキル——"雷神の加護インドラ"。

 攻防一体の雷撃特化スキル。速度と破壊力を兼ね備え、制圧戦での応用性は極めて高かった。

 

 そして、実際に結果を出してきた。

 

 ──魔都スレヴェルド。

 

 “強欲魔王軍”との衝突。
 その際、自分の雷撃で敵将格を仕留めたことで、帝国の魔導士官たちからも高く評価された。

 

 その時、心の奥に──微かに、震えが走った。

 

 快感だった。

 敵を一瞬で打ち砕く。
 力を誇示し、畏れられ、称えられる。

 

 (……これが、力か)

 

 初めて、“自分が何者かになれた気がした”。

 

 だが今。

 

 その“雷神の力”を以てしても、太刀打ちできない存在が、目の前にいた。

 

 銀の髪。無表情。
 たった一振りで、自分のサーベルを折り、首元に刃を当ててきた少年。

 

 (なんだ……こいつは……)

 

 雷人は、自分がこれまで感じたことのない感覚に晒されていた。

 

 恐怖。

 

 これは、理屈で解釈できる恐怖ではなかった。

 明確な“死”の気配。

 力の差。意思の差。存在の差。

 

 魔物を倒すのとは、訳が違う。

 ──“本気で怒っている相手”に睨まれる、ということの意味。

 

 それは、ライトノベルでは描かれない現実だった。

 

(……なんだ……?)

 

(……僕は……こんな世界で……生きていけると思ってたのか……)

 

 視界の隅で、仲間たちの震える姿が見えた。

 佐倉が口元を押さえ、内田が顔を青ざめさせ、石田が何かを叫びかけて止まり、久賀は壊れた銃を抱いたまま動けなくなっていた。

 

 (違う……こんなはずじゃ……僕は……)

 

 何かが、音を立てて崩れていく。
 自分の中の“万能感”が、砂のように崩れていく。

 

 ──それは、まるで空気そのものが変質したかのようだった。

 

 アルドが静かに怒りを滾らせる中、彼の体からほとばしる銀色の魔力は、視認すら困難な細かな粒子を含んだ奔流となって周囲を満たし始めた。

 

 銀灰のきらめきは、光ではない。熱でもない。

 それは、“圧”だった。

 

 触れた者の意識の奥底をゆっくりと撫で回し、封じられていた“理性”と“疑問”の層を優しく、だが確実に、浮かび上がらせていく。

 

 最初にそれを受けたのは、一条雷人だった。

 

 喉元にあてがわれた雷刃の冷気を肌で感じたその瞬間、彼の脳裏には一連の出来事が、一つずつ、繋がり始めていた。

 

 (……あれは……)

 

 思い出す。


 つい先程、アルドが一人で魔導機兵の大軍に突っ込み、最も容易く切り裂いていく姿を。


 数十、いや、八十体近い魔導機兵が、まるで紙細工のように崩れていった、あの異常な光景を。

 

 (僕は……見ていたじゃないか)

 

 (あの時、こいつが“規格外”だってこと、痛いほど分かっていたはずなのに……!)

 

 その記憶が、今になって突き刺さる。

 あの場で、確かに自分は“敵に回しちゃいけない”と思った。

 撤退するべきだった。

 任務がどうとか、帝国の方針がどうとか——そんなことより、生存を最優先にすべきだった。

 

 だというのに。

 

 (……僕は、なぜ、戦いを挑んだ……!?)

 

 首元の雷刃は、一条の皮膚に触れてはいない。けれど、意識の全てを刃の存在が支配していた。

 背中を貫くような冷たい汗。膝はガクガクと震え、太ももの筋肉は自らの意思とは無関係に硬直を始めている。

 

 理性が叫ぶ。

 退け、と。

 逃げろ、と。

 

 (……ダメだ、帰還石……!)

 

 一条の手は僅かに動いた。だが、胸ポケットに入れておいた“帰還石”に触れるには、あまりにも距離が遠い。

 否、物理的な距離ではない。

 ──“その隙すら、与えられない”という絶望的な事実。

 

 

 そして、それは雷人だけではなかった。

 

 

 銀の奔流は、他の高校生たちにも染み渡っていく。

 

 西條ケイスケの手が、震えた。

 握りしめていたライフルは、すでに砕けて使い物にならないというのに、彼はなおそれを抱えたまま、身体を強張らせていた。

 

 (……あれを、俺たちは……敵に回そうと……?)

