魔術師のご主人様

夏目

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 ガタガタとせわしなく揺れる馬車に乗り、リジナとファウストは王城を目指していた。どうやら、丸一日、寝ていたらしい。パリアの屋敷を出る頃には、もう夜になっていた。結婚式は、明日の朝一で行われるのだとセパが言っていた。

 リジナは、暴れまわろうとする怒りを鎮めるために躍起になっていた。気持ちの整理をつけるために、数時間、無言で馬車に揺られた。

 やがて、沈黙に飽きたのか、ファウストがぶっきらぼうに話しかけてきた。

「パリアに結婚しないかと持ちかけられたことがあります」

 窓の外を見ながらだったので、リジナには、そのときファウストがどんな顔をしていたのか分からなかった。

「お前は顔がいいからと。選定する前でした。僕は、少しだけ期待しました」
「期待?」
「ええ、僕にとって、恋愛結婚は理想でしたから。もし、パリアが僕のことを本気で愛してくれるならば、それでいいかと思いました」

 リジナは呆気にとられた。ファウストが恋愛結婚がしたいと思っていたとは思わなかったからだ。リジナの視線に気が付いたのか、ファウストは目を合わせて、軽く微笑んだ。

「でも、パリアは他の見目がいい子息にも声をかけたらしい。僕は、その数多いる一人。パリアとの結婚は断りました。別に好きだったわけではありませんが、恨めしいと思いましたよ」
「なぜ?」
「見目を気に入ってくれたなら、それでもよかったんです。僕の顔を気に入ってくれるというのも、愛の一つでしょう? でも、パリアにとって、僕はいくつもある人形の頭のパーツと同じなんです。すげ替えても、困ることはない」
「そんな……」

 唇を蕾の花ように尖らせて、ファウストは続けた。

「僕はね、リジナ。出来ることなら、農民に生まれたかった」
「え!?」

 ファウストは、貴族だ。豪奢で華美な衣装がよく似合う。そんな彼が、畑を耕し、朝から夜まで労働に明け暮れる姿など、想像できなかった。
 土臭いのは嫌だと、突っぱねるばかりだと思っていた。

「そう驚くことですか? 僕は、貴族が嫌いだ。綺麗で華美で、真実なんて一つもない、虚言と虚像で成り立つ貴族が。国王に頭を垂れず、それどころか、卑しくも選定しようとする。影で操る、欲望の権現」

 リジナはますます困惑した。
 リジナが知る限り、ファウストはそんな手垢もついていないような高貴な貴族だ。
 ファウストがそんな貴族に嫌悪感を覚えているなんて。

「愛なく結婚するもの、吐き気がする。政略結婚は僕が一番嫌悪するものです。男女の神聖な行為を穢している。他にもたくさん嫌いなものがある。夜会、舞踏会、サロン、お茶会、ご婦人達の散歩や意味のない討論会」

 指折り数えるファウストの顔を見て、リジナは彼がまだ十五歳であることを思い出した。
 ファウストの顔には、年相応の潔癖さが浮かんでいた。

「ファウストは、そういうことが好きなのだとばかり思っていた」
「……セドに選ばれましたから」

 頼りなさげに、ファウストが目尻を下げた。
 今にも、泣き出しそうな子供の顔だった。

「僕は、セドに選ばれなかったら、王都から遠い場所に土地を買って、農地を耕したかった。かわいい奥さんを娶って、慎ましくて、それでも幸せな毎日を送りたかった」
「それは」
「無理なのは分かっていました。セドに選ばれなければ、侵略戦争にほどなくおくられ、死に絶えるか、生きて、戦果の栄光をうけて、貴族として生きることになっていたでしょう。羨まれることなのでしょうね、貴族からは。セドに選ばれてよかったのだ。奇跡のようなことだと」

 戦争にもいかなくて済んだ。食べるものにも苦労しない。恵まれたことだ。異邦の地では、飢えや疫病で死を迎える者が多い。捕虜として囚われることもある。だが、ファウストにとってはそうではないのだ。

「僕は魔術師の主に選ばれたくなかった。死ぬならば死ぬでよかった。でも、セドに選ばれてしまった。ならば、受け入れるしか、ありません。泣き喚こうが、僕は魔術師の主で、国の奴隷になってしまったんですから」

 この国は大好きなんですと、ファウストは掠れた声で言った。そうして、泣きそうな瞳を細めた。

「貴族らしい振る舞いをするのは、そうしないと気が触れそうになるからです。僕はもう、二度と、貴族から目をそらせない。魔術師の主は死ぬまでずっと、王都にいることになりますから」
「ファウストは、変な子だね」
「そうでしょうか」
「うん。嫌なら、見たくないと思うのに。目を逸らさない。私はそういうファウストの生真面目なところ好き」
「また、そうやって、軽々しく気を持たせようとする」

