前世は聖女だったらしいのですが、全く覚えていません

夏目

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魔法使いと孤児

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「どうして、そんなことを私に?」

 魔法使いは魔王に従った悪い人間で、見つかり次第、聖職者を呼ばなくてはならない。牢屋行きか死刑か、異端審問官に磔にされるか。無事では済まされないはずだ。

「ソワソワと何か聞きたそうにしていただろう。だから答えてやった」

「私は、孤児院――教会で育っています。聖職者は身近で……」

「俺を突き出すと?」

 差し出された服を握り締める。ドロシーは分かっていた。
 彼は、この服をくれてやると言っていた。ドロシーのものにしてくれた。傷の手当をして、食事もくれた。危険なところから助けてくれた。

 貰ったものが沢山あった。
 誰にも貰ったことのないものを、沢山貰ったのだ。
 首を横に振る。ドロシーはシャイロックが魔法使いだろうと、きっとジュダに打ち明けることはないだろう。

「こ、怖くないんですか?」

「怖い? 聖職者どもを怖がる必要がどこにある」

「怖いとは思わないんですか? 異端審問官に殺されるかもしれないのに?」

 街中に晒されたオズの姿を思い出す。
 眼窩は空洞で、十字架の剣が突き刺さり、荊のようなもので拘束されていた。シャイロックは怖くないのだろうか?
 ドロシーにとって、あれこそが死だというのに。

「俺が真に恐れた聖職者はただ一人だ。その男は、王族、貴族の垣根なく、聖職者まで斬り伏せて自害して死んだ」

「……聖職者が、自害を……」

 自殺は、モナーク神が定めた禁忌の一つだ。
 聖職者達の誰もが忌み嫌うもので、死後、聖列から外され、地獄行きが決まる。自殺者の木という木に吊るされ、鳥に目玉を永劫に突かれ続けるという。

 狂った聖職者だったから、シャイロックが恐れたのだろうか?
 だが、彼の言い草はまるで仲間のことを語るように気安いものに感じられた。それでいて、パンを取られたときのような、苛立たしさもあった。

「異端審問官など、モナークを盲信する烏合の衆に過ぎない。モナークも飽き飽きしているだろうよ。アレが好きなのは世俗に塗れた恋愛で、神への信仰心ではないからな」

 眼鏡の縁を叩いて、レンズの色を変えながらシャイロックはどうでもいいように呟く。
 赤、青、緑、紫。レンズは天気のようにコロコロと変わり、最後には真っ黒が選ばれた。

「信仰とは身勝手なものだ。神への誓いではなく、己との誓いに他ならない。本当に神の声を聞けるものなど一握りで、あとは己の思うがままに動く。故に、聖職者の語る神とは欺瞞だ。自己愛にして、自己憐憫。その有様は身勝手な悪魔に他ならない」

「で、ですが、殺されるのは魔法使いや魔女なのではないのですか」

「誰が魔女だと断じる? 魔法使いだと判別する? 善悪など人ごときに判別出来まい。魔法使いは薬師とよく似ている。錬金術師と魔法使いを区別するものすらあやふやだ。人間側か魔王側、その違いしかない」

 捲し立てられた言葉の半分もドロシーは理解できていなかった。
 シャイロックは何が言いたいのだろう。まるで錬金術師と魔法使いに違いがないように語っている……。

「……お前は俺が怖いか」

「い、いいえ」

「医者ではなくてがっかりしたか?」

「私を助けてくれたことに変わりはありません」

「ならば」シャイロックは喉を鳴らしながら頷く。「何の問題もないな」

 俺の助手ということで雇ってやる。自信満々に言う彼にドロシーはしばし言葉を失った。

「本気で言っているんですか?」

「俺は戯言で時間を浪費する趣味はない」

「で、でも、私は孤児で……」

「それに何の問題がある?」

 そんなことと、どうでも良さそうにシャイロックは口にする。ドロシーがいくら今までいわれてきたことを言っても、そんなものは凡人の戯言だと一蹴してしまった。

「お前が俺を魔法使いであっても構わないように、俺がお前を孤児だからと拒むつもりはない。立場だの、地位だの生まれなど、心底くだらない。王であれ、貧民であれ、俺にとっては同じことだ。俺こそ、価値の指標であり、俺が決めることこそ、絶対であり正しい」