 

 (ふざけるな……無理だ……無理だ……!)

 

 久賀レンジは顔面蒼白になり、がたがたと奥歯を鳴らしていた。
 理論派を自称していた彼の中に、今、論理など存在していなかった。

 

 (ありえない……! どうして、どうして俺たちは……!?)

 

 石田ユウマも、拳を握ったまま呆然と立ち尽くす。

 彼は戦場を見渡す"目"として前線を担うつもりだった。

 仲間を守るために立ち塞がるつもりだった。

 

 (守る……? 誰を……? 誰から……?)

 

 あの銀の少年は、最初からこちらに殺意を向けてなどいなかった。
 ただ穏やかに、対話を望んでいた。

 それを拒絶したのは、俺たちの方だった——

 

 高崎ミサキは両手で頭を抱えたまま、しゃがみ込んでいた。

 髪が乱れ、スキル効果で戦闘補助していたはずの魔力の流れが、今は逆流している。

 

 内田ミオは口元を覆って、言葉を失っている。

 佐倉サチコは、目を見開いたまま声を出せずにいた。

 スキルの発動中、ずっと呼吸を止めていた彼女は、ようやく空気を吸い込み——

 その瞬間、彼女達の瞳にも“疑念”が戻り始めていた。


 

 ──自分達は、何を、していたの?

 


 そんな小さな疑問が、彼女たちの心に一斉に芽生え始めていた。

 

 

 一条雷人は、その中で最も深く沈み、最も強く自分を責めていた。

 

 (……話せば、分かる相手だったかもしれない……)

 

 (……間違いなく、こいつは、対話の余地がある“人間”だった……)

 

 (僕は……!)

 

 

 刃が、静かにそこにある。

 何もしていない。けれど、その存在が、全てを支配する。

 

 (僕は……賢い気でいただけだったのか……)

 

 かつての自信が、知性が、誇りが。

 何も通用しない世界で、崩れ落ちていく。

 

 (異世界で戦いに身を投じるって、こんなにも……こんなにも、恐ろしいことだったんだ……)

 

 自分が、何も分かっていなかった。

 この世界で、命を懸けるということの“意味”を。

 

 雷人の視界が、霞んだ。

 

 死を、覚悟するしかなかった。

 

 

 けれど──

 

 その時、背後から、声が響いた。

 

 「アルド坊ちゃん!! ダメですッ!!」

 

 それは、小さく、しかし必死な叫びだった。

 

 銀の世界に差し込んだ、温かな音。

 

 その声に、全てが、止まった。




──────────────────



 「……ザグリュナの魂を、捧げて……」

 

 その言葉が、耳にこびりついて離れなかった。

 

 サーベルの柄を握る手に、無意識のうちに力が入る。
 首元に当てた雷刃が、微かにジリ、と唸った。

 

(……リュナちゃんの魂を、捧げる、だって……?)

 

 目の前の少年——一条雷人は、まるで壊れた人形みたいに震えていた。

 喉に剣を突き立てているわけじゃない。刃は寸止め。

 けれど、あまりにも静かすぎる空気の中で、彼の怯えだけがやけに鮮明だった。

 

(……こいつらが、本当に日本から召喚された高校生だったとしても……)

(リュナちゃんの命を……狙ってるんだとしたら)

 

 その思考が、そこまで達した瞬間。
 心の奥底で、ひときわ鋭い何かが、“音もなく弾けた”気がした。

 

 熱が、すうっと引いていく。

 冷たい何かが、胸の奥で広がっていく。

 

 それは怒りだった。
 ただの激情じゃない。理性の形をした、深い怒り。

 
 
 冷たい思考が、あまりにも自然に浮かんでしまったことに、自分自身で驚きすら感じなかった。

 

 

 ──その時だった。

 

 

 「アルド坊ちゃん!! ダメですッ!!」

 

 その声が聞こえた瞬間、世界に一滴、別の“色”が落ちた。

 

 「……グェルくん?」

 

 その名を呟いて振り向いた先には、
 ボロボロになった毛並みを引きずるようにして、巨体のパグ顔フェンリルがよろめきながら歩いてくる姿があった。

 

