前世は聖女だったらしいのですが、全く覚えていません

夏目

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無償の愛

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 ジュダとドロシーは生まれも生きてきた道筋も大きく異なっていた。
 ジュダはロダン村の羊飼いだった。ある日、魔法使いに村を焼かれるまでは説法もろくに分からない子供であったという。

 村にはジュダという名前の子供が三人いて、大人は七人いたらしい。
 だから、ジュダは羊飼いのジュダと呼ばれていた。
 幸せで恵まれた日々だったと、ステンドグラスを仰ぎみながら呟いた彼の横顔は静謐さがあった。

「魔法使いに両親を焼かれたとき、何もできなかった。ただ、焦げた肉塊になるのを見つめることしかできなかった。左右の瞳の色が違う東の街に棲む悪名高い魔法使いがやったんだ。子供ながらに殺してやると、思った。聖職者になったのも、その魔法使いを殺す為だ」

 けれど、と前置きをして彼は挫折を語った。聖騎士や異端審問官でなければ魔女や魔法使いを相手取れないのに、なれなかったことを。
 聖騎士は貴族しかなれないらしい。ジュダが魔法使いを殺すためには異端審問官になるしかなかった。

「諦めきれなかった。皆を殺した男を、この手で殺し神の鉄槌を下すことこそ、生き残った私の使命だと今でも信じている」

「だから聖具を揃えられたのですね」

「……愚かだと思っているのだろう? 君が私を軽蔑の眼差しで見つめているのは気がついている」

「……そう、ですね。私にとって」

 ドロシーにとって魔法使いとはシャイロックのことだった。
 ドロシーはきっと、シャイロックがジュダの村を焼いたと言われても嫌えないだろう。彼は村一つ焼き滅ぼしてしまうだろうなと思うほどの残酷さがあるし、抗えない強さを持っている。敵わないから、恨めないのだ。

 ……でもそれがもしオズ達がいるあの荒屋だったらどうだろう。
 しょうがないと割り切れないのは当然だろうが、実際、シャイロックを殺せるかと問われればきっと無理だと答えるだろう。
 それだけ、シャイロックは抜きん出ている。魔法使いというものがと言い換えた方がいいかもしれない。

「私にとっては、魔法使いという存在は……」

「敵わないと?」

「それすら、よく。会ったこともありません」

 嘘をついた。けれど、実際、今のドロシーは魔法使いにあったことはない。

「それはそうだ。この西の街にいる魔の者はいない。この街は西側で一番安全な場所だからな」

「……そう、ですね」

 一番、安全。
 ジュダにとってはそうなのだろう。彼にとっては村を焼いた魔法使いという生き物がいないことこそが何よりも大切なのだ。だから、町中に聖具をばら撒いて、監視した。一人で、見回りをしてこうすれば安全が保たれるのだと。
 涙ぐましい努力だ。間違って人を殺すことを考えなければ。

「お前はどう生きてきた? 孤児として育てられてきたのは分かったが……西の街は、孤児に厳しい。孤児院の経営自体もあまり良いものではない。……西正会。王都の西側の教会派閥の名称だ。この孤児院の母体ともいえる。この頃はとくに主のご意向に反し、金策に走る聖職者が多い」

「……どうして、金策に走られるのですか。何か、理由が?」

「過剰な税の徴収が原因だ。正教といえど領主に税を納めねばならないが、教会の調度品や美術品にまで税がかかるようになった。六英雄の肖像画や壁画は特に酷い税率で、ほとんどの教会が手放したそうだ。聖騎士様の甲冑も、今では南のカトルナ院にある手甲のみになったとか」

「はあ……。税、ですか」

 街の役人が徴収しに来る奴だろうが、詳しくはドロシーも知らない。パン屋で働いていたときに徴収官がきたことがあるが、奥さんは金を出せと言われるから払うという感じで、それが教会にも来ているとは夢にも思わなかった。

「この孤児院は調度品が残っているほうだが、孤児自体への支援は……問題があると言わざるをえない。北の地では孤児院育ちは文字書きが出来ると、就職口には困らないと聞くが」

「そんな場所もあるのですね……」

「……貧すれば鈍するという。何事も金がなくては始まらぬというわけだ。まあ、圧力もある。今の青伯爵は、何でも相当の孤児嫌いであるらしい」

「青伯爵……」

 ジルのことだ。孤児が嫌い……? そんな風には見えなかったが。

「彼はあのグレイス家の生まれだ」

「グ…? グレイス……? ですか」

「北の街では酷く有名な貴族だよ。北の森に棲む貴族で、一族は金髪、碧眼。整った面立ちで、気品あふれる物腰だという。頭の中の王様と言ってね、天才の一族だ。これが、厄介で王族の方々でも手出しできぬほどの財と知恵を持つらしい」

「は、はあ……」

 グレイス家? だが、ジルは竜の一族なのではなかったか。
 血を飲んで、一族になったのだと聞いたが。

「青伯爵は双子らしい。弟がいるようだが、絶世の美男子で、兄の言うことが絶対なのだと。無類の社交好きでも知られているから、彼の派閥の人間はより教会への税を重くするときく。とくに孤児院が併設されている教会は税率を重くしていると」

「……? も、申し訳ありません、意味がよく」

 ジルには双子の弟がいて? 社交好き?
 情報が多すぎて処理できない。つまり、ジルが命令して教会から税を重くとっているのか?
 何のために?