 パチクリと瞬きを繰り返す。この人は、とんでもないことを言っている!
 自分こそが世界の中心だと言わんばかりの態度だ。
 シャイロックには自分があるのだ。まっすぐとした大木のような芯がある……。

「他の仕事は辞めてしまえ。その分、給料は弾んでやる」

 とんでもないことになってきた。
 時間を戻せるようになってこれで三回目。今まで一番、あり得ないことだ。
 ドロシーが魔法使いの助手になる?

 シャイロックが提示してきた金額は、一日、金貨一枚。
 値段に頭がくらくらしてきた。ドロシーが一ヶ月かかっても稼げない金額を、シャイロックは一日でくれるという。

 これならば仕事をいくつも掛け持ちせずに済む。ドロシー自身の力で大きな釜戸がついた家だって買えてしまうだろう。
 パン屋だって、すぐにひらける。

 何の悩みも持たないドロシーならば一も二もなく飛びついただろう。仕事を辞めて、シャイロックの世話をしていた。魔法使いだって関係ない。シャイロックに伝えたことは嘘ではないのだ。

 彼はドロシーを助けてくれた。それが偽善的な優しさであっても、何が裏があったとしても、ドロシーにそんな優しさをくれる人の方が少ない。

 けれど、今はオズを守ることこそ重要だった。
 ドロシーはオズを助けたい。死にたくはないけれど、いまだに手がかり一つろくに掴めていないのだ。また死んでしまうかもしれない。だとしたら、シャイロックと雇用契約を結ぶのは不義理だ。

「か、考えさせてください」

「ほう。保留にしようと?」

「……おばさんが離婚して罪を免れたら、今までの給料を貰わなくちゃいけないんです。私は今、それだけしか考えられません」

 わざと下品に笑って見せると、シャイロックは眼鏡をクイッと持ち上げて、けらけらと笑い始めた。
 目尻には涙さえ浮かんでいる。

「そうか」

「は、はい……」

 ドロシーはとんでもなく愚かなことを言った気になって赤面した。
 シャイロックは馬鹿にするわけでもなく、そうか、そうかと頷いている。
 それが更にドロシーには馬鹿げた、とんでもない間違いのように思えてならなかった。

「惨い仕打ちをしたものへの慈悲は必要ない。周りの人間どもは金だと思え。利用できる駒だと。お前は正しい」

 甘い、蕩けるような声だった。
 ドロシーは悪徳とはこういう声から始まるのではないかと思った。

「給料が貰えなければ俺に言え」

 シャイロックは指を振った。すると、きていた服が、シャイロックに渡されたものに早替わりしていた。
 スリットから太ももが覗く。ぎょっとしながら視線を上げた。

「そうだな。夕食を作ってやる」

 眼鏡を無理矢理目の上にかけられる。
 シャイロックは笑いながら、ふわふわと料理器具を空に浮かべて摩訶不思議な料理を作り始めた。
 釜も、薪もいらない。炎は彼の指先から現れる。
 ぼおっと炎が飛び出ると、鍋のなかにミルクが注がれ、お玉がぐるぐる勝手に回る。