 はあと嘆息して、ファウストはリジナを直視した。

「マリオが、もし、目を覚まさなかったら」
「覚ますよ」
「……もし、もし。覚まさなかったら、僕と、結婚しますか?」

 ファウストはリジナの手を優しくとった。
 赤子を抱く子供のようなたどたどしい手つきだった。

「僕は、してもいい。リジナとだったら」
「しないよ」
「マリオとしか結婚しないと誓ったから?」
「それもあるけど、ファウストは恋愛結婚したいんだよね。ならば、好きな子にそういうことを言わなくちゃ」
「僕が、本気だとは思わない?」

 リジナは耳を疑った。

「え?」
「僕が、リジナのことが好きだと、そう思わない?」

 じっくり考えて、リジナは首を振った。
 痛みをこらえるように、ファウストが眉根を寄せた。

「私は、ファウストのことを異性として見ていない」
「ええ」
「私は、マリオしか、目に映らない」
「……妬ましいな、マリオが」

 ぺちりと、ファウストは優しく手の甲を叩く。
 双子が拗ねたときにみせる行為と、とても似ていた。

「僕も、そうやって一途に思って、思われたかった」
「ファウスト」
「ま、どうせ、無理なんですけどね。セドはああ見えて、ひどい束縛持ちですし、他人の目があるところでは従順としていますが、二人っきりになると僕を支配しようとしてくる。結婚をすると言いだした日には、お嫁さんを殺しちゃうかもしれませんし」

 いつかのように、ファウストが明るい声を出した。リジナは、無理をさせているのだと気がついた。ファウストは、リジナのために道化のように演じている。
 だが、なにを言っていいのか、分からなかった。

「でも、リジナ。もし、来世があるならば」
「来世って、異教徒が信仰している宗教観だよね?」

 西の国では、この世が終わっても、また魂が地に戻ってくるという宗教観がある。
 リジナ達が信仰している宗教は、輪廻や来世の概念を否定している。神は、人に二度、機会を与えない。人生は一度きりだ。

「そう、だから、もしですよ。僕は熱心な信者ですから、異教徒どもの教典など信じてはいません。だが、本当に来世があるならば」
「うん」

 真剣な表情をしたファウストに気圧されて、リジナは神妙に頷いた。それがおかしかったのか、咽頭が動いた。

「僕が、リジナと結婚していい?」
「えっと、来世の話だよね?」
「ええ。来世、僕と結婚して欲しいのです」

 途方もない話だ。そもそも、来世なんて、想像もつかない。
 むーっと顔を顰め、考え込むリジナに、ファウストはまくし立てた。

「ちなみに来世にはマリオはいません」
「ファウストが決めるの?」
「双子も、いない」
「限定的な世界なんだね?」

 これはつまり、ファウストをどれだけ好きかを試されているのだろうか。
 マリオの一大事にこんな話をしていていいのかと思ってしまうが、移動中に苛立っても仕方がない。リジナは真面目に考えた。マリオも、双子もいない世界。
 まだ、王都に来る前のリジナと同じ、恋も知らない少女の頃と同じだ。

「僕は、農民です。小さな土地を持っている」
「ファウストが、土をいじっている姿が想像できないよ」
「想像してください、気力で。……僕が、リジナに一目惚れをする。いや、一目惚れはないか」
「ファウスト!」

 顔を見ながら言わないで欲しい。つい、笑いそうになった。

「時間をかけて、好きになって、求婚する。こたえてくれますか?」

 リジナは、混乱してきた。これではまるで、ファウストがリジナのことを好きなのだと言われているようではないか。
 ファウストは神託を受けた聖人のように、泰然としている。

「絶対に農民なんだ」
「ええ、必ず」

 誇らしげに言うから、微笑ましい。

「私を気に入って、結婚を?」
「ええ、不自由ない生活は約束できないけれど、愛ならば惜しみなく与えるつもりです」

 素敵でしょうというように、ファウストは微笑んだ。リジナはそれにこたえるために、真面目な顔をつくる。

「来世のファウストが、私を気に入ってくれたら」
「本当?」
「うん、でも、来世の私は私ではないよ」
「そうですね」
「もしもの話だし」
「でも、それでも嬉しい」

 樹液のような瞳が、小さな幸福を噛み締める少年のように喜びに満ちていた。

「僕が選ばれたようで、嬉しい」

 リジナは、目をぱちりと瞬かせた。
 ファウストは、リジナのことをーー。
 唇は干からびた地面のようにかわいていた。湿った舌で舐める。痛みとともに、後悔が押し寄せてきた。

「ファウスト」
「分かっています。マリオが一番ですよね。マリオの為に、こうして王城に向かっているんですから」
「私は……」
「リジナ」

 ファウストは、切なさを滲ませる、歌姫の悲鳴のような声で名前を呼んだ。

「今は、馬車のなかで二人っきりです。双子も、セドも、マリオも、いない。少しだけ、幸せに浸らせて下さい」

 リジナはなにも言えず黙り込んだ。
 やがて、馬車はとまった。
 ファウストは、馬車での話をなかったことにするように不敵に笑った。

「さて、結婚を壊しに行きましょうか?」

 リジナとファウストの髪を、顔を出した朝日が照らしていた。


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