 身体は5メートルを超えるはずの獣体。

 だけど今は、その巨躯が……小さく見えた。

 痛々しいほどに、頼りなくて。
 それでもなお、俺の方へと歩いてくる勇気だけが、本物だった。

 

 「アルド坊ちゃん……もういいじゃないですか……ッ!」

 

 グェルくんは、涙交じりの声で叫ぶように言った。

 

 「もう、決着はつきました……! そんな……そんな怖い顔しなくても、もういいんですッ!」

 

 俺は、黙って彼を見た。

 右手の雷刃はまだ構えたまま。

 けれど、グェルくんの言葉は、確かに俺の耳には届いていた。

 

 「……グェルくん」

 「……こいつらはさ。リュナちゃんの魂を捧げる、って言ったんだよ」

 

 グェルの大きな目が揺れる。俺の言葉を、理解しているのか、それでも言葉を止めない。

 

 「リュナちゃんの、命を狙ってる、ってことだよ?」

 

 「そんなの……許していいと思う?」

 

 俺の問いに、グェルくんは一度だけぎゅっと目を閉じた。
 それから、小さく震えながらも——

 

 「……そんなの、ボクだって絶対許せませんよッ!!」

 

 叫ぶように言い返してきた。

 

 「ボクだって、リュナ様を傷つける奴なんて、許したくなんてない!」

 「けど……けど、だからって……」

 

 「アルド坊ちゃんは、その子たちを傷付けてはダメなんだッ!!」

 

 

 ……何を言ってるんだ、彼は。

 

 俺は正直、そう思った。

 リュナちゃんの命が狙われてるんだぞ?
 そんな連中を、なぜ庇う?

 

 理解できなかった。

 

 けど、グェルくんは……諦めなかった。

 

 「さっきの戦いを見て、ボク、確信しました」

 「アルド坊ちゃんは、強い……。たぶん、リュナ様や、ヴァレン様よりも……もっと、もっと……!」

 

 その声は、力強かった。震えているのに、芯だけはしっかりしていた。

 

 「だからこそ、そんな強いアルド坊ちゃんは——」

 

 「“優しくあるべき”なんですッ!!」

 

 

 俺の胸の中で、何かが“止まった”。

 

 

 「ボクは……ボクは弱いから、優しくなれなかった」

 

 「フォルティア荒野に住む他の種族達にも、フレキ兄様に対しても……」

 

 「優しくなんて、できなかった」

 

 「でも、だからこそ——」

 

 

 「誰よりも強いアルド坊ちゃんは、誰よりも優しくなきゃいけない」

 

 「……いや、“誰よりも優しくあって欲しい”って……ボクは、思うんですッ!!」

 

 

 その言葉は。

 俺の胸のど真ん中に、まっすぐ突き刺さった。

 

 

 はっとした。

 

 

 ……俺は。

 

 何をしてたんだ。

 

 自分が怒っていたのは、リュナちゃんを侮辱されたから——

 そう、思ってた。

 

 でも、ほんとは。

 「自分の大事な物を傷つけられるかも知れない」っていう、もっと、自分本位な怒りだったのかもしれない。

 

 俺はもう、“真祖竜”なんだ。

 

 圧倒的な力を持ってる。
 それは誇りでもあるけど、同時に——責任でもある。

 

 

(……そっか。強さには、優しさが必要なんだ)

(だって……そうじゃないと……俺みたいなやつが怒ったら、世界の誰も止められなくなる)

 

 

 俺は、ゆっくりと息を吐いた。

 雷刃に込めていた魔力を切る。

 刃が、フッと音もなく消えた。

 

 目の前の少年が、崩れるように膝をついた。

 けれど、もう刃はそこにない。

 

 

 「……ありがとうね、グェルくん」

 

 俺は、微笑んだ。

 熱くなりすぎてた頭が、ようやく戻ってきた気がする。

 

 「頭、冷えたよ」

 

 
 グェルくんは、泣き笑いみたいな顔で、はぁあっと深く息を吐いた。

 

 「ほんとに……冷えたんですよね……? こわかったんですからね……ッ!」

 

 そんなグェルくんの声に、思わず俺も苦笑してしまった。

 ……情けないな、俺。

 

 けど。

 ありがとう。グェルくん。

 本当に、ありがとう。



 ◇◆◇



 ……ああ、なんてことだ。

 

