婚約者達は悪役ですか!?

夏目

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没落の理由

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 カインが連れてきたのは、一軒の酒場だった。大衆向けにつくられているからか、質素な作りで、木目がむき出しの床に、木製の椅子と机が雑然と数十並んでいる。
 値段表が彫られた木材が、部屋の斜め上に設置されていた。どうやらメニュー表らしい。庶民的な煮込み料理やパンの名前が書かれている。
 ジュディ達以外に人はいなかった。昼だからだろう。客を迎える準備もしていないようだ。
 ひょっこりと奥の部屋から顔を覗かせた男を見て、ジュディは息を呑んだ。
 ジュディを馬鹿にした子爵。モンスキュー子爵だったからだ。
 彼は見窄らしい麻布で出来た服を着ていた。
 労働者のように浅黒く焼けた肌。太っていた体が少しスリムになっている。
 子爵はカインを見るなり、目を輝かせ親しそうに手を広げ、抱きしめた。

「久しぶりじゃないか、カイン。元気にしていたか?」
「勿論です。子爵もお変わりないようでなによりだ」
「もう子爵じゃない。今はただのジャック。しがない酒場の主人だよ」
「奥さんは?」
「もうすぐ二人目の子が産まれる。子供はいいぞ。宝物だ」

 子爵は体を離すとだらしもなく頬を緩ませ、そう言った。
 ジュディはもともと探す予定だった子爵が親しそうにカインに抱き合っている姿に瞠目してしまう。
 オペラ座の近くの酒場を経営しているという話は聞いていた。場所は知らなかったが、日が暮れて酒場が開くまで粘って飲み歩くふりをして探すつもりだった。

「仲が良さそうでなによりです」
「やめろやめろ、今はお前の方が位は高いんだ、敬語なんかつけんな。それで、どうした。ルクセンブルク・ローズマリア伯爵令嬢をつれてきて夜会にしては日が高いな。オペラハウスもまだ開いてねえだろ」
「すいません、癖でして。見世物小屋に行っていましてね。ジュディが気分が悪くなってしまったようなので、休ませてもらおうと思いまして」
「そりゃそうだ。あそこはご令嬢を連れていくにはちょっとばかし野蛮だろうがよ。カイン、お前喧嘩っぱやいのは自分だけって自覚ねえな」

 肩を叩いて、笑っている。サーシャの時と同じ違和感が襲う。恨みにも思っていないようなのだ。友好的過ぎる。

「水持ってきてやる。待っときな。長椅子に寝かしてやるといい」

 子爵が奥へと戻っていく。長椅子に横たわり、カインを見上げる。
 肌を指で軽く触られる。温かな肌が指先から伝わってきた。

「ジュディ、申し訳ありません。気分が悪くなるようならば、観に行かない方がよかったですね」
「行きたいと言ったのは私だもの……」
「デートで観るようなものではなかった。謝らせて下さい。俺の気がすまない」

 大切なものに触れるような恐々とした触れ合いに息を呑む。吐息が交わる距離に顔があった。

「ジュディ、気分はいいですか? 胸は苦しくない?」
「だ、大丈夫!」

 胸元に伸びてきた手を振り払うように起き上がると、顔に頭がぶつかってしまった。頭突きをしてしまう形になってしまう。
 顔面をうちつけたカインはもんどりをうつ。

「ごめんなさい!」
「い、いえ。顔が近すぎた俺が悪い。つい、のぞき込んでしまった。ジュディにいかがわしいことをする気はまったくなかったんです」
「おいおい。昼間からお盛んだな」

 奥から、コップを持った子爵が出てきた。
 ジュディとカインの両方を見つめると、にやりと笑う。

「俺の店ではやるなよ」
「なにもやりませんよ!」

 カインは真っ赤になって否定した。子爵の後ろから、小柄な女性も現れて、興味深そうにカインをみている。ますます赤くなったカインは袖で口元を隠してしまった。
 あははと笑い声が店中に響き渡った。


 子爵が持ってきてくれた水を飲んで、人心地をついたのち、勧められるがままに昼食をご馳走になることになった。
 卵と鶏肉のスープ。かりかりに焼かれたパン。チーズとトマトを乗せたパスタ。焼かれたパイの中身は鮭とほうれん草だ。ホワイトソースがとろりと中から溢れ出してくる。
 アベルと行ったローザン家の夜会まで豪勢ではないが、ジュディは好きな味だ。