「建前では、主のご意志だとのたまう。戦争孤児でもない子供達を保護するのはそもそも主のお考えから外れている。両親からも見放された慈愛を与えるにあたいしない存在だと」

「は、はあ」

「だが、これは建前だ。実際にはもっと欲深い。教会が困窮すれば金策に走る。そうなれば、貴重な美術品が世に出回る。その美術品をグレイス家で買い漁るという。つまるところ、美術品の蒐集こそ目的なのだ」

「……なる、ほど?」

「だが、これに抗うのは難しい。いくら寄進を募っても限界がある。ここでもやはり金という……世知辛い世だ」

 確かに、ジルは焼きついて離れないような美しさを持つ男だ。
 その弟ともなれば宝石のような人なのだろうことは想像がつく。
 その弟は美術品が欲しいから、教会に圧力をかけて美術品を吐き出させようとしているのか。
 ……教会に観にいけばいいのでは?
 手元に置いておきたいということ?

「その、青伯爵って方は、竜の末裔の方ではないのですか? 竜の一族がグレイス家なのですか?」

「いや、全くの別物だが。私もよくは知らないが、竜の一族になるためにはある試練があるらしい。しかし、よく知っていたな。竜の一族だと」

「……あ、あはは。どこで聞いたのか忘れてしまいましたが」

 うまく誤魔化せているか分からない。
 ともかく、……青伯爵。ジルが関係しているのか。

 ドロシーは逸れた話を元に戻し生い立ちを語った。
 ジュダほど長いものでも因縁があるわけでもない。すぐに語り終えた。なんだか、酷くつまらないと思った。
 ドロシーには何もない。何も、誇れることもない。ただ、孤児として育って、仕事をえて働いている。それだけ。

「……ドロシーは夢はないのか?」

「夢、ですか?」

「ああ。何かやりたいことやなりたいものは?」

 パン屋になりたいと思っていた。オズがならせてくれると言ってくれたときには嬉しかったし、それで子供達がお腹いっぱい食べてくれるのだったら構わないと。
 だが、夢……。今ならば、オズが生きてくれること……。

「修道女に、なりたいと思ったことがあります。しかし、そのときの神父様から言われました。与えることを知らない。親に愛されたことがないものは修道女にはなれないと」

「……事実、聖職者になるためには両親からの愛が必要だ。聖職者は主の秤を持つ。その秤は、両親の愛を受けたことがないモノには持てないのだ」

「……持てない、ですか」

「ああ。正真正銘、手に持つことがかなわない。主のご意向だ。こればかりはどうすることも出来ない」

「孤児は、両親からの愛を貰えないものですか」

「愛があれば親は子供を捨てぬ」

 分かっていたことをきいたのは、はっきりと言われたかったからかもしれない。
 ジュダはドロシーへの思いやりに欠けていた。それは彼との違いがそうさせたのかもしれないし、ただジュダがドロシーのことが嫌いだからかもしれない。

 正しいと、そうも思った。
 親に愛されていればドロシーは捨てられていない。
 だから、愛されていない。

 修道女になれないのは、愛されないドロシーが悪い。

「だが、勘違いするな。子供を捨てぬからと言って愛があるとも限らない。聖職者になれるのはほんの一握りだ。浴びるほどの贅沢を許されていても、愛していると囁かれていても、主は本物の愛を見抜く」

「本物の愛、ですか」

 聖書のエピソードでもあると、ジュダは背筋を伸ばして話し始めた。

「主が神になられる前、帝国を築いていらっしゃった。星が空に瞬くように、道は宝石で舗装され、民は皆、その叡智にひれ伏した。ある日、二人の母親が一人の赤子とともに主の前に現れた」

 曰く、どちらも自分の子供であると言ってきかぬ。赤子に母親を問うことも出来ず、こうやってモナーク神の前に連れてこられたのだ。

「主は衛兵に剣を持って来させた。そして、そこまで己が子であると言って譲らぬならば半分にしてそれぞれ渡してやるとおっしゃった」

「あ、赤ん坊が死んでしまうのでは……」

「そう思い、一人の親が泣き喚いて懇願した。親でなくても構わない、赤子の命をどうぞお救いくださいと。それを見て、もう一人がこう言った。ほら見たことか、怖気付いた。このものは偽りが露呈するのを恐れたのだ。私は子が半分になろうとも、我が子の手を離すものか」

