前世は聖女だったらしいのですが、全く覚えていません

夏目

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オズマ

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「知らん。勝手にそんなものにするな」

「え?」

「俺は東の街からやってきた薬師だが。竜など御伽話の中の話だ。夢でも見ているのか」

 しらっとシャイロックは否定してみせた。
 だが、先生の狼狽っぷりから、シャイロックがシラを切っているのだと、ドロシーは気がついた。

「シャイロック様が竜……」

「俺が世界を救うような暇人に見えるのか」

「でも、私をーーただの孤児を助けてくださいました」

 鞭で打たれているときも、パン屋のおじさんに襲い掛かられたときも、シャイロックが助けてくれた。

「――俺は世界を救ってなどいない。救世など興味もない」

 今までの余裕のある彼らしくない。苛立ちを舌の先から吐き出しているみたいだった。
 舌打ちをして、シャイロックは黙り込んでしまう。

「ドロシー、お前は薬師に雇われる予定の女だ。そのことだけ、分かっていればいい」

 オズは何も言わなかった。ただ、唇が真っ白になるほど歯で噛んでいた。誰何したのはオズのはずなのに、尋ねたオズが一番、ありえない、信じられないと否定したがっているように見えた。

「ところで、俺を誰だと尋ねてきたお前こそ何者だ。俺の女の何だという?」

「お、俺の女!?」

 そんな言葉、初耳だ。いつからドロシーはシャイロックのものとなった?

「私はシャイロック様のものだったんですか!?」

 ちらちらとオズを伺ってしまう。
 オズに誤解されるのは絶対に避けたい。

「そうだ。違うのか?」

 自信満々に言われると返答に困る……。

「オズ。孤児のオズだ。錬金術師見習いでもあるけど」

 硬質な声でオズが呟く。

「オズ。オズマではなく?」

「オズマ?」

 何のことだと、オズが首を傾げた。シャイロックはふっと鼻で笑っただけだった。
 先生だけが、ぎょっとした瞳でシャイロックではなく、オズを見遣った。

「錬金術師見習いか。もうすぐ王都で試験があるはずでは?」

「そ、そうだ。試験はどうするの?」

「……今年は受けないこととなりました。来年に延期しよう、とね」

 オズの代わりに先生が答えると、眉を吊り上げて、オズが抗議した。

「なんでこんな奴に教えるですか、先生。東の街の薬師如きに」

「この方のお戯れを真に受けてはいけないよ。本来ならば、私達がお顔を拝見することも烏滸がましいほど高貴なお方だ」

「高貴……。女に台車を轢かせるような奴が?」

「ドロシーが好きでやっていることだ。やらせておけ」

「お前、何でそんなに偉そうなの……?」

 青筋を立てて怒り狂うオズに笑いそうになってしまった。
 愛されていると分かるものだから、むず痒い快感のようなものが体を支配した。
 シャイロックに果敢に苦情を言うオズはどこか頼もしい。

 ドロシーはオズを見遣った。王都に行かないのならば、西の街を出て殺されるのは回避出来る……。

「オズ、その、試験を受けられなくて残念だったね。……王都への道が閉ざされたせいで……」

「まあ。来年でも俺が錬金術師になるのは代わりないでしょ」

「うん。オズは必ず錬金術師になるよ」

 そして、……オズは王都で認められて、大金持ちになって帰ってきてくれる。親なし子のための施設を作って、パンを作るところだって、用意してくれる。

 シャイロックのもとで働いたドロシーは、オズが帰ってきたら小さなパン屋をつくるのだ。
 朝から働いて、夜まで売る。売れ残りは孤児達に渡してもいい。

 ――皆がもう私のものを食べないように、沢山あげるんだ。

「……先生もうそろそろ参りましょうか。領主様がお待ちです。ドロシー、帰ってから話をしよう」

「ドロシーは俺と夜に用がある。何か話したいのならば明日の朝にしろ」

「は? 夜に、用がある?」

「そうだ」

「……ドロシー、領主様へのご進言が済んだらすぐに帰るから、絶対に外出するなよ」

 絶対、絶対だぞ、と念を押されてしまう。こくりと頷くと、オズは安心したように頷いて先生と一緒に広間の方へ歩いていった。

 ……先生がシャイロックへ向ける焼け付くような視線は、オズに行きますよと促されるまで注がれていたが。


「……シャイロック様は先生と本当にお知り合いではないんですか?」

 熱烈とも言える視線を注がれていたのに、シャイロックは冷め切っていた。

「あのケンタウロスもどきを? ケンタウロスはもう既に滅んだ種族だ。死んだやつに知り合いがいても、生きたもどきに知り合いはいない」

「そ、そうなんですか?」

「アレは森に棲む種族だ。世界樹の根の影にしか居住出来ず、賢く、愚かな生き物だった。魔王によって世界樹が燃やされたあとは徐々に数を減らし、もう純血のケンタウロスはいなくなってしまった。あのもどきはただ俺を見知っていただけに過ぎないだろう」

「魔王……。その、やっぱり、シャイロック様は竜なのですか? 聖女様の竜様。改心された、救国の英雄の……」

「違う」

 きっぱりとした口調でシャイロックは断言した。

「俺が救国の英雄など、馬鹿馬鹿しい。むしろ、逆だ」

「逆?」

「俺はこの国に、この世に、飽き飽きしている。人間というのはどいつもこいつも度し難い。――滅んでしまえばいいとすら、思う。魔王の気持ちも分からないではない、とな」

「え……」

「だが、ドロシー。お前といるときばかりは薬師の真似事をしてやってもいい。東の薬師というのは我ながら面白い繰言だった。この格好も、お前と並ぶと一対のようで気分がいい。人間のことなど、お前といるとどうでも良くなる」