「貴族様なのに、よくお食べになるのねえ……」
「痩せるのはもういいんですか、ジュディ?」

 無心に口の中に食事を詰めていたせいで、視線が集中してしまった。垂れてきた前髪を払いながら平然を取り繕う。

「これ、とても美味しいわ。毎日、作って欲しいぐらい」
「おい、こいつは俺の妻だぜ?」
「そういう意味で言ったわけじゃ!」

 どうやら、結婚してほしいという意味で子爵は捉えたらしかった。双眸がぎらつき、凶悪な顔つきになっている。すでに夫になっている彼の動揺は異常だった。妻である彼女を見てみる。
 草臥れた服を着ているが、肌艶はよい。日焼けをしているが、なかなかの美人だ。小柄で、笑うと屈託無い。

「俺の嫁さんは誰にもやらねえぞ。やっとこさ捕まえたんだからな」
「やあだ、あんた。人の前で恥ずかしいわぁ」
「いいじゃねえか。な?」

 目の前でじゃれ合う二人を見ていられず目をそらす。どっどと心臓がへんな音を立てている。
 こういう場面を直視するのは、気恥ずかしい。肩を掴む子爵の瞳は熱を帯びていて、情熱で妻を焼き殺さんばかりだった。

「二人はとても仲が良くて羨ましい……。でも、子爵。貴方は貴族の地位を剥奪されて悲しくはないの?」
「ありゃあ、俺が頼んだことだからな」

 えっと吐息を溢す。

「俺の家は金貸しのせいで借財だらけで没落寸前だった。無様に縋るよりは後腐れなくきっぱりと没落した方がいいと思ったんだ。おかげで、こんな綺麗な奥さんももてた。結果は上々さ」
「国王陛下も子爵の嘆願を聞き入れ、願いを叶えたんだ。本当は没落ではなく他の道もあったんですがね」
「陛下のご英断に感謝感謝の日々だよ。あぁ、そうだ、ルクセンブルク・ローズマリア伯爵令嬢。きちんと謝ることが出来ず申し訳なかった。没落前はいらいらして、悪口を囁いてしまっただろう?」
「い、いえ。そりゃあムカつきましたけど……。謝ってくださったのだし」
「あの時の俺は最低だった。幸せそうにしてる貴女がどうしてか憎たらしくって……」

 殊勝な顔をしてジュディは頷いた。それ以外にどうすればいいのか分からなかったからだ。

「困ったことがあったらなんでも言ってくれ。なんでもするさ」
「そんな……今でも十分良くしてくれたのだもの。これ以上を要求するつもりは」
「はあー。素敵な婚約者だなあ、おい。この幸せ者め」

 カインに向けられた言葉は優しさに溢れていた。言葉を受けて、カインは柔和に笑みを浮かべて恥ずかしそうに頬をかいた。

 帰りの馬車のなか悶々とジュディは考えていた。心の中で、疑問が渦巻いている。
 ジュディは正直にカインに尋ねてみることにした。

「モンスキュー子爵のこと、なぜ教えてくれなかったの?」
「きちんと言っていたはずですよ。俺達とは関係がない。何もしていないとね」
「でも、もっと詳しく事情を説明してくれていたら……」
「打ち明けても信じなかったはずですよ。ジュディははなから俺達を悪人扱いしていたじゃないですか」

 たしかに、打ち明けられていたとしてもきっと嘘だと決めつけていただろう。
 偏見で目が曇っていた。本人に確認していないと言っていたカドックが正しかったのだ。

「言えば良かったのに、言わなかったこちらの落ち度だ。もう、言い合うのはやめにしませんか? 今日はデートです。ジュディと言い合いたいわけじゃない」

 まだ空中にある太陽を覗き、カインはジュディに微笑みかける。
 カインの意見は最もだった。これ以上の問答は不毛だ。
 それなのに、ジュディにはなぜかカインの言葉が間違っていると言ってやりたくて仕方がなかった。カインの言葉は詭弁で、本当はもっと何か裏があるのではないか。

「百貨店や仕立て屋を回るのもいいかもしれませんね。美術館は何を展示していたのだったか……。ジュディはどこか行きたいところがありますか?」
「……カインが決めていいよ」
「そうですか? では、まずは百貨店に行きましょう。大きな水晶のモニュメントがあるらしい」

 馭者席に座っていた男が、小窓から顔を覗かせた。カインがゆっくりと頷くと、ことりことりと馬の蹄の音がして、揺れ始めた。
 カインを責めてどうするのだろう。我に返った頭が何のためにと問いを投げかける。
 ジュディもカインのように窓の外を見た。ぬけるような晴天に、煌煌と太陽が輝いていた。



「家庭の天使なんて存在しないもんですよねえ、お嬢」

 帰って来たジュディを食堂にいたカドックが出迎えた。手に持っているのは銀色の食器と布巾。パントリーにある銀食器を食台の上で磨き上げている。

「何をやっているの」
「仕事です。俺は勤勉なので。お帰りなさい、お嬢」

 シーツの上に食器を一度置き、椅子を引いた。ジュディが椅子に腰掛けると、作業を再開する。

「それで、天使? 突然どうしたのよ」
「いえ、昨今、そういうのが求められているそうですよ。男性を癒す女性が必要とされているのだとか」
「……なあに、それ」
「男が外であくせくして働き、女は家庭で帰ってきた男性を労わる。それが家庭の天使像らしいですよ」