 フライパンの上で肉が焼かれ、ジューと美味しそうな音が上がった。ドロシーはそのときやっと、鍋や皿を洗ったのに持って来ていないことを思い出した。

 取りに帰ろうと言ったドロシーはシャイロックは引き留めた。

「次に会うときに取りに行ってやる」

 何でもないことのように、次の約束が出来た。
 魔法使いとの約束。ジュダのような聖職者達が聞けば、ただでは済まないだろう。

「さあ、食え。どうせ、昨日はろくに食っていないのだろう?」

「パ、パンはいただきました」

「それだけでは足りんだろう」

 焼きたての肉が皿の上に置かれた。付け合わせにじゃがいもとパプリカの素揚げまでついている。ソースは赤ワインの色をしていた。

 ぐうと、腹の虫が鳴る。

「全てお前のものだ。残らず食べていけ」

 用意された肉もシチューもサラダもデザートも一つ残らず食べた。
 シャイロックはそれを楽しそうに笑いながら眺めていた。



 お土産までくれたシャイロックは最後まで送るといって、何故か台車の上に乗った。しばらくするとすやすやと眠り始めてしまったが、ドロシーはくすくす笑いながら少しだけ重い台車をひいた。

 きっと、魔法で重さを調節してくれているのだろう。成人男性が乗っているとは思えないほど、するすると動く。

 魔法とはこんなにも、便利なものなのか。
 魔のものだと忌避していたが、何故こんなに便利なものを禁止にしていたのだろう。魔法があれば重たいものだって楽々と移動できるのに。

 途中で、お針子をしている仕事場に寄った。昨日、休んでしまったから、今日こそは仕事が山積みのはずだ。
 時間がかかることをシャイロックに伝えると、彼はあくびをしながら待つと言って再び眠り始めた。

 どうやら、本当に付き合ってくれるらしい。
 照れ臭さを覚えながら、門扉を叩く。だが、扉は一向に開かない。裏口に回っても、いつもは女将さんがやかましいぐらい大声を出して出てくるのに、誰もいやしない。
 ドロシーは背筋にひんやりとした汗が伝うのを感じた。

 何か、変だ。

 蝋燭の灯り一つついていなかった。

 いつだって、ノルマに追われている場所だ。休みなんて、お祭りの日か、年末くらい。

 今日はどちらでもない。夜逃げにしても、ドロシー以外のお針子がいないのはおかしい。皆、どこに行ったのだろう?
 困惑しながら、台車に戻ると、眠っていたはずのシャイロックが体を起き上がらせて、遠くを注意深く見つめていた。

「シャイロック様?」

「この臭い……」

「どうされましたか?」

「人が死んでいる」

 ヒュッと、喉の奥が鳴った。

「……ひ、人が?」

「俺の魔力の残滓があるな」

「魔力……?」

 ドロシーはシャイロックに促されるまま、広場に向かった。
 人が周りには集まっていて、斜陽が彼らのおしゃべりな唇に口付けていた。空には夥しい量の烏が飛んでいた。地面にも、まるで餌を求めるように止まっている。

 口々に、街の人はこう言っていた。

 魔女だ。魔女だったのだ。

 鳥肌が立つような感覚があった。

「……あ」

 鳥が一斉に飛び立つと苦悶の表情を浮かべた女性の顔が見えた。
 女将さんだ。
 昨日、ドロシーから鍋を取り上げた人だった。
 彼女は目玉がくり抜かれ、釘によって体を十字架に磔にされていた。

 ーーオズと同じだ。

 異端審問官に殺されたあのオズと死因が同じだった。

 その後ろにずらりと並んだ十字架には見覚えのある顔がいくつもあった。お針子達だ。皆、ドロシーと一緒に針と糸でちまちまと服を縫っていた。

 彼女達の誰だって、魔法を使うような人間ではない。
 すくなくとも、ドロシーが知る彼女達はそうだ。


「な、なんで……」

 どうして、彼女達が死んでいるの?
 声が聞こえる。魔女だ。魔女だったんだ。
 この街には、魔女がこんなにいたのだ。

 そんなわけがない。そもそも何故こんなことになっている?
 オズが死んだのは今日じゃないはずだ。それに、奥さん達が死ぬこともこれまでなかった。

 異端審問官が標的を変えた?
 どうして?
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