 自分は植物の医者なのだと言っていた口で、愉快なことを語るかのように東の薬師を名乗ってもいいと言う。
 ドロシーにはシャイロックの意図が全く分からなかった。

 おそらく、シャイロックは英雄の竜なのだろう。だが、竜であることを嫌悪しているように見えた。

 先生に向けたあの殺意にも似た怒気。自慢してもいいだろうに、否定した時の硬い表情……。

 シャイロックを竜と呼ぶのはやめておこう。
 否定をしているし、何よりあの怖い顔をさせたくない。

「あの男は幼馴染なのか?」

「へ? オズの、ことですか?」

 急な話題の転換に間抜け面をさらしてしまう。
 さっきもオズに対して興味を持った風だった。

「は、はい。物心ついたときからずっと一緒にいました。オズは凄いんです。孤児で錬金術師見習いになったのはオズが初めてなんですって。才能があるって、先生が教材も、材料も負担して下さっているって聞きました」

「好きなのか、あの男のことが」

「大好きです。オズには幸せになって欲しい。ずっと、長生きをして欲しいです。それに、認められて欲しい」

 白い外套が見えなくなっている。
 オズは広間にもうそろそろ着く頃だろうか。
 そういえばシャイロックが尋ねていたオズマとは何だろう……?

「そうか。あの男に幸せになって欲しいのか。認められて欲しい。錬金術師として、なあ?」

 シャイロックは縦に割れた瞳孔を隠すように目を細めた。

「だが、その願い叶うかどうか」

「どういうことですか?」

「お前は錬金術師を誤解している。救国の英雄と誉めそやされた錬金術師は確かに小さな村の出身で、貴族の生まれではなかった。だが、村長の息子で、歴とした家名を持っていた」

 台車のなかに戻りながら、シャイロックはため息をこぼす。

「錬金術師見習いに孤児がいなかった理由を考えたことは? そもそも、錬金術師になるための試験の内容を、お前は知っているのか?」

「知らない、です」

「一に筆記。二に実技。そして三に面接だ。面接とはこの際はっきり言ってしまえば、血筋の確認になる。錬金術師は魔に堕ちやすい。魔女にも、魔法使いにもなれるからな。だからこそ、血統の確認は必要だ。魔に堕ちた身内がいればそのものもまた魔に堕ちやすい。潔癖とも言える魔への排除を愚かしいとは思うが、今の王都はあの【年増】エルフが支配している。魔の排除には心血を注いでいるのだろう。堕ちるものは堕ちるというのにな。――孤児にはその確認が出来ない」

「落ちると、シャイロック様は言いたいのですか?」

 オズの努力は無駄だと言いたいのだろうか。いくら天才でも親に捨てられ素性が分からないから錬金術師になれないと?

 ……そんなの。
 そんなの、あっていいはずがない。

「惜しいな。あれほど自信があるのならば試験、実技と申し分ないのだろう。いっそ薬師に鞍替えさせた方がいいかもしれん」

「薬師にですか?」

「医学試験は面接などないからな。医療従事者とは古来から間違わないこと、清廉であることが何よりも求められてきた。筆記試験、三回。実技試験四回。七回の研修。そして三百回の擬似臨床試験。どれも根気と体力、知力がいる。大変だと凡夫たちは口々に漏らすが、貧富の差関係なく地位も名声も手に入る」

 指で顎をなぞりながら、シャイロックは自分の発言が気に入ったように頷いた。

「あのオズとやら、俺が雇ってやってもいい。何なら、あのケンタウロスもどきのように俺が指南してやろう。出資もしてやる。ドロシー、お前もあの男と同僚として働いてみたくはないか」

 頭が混乱してきた。シャイロックはオズに錬金術師になって欲しくない?
 いや、オズの努力が実らないのだからと別の道を提示しているのだ。医療従事者であれば、下手な横槍はなく、実力で判断されるのだと。

 けれど、どうしてシャイロックはドロシーに尋ねるのだろう。オズの未来のことをドロシーが決めていいはずがない。当人がいないのに、まるでドロシーが決めたことをオズも選ぶと言わんばかりだ。

「シャイロック様。それは私の決めていいことでは」

「お前の男ではないのか? 恋人ではない?」

「ち、違います! 私はーー」

 オズが告白してくれようとしているのを知っているだけ。
 手紙を書いて渡してくれる。それを体験しているだけだ。

「オズとはただの幼馴染、です」

「そうか。ならば、いい。あの男の慌てふためきようでは俺達の仕事場に怒鳴り込んできそうだと思ったが。だが、来年、王都に行ったところで無駄足になる可能性が高い。俺からもあの男に助言をしておいてやろう。……あの先生と名乗る男が試験内容を知らなかったというのもおかしな話だが」

 台車を動かせと、シャイロックが手を振る。ドロシーはゆっくりと動かし始めた。からからと、車輪が回る。

 重さは感じない。シャイロックが魔法で軽くしてくれているのだろう。

「俺のものになるのだから、お前の周りには気を配らねばならないな」

 俺のもの。それは雇い主ということだよね?
 ドロシーはどくりと跳ねた胸を押さえ込むように、そう思い込むことにした。

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