 机の上で手を組む。爪の先が少しだけ黒ずんでいた。モンスキュー子爵の店でついたのだろうか。

「退屈そう……。というか、そんなことをして何の得が?」
「そういう女性に向けられたマナー本が出回っているんです。ベストセラーにもなっているそうで。みんな、誰かに褒められるような素敵な婦女子になりたいってことなんですかね」
「家庭のことなんて誰も分からないじゃない。だいたい、家財を食いつぶすほどの悪女でもない限り、自由にしてもいいと思うけれど」
「まあ、所詮中流階級で流行っていることですからねー。でも上流階級はそういう天使がごろごろいるって思われているらしいですよ」
「本当は母様みたいな人間の方がごろごろしているでしょう」

 内情を知らない人間から見れば、上流階級は煌びやかで、上品なものなのだろう。人間味のない、美しい骨董品のようなもの。

「そういえば、ビジャス公爵が、女性の参政権を求める運動が起こっているって言っていたけれど」
「それも正しくて、実際、活動は行われてるらしいっす。女性を外へ解放する動きと家に閉じこもらせる動き、両方起きてるんですよね。まるで、女性っていう一つの体が、拒絶反応を起こし合って戦っているみたいに」
「そのたとえはあまり伝わってこないわ」
「ありゃ。まじですか」

 皿を置いて、カドックはスプーンを握った。
 ジュディは視線をスプーンに向ける。食器のなかで、顔の小さなジュディが不思議そうに見つめている。
 ジュディはどちらの活動にも賛同できそうになかった。女性の権利拡大を狙って活動しても、その権利が導入される頃にはジュディは死んでいるだろうし、家のなかで天使の真似事をしても、詮無いことだろう。尽くす人間がいなくなってしまえばおしまいだからだ。
 自分がこう考えるのは未熟だからだろうか。人生経験の少ない、貴族の娘だからか。

「また、母様は夜会を執り行うつもりなの?」
「そのようですね」

 王都に来た当初、母は毎夜のように夜会を執り行っていた。いつの間にか開かなくなっていたので飽きたのだとばかり思っていたのだが、そうではなかったらしい。こうやって食器を磨かせて、その日に備えさせている。

「カインとアベルにも招待状を送ってもらうように言わなくちゃいけないのね」
「おや、仲直りできたんですか?」
「仲直りというか……。没落させられたはずの子爵に今日会いに行ったの。でも、カインに友好的だった。没落はカイン達にやられたわけではないと言っていたし、もう、なにがなんだか」
「前にも言いましたけど、お嬢って噂で聞いた話しか知らなかったんでしょ? だったら、真実は実はそうじゃなかったってのも納得できるような気がしますけれど」

 そうだとしてもジュディは釈然としなかった。
 間違いを認めたくないからそう思うのか、それとも胸騒ぎがするからそうなのか、自分では判断がつけられなかった。

「……マリアナとロイドにも招待状を送らなきゃ」

 カドックの視線がジュディに向けられた。微笑みを返す。
 婚約者を抜かすと二人しか呼ぶような人間がいない。それがジュディの世界だ。
 狭い、鳥籠のなかにいるようだった。鍵はかけられていない。居心地がよくて、ずっとその場にとどまっている。

「そういえば、カドック知っていた? 昔の貴族に娘の血が浴びるほど好きで、血の風呂に入っていたの」
「……見世物小屋に行ったんですか?」
「内容を知っていたの?」

 見世物小屋を嫌っていたようだったのに、驚きだ。
 カドックはスプーンを持った手を止めて、食卓の上にある食器に視線を流した。

「休日に使用人仲間で観に行きましたから。残虐なものほど、日常の退屈を紛らわせるもんすよね。俺の肌には合わなかったが」
「きちんと罰を受けたのかしらね」

 何人も殺した悪党がのうのうと生きていてはいけない。虫を潰すように殺したのだから、虫を潰すように殺されていなくてはつりあいが取れない。

「そりゃあそうですよ。悪党は罰を受けなくちゃなりませんからね」

 突然、ジュディのお腹が鳴った。真っ赤になりながらなにか摘まめるものはあるかと尋ねる。
 すくすくと笑いながら、カドックが子羊のバター焼きを持ってきた。

「俺の晩御飯なんですから、美味しく食べて下さいよ?」

 口に肉を含む。じゅわりと広がる肉汁が舌に絡まってきた。

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