 目の前で震えている彼らの姿を見て、ようやく自覚する。

 サーベルの刃先を向けられ、蒼白になっている顔。

 恐怖にひきつった頬。歯の根が合わないのか、カチカチと音を立てている顎。

 そして、一条という少年の足元から崩れ落ちそうな膝。

 

(……あーあ。また、やっちゃったか、俺)

 

 力の加減を誤ったとか、そういうレベルじゃない。

 この威圧は“圧倒”だ。彼らの理性と感情の、その両方を、上からぐいと潰してしまうような力の暴走だった。

 

 俺は……真祖竜である自分の本質を、甘く見ていた。

 

(……そうだよな。"七大怠惰戒律セブン・スロウス・コード"の第五戒。)

(“関わってはならぬ。下位種族との交わりは堕落を招く”)

(……これ、つまりはこういうことだ)

 

 圧倒的な力を持つ存在が、他者と交わるには、あまりにも慎重でなきゃならない。

 人と肩を並べるつもりでいながら、その身に秘めた圧を制御しきれなければ……結局、傷つけてしまうのは相手だ。

 自覚してなかったわけじゃない。でも、こうして実際に目の前で怯える姿を見て、ようやく胸に刺さった。

 

(俺が、もっと力の“持ち主”としての自覚を持っていれば——)

 

 ふ、と息を吐いた。

 手に持っていた一条の雷刃から、魔力の流れを切断する。

 パチ、と音を立てて雷光の刃が霧散し、柄だけのサーベルとなる。

 その瞬間——

 

「……ッ!」

 

 少年が崩れ落ちた。

 力の抜けた膝で地をつき、肩で大きく呼吸しながら、深く頭を垂れて俯く。

 

 俺はもう何も言わずに、ただ静かに見下ろしていた。

 

 ……ねぇ、君達さ。

 なんで——

 

 口を開こうとした、まさにその瞬間だった。

 

 ふわり——

 

 不思議な現象が、目の前で起きた。

 

「……ん?」

 

 一条くんの胸ポケットが、ひとりでに開いた。

 風は吹いていない。俺も触れていない。

 だけど、そのポケットから小さな銀の石がするりと這い出るように浮き上がって——

 

「……な、何だ、これ」

 

 まるで、が一条くんの胸ポケットをまさぐり、中の物を取り出したかの様に。

 でも、そんな存在の魔力反応は、感じられない。

 空中に“在ってはならない動き”で漂うその石は、まるで生きているかのように、ふらふらと宙を泳ぎ、

 まるで俺たち全員を“拒絶するように”、鋭くキィンと高音を立てて——

 

 閃光を、放った。

 

「ッ!?」

 

 反射的に目を閉じた。視界を覆ったのは、まばゆい白銀の奔流。

 それはたった一瞬だったけど、すべてを塗りつぶすには十分な光量で。

 

 ——そして。

 

 次の瞬間、目を開いた俺の前にあったのは——

 

 何も、いなかった。

 

 風が吹き抜ける。

 音もなく。

 静寂の中に立ち尽くす俺を、夜の空気が包む。

 

 一条くんも、オタクっぽい4人組も、ギャルっぽい女の子達も。

 ……さっきまで確かにここにいた、若者たちの姿は、一人残らず、消えていた。

 

「……脱出アイテム的な、魔法道具……か?」

 

 呟いたが、納得しきれない。

 あれは自然な発動じゃなかった。誰かが、確実に“意図的に”使った。

 

 でも、誰が?

 この場に、その気配は——

 

 いや、それ以上は考えても意味がない。

 彼らは去った。

 無事に、というべきか、逃げられた、というべきか。

 

 ただひとつだけ確かなのは——

 

(俺の未熟さが、また誰かを……脅かしてしまった)

 

 という事実だった。

 

「……グェルくん、ポメちゃん、怪我はない?」

 

 背後で、心配そうにこちらを見ていたグェルくんとポメちゃんに、そっと声をかける。

 二匹は目を丸くしてから、こくりとうなずいて、

 

「はいっ」

 

 その答えが、なんだか少しだけ、心を救ってくれた気がした。

 

 ——誰よりも強い者が、誰よりも優しくあるべき。

 その言葉の意味が、少しずつ、俺の胸に染みていくようだった。
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