 さてといいながらジュダが手をうつ。
 大きな音ではなかったのに、びっくりした。

「ドロシーならばどちらの母親の主張が正しいと思う?」

「え? えぇ、と」

「思ったそのままの答えで構わない」

「こ、後者ではないでしょうか。ジュダ様はさきほどこうおっしゃいましたよね。親は子供を捨てないって。だから、後者が正しいのではないでしょうか」

 ジュダは答えをきいて呆気にとられていた。
 ドロシーは瞬間、自分が間違っていたことを悟った。

「……ち、違いますよね。子供が死んでしまう」

「いや。すまない、驚いた」

「私が変なことを言ったんです。ごめんなさい」

「違う。そうではなく。そうか、そう、捉えてしまうのか。ドロシー、愛があれば子供を捨てないというのは……あぁ、もどかしいな。言葉というのは」

 指の先を擦り合わせて、言い訳のようにもごもごと口を動かしていた。

「……主は前者の、赤子のために身をひいた女こそが本当の母親であるとおっしゃった。本当の母親ならば、子の身こそ案じる。腹を痛めて産んだ子供を殺そうなど誰が思うだろうか」

「そういうものなのですか」

 ドロシー自身、ジュダからの言葉がなくても後者を選んでいたと思う。
 赤子を殺してしまうとしても、自分のものだ、自分の子供だと言っている方が母親だと思ったからだ。前者はあっさりとしていて、それだけの執着だったのか責めたくなった。
 自分の子供なのに、他人に取られてもいいのか。
 ドロシーには絶対に無理だ。

「……私が子供であったならば、本当の母親だとずっと主張してほしいと思ってしまいます」

「それで死ぬかもしれなくても?」

「親を見たことがないから、そう思うのかもしれません。……二人も親だと名乗り出てくれるだなんて羨ましいな、とも思います」

「……そうか。お前にとっては自分の子だと主張してくれることこそ、愛なのだな」

 愛。不思議なことをいう。そんなものを愛と呼ぶのだろうか。
 ドロシーにとっては願いだ。ドロシーには頼んでも母親になってくれる人はいないのだから。

「主がお認めになったのは、母親が子に向ける無償の愛だ。慈しみ、愛し、己の欲よりその子供の幸せを願う想いだ」

「……無償の愛、ですか」

「ああ、それこそ本物の愛であると、主はお考えなのだ。故に、聖職者には親の無償の愛を受けたものしかなれぬ。――私は村が焼かれたとき、母と父に逃がされた。二人は私を庇って死んだのだ」

 ジュダの言葉で、愛というものの輪郭がぼんやりと心の中に現れる。優しくて、丸くて、でもどこか冷たい。
 ドロシーは戸惑った。親が与える無償の愛を、知っている気がする。
 けれど、ドロシーにとって、それはかさぶたが剥がれた傷だ。

 ――オズがドロシーに向けてくれたあの恋に、よく似ている。

「ジュダ様は愛されていたのですね」

「そうだよ。ドロシー。けれど、ね。よくきいてほしい。主は言外に言われているのだ。無償の愛を知らぬ子供は、愛を示せぬ親が悪いのだと」

 ごくりと唾を飲み込む。
 親が、悪い?

「残念なことに、親になったからといって誰もが愛を与えることは出来ない。親だから、子供に無償の愛が注げるとも限らない。私は恵まれていて、お前は恵まれなかった。だが、お前自身が悪いわけではない」

「そ、そうなのですか」

「そうだとも。お前が修道女になれないのはお前のせいではなく、親のせいだ。聖職者とは、まあつまるところどれだけいい親の元に産まれたのかという、それだけのことだ」

「そうなのですね」

 笑みが溢れた。ジュダが不器用なりに励まそうとしてくれていることが伝わる。
 もうドロシーは修道女の夢など見ていないのに、どうにか躍起になってそんなものだと言わせたがっているようだった。

 ドロシーが修道女になりたいと思ったのは楽がしたいというその一心だったのに。

「ならば良かった」

 ジュダの答えに胸が打たれたような演技をしよう。
 それだけだとくくるにはジュダとドロシーはあまりに違いがある。親が魔法使いに殺された子供とそもそも親に捨てられた子は天と地ほどの差があった。

「ジュダ様のおかげで胸のつっかえが取れました」

 ジュダは嬉しそうに笑った。他の世界では人を沢山殺した男とは思えず、ドロシーはなんとなく気まずくなって俯く。

「修道女になれなくても、聖ミカエルに選ばれた。お前は両親に愛されずとも、誇らしい行いをしている」

 この人は傲慢なのだと、自分の手を見つめながら思う。
 ……無償の愛。
 魔法使いから、両親に庇われ逃がされたジュダ。彼の両親は彼がどうなっていて欲しかっただろう。

 ドロシーに質問ができるならば聞いてみたかった。
 貴方の夢ややりたいことは何ですかと。
 彼は迷いなく異端審問官だと答えるだろうか?



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